14-11「夜道」

 僕は、南へと向かってひたすら歩き続けた。

 森と沼地の境目の土は相変わらずぬかるんでいて、僕は何度も足を取られることになったが、少しも気にならなかった。


 連邦軍の少年兵は、もう、僕のことを追ってきてはいない様だった。

 僕の歩くペースは決して速いものでは無かったから、追いつこうと思えば簡単に追いつくことができるはずだった。それなのに少年兵がいつまでたっても追いついて来ないのだから、彼は、僕を追って来ていないと思うしかない。


 あの少年兵が、何を考え、何を思って僕を追いかけることをやめたのかは、僕には分からなかった。

 分からなかったし、正直に言って、もう、どうでもいい。


 僕は、ひとつのことしか考えていなかった。

 

 今は、とにかく、遠くへ行きたかった。

 どこでもいい。

 誰もいない、何もいない、遠くへ。

 戦争なんて存在し無い場所に。


 連邦軍の占領地のただ中を突破するために、僕は事前に通るルートを決めてきていた。

 軍用犬と少年兵が僕に追いついて来たことでその予定は大きく狂ってしまっていたが、このまま森の南側へ抜けていけば、元々のルートに戻ることは難しくは無い。


 やがて、僕は森の南側へと抜けることができた。

 目の前に、土がむき出しになった耕作地の、黒々とした地面が広がっている。


 人の手が入っている場所に出たということは、道がある場所にやってきたということだった。

 地図やコンパスを取り出し、現在位置を確認して次に進むべき方角を導き出せば、僕は迷うことなく予定していたルートに進むことができただろう。


 さっきの戦いで、僕はすっかり泥だらけになり、服もあちこちが破れて、怪我もしていた。

 ずっと、少年兵に枝で叩かれた方の手の感覚がマヒしている。心臓が鼓動(こどう)する度に、鈍くて熱い痛みを伝えて来るだけだ。


 そんな状態になる様な出来事の後だったが、僕が逃走のためにいろいろとかき集めたものが入っているナップザックはまだ、僕の背中にある。

 それは少しも軽くなっていないし、むしろ、段々と重みを増してきている様にさえ感じられるから、中身もちゃんと入ったままだろう。


 だが、僕は、地図を取り出して現在位置を確認するどころか、立ち止まりさえしなかった。


 冬の月が、空から冷たい光で僕のことを照らし出している。

 すっかり暗順応した僕の目には、畑の剥(む)き出しになった土に、僕の影が落ちているのさえ判別できる様になってきていた。


 僕の影は、1人ぼっちだ。

 ここには、僕以外の、誰もいないからだ。


 寂(さび)しかった。

 ここは僕の故郷だったが、僕が会いたいと思っていた人々は、誰もいない。

 僕の仲間たちは遠く離れたところにいて、僕の側(そば)には誰もいない。


 寒い。

 とても、寒くなって来た。


 すっかり夜になって、気温が落ちてきているということもあったが、さっきの戦いで、僕の服がぬれてしまっているというのもある。

 沼地の水は冷たく、その水でぬれた服が容赦(ようしゃ)なく僕の体温を奪(うば)って行く。


 僕は、自分の身体の動きが緩慢(かんまん)になって来ていることに気がついた。

 最初は足が重くなり、徐々に前へ進む量が小さくなった。

 やがて、その重いという感覚は体中へと広がり始め、僕は少し前かがみになって、身体の前で両手を組み、寒さに凍(こご)えながら歩く様になっていた。


 僕は、それでも歩くのを止めなかった。

 怖かったからだ。


 僕は、僕自身が生きて仲間たちのもとへと帰り着くために、必死だった。

 無我夢中で、あの少年兵の首を絞(し)めた。


 だが、途中で、それが、彼の命を奪(うば)おうとしているということだと気がついた。

 そして、自分が、それを平然と行おうとしていたことを知った。


 その途端(とたん)、僕は、自分が、自分でなくなってしまった様な感覚に襲われた。


 誰かの命を、奪(うば)う。

 それを、何も考えずに、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく、行うことができる。


 僕は、僕自身にそんなことができるなんて、一度も想像したことが無かった。

 僕は王立空軍という軍隊に所属している軍人で、戦争になれば命をかけて戦い、誰かの命を奪(うば)う。

 王立空軍がそういう場所であることは知っていたが、それは漠然(ばくぜん)とした理解であって、本当にそんな日が来るとは思っていなかった。


 僕は、ただ、空を飛びたいという理由でパイロットになった。

 王立空軍に志願し、戦闘機に乗っているのは空を飛ぶための手段であって、軍人になって戦うことが目的では無かった。


 だが、戦争が始まった。

 僕ら王国は連邦と帝国という巨大な勢力の思惑(おもわく)によってこの戦争へと巻き込まれ、そして、その現実は、僕の眼の前に不意に現れた。


