第7話 動き出す闇
「せんぱぁい、歩くの速いぃ」
甘ったるい声を出しながら歩くウィンクに目を向けることなく、シグナルはその歩みを続けた。かなり大きめの声だったため、周囲にいた人々の視線を集めてしまっていたが、気にすることでもなかった。
小走りで追いついてきたウィンクが横に並んだ。
「速いって言ってんじゃん。なんで歩幅も歩調も変えないかなぁ」
「なんでてめえに合わせないといけないんだ」
裏組織に属した早さがあるからといって、シグナルたちに上下関係があるわけではない。兵隊蟻がただの「兵隊蟻」でしかないのと同じように、女王に従っているだけだ。彼らの場合の女王とは仲介屋のことだ。
だからウィンクがシグナルを先輩と呼ぶ必要はないのだが、お互いに本名を知らず、公の場で与えられた記号で呼び合うのも馬鹿らしいため、理にかなっているといえばそうだった。
とはいえ見習うつもりは毛頭なかった。ウィンクが「先輩」と呼んでいるからといって「後輩」と呼び返すこともない。いつものように「お前」や「てめえ」で充分だった。
「というか先輩、なんか今日おしゃれだね。もしかして髪の色気にしてるの?」
ぷぷぷ、とウィンクは口を手で隠しながら笑った。人懐っこい性格をしている、というよりは人を食ったような性格をしている。
「帽子なんか被っちゃってさ。ああぁ、おかしっ」
たしかにシグナルは奇抜な髪の色をしているが、それを気にしているから帽子で隠しているわけじゃない。そんなことならもとより、こんな髪色にしていなかった。
今日の格好は、ワークキャップに作業着と、夏らしさなどないものだった。袖を捲っているとはいえかなり暑い。
「それになに? ギターケースなんて背負っちゃってさ。まさかこれからライブしに行くとじゃないよね? ね?」
「……お前、楽しそうだな」
「そりゃあそうですよ。だってこれから」
ウィンクは小声で、かつ歌うように言った。
「人を殺せるんですもん」
長いこと裏組織で働き、理不尽な依頼をこなしてきたシグナルでも、彼女の純粋な感情に圧倒されそうになることがある。
それは恐怖のせいではない。
たしかにこの年頃の子供が冗談で誰かを殺したいと言い、周りもそれに賛同することがあるが、しかしそれでも彼らは行動に移すことがない。リスクとリターンが見合わないことをわかっているからだ。だから話す側も聞く側もけして本気ではない。
だが、ウィンクは違う。
リスクとリターンが常人とはまるで逆なのだ。
人を殺害して得られる悦楽の方が、社会的に抹殺されるよりも、都市警察に捕まることになるよりも、遥かに重要だからだ。
人生を棒に振る、というのならば、彼女の場合、殺人を犯さなかったときこそ当てはまる。平穏な未来も、先の明るい将来もなに一つ必要としていない。
ただ彼女にとって必要なのは、「殺人」という行為だ。
初めて人を手にかけたときに相当な快楽を得られたのだろう。征服感や支配感はその方法によっては充分過ぎるほど得られる。おそらく常人が想像しているよりも、ずっと大きな快楽だ。
達成感、と換言すれば誰にでも理解できるだろう。または解放感。
彼女はそれに強く依存している。
「なにが楽しいんだか」
「先輩は楽しくないんですか? 実は楽しいんじゃないですか? ほら、実はそのケースに入っているギターで、楽しさを表現した曲を奏でるとかするんでしょう?」
「するかよ」
「してほしいなぁ」
「てめえが死んだときにやってやるよ」
「やったねっ。約束だから」
つくづくウィンクのことが理解できないシグナルだった。喜怒哀楽のどれかに繋がる要因がやはり常人とは異なっている。
年相応の外見をしているが、その中身は混沌で埋め尽くされている。頭のネジが飛んでいるのではなく、腐敗してしまっているのだ。あるいは融解し、他のものと混濁し、「わけのわからないもの」へと変貌してしまっている。
それが吐き出されてしまったとき、この街の人間は生きていられるのだろうか、とシグナルは思う。今はかろうじて残存する理性が、依頼内容の相手だけを殺害することで踏みとどまっているが、それが決壊したときウィンクは無差別に、破壊のかぎりを尽くす。
きっと笑いながら。
あどけない笑顔のまま。
