2-4「ジャック」

 ジャックは、り返しになるが、いい奴だ。


 僕がパイロット候補生となり、主に勉強面で悪戦苦闘していたころ、助けてくれたのが彼だ。

 僕が今、こうして飛行機に乗っていられるのはジャックが僕を助けてくれたおかげであり、彼は僕にとっていい友人であるのと共に、恩人でもある。


 ジャックは、我らが王国の首都、フィエリテ市の下町で、パン屋を営む一家に生まれた。

 僕と同じく今年で18歳になる。濃い茶色の髪を短く切りそろえ、笑うと人懐なつっこそうな感じになる茶色の瞳を持つ。身長は同年代の平均よりやや低く、小柄な体格をしている。しかし、パン屋の家業を手伝っていたおかげか体つきはしっかりしており、訓練中のランニングや筋力トレーニングを難なくこなしている。


 ジャックに聞くまで僕は知らなかったのだが、パン屋というのもなかなか重労働らしい。毎日たくさん使用する小麦粉の運搬や、それらをこねてパン生地を作る過程で、結構力を使うらしい。


 機会があれば、腕を振るってパンをご馳走ちそうしてくれるとジャックは言ってくれたが、僕はそれを密かに楽しみにしている。

 焼きたてのパンというのは、いつ食べてもいいものだ。


 ジャックは、天才肌というよりは、勤勉な努力家と言った雰囲気のパイロットだ。

 訓練課程での成績は常に上位をキープしているが、それは、彼自身の日々の努力によるもので、僕はそれを良く知っている。


 彼と出会ったのは、軍に志願して、志願兵としての訓練を始めてすぐのころだった。

 僕らに用意された宿舎は今と同じ様に2人部屋で、僕はたまたまジャックと同室になった。

 志願兵は国中のあちこちから集まってきていたし、僕の故郷からも何人かやって来ていたが、残念ながら知人は誰もいなかった。

 同室のよしみで知り合った僕らは、必然的によく話す様になり、ジャックは僕にとって最初でかつ最良の友人となった。


 僕は、一日の課業が終わった後、自室で熱心に勉強をしている姿を毎日の様に目にした。


 というのは、ジャックは士官学校に進むことを目指しているためだ。

 士官学校に進むためには、民間で言うところの大学受験を突破できる程度の学力が必須とされている。それも、最上級の水準が求められる。


 以前、王国で軍に志願する者のうち、その半数は職業軍人とならないということを説明したと思う。3割は僕の様に給与目的、残りの2割は士官学校での教育目的だ。

 ジャックは、全体から見た内の2割に当たる、士官学校で受けられる、大学に相当する高等教育を目的として軍に志願したのだそうだ。

 僕と同じ様に彼の家は金銭的に厳しかったから、彼が高等教育を受ける手段は、これしかなかったらしい。


 ジャックが熱心な勉強家なのは、こうした、明確な目標を持っているからだ。

 彼は要点をまとめて理解するのが得意で、そのおかげもあって、僕に勉強を教えるのも上手だった。彼に出会っていなければ、僕は落第していただろう。

 僕は彼に感謝してもしきれない。そして、彼の努力が正しく報われることを信じている。


 ジャックが士官学校を目指し、高等教育を受けたがっている理由はどうも、実家の家業を継ぎたくないから、らしい。

 本人はその点、家族をおもんばかってか明言しなかったが、雰囲気からしてそうらしい。

 僕はパン屋も立派な職業だと思うが、ジャックにとってそれは、あまりに退屈であった様だ。


 士官学校に進み、卒業した後にどうするのかまでは、まだ決めていないらしい。だが、パイロットは気に入っているようで、もしかしたら軍に残るかもしれないと、彼が言っているのを聞いたことがある。