 バラバラになって墜落していくマードック曹長の機体のことは、今でも鮮明に思い出すことができる。

 そして、僕の恩人でもあった人を僕らから奪(うば)って行った、あの「雷帝」と呼ばれる敵機の姿も。


 僕は、この、戦争というものがどんなものなのか、深く考えることは無かった。

 目の前で突然起こり、僕の手の届かないところで進んで行く状況に、ついていくだけでも精いっぱいだった。


 自分が生き残るために。

 そして、仲間たちと一緒に、この戦争を生きのびるために。


 僕はそれだけを考え、そのために必死だった。

 僕は敵機を撃ち、敵機から撃たれ、戦争が始まってからずっと戦ってきた。


 何の抵抗も覚えず、疑問さえ抱かずに。

 誰かと戦い、そして、誰かの命を奪(うば)ってきた。


 僕は、あの少年兵の命を奪(うば)おうとしていた時、突然、そのことに気づかされた。

 彼の顔が、僕の弟の1人と重なって見えた時、僕は、人間を殺そうとしているのだと気がついた。


 僕は牧場の生まれだ。

 牧場では、様々な動物たちと暮らしていた。


 動物たちは僕らにとっての友人であり、財産であり、生きる糧(かて)だった。

 僕らは当たり前の様に動物たちの命を奪(うば)い、そして、その肉を食べて来た。


 それと、これとは、話が違う。

 動物だろうと、人だろうと、その命を奪(うば)うという一点では同じである様に思えても、根本的に違っている点がある。


 僕らが、動物の命を奪(うば)う時、それは、食べるためだ。

 食べるためということは、生きるためということに他ならない。


 だが、人間が人間の命を奪(うば)う時は、それとは違っている。

 特に、この戦争は、お互いの生存を巡っての戦いではない。


 人間の歴史は長かったから、その中には、お互いの生存をかけての戦争というものも間違いなくあった。

 飢饉(ききん)によって食料が不足し、どうあっても全員では生き残ることができない様な時、戦争は起こった。

 領土や、水を巡って争うこともあった。僕ら農民にとって土地は自分たちの命を育(はぐく)んでくれるものだったから、土地を失うことは自分の命を失うことにも等しいことだったし、水が存在し無ければそもそもあらゆる生物が生きていくことができない。


 この戦争は、そのどれもと関係していない。


 連邦と帝国は、お互いに憎み合う古くからの敵だったが、その原因はお互いの考え方の違いにあった。

 だから僕には、相手のことをわざわざ攻撃しようとする理由が理解できなかった。

 ただ、考えが違うというのであれば、お互いの間に線引きでもして、その一線を越えなければ、どちらも平穏な毎日が暮らせるのにと、僕はずっと思っていた。


 だが、連邦も帝国も、そうは思わなかったらしく、双方の力がつきるまで戦い抜く決意でこの戦争に臨み、すでに数えきれない人々の命が失われている。

 そして、僕ら王国は、連邦と帝国それぞれの思惑によって、この戦争に巻き込まれてしまった。


 僕は、一体、何のためにこの戦争を戦っているのだろう?


 王国が戦っているのは、連邦と帝国がそれぞれの勝手な理由で王国に攻めて来たからだ。

 言いかえれば、王国は連邦や帝国の理不尽な行為に抵抗し、自らの正当な権利を主張するために戦っているということで、生存するためという目的に一番近い戦争をしている。

 僕だって、そう思って、今まで戦ってきた。


 だが、これだって、結局、連邦と帝国が、王国のことなど放っておいてくれれば、やらなくて済んだことだった。


 その、本来であればやらなくて済んだことのために、僕や、僕の仲間たちは命がけで戦っている。


 これ以上、馬鹿らしいことがあるだろうか?

 そして、その馬鹿らしいことのために、誰かの命を奪(うば)うことを何とも思わなくなっている自分がいる。


 僕は、怖かった。

 自分が、自分ではない、何か別のモノになってしまったのではないかと思えた。


 だが、僕は間違い様もなく、自分自身だ。


 僕は、目的地がどこなのか、何をしようとしていたのかも忘れて、歩き続けた。

 とにかく、少しでも、遠くへ。


 僕は、この戦争から、そして、戦争にすっかり慣れ切ってしまった自分自身から逃げ出したかった。


 だが、僕はいつの間にか、地面の上に倒れこんでいた。

 寒さのせいで、身体がほとんど動かなくなってしまったからだ。


 僕は、起き上がる努力をしなかった。

 寒さを感じないのに、震えが止まらない。このままでは死んでしまうかもしれないと思ったが、どうでもいいとも思った。

 もっと、苦しい、怖い思いをするのであれば、ここで目を閉じてしまってもかまわない。


 僕はその時、本気でそんなことを考えていた。


 どうせ、目を覚ましても、この戦争は終わっていないのだから。

 僕は、もう、疲れてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る