第16話 誰かが踏み出す一線

 姫ノ宮学園本部はさながら要塞のような不格好さで、しかしどこか西洋の城のような気品が見受けられた。商店街からもその様相は窺えるが、間近で見るとその迫力の違いに驚かされる。おそらく現実だと気付かされるからだろう。遠くからではどこか現実味を帯びていないため、その違いが生じる。


 時間があればいくらでも眺めていたくもある本部だけれど、今はその場合じゃない。


 入口前の地面には魔法陣が描かれ、妖艶な輝きを発している。これが歪みを利用した魔術なのだろう。思っていたよりもずっと簡易的な魔法陣だった。だが、そこから溢れ出る空気は酷く淀み、心を揺さぶってくる。


 その奥に、一人の男が立っていた。魔法陣を無気力な目でじっと眺めている。月宮の姿をまるで気に留めていない。ブロンドの髪は肩に届くかくらいまで伸び、シャツにジーンズ、その上から黒いコートとラフな格好をしている。場所が場所ならば一般人に見えなくない。


 一般人に見えてしまうほど、彼からは覇気を感じられなかった。


「きみが、私の相手をしてくれるのか?」


 男はやはり月宮を見ようとしない。


「あんたが崩れた世界のバランスを利用する魔術師ってんならそうだな」


 月宮はホルダーからナイフを取り出し、魔法陣の描かれた地面を横一線に切り裂いた。ガラスが割れて弾けたような音が響き、光を失った周囲は夜の暗さを取り戻した。


 それでも男は地面を眺めている。


「きみみたいな若い子が、こんな世界に足を踏み入れなければならない――いや、それは魔術師と同じか。違うのは、実戦に投入されるかどうか……か」


「大丈夫か、あんた」


 月宮は魔術師に気を配りながらも、周囲の状況を確認した。魔術師がなにも策を巡らせないはずがない。罠の一つや二つあって当然だ。


「警戒しているな。いい判断だ」


「どーも」


「きみは魔術師と戦ったことがあるのか?」


「なくはない」


「なるほど、だからこその警戒か――うん、実にいい。不用意に近づかないのは足場への対処ができないか、あるいは反応が遅れるため。身を隠さないのは見えている範囲での反射行動ができるからか。かなりの経験者だな。いい鍛え方をされているのか」


 地面を見ていた男の視線が月宮に向けられる。生気のない眼光が月宮を射抜いた。月宮は背筋に怖気が走り、一気に気持ちの悪い汗が出てきた。


「私の名前はミゼット。ミゼット・サイガスタだ。きみは?」


「答える必要はないだろ」


「そうか、それもそうだな。できることならば邪魔をしないで欲しいんだが、どうか聞き入れてくれないだろうか」


「それは無理な話だ。こっちにも事情がある」


「交渉は決裂。きっとよくないことが起きるな、これは」


 ふう、とミゼットが息を吐いた瞬間だった。月宮は自分に向かってきた「それ」を反射的に破壊していた。赤く輝く石。おそらくは宝石の類だ。


 月宮は相手を見据えながら、距離をとった。


「どうした? 私を倒すんじゃないのか?」


 ミゼットの調子は変わらない。落ち着いているよりもたちが悪い。まるで心が、魂がそこにはないようだった。左手をコートのポケットに入れたまま、ミゼットは右手に持っていた宝石たちを月宮に向けて放り投げた。


 とても無気力の男が放り投げたと思えないスピードで宝石は月宮に向かってくる。先ほどとは違い数が多い。ナイフで防ぐのは不可能だった。


 しかし、先ほどとは違い、今回は距離もあり、動作も確認した。反射に頼らず、充分に思考して動ける。


 まず月宮は左手に長剣を出現させ、それを地面に突き立てた。そしてその柄の先に足をかけて一気に踏み込む。


 飛び上がった月宮の下で、長剣が宝石によって無残に破壊される。しかもただ速さと硬度を持った宝石に貫かれて破壊されたわけじゃない。


 融解。


 宝石に当たった個所は溶け、蒸気を立ち昇らせながら徐々に崩れていく。


 それは地面も同様だった。宝石自体が溶け切るまで、その効果は続いていった。


 月宮が着地するまでの間に融解は終わるため、効果の持続時間はそれほど長くない。しかし一度でも直撃すれば、長剣のように穴を開けられ、そこから融解が始まる。回避は必須だった。


「ふむ……、おかしい。きみは《欠片持ち》ではないようだな。彼らは能力を行使する際に、瞳に欠片が浮かぶという。だけど、きみは違う。微かに魔力反応が感じられるが、魔術を使っているふうにも感じられない。もしかして、この歪みを作ったのはきみか?」


 やはり世界の歪みを察知しただけあって、一筋縄ではいかない。洞察力も優れ、月宮が踏みこもうとしてもまるで隙がなかった。同じ戦法はおそらく通じないだろう。


 ミゼットは再び右腕を横に振る。数々の宝石が横一線に拡散し、手を離れたその瞬間から異常なスピードで空気を引き裂いた。


 ミゼットの腕が動いたときには、すでに回避行動に移っていた月宮は上には飛ばず、左斜め前に直進していた。横に拡散するといっても始点は一点だ。その視点に近づき、かつ射線から脱することが効果的である。


 しかし相手の行動を先読みしても回避はギリギリだった。月宮は飛び込み、右手で地面を掴んで体勢を直した。また少しミゼットとの距離が縮んでいる。

ただ気になるのは魔術師が目でして月宮を追っていないことだ。


「問いには答えてもらえないのか?」


 月宮はそれにも答えず、左手にナイフを出現させて投擲する。


 しかし軽く放られた宝石で溶かされてしまった。


 あの魔術の厄介な点は、まずまともな防御ができないこと。月宮の能力があればいくつかの宝石は破壊できても、取りこぼしが必ずできてしまい、結局被弾してしまう。貫通力と速さを備え、それでいて数も多い。一対一どころか一対多数でも有効な魔術だ。


