女神の力・イマジア


 しっかり見ていてね、と女の子が言うままに、零夜は少し離れた場所にある棒きれに目をやる。子供が振り回して遊ぶには絶好の長さであるそれの先端は、丸く削り整えられ、子供たちの衣装と同じような鮮やかな紐で飾られている。


 女の子――リツハは何やら小さく呪文を唱え、ちょうど棒を持っているようなふうに右手を握って動かした。すると遠くの棒きれが、リツハの動きに合わせて上下左右にすいすい動く。

「すごい、ほんとに動いてる」

 感嘆する零夜に、リツハは鼻高々だ。

「すごいでしょ? もう遠くからキヌヒツジの毛も刈れると思うのよ。危ないからってやらせてもらえないけど。ヒツジの耳がちょんぎれるから駄目だって!」

 リツハはけらけら笑いながら、握っていた右手をぱっと開いた。同時に、宙に浮いていた棒も、操り糸が切れたかのように地に落ちる。



 子供たちはすぐに零夜に慣れた。彼らの目を引いたのは、なんといっても右目を覆う大きな痣だ。始めこそ遠巻きに見てひそひそと言葉を交わし合うばかりだったが、彼らのうち一人が零夜に近寄り「それ、怪我?」と訊くと、ほかの子供たちも徐々に集まり、矢継ぎ早に質問を浴びせ掛けた。零夜はその一つひとつに丁寧に答えていった。

 この痣は怪我や病気ではなく、生まれつきのものだということ。怖がられることが多いけれど、自分は別に、普通の人間だということ。


 触っていい? という要求にも、零夜は「いいよ」とあっさり応じた。妹がいるために年下の扱いには慣れているし、元々、子供の相手をするのは好きなのだ。

 とにかく子供たちが、零夜のことを「怖い人じゃない」と認識するまでに、そう時間は掛からなかった。零夜が「キオクソウシツ」を告白し、イマジアというものは何なのか教えてほしいと、子供らに正直に頼み込んだことも大きかった。普段は教わる立場である子供たちは、自分たちよりものを知らない零夜という存在を、揶揄しながらも好意的に受け入れた。



 子供たちによる講義は、騒がしくはあったが意外にも分かりやすかった。イマジアとは、とても偉い女神様が人間に与えた神秘の力で、どのようなイマジアを持っているかは、一人ひとり異なるのだという。子供らは、自らの固有の力を誇示する喜びに沸いていた。


 リツハは、物に触れずに動かすイマジア。リツハと同じ歳ほどの男の子、トッカは、汚れた水を浄化するイマジア。トッカの兄であるテテイは、風を起こすイマジア。今はこの場にはいないが、彼らの姉的存在であるユーイという少女は、糸を紡ぐイマジアなのだという。

「それから、メリノイはね、まだ小さいから何のイマジアか分かんないの。でもきっと土から器を作るイマジアね。メリノイのお父さんも、そのまたお父さんも、ずっとそうなんだもの」

 まだ足元のおぼつかないメリノイという男児が、リツハの服の装飾をつついて遊んでいる。


 零夜は受け取った情報量に圧倒され、「はあ」と、声のような溜息のようなものを漏らした。零夜が漠然と考えていたイマジアというもの――漫画やゲームでいういわゆる「魔法」より、随分と生活に密着したものが多いようだ。

「じゃあ、キヤの雷みたいな、そういうイマジアは少ないの?」

「そうね。山の方ならともかく、この辺りじゃ雷なんて、滅多に起きないもの」

 当然でしょ? といった調子でリツハは小首を傾げた。そういうものか、と零夜は無理に納得し、水の浄化訓練に取り組んでいるトッカの手元を見た。泥水の入った器に、彼の小さな手がかざされている。水はわずかに波打ちながら、しかし何の変化も示さない。


「トッカったら、いつまでたっても下手くそなんだから。ちゃんと澄んだ水を想像できてる? イマジアには強い想像の力が必要だって、ティエラお姉ちゃんがいつも言ってるでしょ」

「うるさいな、リツハが鬱陶しくて集中できないんだよ」

 トッカは丸い頬を紅潮させて反論する。

「ユーイもティエラ姉ちゃんもいないからって、お姉さんぶるのやめろよな!」

「なによ、だって私の方が、トッカよりお姉さんだもん!」

 今にも取っ組み合って喧嘩を始めそうな二人の間に入り、零夜はまあまあ、と二人をなだめる。意地になったトッカは「泥水は難しいんだよ! ちょっと砂が混ざったくらいの水なら、飲めるくらい綺麗にできるんだよ!」と零夜に訴える。零夜はその訴えに全面同意して彼の癇癪かんしゃくをおさめつつ、肝心なことをリツハに尋ねる。

