大いなる罪

黒桃太郎

1


「残念ですが、御母堂はもう目を覚ますことはありません」

 司祭の言葉の中で、その部分だけがはっきりと聞き取れた。


 収穫祭も終わり、季節は冬に移ろうとしていた。農民達は収穫の終わった田畑を休ませ、あるいは、休ませ終えた田畑の手入れをし、街には動物の毛皮を使った加工品が多く流通するようになった。牧場を営むものはそのために毛皮を多く出荷し、狩人もその狩りの主目的を肉から移していった。市場の開催時間は遅くなり、また秋ほどの活気はなくなっていった。街全体が休息の雰囲気になっていったのである。

 しかし、僕たち聖騎士団の仕事に変わりはなかった。僕たちが魔獣、あるいは穢れたものと呼ぶ存在は、冬でも変わらずに活動を続け、あるものは山中で旅人を襲い、あるものは人里に現れ、人々の命を脅かす。僕たちの仕事は魔獣を討伐し人々の命を守ることだった。

 聖騎士団は聖王陛下直属の部隊だった。このシルバードで最も誇り高く、最も強い部隊。女神シルヴィア様の洗礼を受け、清められた銀の聖剣と、この大陸でも最も発達した精錬技術で鍛えられた鋼の剣と、魔法を用いて、幾度となく国の危機を救ってきた。大魔法マスデストラクションの使用も許されている。僕は自分が誇らしかった。僕たちは最も敬虔な信徒であり、シルヴィア様から最も大きな寵愛を受けていた。そのはずだった。

 僕たちは死を知らない存在だった。たとえ肉体が切り裂かれ、意識を失おうとも、魂は”奇跡”によって再び肉体へと舞い戻る。”奇跡”を使うことができるのは、名のある神官や魔法使いのみであったが、僕らはもはや、疫病や戦死におびえる必要はなく、それこそがシルヴィア様にすべての国民が愛されている証拠であった。

 だから僕は、司祭の言う言葉を理解することができなかった。

 「目を覚まさない。どうして。どういう意味ですか」

 父はいなかった。僕が物心ついた頃にはすでに家を出て、どこかへ行ってしまっていた。だから僕はずっと母と2人で暮らしてきた。

 「これは呪いと言われるものです。私も目にするのは初めてですが」

 母は僕の目の前、”奇跡”による治療を行うためのベッドに横たわっている。その顔は穏やかに眠っているようで、とても病気をしているようには見えない。ベッドをはさんで向こうにはこの教会の司祭がいて、彼はこの国では最も熟練の”奇跡使い”だ。僕が魔獣に切り裂かれたり、かみ砕かれたりしたときも、この人が僕の肉体を復元し、魂を舞い戻らせた。

 「今から数百年前、まだ女神シルヴィア様が人間であらせられた時代。シルヴィア様を含む英雄たちが魔王と呼ばれる存在を討伐した話は知っているでしょう。そしてその魔王が討伐されたときにこの世に残した悔恨と怨嗟が、魔獣あるいは穢れたものと呼ばれる存在。そして、呪いと呼ばれるものなのです」

 意味が分からない。その話は僕だって知ってるし、このシルバードの国民ならみんな知っている話だ。それと、僕の母親が目を覚まさない話と何の関係があるんだ。

 「呪いは疫病のようなものです。非常にまれであるが、発現してしまうと治す手立てはない。呪いは肉体を腐らせます。いくら復元してもすぐに崩れていってしまう。しかし、問題はこれでは無いのです。呪いにかかった肉体は魂を拒絶するようになってしまう。二度と魂が肉体に戻ることがなくなってしまうのです。ご母堂はそれにかかってしまわれた。呪われてしまわれたのです」

 呪い。呪われてしまった。僕は聖騎士団だ。シルバードの民は皆シルヴィア様に愛されて守られている。

 「母は腐っていないように見えます。それに、どうして母が呪いなんか。母は何も…。普通の人だ。家畜を飼って、乳を売って…暮らしていただけだ」

 「肉体が健在なのは、私がそうしているからです。”奇跡”を使って。なぜ、呪いにかかったかというのは…正直なところ分かりません。呪いに関してはほとんど解明されていないのです」

