第18話 泥沼

 とある西方の国の大都市で「吸血鬼」の女と人間の男は出会った。「吸血鬼」と呼ばれる一族ではあるものの、鋭利な牙があるわけでもない。太陽が苦手でも、十字架が弱点でもない。見た目は普通の人間となに一つ変わらないため、女は「吸血鬼」だという真実を隠して、男に何度も会って話をした。魔術とは一切縁のない彼と話すことが、いつしか女の生きがいになっていた。


「吸血鬼」は人間の血肉を摂取しなければ、生きていくことはできない。そうすることが女の一族にとっての生命活動だった。刻まれた魔術を維持するために必要なこと。しかし女は男に正体を気付かれないためにそれを断絶した。血の臭いを纏うわけにはいかなかった。


「吸血鬼」の生命力は人間の比ではない。人間を喰わずとも、多少の期間ならば生きていくことができた。存在を維持できる。生きていくことはできるが、「血の欲求」という一族の祖が刻み込んだ呪縛と闘わなければならなかった。


 女は本能と闘い、そして苦しんだ。「吸血鬼」の欲求とは人間の三大欲求を合わせても足りないくらいである。想像を絶する苦難に襲われ、ときには自分を見失いそうになることもあった。


 それでも女は男に悟られないように、「吸血鬼」であることをひた隠し続けた。


 ある日、女は欲求に耐えきれなくなった。ほんの少しだったけれど、人間の血を喰らってしまったのだ。その相手は男だった。女はこれまで築いてきた関係が壊れたと思い、男の前から消えようと涙しながら立ち去ろうとした。


 だが、それは叶わなかった。男は、「吸血鬼」だとしても共にいたいと立ち去ろうとした女の腕を掴んだ。


 ――それから、女と男は共に暮らすようになった。


 静かな暮らしを求めて、大都市から小さな村に越した。事情を知らない村人たちは二人を快く受け入れてくれた。


 その村で女と男の間に子供ができた。「吸血鬼」と人間の血が混じった双子だった。子供には一族の呪縛がなかった。その時点ではまだ男の血――人間の血の方が濃かったのだ。


 女は男の血を少量ずつ吸っていたためか、男の血以外を欲しなくなった。しかしいつしか男の血を吸わないと数日も持たない身体になっていた。


 すべて上手くいっていた。なに不自由ない生活だった。


 しかしそれは突然瓦解した。酒に酔い、家を間違えた村民の一人が女の吸血している姿を目撃したのだ。そのことはあっという間に、それこそ逃げ出す暇がないくらいの速さで村中に広まった。


 一家は磔にされ、晒し者となった。食事も与えられず、ときには石を投げられたりした。


 どんなことをされても、男は嘆かなかった。女と子供たちに、笑顔を崩さず励まし続けた。しかしそれが村人たちに不快感を与え、銃殺された。


 女は逃げ出すことができなかった。村人に見つかったのが吸血の直前だったため、力が出なかった。なにより男を殺されて、喪失感と双子だけが女に残された。男がそうしていたように女も我が子たちを励まし続けた。男の血が吸えず苦しんだが、双子の前ではそれを億尾にも出さなかった。


 そして数日後、双子に笑顔を見せたまま命を落とした。


 双子は死ななかった。人間よりも丈夫で、「吸血鬼」の本能のない身体だったからだ。両親が死んでしまったあと、二人は磔から解放され、薄暗い倉庫に閉じ込められた。村人たちは、この一家で日ごろの鬱憤を晴らすことを憶えていた。


 双子は毎日のように暴行を加えられ、ときに犯されもした。どんなに傷つけられても「吸血鬼」の治癒力がそれを隠した。


 最初は泣き叫び、抵抗した双子だったが、それも日が経つことになくなっていった。その非情ともいえる暴力を受ければ、食事にありつけたからだ。村人たちは双子を死なせないように、鬱憤を晴らしたあと少量の食事を与えた。


