事件編
ゲレンデが溶けるほど転がりたい
十二月二十五日 午前十一時三十分
市街地から西に車で四〇分ほどいくと、南北に横たわる
古くは金鉱山として拓かれ、金銀銅の他、ソーラーパネルやコンピューターのCPUに欠かせないレアメタルのテルルが採掘され、最盛期には月六万トンを誇る国内屈指の鉱山として名を馳せた。
閉山後はゴルフ場やスキー場などのレジャー開発が進み、冬季オリンピックのアルペンスキー会場になったこともある。初心者からプロまで最長六〇〇〇メートルの滑走ができる広大なゲレンデは右手に市街地、左手に日本海を見下ろす絶景スポットとして名高い。
しかも今日はクリスマスということもあり、ゲレンデを滑っているのはカップルばかりだ。
そんなスキーそっちのけでイチャコラするカップルにも、絶好のロケーションにも目もくれず、
〈ヤババババババ!! コレ、どうやって止まるの!? ブレーキ、ブレーキっ!!〉
プルークボーゲンというよりは、生まれたての仔鹿に近い。「ハ」の字に固まった両足は力むあまりぷるぷると震え、今にも膝から関節が外れてしまいそうだ。いっそ転んでしまったら楽なのだが、慣れないスキーブーツとビンディングによって足首がガッチリ固定されているため、膝を着くこともままならない。
「えぇぇい! 真実はいつもひとつ!!」
アリアは意を決してストックを地面に突き刺すと、強引にブレーキをかける。その瞬間、慣性が見えない犯人となってアリアの小さな体を突き飛ばした。
「やぁ〜〜?!!」
ストックがひん曲がる嫌な音が響くと同時にアリアはお尻から雪の上にダイブする。
「……痛っタタタ! もぉ、ヤダ……サイアク!」
ようやく止まれた安堵感とお尻の痛みで目の端に涙を浮かべながらアリアは天を仰いだ。
そもそもアリアは昔からスキーやスケートといったウィンタースポーツ全般が苦手だった。
〈脳が最も活性化する温度は一〇度〜一八度の間なのに、何が悲しくてこんな氷点下の中
、外に出なくちゃなんないんだ〉
しかしそんな事を言っていたせいで、体育の成績は落第寸前。二月に控えているスキー授業までに少しは滑れるようになっておかなければならない。幸いなことにスキー場でバイトをしている大学生が知り合いに居たため、交通費と温室効果ガスの節約を兼ねて文字通り便乗したのだった。
だが、アリアの心は雪原に斜めに突き立てられたストックのように早くも折れそうだ。
「なんていうか、もう、おうち帰りたい……」
アリアが白いため息をつくと後ろで歓声が上がる。振り返ると、蛍光色の青いスキーウェアとゴーグルを身にまとった長身のシルエットが見えた。
エッジを立たせた二本のスキー板で山肌を切り裂くようにジグザグに足を動かしながらも上体はほとんどブレていない。その動きがあまりにも早いため、スキー板が曲がって見えるくらいだ。初心者ばかりのコースのため、途中で立ち止まっていたり転んだりしている人が多い中、巧みに外傾と内傾を使い分けて障害物を避ける。
大きなコブの上でジャンプすると周囲から歓声が上がり、着地も危なげなく決めると水しぶきのように雪を派手に撒き散らしながらアリアの前で止まった。
すると何人かの女性客から羨望の眼差しがアリアへと向けられたが、勘違いも甚だしい。
「おい妹よ、ここは初心者コースだぞ? ちょっとはエンリョしろ、みんな引いてるじゃないか」
「え〜? だって周りはカップルだらけだし、クリスマスぼっちは寂しいじゃん」
〈私だって、何が悲しくてクリスマスにJCにスキーを教えてもらわなきゃいけないんだ……〉
周りでイチャコラするカップルを羨望の眼差しで見つめる。
アリアは絶賛出会い募集中の現役JKだが、ここ十六年ほど運命の人に巡り会えていない。寄ってくるものといえば、凄惨な死体と奇怪な事件、そして頭の狂った殺人鬼ばかりだ。
アリアはこれを〝名探偵の運命〟――呪いのようなものだと思っている。
どういうわけか、自分には推理の才能があるらしい。
それが著名な推理作家である姉の影響か、前世の業かは分からないが、とにかくアリアはこれまでにも多くの謎と事件を解いてきた。
しかし真っ当な女子高生が殺人事件などという超絶ヘビーなものに積極的に関わりたがるはずもなく、今では学校と寮を往復するだけのプチ引きこもり生活が続いている。
しかしそんなアリアでも年に数回、積極的に街に繰り出す日があった。それがバレンタインとクリスマスだ。
「あーあ、せっかくのクリスマスだし、なんかド派手な殺人事件とか起きないかな〜。痴情のもつれ系のエッグいヤツ……」
「そんなトチ狂ったお願い叶えてくれるロマンスの神様なんて居ないから!」
退屈な日常よりも刺激的な難事件を好むのはいかにも〝名探偵〟らしい悪癖だが、カップルに対するやっかみだけで殺人事件を期待するのはアリアぐらいなものだろう。
彩夢は呆れつつもアリアに手を貸して助け起こす。
「ほらほら、立って、立って! そんなモヤモヤなんて体を動かせばすぐに吹き飛ぶよ!」
「や、ちょ、待って! 私、マジで全然滑れないんだって! さっきもおもいっきし、コケたばっかだし!」
アリアは必死に抵抗するが体格差もあって彩夢には敵わない。
「転べるようになったらもう半分は滑れるようになったようなもんだよ! 私も転びまくってるうちに自然とコツを掴んだし」
「それは元から運動神経が良いだけ――」
「ハイハイ、口を動かす前に手を動かそうね〜」
我が子を千尋の谷に突き落とす雌ライオンの如く、彩夢は笑顔でアリアの小さな肩を軽く押す。
「――ひぃっ! ひ、ひゃぁああああああああ!!」
アリアの絶叫が三つ先の尾根まで木霊したのだった。
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