6.人狼の家
魔獣に噛み殺された熊の死体には誰一人近寄ろうとせず、遠目に確認しただけで各々帰路についた。熊の問題が解決しても彼らの表情はより深刻で、ダイアウルフと人狼を結び付けて考える者も多く、ベントは憶測で物を言わぬようにと釘を刺したが人の口に戸を立てることはできない。早晩、対応策を告知しなければ村人の不安は何らかの形で噴出するだろう。
傷の手当が終わるとすぐにベントは村長宅へ向かった。アンサーラも同行を求められたが後から行くと断って、エスキルの家を探す。小さな村だ。人に尋ねれば簡単に行き着く。
狩人の家は若い男の一人暮らしをこれでもかと見せつけていた。壁板のガタつきはそのまま、茅葺の屋根はくたびれて虫だらけ。ニワトリ用の巣箱も囲いも壊れ、前庭は雑草に覆い尽くされている。
踏みしだかれた跡を辿って玄関に立ち、扉をノックしようとすると内側から開かれた。赤毛の狩人は無言のままアンサーラを招き入れ、扉を閉じる。中の有様はいわずもがな。悪臭を放つ衣類の山に、ボウフラがいそうな水瓶、腐った粘液が残る割れた陶器の破片を避けて後に付いていくと、彼は椅子を持ってきて目の前に置き、自身は寝床に腰を下ろした。
「さっきは助かった」
「わたくしはあなたを、熊からもダイアウルフからも救ってはいません」
エスキルは拳を組み合わせて顎に当て、行儀よく座ったアンサーラの目をじっと見上げる。
「あんたの動きも、剣も、すごかった。本当に彼女を殺せると思った」
「それこそが、わたくしの旅の目的ですから」
「魔獣を殺すことが? なぜだ、魔獣に恨みでもあるのか?」
「わたくしは過ちを正さねばならない。魔獣とは人間を駆逐するために造られた存在です。そんなものがこの世界にあることのほうが不自然です」
「造られた? 誰に? 生物を創造したのは神だろう」
「神の創造物に手を加えて造られた……わたくしの父によって」
ハッ、とエスキルは鼻で笑った。「なら、まずはあんたの父親をどうにかすべきだろうな」
「対処済みです」
わずかに銀の混ざった金色の瞳はまるで金属のように冷徹で、冗談を言っているふうではなかった。エスキルは肝を冷やし、このエルフが誇大妄想癖の持ち主だと思うことにした。今、問題はそこではない。
「ともかくそれがあんたの目的で、ダイアウルフを追う前に、まず人狼を殺そうというわけか」
「ダイアウルフは追います……しかし、人狼は殺さない。なぜなら、人狼は魔獣ではないからです」
エスキルは目を丸くした。「なん……だって?」
「わたくしはダイアウルフらしき痕跡を追ってここまで来て、殺害現場で確証を得ました。魔獣は殺人の証拠を隠そうとはしません。ヨエルさんを殺したのはダイアウルフ、それは最初から明らかだった。しかし問題は、確かに、人狼でした。どういうわけか人狼はダイアウルフを庇っているようでした。家畜を殺し、あえて姿を晒して、自分がヨエルさんを殺したと村人に思わせた。なぜでしょう。ダイアウルフにはあらゆる種類の狼を操る共感能力があります。もし狼に変身する〈
「もっと、その、〈
「もともとはエルフの魔法です。わたくしたちエルフは、いわば世界の異邦人。しかし、この世界を愛し、同化を望んで、自らに変身能力を付与したエルフもいました。その力を、この地ではドルイドと呼ばれていた人間たちの中から、望んだ者に与えたそうです。本来は一代限りの変異のはずでした。しかし一〇〇〇年を生きるエルフと人間との差異について考慮が足りなかったのでしょう。変身能力が子孫にまで残ってしまったのだと思われます」
「と、いうことは、親のどちらかが人狼だったかもしれない?」
「あるいは両親とも。ですが、隔世遺伝の可能性も考えられます。因子の片割れを両親がそれぞれ持っていて、それが結合した結果ということもありうる」
エスキルは額に手を当てて、がっくりとうなだれた。アンサーラは彼が事実を受け入れるだけの時間を与えてから続ける。
「かつてのドルイドは望んで〈
立ち上がったアンサーラを、エスキルは床を見つめたまま呼び止めた。「待ってくれ。もう一つ、聞きたい……魔獣は人間を殺すために造られたとあんたは言った。例えば人間とは絶対に出会わないような場所でなら、人間を殺さずに生きていけるだろうか。人間を食わなければ死ぬというわけじゃないんだろう?」
「……残念ながら、その可能性は無い、と言わざるを得ません。人間に対する攻撃性は本能のようなものです。野生の獣なら、安全で食べ物に困らない場所から離れたりはしないでしょう。しかし魔獣の場合、人間の姿を求めて移動するはずです。あれは成熟した雌のダイアウルフでした。単独行動しているのは、率いていた群れの中に相応しい相手がいなかったためです。望みの雄を見つけようと見つけまいと、いずれは戻り、群れを率いてこの村を襲うでしょう」
「しかしその雄が人狼だったら、どうだ。言っておくが、普通の狼のように操られたりはしない。人間の思考力も失わない。互いの気持ちが通じ合うだけだ。群れに戻さず、人里離れた山奥まで連れて行き、二度と戻って来なければ、人を襲わずに命を全うできるんじゃないか。家族を作って、普通の狼のように暮らして、そうしていつか血は薄まり普通の狼に同化していく……その可能性は?」
「その可能性は――」
「あんたらは〈
「それは……ありません」
「なら、可能性はある。無いとは言えないはずだ」
赤毛にかかった指の隙間から覗く眼光に――森の中でもそうだったように――アンサーラは羨望を覚えた。可能性に夢を抱く若者の瞳。胸の内で燃える情熱の輝きに。
「そのことは……また後で話しましょう。ともかく、
*****
その日の夜、村長宅の扉を叩く者がいた。
「こんな時間に誰だ……ひっ」
小さな灯火を映す見開かれた瞳が、まるで獣のようにギラついて見え、村長は思わず震えた。手にした蝋燭の明かりが、青白く滑らかな顔の輪郭と栗色の巻き毛を縁取っている。
「マ、マルクか? どうした?」
「村長さん……ぼく、知っているんです。誰が人狼なのか」
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