 このとき村人たちは知らなかった。双子がただ甘んじてそれを受けているのではなく、自分たちの「吸血鬼」の力が強くなるその日を待っていることを……。


 数年後、成長した双子は村を壊滅させた。老若男女問わず、一人残らずその村にいた人間を惨殺した。両親を殺された恨み――ただそれだけだった。


 双子は、いるかもしれない自分たちと同じ境遇の仲間を探すことにした。各地を放浪する旅が始まった。


 長い間、人間の食事をしていたせいか、二人を襲うのは「血の欲求」ではなく、単なる空腹だった。


 双子はお金というものを知っていた。食料を得るにはそれが必要であることは、小さなころから見ていた。


 しかし双子はそれ以外の方法を知っていた。お金がなくても、食事にありつける術を学んでいた。


 だから、双子は自分たちを傷つけてくれるよう街の人間に頼んだ。腕を引き千切り再生していく様を見せて、自分たちがどんなに丈夫なのかを証明した。


 だが、食料は手に入らなかった。


 双子に与えられたのは「化物」という言葉だけだった。


 二人は理解できなかった。どうして街の人間が逃げていくのか。どうして食事を与えてくれないのか。


 街の人間が「化物」を退治するために発砲した。何度も、何度も、小さな鉄の塊は「化物」の身体を貫いていった。


 双子は銃弾を受け、思い出していた。父親の死んだ姿を――村人に射殺された光景を思い出した。そして、理解した。この街の人間は、あの村人たちと同じなのだと。双子の脳内に、復讐の文字が浮かんだ。両親を殺されたときの感情がわいてきた。


 街は一夜もかからずに静かになった。赤く染め上げられ、そこに立っているのは「化物」だけだった。


 双子の旅の意味は変わった。ただ求めるだけになった。母親のような吸血鬼を。父親のような人間を。自分たちと同じような存在を。


 仲睦まじく歩いている人間の家族を見ると、胸が苦しかった。だから殺した。自分たちを苦しめる者たちを殺し続けた。ときおり母親の姿を重ねてしまって、殺せないこともあった。


 自分たちが「化物」だと気付いたのは「吸血鬼」としての力が暴走したときだ。その固有魔術が消滅しないように自動的に発動する呪縛によって、人間を襲い、そして血肉を摂取した。


 片方が暴走状態になり、もう片方は戸惑った。どうすればいつもの彼女に戻ってくれるのか、その方法を知らなかった。だからせめて自分も同じようになれるようにと、分かち合えるようにと、姉は妹の一部を喰った。


 妹はもとに戻った。姉は安心した。


 だが二人とも人間を見ると不思議な衝動に駆られるようになっていた。


 双子は自分たちがわからなくなった。


 自分たちの存在に意味を見出せなかった。


 だから歩き続けた。


 そして辿り着いた。


「化物」と呼ばれる人間が住む街に――。



     ※



「そちらの状況はどうですか」


 耳に付けたインカムから長月の声が聞こえてきた。広場に向けられた監視カメラは設置されていないため、パソコンからでは状況を見ることができない。


「よくない……全然よくない!」


 再生力の向上したルーチェに対し、如月と黒コートは決定打を持っていなかった。どんなに切りつけても即座に再生が始まる。フェリチタに意識を取られている間に黒コートが彼女の口の中に手榴弾を押し込んだこともあったが、ただ頭部が爆散するだけで絶命には至らなかった。つまり脳を破壊しても無駄という情報を得たのだ。


 魔術の効果が高められているのは、やはり空間魔術により、夜が作り出されたからだろう。偽りの星だとしても、それが「星」として認識できるのならば問題はない。最近ではミゼット・サイガスタも同じことをしていた。


 アナトリア姉妹には古き時代の英知が刻み込まれている。今でこそ空間魔術として確立されているが、彼女たちの祖の時代にそれが広まっていたという話はない。当時の魔術師としては最高峰だ。


 ルーチェとの距離をとり、状況の説明をする。フェリチタの変化、空間魔術とそれに伴うアナトリア姉妹の強化。ついでに人払いの魔術を突破してきた謎の女についても話しておいた。


「その女性は音無舞桜。都市警察です」


「なんで知ってるの」


「月宮湊から訊いています。ただそれくらいしか話す余裕がないようでしたが、なるほど、本格的に吸血鬼退治をしないといけなくなったのなら納得です」


「今回、いっちゃんがそっちでよかったよ」


「そうですね。たまにはトモの気まぐれも役に立ちました」


 話しながらもアナトリア姉妹から意識を外さない。


 黒コートの動きがルーチェの変化速度に対応してきていた。変化する攻撃の中を躍るように舞っている。ときには敵の刃をも利用している。広がるコートですらまだほんの数回しか攻撃を受けていないのだから、動きが洗練されている。決定打がないだけで戦えているようだ。


