17-4「空腹」
王国が直面した食糧危機は、深刻なものだった。
食糧というものは長い月日をかけて腰をすえて生産しなければ手に入らないものだが、食糧備蓄を失ったことで、王国にはその長い月日をしのぐだけの食べ物が無いのだ。
しかも、王国にとって主要な穀倉地帯だった王国北部の地域は敵の占領下にあるか戦火に荒れ果ててしまっていて、次の秋に満足な収穫を得られるかも怪しい。
幸いなのは、北部と違って温暖な気候を持つ王国南部では冬でも麦などの作物が育てられており、春になれば収穫できるという点だった。
だが、その収穫を考慮に入れたとしても、王国が近い将来、深刻な飢餓(きが)に直面することを避けられそうにない。
どんなに楽観的に見積もって見ても、足りないものは足りない。
かといって、外国から輸入するということも、簡単ではない。
何故なら、王国は現在、連邦と帝国という強大な勢力を相手にした防衛戦争中であり、その2つの勢力によって、厳しい経済封鎖を受けているからだった。
戦前、王国は大陸内だけではなく、大陸外の様々な国家と盛んに貿易を行っていた。
王国で手に入らない原料や製品を輸入し、王国で豊富に産出する原料や製品を輸出する。そんな当たり前のことを、他国と同じ様に王国でも行っていた。
だが、戦争が始まって以来、貿易は途絶えがちだった。
戦争状態に突入してしまったのだから、王国と連邦、王国と帝国との交易は当然止まってしまったが、連邦や帝国が王国を衰弱させるために実施している海上封鎖によって、大陸外の国家との交易も妨害を受けて停滞している。
王国にも「海軍」と呼べる立派な艦隊があるのだが、連邦、あるいは帝国と、どちらか一方を相手にするだけならまだしも、両方を一度に相手にするとなると力不足だった。
王立海軍は王国の沿岸地域を守るのが精いっぱいで、広大な大海原(おおうなばら)に艦隊を展開し、外国と貿易しようとする王国の船舶を妨害している連邦と帝国の動きを制止することはとてもできないことだった。
そんな状態ではあったが、一部の勇敢な船乗りたちが海上封鎖を突破し、王国にとって必要な物資を手に入れて戻って来ることもあった。
高速を発揮できる民間商船や軍の輸送艦などを利用した突破輸送によって、王国はこれまでに何度か貴重な品々を手にしてはいたが、その規模は平時に行われていた貿易の量には遠く及ばない、微々たる量でしかない。
王国の飢餓(きが)を回避するために必要となる大量の食糧を輸入する手段とはならなかったし、また、食糧は生きていくうえで必要不可欠な貴重なものであるだけに、ポンと快く王国に差し出してくれる様な奇特(きとく)な国家もなかなか見つからないだろう。
僕ら301Aは、この戦争の中で必死に戦う内に、僕としては過大評価だとは思うのだが、いつの間にかエース部隊などと言われ、「守護天使」として知られる存在となっていた。
仲間たちや、一緒に戦った人々との協力のおかげで、僕らはこれまでに何度も困難な任務を成功させてきた。
だが、そんな僕らでも、今回ばかりは手も足も出ない。
八方ふさがりだった。
食糧の配給が厳しく制限される様になってから、数日が経過した。
僕らはみんな、立場や地位も関係なく一様に、空腹に悩まされている。
つい先日までは、こんなことになるとは少しも思っていなかった。
戦争が始まっても王国には十分な食糧の備蓄があって、僕らは戦争になる前と少しも変わらない食生活を送ることができていたからだ。
僕の家は貧しかったが、牧場の経営はうまく行っていたために、食べるのに困ったことは1度も無かった。
空腹を覚えても、いつでもそれを解消することができたし、飢えとは無縁の暮らしを生きて来た。
だからこそ、余計につらい。
僕は空腹の本当の厳しさを、今、思い知らされている。
普段なら、訓練の合間、空いた時間があれば、体力を高めるためにトレーニングをしたり、コミュニケーションと勉強を兼ねて整備班の手伝いをさせてもらったりするのだが、食糧の供給が少なくなって以来、ただぼーっとしていることが多くなってしまった。
動けば、それだけエネルギーを使う。
エネルギーを使うということは、それだけお腹が減るということだった。
正直、訓練をこなすだけでも手一杯だ。
今も僕は、格納庫脇の打ちっぱなしのコンクリートの上に腰かけて、ぼーっとしている。
今日の訓練はもうお終いで、やることはない自由な時間だったのだが、何かをやるだけの元気を僕は持っていなかった。
もちろん、夕食はすでに食べた。