 どうやらパイロットには、彼の欲求を満たす何かがあった様だ。


 ジャックは、冒険心に富んでいる。

 この点が、僕と気の合う理由かもしれない。

 彼の関心は、世界のあちこちに存在する、未だ見たことの無い景色を見て、感じることにあり、そうした欲求が、彼を実家から飛び出させたのだろう。

 僕も少なからず同じ様な気持ちを持っているから、それがよく分かる。


 それにジャックは、勉強ができるだけでなく、賢い。


 あまりうまく言い表せないのだが、勉強ができてテストで満点が取れることと、賢い、というのは、少し違っているのではないかと思っている。

 それで、具体的にはどういうことなのかだが、僕がジャックは賢いと実感したのは、パイロット候補生となり今の飛行場に居を移す前、志願兵としての基礎訓練、基礎教育を受けていた時のことだ。


 これは、教官殿には絶対に、絶対に秘密だが、僕とジャックは度々、宿舎を抜け出してフィエリテ市の街並みを探検したことがあった。

 訓練と勉強の日々は、牧場で毎日のびのびと暮らしていた僕にとっては窮屈きゅうくつで、ジャックにとっても退屈なものだった。だが、外出許可を取るにはわずらわしい手続きがいろいろ必要だったし、どこへ行くのかもいちいち報告しなければならなかった。


 僕らはとにかく、自由になりたかった。

 だから度々、僕とジャックは共謀し、宿舎を抜け出した。


 フィエリテ市の街並みは、それは、それは、素晴らしいものだった。

 かつて王宮として使われていた、絢爛豪華けんらんごうか精巧せいこうな細工が随所ずいしょに施された大図書館。王国が立憲君主制に移行した後に新たな王宮として建造された、質素だがおごそかな雰囲気の新王宮。歴代の王族が結婚式や戴冠式たいかんしきを行ってきた、伝統ある大聖堂。日々多くの人々が行き交う、きらびやかな店が立ち並ぶフィエリテ市中心部の繁華街。石造りの建物がぎっしりと並んだ、独特の活気があるフィエリテ市の下町。そして、大陸東西を結ぶ交通の要衝ようしょうにあり、南大陸横断鉄道の結節点にある、壮大なフィエリテ中央駅。

 僕の故郷の様に素朴で牧歌的な街並みも魅力的ではあったが、フィエリテ市の古く、荘厳そうごんで格式高い街並みは、格別に素晴らしかった。

 その素晴らしい街並みを、僕はジャックに案内してもらいながら、たっぷりと堪能たんのうすることができた。


 こうした悪さで大変なのが、抜け出す時よりも、戻る時だ。

 というのは、宿舎に戻って来る時、僕らは、宿舎が今どんな状態なのかを直接は知らないからだ。

 どうしても不確実性が残り、一歩間違えば怖い怖い教官に見つかって、たっぷりと「かわいがられる」ことになる。


 ジャックの賢さは、この時に発揮された。

 彼は周囲の状況から、教官殿がいるかいないか、宿舎の中に戻っても安全かどうかを察知するのがうまく、ジャックと共に宿舎を抜け出した時は、僕は常に安全に自室のベッドにもぐりこむことができた。


 だが、僕1人で宿舎を抜け出したり、他の誰かと共謀して抜け出したりした時は、そうはいかなかった。

 大体、3割くらいの確率で、教官殿に発見されてしまうのだ。


 どうも、原因はよく分からないのだが、ジャックが言うところの「コツ」というものが確かに存在しているらしい。


 ジャックは、いつも賢くやってのけた。

 何しろ、どうやらジャックが違反の常習犯であるらしいと察知した教官殿たちが、血眼ちまなこになってジャックの抜け出しの証拠をつかもうとしても、彼は無事に逃げおおせたのだから。

 この実績は、今でも僕らの間で伝説として、ひそやかに語り継がれている。


 無事にパイロット候補生となった後も、僕と彼はいい友人であり、そして、今ではチームと言っていい。


 パイロット候補生たちを互いに競わせ、効率的に訓練の成果を出すために、パイロット候補生たちは班分けをされ、班ごとの成績を競っている。

 ジャックはその班の1つの班長として選ばれ、僕はその班の一員として訓練に励んでいる。

 他の班との模擬空戦では、いつも上位に食い込んでいるが、その多くはジャックの編隊長としての状況判断と、僚機を務める僕らへの配慮のおかげだ。


 彼の勤勉さ、賢さは今でも十分に発揮され、そんな彼の友人であり僚機であることを、僕は誇りに思っている。

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