2-6「アビゲイル」

 アビゲイルは、我らが教官殿、レイチェル中尉と同じく王国南部の出身者で、よく日焼けした褐色の魅力的な肌とくせの無い黒髪、しっとりとしたつやのある黒い瞳を持つ。年齢は僕と同じで今年で18歳になる。親しい者の間では「アビー」と呼ばれている。

 背も高く、男子の僕よりも少し高いくらいだ。スラリとした体形の彼女は、同期の間で密かな人気を集めている。それも、男性、女性問わずだ。

 高い身長と魅力的なスタイル、そしてやや切れ長で精悍せいかんな印象の双眸そうぼうりんとした色気のある顔立ち。男女問わず人気を集めるのも納得だ。


 どことなくレイチェル中尉と似ている様に思えるが、驚くべきことに、アビゲイルはレイチェル中尉の本物の親類なのだそうだ。

 もちろん、それで何かひいきされたとか、そういうことはない。アビゲイルはその持ち前のガッツと才覚でこれまでの訓練課程を乗り越えてきた。

 頼りになる仲間だ。


 彼女と知り合い、頻繁に会話を交わす様になったのは、戦闘機パイロットの訓練課程に進み、同じ班に配属されてからだ。

 ジャックやライカと比較して彼女との関りは浅いものだったが、素晴らしいパイロットだということはすでに十分過ぎるほど分かっている。


 アビゲイルは、王国の南部、僕らが住むマグナテラ大陸の南端に位置する港湾都市、タシチェルヌ市の出身だ。

 タシチェルヌ市は大きくせり出したみさきによって作られた湾の中にある天然の良港で、漁業が盛んに行われている他、王国の主要な貿易港ともなっている。その流通の便の良さから、王国最大の工業都市でもある。

 王国に鉄道が建設された際、真っ先に計画されたのが、このタシチェルヌと首都フィエリテを結ぶ鉄道であったことからも分かる様に、王国にとって重要で、そしてとても大きな街だ。


 彼女の実家は漁師を営んでいる家系で、日焼けした褐色の肌は、遺伝的なものだけでなく港町での生活によって磨き上げられたものらしい。

 その性格も潮風と豊富な日差しによって醸成じょうせいされたものである様で、芯の強さと豪放ごうほうさを併せ持っている。タフな女性だ。

 彼女は細かいことを気にしたりくよくよしたりすることは無いが、曖昧な態度や煮え切らない言葉、気取った軽薄さは大嫌いだ。


 イケメンで有名な訓練生が調子に乗ってナンパして来たのを、ストレートパンチで一蹴したのは僕らの語り草になっている。

 平手打ちではなく、グーでというのが実に彼女らしいエピソードだ。


 王国南部の出身者には、アビゲイルの様な褐色の肌に黒髪を持つ人々が多いが、これはどうやら人類史にも関わりのあることらしい。


 僕の祖国、イリス=オリヴィエ連合王国は、イリス王国と、オリヴィエ王国という、2つの国家が連帯して形成された国家だ。


 イリス王国はマグナテラ大陸を東西に貫く大山脈、アルシュ山脈の南に生まれた国家で、山脈の麓から南の海岸線までを国土とし、肌の色素が薄い大陸系の人種が多い。

 オリヴィエ王国はと言うと、この国家はマグナテラ大陸の上には無い。イリス王国の南端、海岸線の向こうに浮かぶ島々に生まれた国家で、大陸系の人種ではなく、マグナテラの外からやって来た人種をその祖先としているのだという。


 この世界のいずこかで発生した人類が、どの様に広まり、進化してきたのかというダイナミックな歴史を端的に表していると言える。

 長い歴史の末に、僕らは友人となった。少しロマンを覚える話だ。


 アビゲイルが志願兵となった理由は、僕と共通する部分がある。

 彼女の一家は漁師を営んでいたが、僕の一家が牧場を営みつつも金銭面では苦労していたのと同じ様に、アビゲイルの家も金銭収入は少なく、その暮らしはつつましいものだった。

 そんな生活から抜け出すため、すなわち、現金収入を得るために、アビゲイルは軍に志願した。僕と同じ様に、弟や妹たちに高等教育を受けさせたかったという理由もあるらしい。


 志願兵に与えられる給与はどの兵科、所属によらず基本は同じであるため、アビゲイルは特別パイロットを志望していたわけではなく、陸軍でも海軍でも空軍でも、どこでもいいと思っていたそうだ。

 そんな彼女だから、適性有りとされてパイロット候補生となった後も、特別熱心に訓練にのぞんではいない。とりあえずついていければいいといったていでいる。


 だが、彼女を適正有りとしてパイロット候補生に選んだ人選は、大成功だった。

 彼女はパイロットして並外れた才能を持っている。


 まず、その素晴らしい視力だ。

 港町で育ち毎日海の彼方を眺めていた彼女は、僕らの中で最も優れた視力を持っている。僕だって目には自信があったのだが、彼女には負けると自覚せざるを得ない。

 僕らは班同士で訓練の成果を競い合っているが、その結果を明確化するのが模擬空戦だ。演習で空戦を行い、お互いの優劣を競い合うのだが、アビゲイルはいつも真っ先に対戦相手の所在を発見してくれる。


 それに、アビゲイルは何と言ってもタフだった。激しい旋回戦に入った時などは、身体にかかる荷重がかなりの負担になり、体力を消耗しょうもうしていくのだが、彼女は誰よりも長くその消耗しょうもうに耐えることができる。

 旋回戦になってアビゲイルが負けているところを、僕は見たことがない。


 惜しむべきはアビゲイルに、彼女のこの素晴らしい才能を限界まで出し切ろうというつもりが無いことだった。

 アビゲイルは常々、軍にはとどまらず、20歳になればそのまま民間に戻ると公言しているのでこれは仕方が無いのだが、他人には容易にできないことができるだけに、僕からすれば何とももったいないと思える。


 軍に残らないというのは別に、パイロットが嫌いだからとか、そういうわけでは無いらしい。

 元々給与のために軍に入っただけで、最初から長く続けるつもりはなく、故郷に戻って家業を継ぐのだそうだ。


 空も悪くないが、やはり、海が恋しいということらしい。


 僕は、実を言うと18歳になってもまだ、海を見たことがない。

 だから、アビゲイルから聞く海の話は大好きだった。


 寄せては引いていく波の音や、猫の様な鳴き声だという海鳥の話、船乗りたちの間で語り継がれてきたという様々な伝承について。

 僕は海についてはまったく知らなかったが、海には空と同じ様に、素晴らしい発見や冒険が満ち満ちている様に思えてくる。

 きっと、空と同じくらい、素晴らしい場所なのだろう。


 願わくは、僕ら4人が同じチームであるうちに、一度でいいから一緒に海の上を飛んでみたいというのが、僕のひそかな願望だ。

 恐らくその機会は無いだろうが、もし、叶うならば、その瞬間は一生忘れられないものとなるだろう。

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