Ⅱ ラテン系の哲学

「――前方のドイツ軍、突破されました~っ!」


 まるで緑のない無機質な風景と、乾いた砂埃だけが視界を覆う荒野の戦場に、斥候に出ていた部下の悲鳴にも似た声が耳障りに響き渡る。


 どうやら前方を守っていたドイツ軍が敵の猛攻に耐え切れず瓦解したらしい……この防衛線を守る者は、もはや俺達の隊しかいないということだ。


 これでも以前から従軍していたため、曹長としてその内の一小隊を任されていた俺は、難しい判断を迫られることとなる。


 俺達がここで敵を食い止めねば、友軍の防衛線は大きく後退し、新たにできた祖国も早々滅亡の危機に瀕することであろう。


 だが、この兵力差を前に、逃げ出さすことなく勇敢にここで立ち向かったならば、部隊は壊滅、一人残らずここで戦死という可能性だってけして低いものではない。


「いよいよ進退窮まったな……」


 もうもうと砂煙を上げ、複数の戦車とともに迫り来る黒山のような連合国軍を遠く望みながら、俺はついに覚悟を決めた。


「よーし! 白旗を上げろーっ! 我が隊はここで降伏をするーっ!」


 俺は胸を張って部下達の方を振り返り、声高らかに堂々とそう命令を下した。


 これがもし同盟国ジャポーネの軍人ならば、全員玉砕の覚悟で勝ち目のない戦にも身を投じたかもしれないが、俺達はそんなサムライではなく、いたって陽気なラテン系のイタリア人だ。


 言い古された言葉だが、「命あってのモノダネ」ってやつである。


 たとえ〝ヘタリア〟と呼ばれようと、誰が好き好んで名誉の戦死などするものか。そもそも、親しみのある祖国のためならばいざ知らず、昨日今日できたばかりの、しかも、ムッソリーニが作ったドイツの傀儡国家などに忠義を尽くしてやる義理はない。


 また、「戦わない」にしても、退却すれば背後から攻撃されるのは避けられないだろうし、無事に逃げおおせたところで、今やRSI側の戦況は日に日に悪化し、武器弾薬、食料も不足し始めているこの状況にあっては、我が軍が敗れるのも最早、時間の問題である。


 無論、熱狂的ファシストやドイツの連中は、今も自分達の勝利を信じて違わないのであろうが、俺の予想に反してこの決定には、隊の誰もが異を唱えようとはしなかった。どうやら皆、口には出さないながらも同じ考えであったらしい。


「撃つな~! 降伏だ~! 降伏するぞ~っ!」


 ビリビリと空気を振動させながら砲音が木霊し、あちこちに爆炎と黒煙が熱を帯びて立ち上る中、棒の先に結わえられた眩いばかりの真っ白い旗が、伍長の手によって左右に大きく懸命に振られる。


 そして、別の部隊が雄々しく戦場に散り、あるいは虚しく敗走してゆくのを傍らに眺めながら、俺達はどこまでも無抵抗のまま、銃口を向けてにじり寄る連合国軍の兵士に両手を上げた。


 最初に接触し、俺達を捕えたのは英国人の部隊だった。ひとしき続いた戦闘がやみ、日が傾くとともに辺りが静けさを取り戻すと、彼らは俺達が築いた陣地をそのまま再利用してキャンプを張り、捕虜である俺達は手を縛られてテントの一つに押し込められた。


 不自由で不名誉な捕虜の身であるとはいえ、これでもう、あの野蛮で過酷な殺し合いをしなくてすむ。今はひとまずこんな所に留め置かれているが、夜が明ければ後方のイタリア王国側にある収容所へ移送させられることだろう。そうなれば、ほんとにこの地獄の戦場とも永遠におさらばだ!


