第15話 霞むは誰の視界

 姫ノ宮学園の内部はセンターストリートを行けば一般公開を目的として設置された商店街、そしてさらに奥へ進めば学園本部があり、左右どちらの道を選んだ場合でも同様に本部へと辿り着けるように道が作られている。道は円を描いていた。上空から見てもそれは確認できないのは、左側の道――琴音の進んだ道は学園の外のように広葉樹が生い茂り、巨大な森林群がそれを隠しているからだ。


 左側のエリアは自然エリアと呼ばれ、森もそうだが、川や滝まであるほど規模の大きな場所だ。充垣としてはそちらを選びたかったが、琴音の指示に逆らうわけにもいかない。彼女がそう指示したのは、なにかしらの意味があるかもしれないからだ。


 充垣の進む右サイドはいわゆる学び場の集合地だった。道の両端に校舎が並び、親切にもどこがどの学生が使う場所で何号舎であるかを記載した立札まである。左右で別々の校舎であるかのようだが、どうやら正門側から進んだ場合、中等部、初等部、高等部、と分けられているようだ。


 幾度と潜ってきた校舎を繋ぐ渡り廊下を通り過ぎ、ようやく初等部を抜けたころに充垣は出会った。


「なんだ、男かよ」


 女のように髪の長い男が、焼けた声で文句を垂れた。迷彩柄のジャケットをだらしなく着ており、見るからに動き辛そうな格好だった。長い腕が特徴的で、見えている範囲でも鍛えられていることがわかる。


「見てわかるのかよ。男みてえな女かもしれないだろ」


「今日まで何人の女を殺してきたと思ってる。お前みたいな面をした女ももちろん殺した。女という女を殺した。ああ、そうだなあ、殺せてないのは女王級とこの街にいるっていう《欠片持ち》くらいだ」


 その男は本当に残念そうな表情をした。しかしどこか嬉しそうな表情でもあった。矛盾した二つの感情が混じった顔に、充垣は不快感を覚えた。


「女はいい……。俺はあいつらの叫び声が大好きなんだ。あの金切り声を聞くと生きる気力が湧いてくる。また殺そうってな。男のクソみてえな声じゃ、全然ダメなんだ。男はどいつもこいつもゴミばかりだ」


「あそう」


 不愉快なのは表情だけじゃないようだ。薄々気付いていたが、この男の声も不愉快だった。思想も不愉快。自分語も不愉快。荒げる吐息も不愉快。ぎらつく眼球も不愉快。不愉快。不愉快。不愉快。


 不愉快じゃない点を探すのは不可能だ。


 この男はおそらく不愉快を体現化した存在だから。


 充垣はとにかく黙らせようとする。


「いやあ、しかしよかったわ」


「あ?」


「あんた、雇われだろ?」


「それがどうした」


「いやいや」


 充垣は笑う。相手に不快感を与えるように、馬鹿にした笑い方だった。


「もしあんたが雇い主の方だったらオレは手を出せないからな、無駄な手間が省けるってわけ。安心したわー……あ、いや、もしかしたら雇い主でもよかったのか?」


 自分への問い掛けの答は、そのとおりだった。


 たとえ目の前にいる不快な男が雇われた兵士だろうと雇い主だろうと充垣には関係ない。自分の仕事を、自分なりにこなすだけだ。


 しかし欲を言えば、雇い主である方が後々に面白いものが見られるのも事実だ。月宮の話は聞いている。この仕事に失敗すれば、最近手に入れた“大事なおもちゃ”を壊されてしまうらしい。自分を犠牲にしてまで手に入れたそれを壊される瞬間を見たくもあった。


 月宮はどんな表情をするのか。


 どうせならば月宮も壊れて欲しい充垣だが、それは叶わぬことだと知っている。なぜだかはわからないが、所長が目にかけているからだ。普段から月宮を始末しようと考えているけれども、それも達成されない。所長の横槍が入ることは嫌でもわかってしまう。


 そう、所長にとっての“大事なおもちゃ”は月宮だ。


 だからこそ。


 だからこそ、充垣は月宮を壊したかった。


「くっそぉ! ほんっと運ないな、オレ。まあいいわ。戻ってから気晴らしにあいつのことぶっとばそ」


「おいおい。おいおいおい!」


 男は声を張り上げた。


「うっせーな」


「気に入らねえ……。気に入らねえなあ! 俺を前にして帰られると思ってんのか? 寝言も大概にしろや!」


「そりゃあ、こっちのセリフだ」


 充垣は歯を見せて笑う。


「オレと仕事場で遭遇して生き残れると思うな、快楽殺人者が」


「安心しろ。男は嬲り殺さねえ趣味なんだ」


「安心しろ。嬲り殺してやるよ」



     ※



 その男はミゼット・サイガスタの研究に興味と、そして期待を抱いていた。今回の実験が上手くいけば、彼は「最高」の魔術師の一族を超える存在になれるだろう。それだけじゃない。後世にもその名前が語り継がれるはずだ。