なにもかもを壊す。
「で、先輩、ぶっちゃけそのケースの中にはなに入ってるの?」
「仕事道具以外になにがあるんだ」
「機関銃とか?」
「んなもん扱えねえよ」
シグナルは溜息をつく。
「お前、これからどこ行くか知ってんのか?」
「知らない」と即答するウィンク。
二つ目の溜息を吐きだし、幸せを逃した。
シグナルが彼女と行動する理由など仕事以外になく、仕事というのならその内容はもちろん都市警察の上層部及び《欠片持ち》の排除しかない。仲介屋の仕事は早く、あれからすぐに一人目の資料が送られてきた。
それに目を通すように言っておいたはずなのだが、返事をしていたはずなのだが、どうやら二つ返事だったようだ。
「まあ仕事なわけだし、先輩についていけばいっかなって」
「他の奴だったらどうすんだ」
「それこそ危ない橋を渡るよね。事前情報なし、対策なし、計画なしのぶっつけ本番で乗り切る」
シグナルはぼんやりとその光景を思い浮かべた。トリックにしろ、アクセルにしろ、少なくともウィンクよりは計画的に仕事をしそうだった。トリックの方はあまり会話が成立したことがないが、しかしまともに仕事はする。
やはりどう考えてもババはウィンクだった。
ただし彼らと仕事をするよりはババと仕事をする方が気分がよかった。気分が上がるのではなく、下がらなくていいという意味で。
「得体が知れないのはどいつも同じか」
シグナルは誰に言うでもなく呟いた。
「今、なにか言った?」
「別に」
ふうん、とウィンクはさして興味もなさそうにした。答えてもらえないのならそれ以上言及はしないようだ。
そのまま二人の会話は途切れたまま、目的地へと足を運んだ。二十階建ての大型集合住宅の前で立ち止まる。一般的なものよりも家賃が段違いに高いこの場所は、それなりの小金持ちが住み込んでいた。
周辺には似たような建物がいくつかそびえ立っている。見上げると空が狭くなっており、まるで巨人に見下ろされているかのような重圧感があった。
「今日の仕事場ってここ?」
「きょろきょろするなよ。行くぞ」
自動ドアを通り、他のものに目もくれずに玄関インターホンに部屋番号を入力していく。それを終えると何回か鐘の音が鳴り、しばらくして通話が繋がった。
「お荷物をお届けに参りました」
シグナルはやんわりと言う。
「中身は?」
「ベースです」
そう答えたあとすぐに、中へと通じる扉が開いた。シグナルはウィンクに合図を出すことなく、滑らかな動きで内部に侵入した。
内部は気持ち悪いほど静かで、心なしか寒気さえあった。冷房が効いているからだろうが、シグナルはそれ以外にもなにか要因があるような気がしていた。
「先輩、それギターじゃなかったんだね」
「そう言ってないだろ」
案内板の指し示すとおりに進み、エレベーターを見つけた。三つ並んでいたが、一回で止まっているのは一つだけだった。
シグナルたちはそれに乗り込み、最上階を目指した。
「あれ、さっき押した番号だと最上階じゃないよね?」
「あれは仲介屋の方が根回ししているだけだ。まあ無理に扉をこじ開けることを避けたかったんだろうよ。特にお前が危ないからな」
「なるほどね。でもそれは違うよ」
ウィンクは言う。
「私だったらこの建物ごと壊すね」
「だから単独行動を許してないんだろうが」
最上階にはあっという間に到着した。加速と減速の際に感じる圧力はなく、音も静かだった。さすがに設備面も最高峰のもののようだ。
エレベーターから降りたシグナルは周囲の状況を確認しようとしたが、どうやらその必要はなかったようだ。このフロアには部屋が一つしかなく、隣人など存在しない。人通りなんてあるはずがなかった。
エレベーターから室内に続く扉までの間には、門扉と塀が、まるで一軒家のように設けられている。
「すご……」
「黙ってろ」
シグナルはインターホンを見つけると、すぐさま押した。監視カメラと思われるものがいくつか設置されているが、それも仲介屋が介入しているはずだ。
「はい」インターホンから女性の声がした。
「ご子息様をお連れしてきました」
「どういうことですか? あなたは誰なんですか?」
