白百合と短編

側近

白百合と短編

 短編小説を書くのに必要なものを考えた。

 というのは、そもそもこれまでに執筆経験がないのが一つ。長編、乃至は中編を好む読書遍歴に由来した性癖が一つ。何よりも規定の一万字は四百字詰め原稿用紙にして僅か二十五枚なのだ。読書感想文の二千文字ですら窮屈なのに、高々二十五枚でどうやって物語を綴ればいいんだと途方に暮れ、私はその旨を七に相談した。

「読めば?」

 返答は簡潔だった。

 七は短編をこよなく愛する人だった。特にショートショートや詩篇を好んで摂取し、当人は隠しているつもりらしいが自身でも創作を行っていた。その回答は、だからそんな彼女ゆえの言葉に思え、私の目からはぽろぽろと鱗が落ちた。

 短編小説内で物語がどのような構造を持つのかを知らずして書ける道理はない。という訳で私はお勧めされた数冊を読み、並行して執筆作業にも着手した。脳内イメージを言語化する行為は羞恥を刺激し、それは堪らない快感だった。自己の内面を他者に読ませるのは確かに如何にも被虐趣味的だ。誰もが隠す自身の下卑た欲望、低俗な理性を詳らかにするなんてマゾでもなければ出来る訳がないのだから、変態的行為そのものじゃないか。

 まずは作品のモチーフとなる要素を書き出した。中心は百合だ。女性同士の恋愛をテーマとする作品を募集する賞に応募するのだから、そこを起点として展開と人物を創造するのは当然に思えた。後はプロットだ。物語の骨子、そして肉付けを行っていく。

 執筆は予想以上に難航したが、とにかく書き切る事が大切なのだととある作品に登場する作家も言っていた。駄作であろうが破綻していようが生み出された作品は結末まで描かれなければならない。

 だから書いて、それを七に読んでもらったところ、彼女は窓外に目を向けた。グラウンドでは陸上部がトラック競技の練習を始めるところで、ハードルを一つ一つ並べている。陸部のクラスメイトがこちらに気付いて手を振ったので七も振り返していた。

「七さん。正直な感想をお願いします」

 私が催促すると、七は思考を纏めるように唸ってから、なぜか頬を赤くした。

「君がこういう作風で創作するとは、ちょっと思わなかったです」

「え?」

 私は返された原稿の角を揃えながら首を傾げた。そんなに奇妙な作品を書いたつもりはなかったからだ。初心者が大層な代物を創れる訳がないと思ったのでシンプルな内容にしたつもりだった。拙い部分や描き切れていないシーンは多々あるが、変なところはない、と思う。

「……気付いてないの?」

「うん、え。ごめん、私にぶちん?」

「そう……なの。なら気にしないで」

 言葉ほど平気じゃなさそうな七は机の縁を掴んで椅子の前脚を浮かせ、器用にバランスを取る。考え事に没頭しているが、特に危うげもなくゆらゆらと揺れ、その様子に私は首を捻るばかりだった。


 執筆に於いて重要なのが語彙力ではなく文章構成だと気付いたのは天啓だった。勿論、これには諸説あるだろうが、少なくとも書き慣れない私にとっては多様な言葉や表現を巧みに扱う技巧派よりも、パズルの要領で平易な文章を上手く並べていく作業の方が遥かに簡単――というと些か語弊があるが、要するに、性に合っていた。七も私の説明を聞くと少しだけ考え込んだ後で「自分の感じるようにしてみるのが、多分だけど、一番大切だと思うよ」と太鼓判を押してくれた。

 ただそうは言ってもずぶの素人だ。七みたく以前から創作活動をしていた訳でもなく、一週間前に書き上げたものが生涯初の作品であると同時に唯一の創作活動なのだ。慣れ、つまりは蓄積した経験に基づく判断基準を持ち合わせておらず、既に自分の中に溜め込まれた別の山から文章構築の指針を引っ張って来なくてはならなかった。そこには玉石混交、種々様々なこれまでに読んだ小説なり漫画なり、或いは映画などの映像作品でもいいのだが、そうした私自身が好ましいと感じた要素が乱雑に詰め込まれている。