「母は、運が悪かっただけだと」

「…残念ですが」


 雪が降る前で良かったと思った。でなければ捜索にはもっと時間がかかったはずだったろうから。

 白銀山は僕らの生活になくてはならない水を供給している。深い渓谷で磨かれた水は、山頂から、ふもとの湖や川へとつながっていき、最終的に僕ら人間の飲用水や生活用水だけでなく、家畜や田畑のためにも使用されている。

 一方で山は人間だけのものでなく、多種多様な生物、そして魔獣の住処になっており、それらは人間に牙をむくこともあった。そして、深く急峻な山地は、隠れ、逃げるのに最適な土地でもあった。

 魔獣とはまさしく、魔の獣と言うべき見た目をしている。その体躯は、大きな個体では成人男性5人分にも匹敵し、大きな牙と爪を持った四足歩行の獣だ。たまに二足歩行の個体もいる。全ての魔獣に共通していることは、人間に対して強い憎しみを持っているということだ。奴らは時折、人里に降り、人間を殺し、人間の作った建造物や田畑を破壊する。そのことを生きる使命としている。

 僕らが追っている者。かつては人間であったもの。あるいは、今も人間であると主張する人もいるかもしれない。それは、穢れたものと呼ばれる存在だった。魔に魅入られ、憑りつかれ、魔獣達を従え、その他の人間を襲うようになってしまった者達だった。それらが発生する理由もまた分かっていなかった。この世界には、かつていた存在の憎しみが所々にあり、たまたまそれを見た人間が、その憎しみにとらわれ、闇に落ちてしまい、穢れたものへと変容するようだった。

 「穢れたものになると、山に詳しくなるのか。こんな辺鄙なところまで逃げ込みやがって」

 カーシェス・クレセンド。僕の幼馴染で、僕と同じ聖騎士団の騎士。彼の父親は狩人で、彼自身も父に連れられて幼いころからこの山に狩りに来ていた。なので、彼は地理に詳しく、隊の先頭を切って僕らを目標まで導いてくれた。

 この山で穢れたものを捜索し始めて、今日で七日目だった。”彼”はもともと農夫で、真面目でよく働く男だが、真面目すぎるきらいがあり、そのことで揉めた息子は、家を継がずに出ていったらしい。すべて”彼”の奥さんから聞いた話だ。僕らは奥さんのためにも任務を遂行しなければならない。

 穢れたものは、魔獣たちを操り、人間を襲うようになる。まるでそれが生きる上での使命かのように。僕ら聖騎士団の任務は、その穢れたものを解放すること。解放とは、魂の解放であり、すなわち殺すことだ。その魂を再び肉体に戻すことで、もとの人間に戻ることができる。

 「穢れたものになるということは、いわば肉体を乗っ取られるようなものだ。もともと知らない知識を獲得するのも納得できる話だろう。魔に魅入られることで、魔獣と何かしらの方法で意思の疎通ができるようになるともいわれているしな」

 メイエフ・オルセンは、僕ら聖騎士団の中でもさらに一握りの優秀な男で、その指揮能力を団長たちにも高く買われているから、僕ら4人の小隊長に選ばれたのだと思う。彼はカーシェスの疑問に答えながら、最後尾で、慣れない雪中行軍でへばっている、もう一人の新人隊員、クロウの尻を叩いている。

 高潔さというのが何をもって保証されるものなのか、その時の僕は分からなかったし、今でもよくわからない。けれど、メイエフの立ち振る舞いは高潔と呼ぶのにふさわしかったと思う。新人の尻を叩きもするけど。彼の行動は自信に満ち溢れていて、迷いがないように見えて、そしてそんなありきたりな言葉たちでは言い表せないような雰囲気を漂わせていた。

 行動に自信があふれているという点では、カーシェスも同じだった。彼は迷いなく山を歩き、僕らを導いている。聖騎士団の任務に疑問を抱くこともなく、冷静に遂行していった。その実直さは肉体の剛健さにも表れ、それは彼の腕っぷしの強さを物語っていた。そしてこれらのことは、聖騎士団のすべての団員にある程度は言えることだった。

