幸せな時間
車に戻ると、彼は車を発進させた。
「さっきはごちそうさまでした」
私がそう言うと、彼はいいよと笑顔を見せた。
さっきまで割と話が盛り上がっていたため、話下手な私はこの後無言になるのをとても恐れていた。私は彼と会話をしないでいい方法を考えた。
「なんか、食べたら眠くなってきました。ちょっと寝てもいいですか?」
私は彼に聞いた。
「わかる、食べたら眠くなるよね。寝ていいよ。なんなら、ちょっと俺ん家来る?」
彼の口からその言葉が出た瞬間、やっぱりそうかと私は落胆した。こんなにかっこよくて優しい人が下心なしで会ってくれるはずなんてない。私の描いていた少女漫画のようなストーリーは儚く消え去った。
「いや、ちょっと明日朝早いんで」
私は帰るための口実として嘘をついた。
「ちょっとだけでいいから、お願い!」
そう彼に何度も言われると、私もそのうち、まあこの人ならいいか、という心境になっていた。私はいいですよと返事をした後、目を瞑り、寝たふりをしていた。結局私は初めて会った男の家に行く羽目になってしまったのだ。
「着いたよー」
私は彼の声で起き、目をこすり、欠伸をしながら寝ぼけているふりをした。
彼はちょっと待っててと言い、家に入っていった。しばらくして、どうぞと私を家の中に入れた。
「お邪魔します」
彼の家は、二階建ての一軒家で趣があった。
私は自分の家に男を連れ込んだり、ホテルに行ったことは何度かあったが、男の人の家に入ったことはほとんどなかったため、かなり緊張していた。
「そこらへんに座って」
彼に言われた通り、リビングに置かれたソファの上に遠慮がちに腰をかけた。彼は少し間隔をあけて同じソファに座った。少しの距離がもどかしかった。
彼は部屋をキョロキョロと確認し、何かに気がつくと私に目を瞑るように言った。私は気になったが、彼から言われた通り目を閉じていた。彼は何やらゴソゴソと物を片付けていた。
「もういいよ」
彼はそう言ってまた私の横に座った。私がふと目を開けるとさっきより彼との距離が近くなったように感じた。
「可愛い」
彼はそう言った。私は耳を疑った。
「え?」
「実里ちゃん近くでみると可愛い」
きっと遊び人である彼は私を口説いているのだろうと思った。私が照れて黙っていると、彼は続けて言った。
「ねぇ、付き合ってよ」
軽い口調でそう言った彼は間違いなく遊び人であった。何回か言われたが、私は全て断った。
そのあとはお互いの好きな芸能人の話やアニメの話をしたりして時間が過ぎた。気がつくともう午後十時になっており、時間を気にした彼がそろそろ帰ったほうがいいよねと言った。てっきり手を出されると思っていた私は少し拍子抜けしたが、それ以上に彼が誠実な人であったことが嬉しかった。私がうなづくと、彼は車の鍵と財布を持ち部屋の電気を消した。
私は彼の車に乗ると、また寝たふりをした。会話が持つか心配なのもあったし、ドキドキして顔がにやけてしまいそうだったから、それを隠すためでもあった。彼は寝ているふりをしている私に毛布をかけてくれた。帰り道、彼は運転しながらずっと鼻歌を歌っていた。
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