 直感的に、そこから拝借するのがちょうど良さそうだ、と私は思った。まずは言葉在りき。最初は模倣から。私が良いと思った表現ならその水は具合よく私の手にも馴染む筈だから、素人がそれなりの体裁を整える為の剃刀くらいにはなると期待できた。

 まず、余分は排除するに限る。これは創作に取り組む上の心構えという以上に私自身の信条に近い。だから登場人物は二人に限定した。私と貴女。極力余計な人物は出さず、出たとしてもそれは限られた描写に絞った。盆栽の剪定だ。全体像から想定する図案を描き、邪魔な枝を切り落として細部を整え、輪郭を均していく。細部への見直しには慎重になった。細部のディティールを軽んじると途端に全体が嘘臭くなる。悪臭はそれの良し悪しに関わらず鼻につき、読み手を苛つかせる。これは単純に私の経験に基づいている。微に入り細を穿つ描写をとことん追求すればいいというものでもないが、神は細部に宿るともいう。本来の意味とは若干違うが、まあ、大体似たようなものだろう。作品の最低限の精度を保証する方法の一つが細部の丁寧さにあるのは間違いない。これは技術的な問題ではない。誤字脱字、意味の取り違え、そういう部分の話であり、推敲――否、この場合は校正だろうか、基本のキさえ見直しておけば少なくとも作品の体すらなさないような事態は避けられる筈だ。文章の破綻によって作品自体が毀損されるなんて馬鹿げた自傷行為は、仮にも『小説』を書こうとしているなら、回避に努めるべきなのだ。

「それで何回も作品を見直してるの?」

「どうせなら完璧なものにしたいし」

 私の後ろから肩越しに手元を覗き込んでいた七が身を離した。

 振り向くと彼女は目をまん丸に丸めて、ははは、と投げやりに笑った。冬の風のように乾いた声だった。

「創作に完璧なんて絶対に在り得ないよ。無限の時間と無限の予算と無限の発想力があっても完璧な作品なんて絶対に生まれない。完璧なんてものは、この世界では許されていないからね。それは、うぅん、まああれだ。神の特権――」

 そこまで言ってふと言葉を切り、七は口元を歪めた。それは、例えるならば自分達ではどうしようもない事柄について語る諦念と、あるがままを受けれようと苦心した結果の疲れ果てた笑みであり、何か悪趣味な冗句を思い付いた顔だった。

 絶句する私に構わず、彼女はいや、と首を振って可笑しそうに続けた。

「それは神ですら実現不可能だったね」

「ええっと、つまり?」

「君と私が面白いと思った作品でも、そう感じるポイントはそれぞれ違うでしょう? 人間の感性なんて例外なく異常で異質だよ。普通、なんて評価は結局のところ最大公約数でしかなくて、それは普通である以上、どう足掻いても完璧には程遠い。況やニッチな作品に於いてをや、ですな」

 ふむ、と私は腕を組んで尤もらしく頷く。

 要は人に刺さる要素は異なるから、完璧の追求は無意味だという事だろう。

「無意味とまでは言わない。完璧を求めるのは、より良く完成度を高める手順だから、しないよりはそりゃあした方がいい。創作をする以上、せめていいものを作る努力は怠ってはいけないと思う。でも、区切りは必要だよねって話。同じ作品を延々弄り回すのは、ぶっちゃけ時間の無駄だから」

「完璧な作品なんて在り得ないから?」

「切りがないから。しかも推敲を重ねたからって確実に完成度が高まる訳じゃない。悪化する場合だって勿論、ある」

「ああ……言われてみれば、そうだね」

「仮に直すにしても、時間を置いて、経験値を積んでからの方がまだいい。だから私は、それはもう完成にして、次の作品に取り掛かった方がいいと思います」

 なるほど確かに。私はそうした。

 賞に応募する作品は少女同士の関係性に基づくものだが、七に言われて一端そこから離れて書く事にした。ホラー作品だ。私に霊感はないし、幽霊の類も信じていなかったが、ホラー作家が全員オカルト信奉者な訳ではないのだしそれは構わないだろう。ただ、宗教的な理由から私はスプラッタものは受け付けないので、必然的に作風は心理的恐怖が伴う方向に絞りネタを練っていく。

