Ⅲ デウスの悪戯
「おお~い! 同胞だ~! 捕虜にされてたんだ~!」
上げた両手を大きくブンブンと振り回し、けして敵ではないことを懸命に猛アピールする。
ここで連合軍と間違えられて撃ち殺されたんじゃ、どうにか助かってきた命が無駄というものだ。
……ところが、その味方であるはずのドイツ軍の方が、むしろ俺達の敵に回ってしまった。
いや、別に俺達を連合軍と見間違えたのではない。じつは昨日の戦闘で、俺達の小隊が無抵抗に降伏したところをバッチリ彼らに見られており、敵前逃亡罪の容疑をかけられたのである。
「貴様ら! それでも我ら気高き枢軸国陣営の同志か! 敵前逃亡は銃殺刑だ。覚悟はできているんだろうな?」
やっと縄を解かれたというのにすぐに再び縛り上げられ、直立不動で胸を張るドイツ人士官から俺達は罵声を浴びせられる。
「違う! 誤解だ! 俺達は一歩も退かず、あの場に踏みとどまって捕虜となったんだ!」
いや、まったくもって誤解など存在しないのだが、このままではほんとに銃殺刑にされかねないので、なんとか誤魔化せないものかと反論してみる。戦いを放棄したのは事実だが逃げもしなかったので、けして嘘は吐いていない。
「フン。そうか。ならば、その一歩も退かぬ雄姿をもう一度見せてもらおうか」
だが、その言い訳がかえって俺達を窮地に陥れた……。
「これは……銃殺刑よりヒドイじゃないか!」
まるで、店頭に吊るされた
すぐにでも連合国軍が反撃して来ることを彼らは見越して、なんと、俺達を地面に打ち込んだ丸太に縛りつけると、いわゆる〝人間の盾〟というやつに仕立てたのである。
「なあに安心しろ。この格好なら、どこからどう見ても連合国側の捕虜と思われるだろう。
ゴルゴダの丘の上で十字架にかけられ、今や処刑の時を待つだけの我らを愉快そうに眺め、悪魔の如きドイツ人士官が邪悪にほくそ笑む。
そして、遠く山上の修道院も見えるくらい辺りがすっかり明るくなった頃、案の定、連合国軍は昨夜の報復戦を仕掛けて来た。
…………しかも、戦闘機の編隊で。
バリバリと耳を劈くエンジン音で朝の冷え込んだ空気を震わせ、朝日にキラキラと輝く銀色の飛行物体が高速でこちらへと迫って来る。
「敵襲~っ! 敵襲~っ!」
ドイツ軍は慌てて対空砲やら機銃やらを準備し始めるが、一歩出遅れた感は否めない。空から来るのは想定外だったのであろう。無論、俺もだ。
やがて、飛来した戦闘機は機銃を撃ち続けながら頭上をすり抜けて行き、着弾した地面からは水が跳ねるように土塊と砂煙が一筋の線を大地に引いて舞い上がる。
それも一度や二度ではない。雲霞の如く青空を飛び交う無数の敵機が、戦場を大きなキャンバスに、その乱暴な落書きを休みなく続けるのである。
また、前衛的な画家が絵の具をキャンバスに投げつけるかのように、時折、投下した搭載爆弾が突撃砲やドイツ軍のテントをオレンジの炎と黒い爆炎で塗り潰す。
瞬く間に、辺りは文字通りの〝地獄絵図〟と化した。
今度の今度こそ終わったな……その地獄のど真ん中で身動き一つとれぬ状況の中、俺は心底そう思った。
「神よ! どうかお慈悲を! どうか我らを天の国へお召しください!」
他の者達も思いは同じらしく、うるさい轟音に混じって、そんな祈りを叫ぶ声も方々から聞こえてくる。
天国か……そうだな。せめて、死んだ後ぐらいは地獄でない所へ行きたいものだ……。
爆音とともに、高速で連続射出される大口径の弾丸がすぐ脇を掠め、舞い上がった土埃と瓦礫、あるいは赤い飛沫と細かい肉塊のようなものが、火薬と油の臭いのする薄暗い周囲の空気を満たす。
非日常的な強過ぎる刺激に、視覚も聴覚も嗅覚も、さらには打ち震える地面と空気によって全身の触覚までもが役に立たなくなる。
地面が撃たれてるのか誰か人間が撃たれているのか? 他の者が撃たれているのか自分自身が撃たれているのか? その区別すらも最早つかなくなっている。
五感を奪われ、外の世界と自分の内なる世界との境界線も曖昧となる中、俺は〝俺〟という人間をなんとか現世に繋ぎ留めていた意識という手綱を、まるで深い微睡みにでも落ちていくかのように、ゆっくり、だんだんと失っていった…………。
結論から言おう。
俺は……俺達はそれでもまだ生きていた。
ふと目を覚ませば、ドイツ軍のテントも突撃砲も焼け残りのガラクタと化し、すっかり丸坊主となったこの微高地の上に俺達だけが取り残されていた。
方々にドイツ軍兵士
機体のマークからして、あれはアメリカ軍の戦闘機だったと思う。
しかも、絶妙な塩梅で爆風に吹き飛ばされた結果、俺達を囚われの身としていた縄と丸太からもうまいこと解放されている。
「奇蹟だ……神さま、感謝します! これからは毎日祈りを捧げます! 日曜のミサにも必ず行きます!」
この、まさに〝奇蹟〟としか呼べないような展開に、俺達は一人、また一人と起き上がると、皆、涙が溢れるほど青く澄み切った大空を仰いで神に祈りを捧げた。
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