 そしてなによりミゼットのいる場所だ。姫ノ宮学園本部前には身を隠せるようなオブジェ等はなく、常に姿を晒さなければならない。


 建物内からの奇襲も考えてみたが、しかしそれは相手が気付いていないことを前提とする。月宮の推測するミゼットの性格から考えると、注意深く、用心も怠らないため、その手の対策はしているはずだった。


 そしてそれが一番の疑問でもある。


 対策を練っているのならば、どうして正面に罠を仕掛けなかったのか。


 それはまるで迎え入れているようでもある。


 不測の事態に備えてはいるが、完全に拒絶しているわけでもない。


 あるいはそれこそが計画の一部か。


「問答がしたいのは時間稼ぎか?」


 月宮は訊いた。


「時間を稼ぐ? なぜ?」


「お前の計画には時間がかかるからだ。邪魔をされたくない、と言っていた。それは魔術の発動に長い時間が必要か、発動してからの時間が必要だからなんじゃないか?」


「どちらも正しい。ではなぜ私はきみを倒そうとしないのか。たとえばそう、私の宝石魔術を使えば、きみの体力を削ることも容易だ。きみはよく考えて行動をする。だから人一倍消耗が激しいだろう。この答はわかるか?」


「……質問に答えないから」


「そのとおり。そしてきみは答えなければならない。きみが答えなければ私は時間稼ぎをやめない。つまりはきみが止めたがっている魔術が発動してしまう。それはきみにとって不都合なことだ。そう、きみからは焦りを感じる」


 ミゼットは気付いているのではないか、と月宮は思っていた。歪みを作り出した張本人だと知っていて、それでも最終確認のために月宮自身に答えさせようとしている。おそらく嘘は通じない。ミゼットの洞察力は、月宮の秘匿力を上回っていた。


 相手の言うことは正しい。しかし答えたからといって魔術を止められるとはかぎらない。月宮はまだ宝石魔術の突破口を見出せていないのだ。宝石魔術といってもただ貫通力を上げ直撃した物体を溶かすだけではないだろう。今はまだ手加減をされている状態、というわけだ。


 つまり月宮がすべきことは――。


 月宮はやはり答えず、直進した。しかしミゼットに向かってではない。その背後で圧倒的な存在感を放つ、姫ノ宮学園本部に向かってだ。


「建物内に隠れるというのか」


「んなわけあるか」


 予想どおりミゼットは目で月宮を追うだけだった。


 だからそのままナイフを――「破壊」の力が宿ったナイフを本部建物の壁に向かって振るった。石でできた壁と金属の刃のぶつかる音はなく、響いたのはナイフの切り裂いた傷から枝分かれしながら伸びていく亀裂の音だった。


「なにが起きている」


 ミゼットは亀裂の入っていく建物に目を向けていた。驚愕の表情が浮かび、理解が追いついていないようだった。


 月宮はその隙を狙っていた。不可解な行動に、不可解な現象。誰もが思考を停止してしまうのは不思議ではない。特に魔術師ならばなにが起きているのかを把握しようとするはずだった。


 そう。


 はずだった。


 ミゼットに向かう月宮は今にも崩れ始める建物から違和感を憶え、足を止めた。それだけでなく、違和感の正体を確認することもなく、逆にミゼットとの距離を戻した。近づいてはいけない。その危機を察知していた。


 激しい光と揺れを感じ、月宮はその光源に目を向けた。


 光の柱が建物内から伸び、姫ノ宮学園周辺を包む空間魔術を貫いていた。夜空の奥に青空が広がっている。


「なにが起きている」


 月宮はミゼットが口にした言葉を復唱してしまう。


「この不可解さが答だと、私は受け取った」


 ミゼットは月宮に視線を向けている。生気の削がれた瞳ではない。まるでおもちゃを買ってもらえた子供のような喜びに満ちた瞳だ。


「ありがとう。きみのおかげで私は進める」


 光の柱が四本になり、空間を強く照らすだけでなく、激しい震動が周囲に発生していた。月宮の能力で脆くなっていた本部は砂の城が崩れていくように消えていく。そしてついに耐えきれなくなった建物が弾け、その衝撃が月宮の身体を吹き飛ばした。


 十五メートルほど転がり、体勢を立て直した月宮は「それ」を見た。建物内から現れたそれは、まるで女神のようだった。


 白いドレスの上から金色に輝く鎧を纏い、その背には四つの機械のような大きな翼が広げられていた。背中から生えているようにも見えるが、それを束ねる輪があった。脚は見えず、腕と頭はない。腰回りには右と左に二本ずつ剣が宙に浮くかたちで存在した。


 月宮は気付いた。姫ノ宮学園の本部から感じた威圧感、存在感は建物から発せられたのではなく、すでに発動していた魔術によって出現した、ミゼットの背後にいるものが発していたのだと。


「私はきみを待っていた」


 ミゼットは言う。


「きみにこそ最初に見て欲しかった。体感して欲しかった。この美しさを、強さを。私がそうであったように、きみにも感動してもらいたい。なにせ、きみがいなければ、『これ』はこの世界に現れることがなかったのだから」


 ミゼットが「これ」と呼ぶ存在の四枚の翼が月宮に向けられる。光が収縮され、耳障りな高音が響き始める。


「知っているかな。これが“精霊”だ」

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