「どうせなら、コズミックな感じにしてみよっかなあ……」

 単なる思い付きだったとはいえ、割と名案なんじゃないかしらんとそんな風に言ったところ、収拾がつかなくなるから止めておけ、とにべもなく言われてしまった。残念。


 睦が小説を書こうと思うんだけど、と言ってきた時、私は呆気に取られた。正直、ほんの少しだけれど煩わしく感じたし、冗談は止してくれと言いそうになった。嫌悪や苛立ちに似た、それは多分、当惑だった。

 睦は私と違って創作に打ち込む必要のないリニアな人種だ。空想を拠り所にせずとも現実と折り合いを付け、地に足をつけて生きていける――こういう言い方をするとまるで創作者はそうじゃないかのようで、些か世の作家に対して礼を失するかもしれないが、私に限っていえば創作とは多分にそういう要素を含んだ現実の裏返しだった。また、欲求不満の発散場所であり、鬱屈した思い――打ち明けられない想いを私なりに形に変えて出力する代償行為でもある。そんな理由もあって、私の中では執筆と生き上手の睦がどうしても結び付かず、すぐには上手く反応出来ずにいるうちに彼女はこう続けていた。

「ただ小説って書いた事ないから。因みに、短編なんだけど」

「えらく唐突だなあ。というか睦、あんま短編って読まなくない?」

 そうなのよ、と彼女は頭を抱えて唸る。

 睦は生真面目な性格だった。四角四面だとか杓子定規だとかそういう形容が似合うタイプで、黒縁眼鏡と三つ編みおさげ、ピシッと伸びた背筋に、膝下丈のスカートと絵に描いた優等生像を地で行く今時珍しい子だ。人の行動に動機を求めすぎる嫌いがあって、理屈っぽく、つまりは融通が利かなかった。

 だから間違いなく、彼女は私のようなある種の感覚に頼り切った創作手法が不得手なのは明白だった。だが逆に、私の苦手とする一から理屈立てて話を組み立てる方法ならば、普段の様子からしても睦の性格からしても取っ付き易く手に馴染むかもしれない。

 尤も睦はそれ以前の話だろうけど。衝動的にそうせざるを得なくなって、でも方法が分からず足踏みしているのでないのは今の様子を見れば一目瞭然だ。つまりまず始めに私に相談を持ち掛けた時点で、彼女に必要なのは一文字目に取り掛かる踏ん切りなのだ。睦の場合、実際に行動に移す前の入念な下準備というか、用意周到に予習しておかなければ気の済まない難儀な性癖というか、とにかく自身がそれに着手するに充分だと納得する必要が根本にあるのだろう。

 なら方法は一つだ。そう思い、取り合えず読めばいいんじゃないか、と我ながら短絡的に、かつ端的に言うと、彼女はきょとんとしてからぽんっと手を打った。

「そりゃそうだ」

 一の出力に十の入力を求める睦からどんな作品が生まれるのかはまるで予想できなかった。ケータイを使う為にまずは取説に目を通す彼女が不足していると感じているのは執筆の作法、或いは心得のような部分だ。そんなものはぶっちゃけ作文を書く上で学校で教わる最低限の決まりさえ守っていれば他はどうでもいいと私は思っている。段落の初めは一文字下げて、あとはバランスを意識して句読点を打っていれば、取り合えずは読める文章になる。勿論、面白いかは別問題だが。それに、場合によってはそれだってうっちゃっても構わないんじゃないか。文学的実験作品や会話主体で綴られるラノベを考えれば、この手のルールが作品自体の面白さを担保する訳ではないのは火を見るよりも明らかだ。

