彼女まで801メートル

けみねこ

第1話 はじまり

大した心当たりもないのに妙に懐いてくる後輩。昔は俺にもそんな奴が居ないからと憧れていた存在だったのだけど、実際に居たら居たで鬱陶しい。

まあ、距離感の問題なのかもしれないけどさ。


「難しい顔してどうしたんですか?センパイのこと、あたしは大好きっスよ? 」


隣を歩く後輩から距離を取る。


「あ、逃げないでっスよー!」

「暑苦しいんだよお前……」

「え゛ー?」


後輩を見上げる。

残念な美少女だ。

残念だけど美少女だ。


「倉見……お前、黙ってれば美人だよな?」

「辛辣っすね!」


にはは、と笑われてはクールな外見も形無しだ。

ほんと残念な奴だよ、倉見かなこ。


ショートカットが似合う童顔に日焼けした肌がトレードマーク。

学年は2つ下だが足は俺より早い。女子陸上界の短距離を背負う存在だ。100メートルを12秒0で走る。俺より速い。

身長は170後半、体重63kg。何度も聞かされて覚えてしまった。

もうちょっと筋肉つけたい、というのは本人の弁。胸はAとBの中間を自称している。


「センパイ! コクハクの返事は?」

「あーはいはい。俺も好きだよー」

「本気にしてないッスねー? ちぇー」


我ながら、嫌な慣れ方をしたものである。

全部コイツが悪い。

部活初日に俺を見るや否や、コイツはいきなり「めちゃタイプっス! これから末永くよろしくっス!」と言いやがったのだ。

マジで分からん。

一目惚れとか美人局以外ありえんだろ。

そう思って、後でアイツの同級生に聞いてみた。

小学校時代はちっちゃくて足が速い子が好きだったとか。

よく高い高いして遊んでいたらしい。

俺はキレた。


まあ、そんなことはどうだっていいのだ。

俺は倉見の外見とランニングフォームだけは認めている。

俺だって、こんな美人で足が速かったら、違った人生を歩めただろう。

それを全力で無駄遣いしているのがコイツだ。


「センパイ、なに考えてるんスか?」

「お前、ほんと中身で損してるよなーって」

「辛辣ッスね! まあ当たりッスけど」


にはは、と後輩は笑う。

そういうところは好きだ。

少なくとも、コイツは悪い奴ではないのだ。


「……センパイ、あたしのこと、迷惑っすか?」

「今更どうした?」

「たまーに弱気になるときだってあるんスよ。 明日の宿題をやらなかった言い訳どうしようかなーとか。センパイ、あたしのこと適当に流してるのかなー、とか」


宿題はやっとけよ。

そう思った瞬間、ギュッと抱きつかれる。


は?