食べたのだが、あまり食べたという気がしない。
内容としては、パンに、具の少ないスープ、食べられる野草などを集めて調理したものなどで、そこに、パイロットのための特別配給としてパンがもう1つに焼いたベーコンとチーズ1切れがついて来た。
味は、そんなに覚えていない。あっという間に食べきってしまったからだ。
ただ、特別配給のある僕たちパイロットを、少し恨めしそうに見ていた周囲の将兵からの視線だけは、よく覚えている。
やはり、物足りなかった。
このままでは、空腹なあまり真夜中に目を覚ましてしまうかもしれない。それだけは分かったので、僕は何もせずにただただぼんやりとしている。
「お腹、すいたなぁ……」
僕の隣で、僕と同じ様にエネルギーの節約のためにぼーっと座っていたライカが、悲しそうにそう呟いた。
彼女は僕などよりずっと小柄で、普段の食事の量も僕たちと比べると少ない方だったが、パイロットなのは同じなので現状の食事の量だけではとても足りない様だった。
新年のお祝いで、彼女や仲間たちとご馳走を食べた時のことが思い出される。
それを思い出してしまうと余計に空腹がつらくなってしまうことは分かりきっていたのだが、どうしても、思い出してしまう。
あの時は、本当に楽しかった。
それに、あの後でライカが僕に料理を作ろうとしてくれたことも、本当に嬉しかった。
とても、いい思い出だ。
思い出すと、とても切ない気持ちになって来る。
ライカの手の中には、部隊のマスコットであるアヒルのブロンの姿があった。
ブロンはライカのお気に入りだったが、彼もまた、ライカのことがお気に入りだ。
ブロンが元々住んでいたフィエリテ南第5飛行場にいた頃から彼とライカは仲が良かったし、いつも楽しそうに遊んでいた様子をよく覚えている。
ライカはブロンを抱きしめていると落ち着くらしく、大切そうに彼をその手に抱いており、ブロンもライカの手の中の居心地がいいらしく、彼女にぴったりと身体を寄せてリラックスしている様だ。
ブロンもまた、ライカと同じ様に元気を失ってしょげていた。
彼もまた、僕らと同じ様に、空腹に耐えているのだ。
もっとも、ブロンの場合は、王国の食糧不足だけを原因とする空腹では無かった。
彼は現在、僕の妹、アリシアによって、彼からすると血も涙もない冷酷な食事制限を実施されている。
ブロンは301Aのマスコットとしてみんなから愛され、かわいがられ、その結果、おねだりすればした分だけおやつをもらえるという、夢の様な生活を謳歌(おうか)していた。
その結果として、彼はすっかり美味しそうに……、ではなく、健康を心配されるほどに肥満するまでに至っていた。
だが、僕らの部隊にアリシアが居候(いそうろう)するようになったのが、彼の運の尽きだった。
以前は僕が彼の飼育を任されていたのだが、僕はパイロットとして忙しく、彼がライカのお気に入りということもあって少し甘いやり方で世話をしていた。
それで、ブロンは好き勝手に気ままな生活を送ることができていたのだが、アリシアは僕の様に遠慮することは少しも無かった。
アリシアはハットン中佐にかけあい、ブロンに勝手におやつをあげることを禁止するという通達を部隊に対して発令することに成功した。
これによってブロンのこの世の春は終わりを告げ、その上に、王国中の食糧危機が直撃し、どんなにおねだりしても、誰からもおやつをもらえなくなってしまったのだ。
彼の生活はアリシアによって完全に統制下に置かれ、すでにその効果が表れ始めているのか、少し前よりも痩(や)せ始めている。
だが、まだまだ十分、食べごろだ。
むしろ、脂っ気が少し抜けた分、より美味しくいただけるのではないだろうか?
もちろん、本当に食べようなんて思っていない。
思っていない。
食べようなんて、少しも思っていないが、僕の思考はどうしてもそっちの方向へと向かって行ってしまう。
彼を、ブロンを捕まえて、羽をむしり、下処理をして、美味しいタレをたっぷりと塗ってオーブンに……。
ああ、口の中に涎(よだれ)が溢(あふ)れてきてしまう!
僕が妄想(もうそう)に浸(ひた)っていると、軍用のブーツがコンクリートの上に乗った細かな砂利を踏みつぶす足音が聞こえて来た。
誰かがやって来た様だ。
※作者より一言
戦中、戦後の食糧難については、じいさんばあさんからよく聞かされたもんであります
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