 睦が小説を書く? まさか。そんなの、今まで考えもしなかった。

 睦の趣味は私が大昔に薦めた幾つかの作品に由来する。結果的に彼女は私とは異なる沼に沈み、現在では文学少女と目されるくらいに日頃から読書姿を見掛けるようになった。ただ、彼女はあくまでも読書家だった。紙面に綴られる活字に没入し、異世界や波乱万丈な物語世界を登場人物と冒険するのを好む消費者だった。以前、自分でも書いてみないのと訊いた時、彼女は困惑した様子で本を見下ろし、書こうと思った事はないし、私に書けるとも思わない、なんて答えた。

 どうして今、その考えが変わったのかは、あまり気にしていない。人間だもの、些細な切っ掛けで思い直す場面は幾らだってある。ただ私が勝手に意外だっただけだ。睦は創作活動に興味がなさそうだったし、そんな素振りをまるで見せなかったからどうしてだろうと疑問が沸いた。純粋に興味もあった。

 良い意味でも悪い意味でも堅物な彼女がどのような物語を紡ぐのか。睦の事だから、最初から難しいもの――創作未経験の自分の手に余る作品を書こうとしないのは確かだ。そうなると彼女は自明な素材から調理する事になる。今現在までに睦という少女の中に培われた要素、彼女が胸に抱える何かを作品に投影する筈だ。それはきっとほとんど私小説染みている。或いは纏まりのない設定の羅列。でも創作なんて、好き勝手にやればいい。面白いとか詰まらないとか、成功するしないだとか、評価基準は存在するけれど、そんなのは二の次で構わない。創作の空では誰もが自由に想像力の翼を羽搏かせられる。それがどんなにか楽しく、心地良いかは、私が――純粋さを忘れていない作家の全員が――物知らぬ幼子が、一番よく知っている。白紙の上でなら私は自由だ。世間なんて、知らない。

 自室の机に向かいクローゼットに隠してあった鍵を使って抽斗を引く。紐を通して纏めた原稿用紙の束。何枚もの写真。映っているのは二人の少女だ。水族館に行った、動物園にも行った、文化祭にクリパに縁日、繁華街でクレープを食べている、公園のベンチ、山頂の展望台、部屋で一緒に映画を観た、音楽を聴き本を読んだ、柔らかな笑み。宛名のない手紙。私の理想の物語。これまで何度も繰り返しそうしたように私は溜息をついた。写真を元の位置に戻して抽斗を押し入れる。引っ掛かる手応えがあり、僅かに跳ねた。鍵はクローゼットのお決まりの場所に隠した。

 ケータイが鳴った。睦だ。明日、小説を持っていくので読んで、と書いてあった。絵文字もないいつもの調子の素っ気無さ。早速執筆に着手するとは言っていたがこんなに早く仕上げてくるとは中々どうして恐れ入る。

 私はお気に入りのスタンプを送った。兎がオッケーの看板を掲げている奴だ。既読がつき、文面を書いては消す暫くの間があって、ありがとうの文字をバックに雪ダルマ人間が深々と頭を下げるスタンプが返ってきた。

 姿見を一瞥すると見慣れた顔に不満が浮いていた。唇を尖らせ、目付きも良くない。私は首を振り振りベッドに飛び込み、足をばたつかせ、枕を殴った。何にこんなにも苛ついているのか皆目見当が付かなかった。

 舞台は放課後の図書室。登場人物は二人。

 試験勉強の為に訪れた少女は頻繁にそこを利用したが読書習慣はなかった。宿題にしろ予習にしろ家よりも図書室の方が捗るから、試験前のその日も彼女は教科書とノートを広げ、周囲を締め出して没頭した。

