第2話 日常の象徴
「相変わらず、なにもない部屋だね」
炬燵テーブルの前に座り、周りをきょろきょろと見渡しながら秋雨はそう言った。
制服に着替え終わった月宮は、秋雨を部屋に招き入れていた。秋雨がこの部屋に訪れることはよくあることだった。泊まりというのはさすがにないが、テスト勉強や今日みたいなときに秋雨はよく訪問していた。
月宮はアパートの一室で一人暮らしをしている。全六部屋ある二階建てアパートの203号室、それが月宮の住んでいる場所だ。面識があるのは隣の住人だけで、他の住人のことはなに一つ知らない。一年以上住んでいるが、一度も顔を合わせたことがないため、他の部屋は空き室であると勝手に決め付けている。
一人暮らしは月宮自身が望んだことではない。高校が決まった際に、母親に家から追い出されたのだ。高校生は大人だからという理由だった。
そこからいろいろあり、バイト先の所長に助けられ、今をこうして生きられていた。
「あるだろ、テレビとかレンジとか洗濯機とかその他いろいろ」
「そういう意味じゃないよ。なんていうかな……、個性がないって感じがする」
そう言われ、月宮も自分の部屋を見渡した。
先ほどまで寝ていたベッド、ここ最近点けた憶えのないテレビ、コーヒーの置かれた炬燵テーブル。キッチンのほうには冷蔵庫や電子レンジがあった。
個性がない、そう言われてしまえばそうかもしれない。
「まあ、趣味とかないからな」
月宮はベッドにもたれ込んだ。
「学校に行って、仕事……アルバイトで生活費稼いで、家に帰ってきて寝て、それの繰り返し……。ま、これはどちらかといえばいい日だな」
「アルバイト辛い?」
心配そうに秋雨は訊いた。
「辛くない、といえば嘘になるな。でも生きていくには辛くても仕方ないんだ。俺もそれをわかって所長に置いてもらってるんだから、文句は言えない」
月宮のアルバイト先はいわゆる『便利屋』である。依頼を受ければそれを遂行し、報酬をもらう。ただそれだけの仕事だ。もちろん、その中には危険を伴う仕事もある。
なんといっても、この街には《能力者》が住んでいる。
「月宮くんは、大人だね」
秋雨は感心したように言った。
「私にはまだそんな考え方はできないと思う」
「大人なんかなぁ? たまたまこうなっちゃっただけで、お前とかクラスの奴らとは変わらないと思ってたんだけどな」
「お母さんとは連絡取ってるの?」
秋雨はコーヒーを一口飲んだ。砂糖を小さじ三杯ほど入れたコーヒーなのだが、秋雨は苦そうに小さな舌を出した。
「取ってない。というか、こっちに来てからいろいろあり過ぎて連絡先忘れた。よく考えてみれば、自分の家がどんなだったのかも憶えてない」
「それは酷過ぎない?」
秋雨は微笑んだ。
「この部屋借りるときに書いたんじゃないの? あとは入学書類とか」
「いや……」
月宮は思い出しながら言う。
「たしかこのアパートは所長のだからそういうのはなくて」
「相変わらず仕事以外は適当なんだね、所長さん」
「学校のほうも、ほら、俺って高校入学前に所長に拾われてるから、なんか所長が保護者みたいになっててさ。そういうことになってるんだ」
学校に提出しなければならない書類を月宮の手から奪い去り、瞬く間に欄を埋め、「これで提出しろ」と無茶苦茶なことを言っていた所長のことを、月宮は思い出していた。
「それを聞くと重要書類ってなんだろうって思えるね」
「まあでも、中学のときに送った書類なら、学校に行けばありそうだけどな」
時刻は、まだ登校するのには早過ぎる時間だった。今ですらそうなのだから、秋雨が月宮を起こしに来たのはあまりにも早過ぎる。長期戦でも覚悟していたのだろうか、と月宮は思った。たしかに寝坊はよくすることだったが、起きるのに苦労をするというわけではない。どんなに疲れていようと起きるときは起きるし、月宮は二度寝をしない。仕事の日ならばなおさらだ。
今日は仕事がない上に、昨日までの仕事が辛かったせいか、注意を怠ってしまうほど熟睡をしていたため、秋雨が来なければ遅刻は確実だった。
月宮は登校するまでの時間をどう消費すべきか考えた。