 まあ、一つ文句があるとすれば、なんと言っても捕まってるのがあの英国・・・・の部隊なので、先刻いただいた夕食の味にけっこうな不満があったことぐらいか。


 だが、そんな贅沢を言ったら罰が当たる。捕虜収容所まで行けば、懐かしいイタリアの味にもありつけるかもしれない。今はそれを楽しみに待つこととしよう。


 …………しかし、そんな俺達のささやかな夢は、その夜、大きく裏切られることとなった。


「敵襲~っ! 敵襲~っ!」


 疲労の蓄積した肉体を地べたに横たえ、まさに泥の如く久々に寝入っていると、夜の闇の中に溶け出していた意識がそんな声で呼び起される。


「ドイツ軍だ! ドイツが夜襲を仕掛けて来たぞ~っ!」


 だんだんと覚醒してゆく意識の中、自分達は捕虜の身であり、周りが真っ暗なのはここがテントの中だからということを思い出したところで、今度はそう叫ぶ英国兵の声と、けたたましい銃声や爆発音が帆布でできた薄い布越しに外から聞こえてくる。


 どうやら、敗走したドイツ軍が早々に反撃の夜襲を仕掛けて来たらしい。


 これは、マズイことになった……。


 普通なら、友軍が助けに来た! と喜ぶところかもしれない……だが、残念なことにも彼らはおそらく…否、ほぼ100%の高確率で、俺達がここに捕らわれていることを知らないのだ。となれば、当然、こちらの身の安全など気にかけず、情け容赦のない攻撃を加えてくること必定である。


 にもかかわらず、捕虜の身では勝手に逃げ出すわけにもいかず、俺達はこの薄い布一枚の屋根に守られたテントの中で、味方の撃ち込んで来る砲弾の雨に晒されることとなるのだ。


 終わったな……まさか、こんなテントの中で人生の幕を閉じようとは……。


 俺は隊の皆とともに、今度こそ覚悟を決めた。


「ヘイ! イタリィ!」


 しかし、どうやら神は我々をお見捨てにはならなかったらしい……。


「ここは危ない! 早く安全な場所へ移動して隠れるんだ!」


 幕が閉じるどころかテントの入口を覆う幕が開くと、ひょっこり顔を出した英国紳士の御使いが思わぬ福音をもたらしてくれる。


 予想外にもこの緊急事態に、英国軍は俺達の身を案じてくれたようである。さすが、ジェントルマンの国UKだ!


 まあ、これまでの態度からして抵抗の意志はないものと判断したのであろう。拘束の縄を解かれた俺達はそのご厚意に甘え、少し離れた場所にある窪地へ転がるように逃げ込んだ。


 せっかく神が与えたもうたこの一筋の光明を、けして無駄にしてなるものか!


 黒い夜の闇の中、鳴り響く地響きと轟音。稲妻の如く瞬間的に戦場の景色を白々と映し出す爆発光の下、俺達は芋虫のように丸まって、死の恐怖と戦いながら必死にその時間を耐え忍んだ。


 …………どれくらい時が経ったであろうか?


 山の稜線が美しいオレンジ色に染まり始めた頃、ようやく辺りは嘘みたいに静寂を取り戻していた。


 キーンと微かに痺れるような耳鳴りを感じながら、恐る恐る窪地を這い出して周囲を見渡してみると、陣地は徹底的に破壊され、穴ぼこだらけの乾いた地面には英国兵の死体が方々に力なく転がっている。


 やがて、立ち込める爆煙の向こうからドイツ歩兵の一団が突撃砲を引き連れて現れ、連合軍に奪い取られたこの地は再びドイツ・RSI側に取り戻された。


 退却する英国軍に置いて行かれた俺達捕虜も、自動的に解放されたってことになるのだろう。結局、もとの鞘に収まったというわけだ。


 戦場からおさらばできずに残念ではあるが、まあ、囚われの身ではなくなったのだから、これはこれで良しとしよう。肩身の狭い捕虜生活を送らなくて済むだけでも幸運だと思わねば。


 そう気持ちを入れ替えると、俺達は近づいて来るドイツ軍に向け、満面の笑みを浮かべて声を張り上げた。

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