 昏々とした集中もいつかは切れる。気が緩んだ隙に雑音が耳に入り、少女はふと顔を上げた。日が傾き、利用者が一人、また一人と出ていくのを見送った。残っているのは彼女だけになっていて、いつの間にか図書委員が立っていた。彼女は隣のクラスで話した事はなかった。もしかすればおはようくらいは交わしたかもしれないが、少女は憶えていなかった。彼女は笑い掛け、もう鍵を閉めるよ、と言った。いつも来てるよね。いっつもノート広げてる。本は読まないの? 帰り支度をする少女の様子を眺めていた彼女は親しげに言った。少女にとっては隣のクラスの他人だったが、彼女にとっては名前だって知っている顔馴染みだった。少女はほとんど交流のない相手に話し掛けられて戸惑った。上手く対応出来ず、言葉少なに読まないと返した。

「毎日図書館にいるんだから、たまには本でも読んで息抜きしてみたら?」

 こうして少女は半ば押し付けられる形で彼女イチオシの小説を借りた。図書室の本ではなく彼女の私物だそうで、読まない訳にもいかなかった。その夜、ベッドに寝転がった少女は何気なく表紙を開いた。黙々と文字を追った。熱中して頁を捲る。気付くと空が白んでいて、少女は窓外から部屋を覗く朝日に唖然とした。結局、少女は体調を崩して午後の大部分を保健室で過ごす羽目になった。

 放課後になって少女は図書室に向かい、落胆した。目的の相手は当番ではないらしく、受付には別の委員が座っていた。

 仕方なく定位置に腰を下ろした。雑木林側の机の端。最も窓に近い椅子だ。そもそも、と少女は考えた、今は試験前だ。彼女に会えないのは残念だけど、勉強だけはしっかりと済ませておかないと……。そう自らに言い聞かせ、教科書とノートを取り出した。

 ピンと張り詰めた静謐の糸を五線譜に、心地良いペンの音と紙の捲れる柔らかな音、椅子の脚が床と擦れ、床板が軋み、難問に行き当たった悩ましい唸りが緊張感のある勤勉な空気を奏でて少女の世界を取り巻いた。

 視線を感じて――どうにも集中し切れなかった少女は、ふと顔を上げた。いつの間にか対面に人が座っている。それ自体には気付いていたが、自分には関係ないと思って気にも留めていなかった。両肘をつき、少女と目が合うと組み合わせていた手を解いてひらりと振った。例の彼女だった。ドキッとする。会いたいと思っていたその人が突然目の前に現れてふわふわと胸が騒いだ。あっ、と知らず声が出てしまい、彼女が唇の前に人差し指を立てて、少女は慌てて口を塞いだ。

 彼女は声を潜めてりくつくつと笑った。

「いてくれてよかった。実はお願いがあって。試験勉強、見てくれないかな、なんて……」

 イエスともはいとも言わないうちに手を合わせて拝まれて、彼女に勉強を教える事になった。そうして流されるままに質問に答えていると、ペンを口元に当てた彼女が言った。

「そういや昨日貸した小説読んでみた?」

 少女は鼻息も荒く身を乗り出した。声が大きくなりそうだと自分でも思ったから寸前のところで口を噤み、こくこくと激しく頭を上下させる。何気なく振った話題にまさかそこまで食い付かれると思わず、彼女は気圧されて身を引いていた。

「おおう……喜んでもらえたならよかった。面白かった? え、もう読み終えたの。じゃあ他にもオススメあるし、借りてく?」

 こうして二人は勉強をし、本について語り合い、道草を食ったりして、いつしか顔を合わせない日の方が減って親友と呼べる間柄になっていく。二人で過ごす当たり前な時間を少女は心地よく感じた。親友なのは確かだ。けれど単にそう呼ぶのに言い様のない違和感を覚える。

 手を繋ぐと自然と笑みが零れた。語り掛けられると胸が高鳴った。一冊の本を二人して覗き込み、肩が触れ合うと内容が頭に入らなくなった。ふとした瞬間、目が勝手に彼女の姿を探していて、今度はあれをしよう、何をしよう、と浮き浮きしながらあれこれ想像していた。だって、親友だし。些細な話かもしれないけれど没趣味だった私に楽しみを教えてくれた。少女には彼女が輝いて見えた。いつも明るく、朗らかで、笑った顔は夏の白い日差しを思わせる向日葵のように愛らしかった。一緒にいるだけ世界が色付き、光り輝いていて、そんな風な事を別の友人に話すととても微妙で呆れ果てた顔をされ、なぜかご馳走様と言われてしまった……