「それで、自分がどういうイマジアを持っているかって、どうやって確かめればいいのかな」


 また得意げな講釈が始まるかと思いきや、リツハは困ったように眉を寄せた。

「そんなの、自分で分かるものでしょ。頭の中に浮かんだ呪文を唱えて、女神様のお導きのままに、想像をかたちにするの」

 例えば、声の出しかたをどうやって説明しよう。呼吸のしかたをどうやって説明しよう。そういった調子だった。いよいよ零夜は困り果てる。

「自分の呪文は? それも分からないの?」

 リツハの言葉に頷くと、子供たちは「変なの」「おかしいよ」「キオクソウシツだからでしょ」と、口々に意見する。


「呪文って、勝手に頭に浮かぶものなの?」

「そうよ。他の人が唱えても何にも起こらない、その人だけの呪文があるの。女神様からの贈り物なのよ」

 この世界に存在する女神の力がイマジアならば、よそからの闖入者ちんにゅうしゃである零夜に、その心当たりがないことは納得がいく。

 零夜が炎の能力をどこかで手に入れたのだとしたら、この世界に放り出されたあの夜、零夜を助けた二人組によって与えられたに違いなかった。痛みと失血のあまり記憶は朦朧としているが、核をどうこうと二人で問答していたことは何となく思い出せる。あの時に身体の内より感じた「熱さ」こそが、零夜の身より生じる炎の火種ではないか。では、その熱を呼び覚ますための呪文とは、いったい何だろう?


 考え込む零夜の表情が、よほど思いつめているように見えたのだろう。「呪文を忘れちゃったなんて、かわいそう」と、リツハは憐れむような目を零夜に向けた。事実、ひどく憐れんでいるらしかった。

「レイヤが女神様の言葉を思い出せますように、お祈りしてあげる」

 小さく柔らかな手が、零夜の手を握る。彼女のいたわりに感謝の意を述べ、零夜は改めて、先の見えない現実を噛み締めた。

 理仁を探さなければならない。零夜たちが暮らしていた日本よりも、圧倒的に危険が多いであろうここで、魔法のようなものを自在に使うことができればどれほど心強いか。しかし、当てにならないものを当てにしていても仕方がない。


 次にやるべきことは何だ、と零夜は考える。キヤは自分の旅について来てもいいと言ったし、そうして情報を集めるべきだと言った。それが最も現実的な道だとは思う。しかし、キヤは怪我をしている。今すぐに出発とはいかないだろう。ならば出発の時までは、せめて自分が身を置く世界について理解を深めることが先決だ。


 そうなれば、次に聞きたいのは「女神様」についてだ。どうやらこの世界で大きな意味を持つらしい、女神という存在。それについて問うと、子供たちはまた「そんなことも知らないの」という顔をする。

「知ってたけど、忘れちゃったんだよ」

 さすがに軽んじられ過ぎては気分が悪く、零夜は無い面子めんつを立たせようとする。しかし、そんな虚勢は子供たちには通用しない。リツハは幼児に言って聞かせるような調子で、「女神様」の説明を始める。


「女神様は、命の神様なの。私たち人間や動物、植物やミトラ、みんなをお作りになった、とても素晴らしい神様なのよ。人間は、女神様に最も愛された生き物だから、女神様と同じ姿をしているの」

「そうそう。だから僕ら、イマジアも使えるんだ」

 トッカが口を挟んだ。「そんで、悪い女神様もいるんだ」

「悪い女神様?」

 零夜が問い返すと、子供たちは顔を見合わせて身体を寄せた。零夜にももう少し寄るように示し、わざとらしいヒソヒソ声で話す。

「あのね、悪い女神様は、死の女神様なの。私たちがいつか必ず死んでしまうのは、みんな死の女神様のせいなのよ」

 リツハは、今まさにどこかで死の女神が聞いているとでも言いたげに、ことさら声を潜めた。

「命の女神様は青い色。青は神聖な色なの。でも、死の女神様は緑色。とっても深い、緑の瞳をしているんですって」


 緑の瞳。

 どこかで見た、と思った。どこで見たのか咄嗟には思い出せなかった。しかし間を置かず、その記憶は零夜の脳裏に蘇る。


『おまえは、いらない』


 あの時――この世界に引きずり込まれる寸分前、深い青色ディープ・ブルーの視界の中で、零夜にそう言い放った少女。あの少女の瞳は――深い深い、緑色だった。


「その……死の女神様って」

 何かを問おうと切り出して、いったい何を問いたいのか分からなくなり、零夜は黙る。沈黙を不審に思った子供たちが「どうしたの?」と訊き返す。

「死の女神様って、どこにいるの?」

 漠然とした質問だったが、子供たちは答えを知っているようだった。

「海の底よ」

 リツハは淀みなく回答した。

「海って見たことないけど、水がたくさんあるんでしょ? そのずうっと下に、閉じ込められているんだって。だけど今でも海の底から手を伸ばして、私たちの命を狙っているのよ」

 零夜のこめかみに汗が滲む。嫌な一致は果たして偶然か、それとも――。



 思考がそこで途切れたのは、集中力の不足によるものではなかった。「誰か来てえ!」と、少女の声が耳に届く。その声は悲痛で、声というより絶叫に近かった。零夜より先に、子供たちが動きをみせる。

「今の声、ユーイだよ」「何かあったんだよ」「大人を呼んで来なきゃ!」

 やいのやいのと言い合いながら、彼らは手近な幕家に飛び込むと、大人を引っ張り出してくる。子供たちが連れてきたのはナシパで、彼女にも悲鳴は届いていたらしい。子供たちの指差す方向へ、すぐに走っていく。


 どうすべきか、考えあぐねている場合ではなかった。何が起こっているのかわけも分からずに、零夜もナシパのあとを追った。

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