「……大好きだぜ」


耳元でささやかれる。

唇のこすれる音が、やけに色っぽく響く。

思わずゾクッとした。

倉見は、固まったままの俺から離れ、そのまま一目散に駆け出していく。

速い。

あっという間に距離が開いて行く。


「それじゃ、また明日ッスー!」


「……ふぇ?」


……正直、めっちゃドキドキした。

まあ、明日は明日の倉見が吹くのだ。

代わり映えのない日常がそこにはある。

そう、本気で思っていた。




翌日の朝のことである。


「あれ?」


首を傾げる。

いつもは家の前でニコニコ顔して待っていやがる倉見が居ない。

そんな日もあるよな。

流して学校へと向かった。

クラスに入ると、空気がやけに張り詰めているのを感じる。

遠巻きにされて、ひそひそとクラスメイトが話していた。

さては昨日、倉見と一緒に返っていたのを見られていたのか。

まあ、いつものことである。

何かの噂話をしているようだが、興味ない。

どうせ、誰と誰が付き合っただの別れただの、その程度の話なのだろう。あと俺と倉見の話は聞きあきた。付き合ってないというのがオフィシャルアンサーだ。


「なー胡桃ー」


野球部の同期だ。

奴が俺に話しかけた瞬間、教室が静まり返った。なんだよ結局俺とアイツの噂話だったのかよ俺を巻き込むなよいい加減あしらうのもめんど


「倉見がトラックに轢かれたってマジ?」

「えっ?」


同期は、しまったと言いたげな顔をして、俺から離れた。


その噂話の真偽が分かったのは、朝のホームルームのこと。

倉見が死んだ。

担任の、葬儀に行くなら後で俺に伝えてくれと言った声が、どこか遠く聞こえていた。




結局、葬儀には行かなかった。

なんとなく、明日にはあいつが何事もなかったかのように俺の家の前で待っていそうな気がしていたから。

もし行けば、二度とあいつが帰ってこないような気がしたから。

1ヶ月経って、そんなことは二度とないと思えるようになった。

帰れば机に突っ伏して、ぼーっと考え事をしていた1ヶ月だった。

通算十度目以上の引き出し漁り。

部活動初日、倉見に押し付けられたメモがある。

捨てられなくて、取っておいたものである。


「ケータイ ・・・・・・ 家 ○○○-○○○○」


携帯の番号は滲んで読めない。俺は、家電の番号に掛けてみることにした。




「もしもし、倉見さんの部活動の先輩でした。胡桃です」


電話口に名前を伝えると、ああ、くるみ君かー、と嬉しげな声が帰ってくる。

焼香に行きたいが場所が分からない旨を伝えると、学校の出口で待っててくれるらしい。


翌日の放課後、部活を休んだ。

顧問に倉見の焼香に行ってくると伝えると、意外そうな顔をした。


「お前、まだ行って無かったのか」

「……なんとなく、あいつのこと、待ってなきゃいけないような気がしてたんですよね」


顧問は泣きながら、行ってこいよと背中を押してくれる。


午後4時頃に校門前と伝えていた。

しかし、3時半に外に出ると車が止まっている。

陸上の練習で何度か見た軽自動車。

大柄なアイツには似合わない、小さな車だった。

運転手と目が合う。車の窓がゆっくりと開いた。


「お久しぶりです」

「こっちは毎日君の話を聞かされてたから、そこまで久しぶりって感じはしないのよねー」


苦笑している小柄な中年女性が倉見の母親だ。

第一印象通り、優しい人だった。


「わざわざ迎えにきて頂いて、ありがとうございます」

「いいのよ。あの子、きっと貴方に会いたがってるから」

「……そうですね」




倉見の家は小さな家だった。


「仏壇、あの子の部屋に置いてるのよね」


案内されて、倉見が使っていたらしい部屋に上がる。

生活感のない部屋だ。

ものひとつ散らかってない。

ホコリひとつ落ちてない。

アイツがそんな几帳面なはずがない。


そうか。もう、いないのか。


頭を殴られたようなショック。

制服を着た遺影が仏壇に飾ってある。

やけにしおらしい雰囲気だ。

お前はそんな奴じゃないだろ。

思ったけど、言えなかった。


おりんを叩いて、祈って、焼香して……。

いない。倉見がいない。

いますぐ、ドッキリだったと言って欲しかった。

そんなワケないのに。


「今日はありがとう。あの子、いっつも君の話をしてたから、きっと喜んでるわよ」


出されたお茶に口をつける。苦い。


「むしろ怒ってるんじゃないですかね。今更どの面下げて、とかなんとか」

「そんなことないわよ」


お前が悪い。

八つ当たりで茶を流し込む。

すっきりはしない苦みが残る。

くそっ!