 「おっと…いたぞ。目的の元農夫だ」

 カーシェスが目標を見つけた。下りになっている斜面、林立する木々の合間に目標の姿を認めた。メイエフの合図で、僕らは目標を囲うように散開した。熟練した動き、聖騎士団の厳しい訓練と、実戦への慣れの賜物で、僕らは気づかれることなく、包囲を完了させる。

 メイエフが執行の合図を出した。まずクロウが魔法を放った。遠方に衝撃を伝える魔法。それを目標の右斜め前方にある木に放つ。それと同時に威力を高めた同じ魔法を、カーシェスが目標の足に向けて撃った。大きな音が鳴った木に気を取られた目標は、魔法を足に受け、出血しながら、体制を崩す。倒れると同時に僕とメイエフが飛び出す。メイエフが目標の腹に剣を突き刺し、目標が苦痛の叫びをあげるかという瞬間に、僕がメイエフとは反対の方向から、目標の首を切り落とした。

 任務完了だ。クロウが、それを意味する色の光を出す魔法を空に向けて撃った。メイエフとカーシェスは手分けして、死体を麻袋に詰めている。僕は剣についた血をぬぐった。

 「さすがの腕前だな。これで累計何人目だ」

 メイエフが死体の止血処理をしながら僕に尋ねてきた。10人から先は数えていない。僕はそう答えた。

 「うらやましいねえ。報奨は思いのままか」

 カーシェスは軽口を叩く。手柄は僕ら皆のものだ。そう答えた。

 準備が完了したので、下山を始めた。まずは待っている奥さんのもとに報告に向かって、それから大聖堂に行き、司祭に頼んで魂を戻らせてもらう。そういう算段だった。

 

 主人を元に戻してくださってありがとうございます。

 あの奥さんには確かそう言われた気がする。元穢れたものだった農夫は、今では元気に仕事をしている。並べて世は事も無し。すべては元通りに戻った。


 「とても残酷なことですが、あなたに一つ聞かなければなりません。ご母堂の、死体をどういたしましょう」

 頭の奥から舌先に掛けて、何かびりびりと痺れるような感覚がいつまでも離れなかった。司祭の言葉を聞けているようで聞けていないような、自分でも何もわからなかった。

 「どう…って」

 「ご母堂が目を覚ます事は、もうありません。ですが、死体をどうするかの選択権はあなたにあります。このまま保管することもできますが、当然費用は掛かります。それかその…燃やしてしまうか、です。もしかしたら、”奇跡”や魔法の発展。あるいは、魔に対する研究の進歩が、呪いの治療法をもたらすかもしれません。けれど、何十年、何百年とかかるかもしれません…」

 「それを、僕が決める必要があるんですか 」


 呪いは、人間に死を繰り返しもたらす。それが正しく実行されるまで、脳が肉体に死の命令を繰り返し出し続ける。まるでかつての正しい死を人間に無理やり思い出させるように。


 3日ほど考えて、僕は結局、母を燃やすことに決めた。この先ずっと母だったものを保管し続けるのは現実的ではないと思ったからだ。燃やすには色々と手続きが必要だった。シルヴィア様に宣誓と祈りもささげた。だが、それは少し遅いようにも思えた。

 母は棺桶に入れられ、燃やされた。大聖堂の地下で、僕と司祭以外には誰にも知らされずに。僕は燃える母を見ていた。赤く燃え盛る炎は、母の肉を焼き、骨を塵に変えていった。あたりに香ばしい臭いが充満した。食用の肉を焼く時と同じ匂い。炎はだんだんと黒ずみ、消沈していき、最後には灰だけが残った。

 司祭が僕に母の灰をくれた。後の始末は大聖堂がやってくれるようだった。僕はその灰を大切に仕舞い、市場で家畜の肉を買って、家に帰ってそれを焼いて食べた。そして、次の日の仕事に備えて早めに床に就いた。

 こうして僕は母親を殺した。




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