秋雨と二人きり。
月宮の部屋。
その二つから考えられることは、テスト勉強だった。月宮の部屋にカレンダーはないが、時期的にもうすぐ期末テストであることは明らかだった。そして目の前にいる秋雨は、真面目なのだが、勉強が不得手である。授業を真剣に受けるも、テストでは散々な結果を残すという卓越した技を披露して月宮を驚かせたことがあった。どうしてそうなったのかと問い質してみると、
「授業だけを聞いて、テスト勉強をしないからじゃないかな。でも授業を聞いてるのに、テストができないなんて、これはもう、先生が悪いとしか言えないよね」
と、真剣に言ったのだった。秋雨は真面目であるが、どこか抜けている性格をしているのだ。授業を受けていれば勉強ができるようになると、教師に絶対的な信頼を寄せている証拠なのだが、教師たちにしてみればいい迷惑だろう。それだけで勉強ができるようになるのなら、誰も困ったりはしない。
そんなことがあって、月宮はテスト前になると秋雨のテスト勉強を手伝っている。いや、手伝っているというよりは強制していた。この点については秋雨を責められないが、それは担任の愛栖からの頼みでもあった。月宮から言わせてもらえば、あの愛栖が頭を下げなければならないという事実に承諾をする以外に選択肢はなかったのだ。
ここ最近のテストの結果は決していいとは言えないまでも、悪くないところまでになった。それには愛栖からも感謝されていた。
一方の月宮の成績は特待クラスだった。学費を免除されているといえば、誰もが息巻くだろう。月宮たちの高校はこの街でも有名な進学校である。その中で、学年の上位五名に入っているのだから、本来なら尊敬の眼差しを受けてもいいくらいである。
しかし月宮の学費免除を知っている者は少ない。その手の話は公言することがないのだから当然であるが、月宮の場合、そういう風であると臆面にも出さないのだ。
もちろん月宮も好きで学費免除を受けているのではない。そうならなければ高校へは行けないし、生活もできないからだ。月宮は否定したが、残念ながら彼の母親は、高校生は大人として考えている。つまり自立しろと言われたのだった。普通ならばどこかに訴えかけるなどをするが、月宮はそれが当たり前なのかと思い込んでいたため、流されるままに流されて、結局、学費も自分持ちになった。
高校を辞めるという選択肢はなかった。高校を辞めたところで家には帰れないだろうし、それが普通ではないと知った今では、あの母親には会いたくなかった。
それに月宮は今の生活が嫌いではない。
手放したくないと思っている。
「月宮くん、また考えごと?」
ふいに秋雨に訊かれ、自分がまた考えごとをしていたことに、月宮は気付かされた。
たまにこういうことがよくあった。誰かと話している途中なのに、他のことを考えてしまう。そして、それは総じてあまり芳しくない状況に近づいているときだった。それがたまたまであることはわかっているが、それが数回も続くと嫌でも気になってしまう。
とはいえ、月宮にとって芳しくない出来事など、九割方、仕事のことなので深く考えたことはない。
月宮は誤魔化そうとしたが、言葉が出てこなかった。それは誤魔化す意味がないからだった。とりあえず、秋雨の言葉を肯定するように返事をした。
「あ!」と秋雨がなにかを思い出したのか、声を上げた。それは月宮がテスト勉強について話そうとした直前のことだった。
「どうしたんだ?」
「忘れてたよ。忘れちゃいけないのに……」
秋雨に慌てふためいていた。
「なにを? まだなにか頼まれてるのか? 大変だな」
「違うよ、全然違う」
秋雨は自分自身を落ち着かせるためにコーヒーを飲んだ。冷静な判断だ、と月宮は思った。
「あのね、月宮くん」
「うん?」
秋雨は深呼吸を何度かした。どんなことを言い出してくるのか気になってしまい、月宮も少し緊張した。
「月宮くん」
「どうした」
「月宮くんの部屋の前に女の子が倒れてたよ」
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