 一方のフェリチタの方だが、これはもうただの人間が対応できる速度ではなかった。それに対応している月宮と音無舞桜が異常なだけだ。月宮は彼女の放つ殺気と憎悪を追い、音無は《欠片の力》で反応していることが瞳の輝きでわかった。


 この先の展開で一番好ましくないのは、ルーチェも覚醒してしまうことだ。そうなった場合こっちは全滅するだろうし、その後、月宮たちは実質的に一対一で戦わなければならなくなる。


 その前になんとかしなければならない。


「なにか対策とか聞いてないの? そうなら訊いてきて」


 対策は訊いていません、と長月はいつもの調子で答える。


「ですが、どうやら増員するようです」


 フェリチタの奇声が辺りに響き渡ったのは、その返答があったすぐあとだった。


 如月だけではなく、ルーチェも、そして黒コートもその異変に気付き、その一点に目を向けていた。


 赤く染まり上げたフェリチタが高音を発している。空気が振動し、草木も揺れた。周囲のものを破壊しかねないような狂音に、如月は思わず耳を塞ぎたくなった。耳だけじゃない。できることなら目も塞いでしまいたかった。


 それほどまでに強烈な邪気を放っている。殺気とか憎悪とか言葉で表せる領域を超えて、ただ本能的な恐怖を呼び起こす。


 そして理解していた。あれがもうフェリチタという人間ではなく、魔術によって生み出された吸血鬼であることを。


 それがわかったとき、如月はルーチェに詰め寄っていた。発狂する少女の名前を何度も呟いている彼女の肩を掴み、正面を向かせた。ふいに視界が変わったことで、ルーチェは理解が遅れている顔をした。だが、如月を見ているのは間違いない。


「説明して!」


「――え……」


 ルーチェは情けない声を出した。それもそのはずだ。今の今まで命の奪い合いをしていた相手に状況の説明を求められたのだ、なにを言われているのかわからなくもなる。


「あなたもフェリちゃんがああいうふうになるのは避けたかったんでしょ? ダメだって、耐えてって言ったの聞いてたよ」


 その直後にフェリチタに異変が起きた。空間魔術を発動させ、魔力も底上げされた。あれはおそらく自らの意思ではなく、刻まれた魔術によるものだ。その血筋を絶やさないために生命の危機に瀕すると発動する自衛魔術とでも言うべきだろうか。


 ルーチェが「耐えて」「ダメだ」と言ったことから推察するに、自分たちでは抑えきれない類だということは明らかだ。つまりそのあとも彼女たちの意思は残らない。暴走状態となる。


 血を絶やさないように。


 暴走状態。


 この二つから導き出される答は、ただ一つである。


「なにしてる」


 如月の横に黒コートが静かに立っていた。長い袖の先からは刀の刃が見えていた。


「事態が変わったんだよ」如月は黒コートと、長月に言う。「ただでさえ不死といっても過言じゃなかった再生力がさらに強まった。再生力だけじゃない――他の能力も同じように強まっていると考えていいね。夜空もここだけじゃなくなる」


「戦場が広まる――ということですか」


 黒コートの袖口から刃がシュッと消える。如月の言うことをわかってくれたようだ。ここでルーチェを殺しきってしまうと、吸血鬼に関することがわからなくなる。


「つっきーたちだけじゃあきっとフェリちゃんを抑え込むこができない。あの二人はフェリちゃんを殺そうとしてないから、その分だけ力を出せないからね」


「伝え忘れていました」と長月。


「やっぱり」と呟いたのは黒コートだった。


 伝えられなくとも、月宮の様子を見ていれば一目瞭然だ。都市警察と共闘するなど、普段の彼ならばありえない。基本的に彼は事務所の仕事を優先して行う。つまり共闘を選んだということは、音無舞桜になんらかの興味を、関心を抱き、それが事務所の命令を放棄するのに値したということだ。


 月宮は自分の心に正直だ。切り捨てるものは切り捨て、拾い上げたいものは誰が相手だろうとも拾い上げる。


「私たちをどうするつもりなの」


「詳しくはわからないけど」如月は答える。「助けようとしているんだと思う。だから教えて。どうしたらフェリちゃんを止められるの」


 ルーチェの返答の内容は実に吸血鬼らしいものであり、しかしこの状況においては最も困難と考えられるものだった。


「私が、フェリの身体から血を吸い出せれば……」

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