「あの子、本当に静かな子だったのよね」

「静か? アイツがですか」

「ええ。小学校や家では、いつもだまーってなにか考え事してたのよ。学校でも、昼休みとかは一人で本を読んでいたって担任の先生が言っていたわ」

「イメージが沸きませんね」


俺にとっての倉見は、センパーイ、とうるさく絡み付いてくる滅茶苦茶な後輩だった。今でも物陰からドッキリでしたー、と出てくることが期待できる程度には滅茶苦茶な後輩だった。


「きっとあの子にとって、それだけ胡桃君は特別な人だったのよ。見栄張りたいって、思うぐらいね……」


ああ、もう会えないんだなと。


そのことがやけに悲しかったことを覚えている。




帰りますと言ったら、家まで送ってあげると言われた。

そこまでしてもらうのは悪いので断る。


「今日はありがとうございました」

「気が向いたら、たまに来てちょうだいね」

「そうします」


帰り道はなんとなく分かる。

ここをまっすぐいけば、俺の家の前。

……だから毎日寄ってきてたのか。

涙がこぼれそうになる。

やけに青い嘘のような空を見上げる。

倉見の癖だった。

何もない空をよく見上げている奴だった。

何度も電柱にぶつかりそうになった倉見の手を引っぱった。

きっとあの日もこんな感じで車道に飛び出したのだろうか。

もし俺がいたら、手を引いてやれたのに。


俺の横30センチメートルを、猛スピードのバイクが通りすぎた。




9ヶ月が過ぎた。

3月最後の登校日。

離任式を、何事もなかったかのように過ごす。

俺はあのときから何も変わってない。

あの日以来、空を見上げる時間が増えた。

星にも雲にも詳しくなった。

倉見にあったら自慢してやりたい。

せいぜいその程度だ。

本当に、何も変わらない。

空虚な日々だった。


「……くるみー。 おい胡桃ー! 聞いてんの?」

「ああ、悪い。ぼんやりしてた。で、どうした?」

「このあと打ち上げ。みんなで遊ぶんだけど、お前来んの?」


一応聞きました、という感じの歓迎されてない空気。


「いや、行かねぇ」

「あっそ」


これで終わりだ。会話イベントすらスキップモードだ。

式が終わって、教室から一人、また一人と帰って行く。

集団がどっと居なくなり、最後には俺一人だけになった。


「あれ? 胡桃、まだいたのか。なごり惜しい訳でもないだろ?」


廊下からの声で目を覚ます。

気がつけば辺りは暗い。

話しかけていたのは担任だった。陸上部の顧問でもある。

一年のときから、三年間ずっと受け持ってもらった。部活動でもお世話になった。

それだけの関係。それなりの関係。


「んー……そうなんですよね。卒業したんですよね、俺。でも、何も残らなかったなーって、ふと」

「陸上、頑張ってたじゃないか」

「速くないですけどね」

「勉強だって頑張ってただろ」

「そこそこ止まりです」

「れ……」


担任は黙る。

なら、言わなきゃいいのに。


「あの子はただの後輩……なんて否定するのも、これが最後になるんですかね」


あいつの話題を出すのは、久しぶりだった。

胸が締め付けられるように痛い。

誰も彼も、忘れていくのだ。

きっと俺も、倉見のことを、いつか忘れる。

ただの後輩だったアイツのことを忘れる。


「送ってやろうか?」

「近いんで」

「そうか。最後に言いたいことはなんかあるか? 今なら無礼講だぞ?」

「なら、ひとつだけ」

「おう、言え言え」


「鼻毛出てますよ」

「えっ?!」

「冗談です」




帰り道、俺はぼんやりと歩いていた。

空を見上げて星を数えて。

それがいけなかった。

思わず足を滑らせてしまう。


「うわっと」


倒れる瞬間、俺は見た。

猛スピードで突っ込んでくる、トラックの姿を。

やばい、ぶつかる。

そう思った瞬間、俺の意識は飛んだ。




目を覚ますと、そこはうだるような夏空だった。


「……あっつ!?」


コンクリが背中を焼く痛み。

跳ね起きると、照りつけるような日差しが目に痛い。

何が起こったのか。

今は三月で、だからこんなことはあり得なくて。

とりあえず、帰るか。

何か手がかりがあるかもしれない。


「ただいまー」


誰も居ない家。俺の声が反響する。

リビングへと向かい、テレビをつけた。

興味ある番組はないけど、何かをみていたい気分だった。


「……こんにちは。5月9日、日曜日。ニュース1245です」


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