 限界だった。

 私の目は文章を滑り、頬の熱が、その色が睦にバレてしまわないだろうかとそんな事ばかりが気に掛かった。顔色を読み取られまいと視線を原稿用紙の束から窓の外へ。グラウンドを見下ろすと陸部がトラック競技の準備をしていた。ハードルをえっちらおっちら運び、一人がこちらを見上げて手を振った。友人だ。私は手を振り返して顔の熱を冷ます時間を稼いだ。

「七さん。感想をお願いします」

 睦が言い、私は観念して向き直った。一見しただけでは平素と変わらず見えるけれど、表情が妙に固いところを見ると彼女も案外緊張しているのだろうか。睦が。あの彼女が。中々可愛いところがあるじゃないかと思う一方で、昨日の今日で処女作を誰かに見せられる胆力には舌を巻く。

 私はそっと息を吐いた。自分の心が見えない。苛ついているが、睦に対して思うところがある訳ではない。これは私自身の問題だ。けれど、じゃあどうして、と思考を進めるとそこで足が止まる。理由は分かっていた。分かっているのが腹立たしかった。

「君がこういう作風で創作すると思わなかったです」

 私に言えるのは精々このくらいだ。睦は原稿の角を揃え、きょとんと首を傾げた。無自覚か。そうだろうとは思ったけれど。

「気付いてないの?」

「うん、え。ごめん、私にぶちん?」

「そう……なの。なら気にしないで」

 細部や展開に多少の脚色はあるものの、彼女が書いて寄越したのはほとんど私と睦の馴れ初めだ。あの頃、睦は図書室の隅でいつも自習をしていた。友達がいなかった訳じゃないが、放課後のあの姿は寂しげだった。

 最初は打算だ。成績上位者だと知っていたから勉強を教えてもらえればと思って、小説を勧めたのはその切っ掛け作りだった。私の趣味にあそこまで共感してくれたのは睦が初めてだった。紆余曲折、私達は親友になり、今に至る。要するに彼女が書いたのはその睦側の視点であり、彼女が書いているのは私の解釈ミスでなければエスものの筈だ。

 創作は創作で、要するに虚構であり、睦の内面から生じていようが必ずしもそれが本人と関わりがあるとは限らない。聖書を記すのは神ではないし、犯罪小説の作者は実際に銀行強盗を行う訳ではない。異世界ものを書くのは異世界に行けない人だ。

 期待するだけ無駄だ。私の冷静な部分がしたりと囁く。けれど、でも、もしかしたら。

「ああ、もう……期待なんてさせないでよ」

 階段を先立って歩いていた睦が私の呟きを聞きとがめて首を巡らせた。段差から、彼女は私を見上げる形になる。

「何か言った?」

 私はかぶりを振った。

 もしもあの小説の少女の彼女に対して何かを匂わせる独白が、その何割かでも睦の本心から抽出されたエッセンスに影響されているのだとすれば、それはどんな意味を持つのか。睦の当時の心境を反映しているのか、それともそこにあるのは今現在の彼女の心情なのか、或いは全くの無関係かもしれない。多分、そうだろうとは思う。

 勘違いは恥ずかしい。けれど、勘違いさせるだけの要素をあの小説は含んでいた。

 知る人が読めば――つまり睦が書いて私が読めば、そこには綴られた文章以上の意味が裏に読み取れてしまうのは仕方がないのではないか。睦はそれを想定していないのか。

 そう考えた時、私は階段を降りていく背中を凝視した。例え勘違いであっても一歩を踏み出す切っ掛けにするくらいはいいんじゃないの? 敢えて深読みして、勇み足になってみるのも状況を変える手ではあるだろう。

 私は決意し、彼女の隣に並ぶ。

 物語は時に、人を動かす。

 

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白百合と短編 側近 @rusalka000

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