「僕は都市警察と協力して活動している学生ボランティアの者です。最近、行方不明が多発していまして、そのため一人でいるお子様をこうしてご自宅まで送り届けているんです」
「そうなんですか。それはありがとうございます」
少々お待ちください、と通話が切れた。
この警戒心の感じられなさが実に滑稽だった。きっと自分たちの周囲は平和だと思っているのだろう。安全な場所で高みの見物を決め込み、天寿を全うできると勘違いしている。
その場所がどれだけ崩れやすいのかも知らず、
その場所がどれだけ簡単に到達できるのかも気にしていない。
絶対的な安全などこの世には存在しない。まして《欠片持ち》などという不確かな存在が徘徊し、それからも外れた「異端」も存在するこの世界では。
それを忘れているようだ。
甘い水ばかりを吸っていたために。
「お前、そこで子供の相手の振りしてろ」
「いや、ばれるでしょ」
「玄関扉からは塀があって見えない。ここの家のガキは塀より小さい。だから結局門扉まで来ないとその姿を確認できない」
「悪い考え」
ガチャ、と音が聞こえたと同時にウィンクは演技を始めた。彼女なりのプロ意識か、あるいは「演技」というものに興味があったのだろう。
子供を可愛がるような声を背後から浴び、できることなら殴ってしまいたいと思うほど鳥肌が総立ちした。子供をあやす声と言うのは、いつ聞いても気持ち悪いものだった。
現れた女性は、四十を超えている年齢と聞いていたが、写真で見るよりもずっと若々しかった。ブラウンの髪を後ろで束ね、シックなワンピースに身を包んでいた。
「こんにちは」とシグナル。
「どうもわざわざありがとうございます」
女性は頭を下げた。
「それで、息子は?」
「はい、こちらに」
そう言って、シグナルはギターケースを下ろした。どしり、と重みのある音がし、女性は困惑の色をした瞳を向けてきた。
「あの……、息子は? そちらの方と話しているんですよね?」
「いえ、この中です」
シグナルは笑顔を見せた。自分でも吐き気がするほどの。
女性がすべてを察したときには、すでに遅かった。シグナルはギターケースを彼女に向けて投げていた。そして門扉に手をかけ、居住空間に足を踏み入れた。
ギターケースを受けて、仰向けになった女性に一蹴り入れる。苦しそうな声を漏らしたが、気にするほどでもなかった。
「こいつ、“触って”おけよ」
「りょーかい」
ケースを拾い上げて、玄関の扉を開く。内装はいたって普通の様式のものだった。大理石の床があるわけでも、和を強調したものでもない。玄関も他の階と変わらない広さだ。
土足のまま框に上がって、歩いていく。
目的の人物が書斎にいるのか、それとも風呂場か、はたまたリビングか――そんなことはシグナルにはわからないため、手当たり次第に扉を開けていく。
廊下は鉤状になっていて、一直線に進んでいくと突き当りで右に曲がれた。その奥には他とは異なり、ガラスが埋め込まれた扉があった。間違いなくリビングだろう。白を基調としていることが部屋の外からでもわかる。
外で大きな音がした。また違う音が聞こえてくる。悲鳴だ。声になっていない悲鳴が響いてきていた。
シグナルは舌打ちをしたが、同時に口を三日月のような形に変えた。なぜならリビングに続く扉の向こうで動く影があったからだ。音を聞いて、心配になったのだろう。
「なにがあった!」
現れた男はそう声を上げながら扉を開け、目を見開いた。当然だろう。作業着を着た見ず知らずの男が土足で家に上がり込んでいれば、誰だってそうなる。その人物が笑みを浮かべているのならなおさらだ。
髪型はオールバックで、いかにも仕事ができるといった風貌をしたその男は間違いなく目的の人物だ。
都市警察の上層部。
誰だ、と言われる前に、シグナルは先ほどと同じようにギターケースを投げつけた。狭い廊下とあって振りかぶれるか心配だったが、無駄なものだった。
勢いよく背中からリビングに戻っていった男に、シグナルは自己紹介をした。
「どうも、息子さんを届けに参りました。なかなか重かったんですよ、息子さん。身を持って感じられましたか?」
そして続ける。
「しばらくしたら奥さんも届きますよ」
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