 別にミゼットの研究を手伝い自分も名声のお零れを頂こうという、くだらない考えではない。ただ近くで、その場で、そのときを体感したいのだ。時代を変えるだけではない。世界の構造すら変える可能性もあるその魔術を、自分の目で見たかったのだ。


 生まれたその瞬間から魔術に触れ、その研究をしてきた。一日たりとも魔術について考えなかったことはない。魔術師の家系に生まれたからには、到達すべき世界が常に目標として存在していたからだ。


 いまだかつて誰も成し遂げていないその偉業のために、すべての魔術師があらゆる角度から研究を進めている。


 全知を手に入れる――そのために。


 男も自分の両親がそうであったように、命を落とすその瞬間まで研究を続けるつもりだった。しかしミゼットに出会ってしまったことにより、その理想は瓦解した。


 魔術師の合理的でないところは、自分の力だけでその偉業を成し遂げようとすることだ。誰の力も借りず、自分だけを信じ、ひたすら知識を深めていく。知識に呑まれていく。男はそれではいけないと思っていた。


 誰かが成し遂げられそうならば、それを全員で手助けすればいい。


 自身が魔術師であるプライドなど捨てるべきだ。


 必要なのは、魔術師という組織的な群集としてのプライド。


 全で一の存在にならなければ、全知は夢のまた夢だろう。


 そして、夢を成し遂げるためにはそれを阻む者を排除しなければならない。


 男は視力が高く、暗闇の中を歩いてくる女の姿が見えていた。年端のいかぬ少女にも見えるが、しかし油断はしていない。こんな場所に堂々と入り込んでいる以上、並大抵の相手ではないはずだ。


 コートの裏にある道具を確認する。いつでも迎撃の準備はできていた。


「こんなところにわざわざようこそ」


「そう思うならそっちから来て」


「それも……そうかもしれないな」


 敵に遭遇してもまったく動揺も緊張も見せない彼女を見て、まだまだ若いと男は思った。実に落ち着いているのは評価できる点でもある。


 強めの風が背後から吹き、男の背中を押した。どうやらミゼットの魔術も調整終盤まで到達しているようだ。嬉しい追い風だった。


 そのはずだった。


 その追い風は、目前の女のローブのフードを剥ぎ取り、美しい金色の髪を露わにさせた。そして前髪の間から覗く碧色の瞳を、男の目が捉えた。


 金色の髪、碧色の瞳、白色のローブ。


 男は走馬灯のように記憶を巡り、とある組織を思い出していた。


 だからこそ探した。


 ローブのどこかにある金色の刺繍を。


 ないことを願いながら。


 しかし酷なことに、それはあった。


「その刺繍は――」


 男は絶句した。


「これ、知っているの?」


 鼓動の速さが急速に変化していることがわかる。その音が身体全体を伝わって、鼓膜まで届けていた。さきほどまでの落ち着きはそこにはない。


「知っているもなにもな――」


 男は右手をコートの裏に入れ、魔術の道具を取り出した。


 違和感。


 イメージはできていたはずなのに、行動に移せていなかった。男は違和感のある右腕に目を向けると、そこにはあるはずの右腕が存在していなかった。


 それを認識すると、痛覚が正常に働き始める。


(なにが起きた……)


「私は知っているかどうかを訊いたの。それ以上は語らないで」


 女が動いた様子はなかった。理解も認識もできていないことに、男は恐怖を覚えた。そして確信した。真似事でもなく、彼女は本物なのだと。


 反撃をするために左袖に隠していた魔術道具を左手に持った。男はそれを確認した。今度はちゃんとできている。


 だが、さらなる問題が男を襲った。


 目の位置が低くなっていた。膝を折ったわけでもないのに、まるで跪いているかのように地面に近づいている。


 男は魔術での迎撃のことを忘れ、地面についた感覚のある足を確認した。そして認識したことで痛覚が働きだした。


 足が膝までしかなかった。地面に足ついているが、ついているのは断面で、その感覚が男に誤認識させていたのだ。断面からは恐ろしい速さで血が溢れ出ている。男の周囲は一分もしないうちに真っ赤に染まっていた。


「はは……」


 男の渇いた笑い声。


 もう笑うしかなかった。どうしようもない力の差を感じられる喜びかもしれない、と男は判断した。彼女の実力ならば、こんなまどろっこしいことをしなくてもいいのだから、認識できたことは光栄なことだ。


 わかっていることだが、男は左腕を確認した。当然なくなっていた。


 魔術の道具である宝石が、血の海に散らばっている。


 男は思った。


 自分に帰る場所がなくてよかった、と。


 守りたいものがなくてよかった、と。


 それらがあったら、どれだけ惨めで辛い思いをしていただろうか。たとえば家族がいれば、その家族を思って死んでいただろう。残された家族を思うと、不憫でしょうがなかった。


 男は両手両足を失った自分の身体を見ていた。


 今では背中しか見られない。


 頭部を失い、行く先を失った血液が吹き出し、その間からかろうじて彼女の姿を捉えることができた。


 欠伸をしていた。


 男は笑おうとして、そのまま絶命した。

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