To“night”はトナカイがい“ないと”!

七戸寧子 / 栗饅頭

本編

「菜々、サンタって本当に来るの?」


「キタキツネがちゃんといい子にしてたらね?」


「つまりクリスマスの朝、私は肉まんに埋もれて目覚めることができるわけね」


「う、うーん……?」


「なによ」


「いや、うん、いいんじゃない? それより、プレゼントは肉まんにするの?」


「ええ。持ってこれるだけ持ってきてもらうわ」


「キタキツネにしては良心的だね」


「うるさいわね。私だっていい子なんだから」


「えーと、そうだね。さ、お手紙書いたならポストに出しに行くよ」


「めんどくさいわね……」



 ◇◇◇



 雪を踏みしめる感覚が好きだ。深く積もった雪を押しつぶし、キュッという小気味よい音と共に自分の足跡が世界に残るのはどこか楽しい気分になる。


 そんなわけがない。


 雪が積もってると歩きにくいし、触ったら冷たいし、雪かきはしないといけない。それが非日常なら楽しめるのかもしれないが、年中雪が積もる山に暮らしているとなにも楽しくない。ただの面倒である。

 兄は「毎日こうなんだから、面倒でもなくない?」と言うが、インドア派の私にはただでさえ憂鬱な屋外をさらに憂鬱にさせる要素としては十分なのだ。


 それでも、外に出なくてはいけないことくらいある。年の暮れが近づいてきたこの時期は特にだ。だから、歩行にも楽しさを見出すくらいじゃないと私は生きていけない。


 暖かな家と寒々しい外界を隔てるドアを開いて、一歩踏み出す。もう一歩。もう一歩。

 三歩という長い旅路を経て、たどり着いたのは我が家の郵便受け。

 ため息を漏らしながらも、ビニール袋を広げる。二、三回バサバサと降って口を大きくしてから、郵便受けの蓋の下に口をセットする。


 そして、蓋を開く。

 それと同時に、ビニール袋に大量の手紙が流れ込む。それはもう、ザラザラと。


 普段は二ヶ月に一回手紙が届くか届かないか位の郵便受けに、今朝ははち切れんばかりに手紙が入っていた。今朝だけじゃない。昨日も、一昨日も、その前も……一週間前はまだこの郵便受けも暇そうにしていたというのに。

 年中退屈している私や郵便受けはこの時期だけ忙しい。年中楽観的に寒いギャグを放つ兄もこの時期だけはギャグが減る。


 答えはこの手紙たちだ。宛名の欄は全部同じ。私の名前でも兄の名前でもない文字列。


「……はぁ、『サンタさんへ』ね」



 ◇◇◇



 キュッ、キュッ、キュッ。

 帰り道も三歩。天竺を目指しているのかと錯覚するくらいの長すぎる旅路にへとへとになりながらも、私は無事に我が家へとたどり着いた。


「どう? 今朝もたくさん入ってた?」


 ビニール袋を抱える私を見て、一人のフレンズがしっぽを振る。赤と緑のオッドアイをキラキラさせながら、私に眩しい笑顔を向ける。


「うん。今年も大忙しだよ、お兄」


「あはは、妹“と仲い”い“トナカイ”の兄ちゃん、今年も頑張るぞ!」


「はいはい、全然上手くないからね」


 ドヤ顔ガッツポーズの兄をいつも通り適当にあしらった。


「あはは、妹が冷たい!COLD!凍るど!」


「……流石にそのオリジナリティの無さは引くよ」


 私の兄、トナカイはいつもこうだ。私みたいなフレンズよりはこういう明るい方がマシなのかもしれないが、これはこれでいかがなものかと思う。私と二人でいるとちょうどいい塩梅で、そういう意味ではいい兄妹かもしれない。


 世の中には、血が繋がってなくてもフレンズ同士で姉妹という関係を築くことがある。聞いた話だと、ジャガーとブラックジャガー、ダチョウとアメリカレアなんかはそういった関係で、お互いを姉とか妹と呼んでいるらしい。血族どころか種の垣根すら越えて姉妹になるのは、同じ種類のフレンズが生まれるのは大変なレアケースらしいという背景もあるのだろう。そんなことを本で読んだ。


 だが、私達はそれとも少し違う。

 兄も私もトナカイのフレンズだ。同じ種類の動物が同じ世代でフレンズ化した、イレギュラーなのだ。時々、そういった関係でパークの研究に協力したりもする。もちろん、研究対象という意味で。


 ただ、私と兄は全く同じトナカイのフレンズという訳ではない。姿かたちはとても似ているが、明確に違う点が一つだけある。


 角だ。トナカイの角。


 私には生えていて、兄は角がない。だがそれは今の季節の話だ。

 トナカイという動物は、季節によって角が生えたり抜けたりする。春に角が生えて、秋から冬にかけて抜け落ちるのがオス。冬に生えて、春から夏にかけて抜け落ちるのがメス。

 フレンズはみんな女の子なのに私が兄を「兄」と呼ぶ理由はそこだ。


 そう、サンタさんに手紙が届く時期に角が生えている私は雌トナカイのフレンズなのだ。それに対して、角が生えていない兄は雄トナカイのフレンズ。雄トナカイのフレンズとは言うが、もちろん身体も心も女だ。私達は女同士の兄妹なのだ。


 昔フレンズ化したばかりで、東や西を知っていても右や左を知らない私が雪山をさまよっている所を保護してくれたのが兄だ。同種フレンズということもあり、とても驚かれたのを覚えている。


「なにボーッとしてるの?」


「へ? いや、なんでもないよ」


 時々考え事してしまうのは私の悪い癖だ。何も考えてなさそうな兄とは真逆。いや、兄だってダジャレがぽんぽん出てくるから頭はいいのだが。あくまで、考えてってだけの話だ。

 またしても、そんなどうでもいいことを考えながら兄にビニール袋を手渡す。そのずっしりとした感触に兄はニッと笑ってから、私の目を見て楽しそうに口を開く。


「じゃ、私はお手紙の整理してるね。雪下ろしお願い!」


「はぁーい……」


 とっても面倒だ。性格からいえば私も兄も逆の方が得意なのに。


 私がお兄で、お兄がだったらよかったのに。


 屋根に登りながら、そんなことを考えた。



 ◇◇◇



 真っ白になっている屋根を見ると、余計にため息が出る。辺りが白すぎて、私の息が白いのが背景に溶けてわからないくらいだ。


 私が屋根の雪下ろしの仕事をやるのには理由がある。

 私がメスだからだ。正確には、この時期なら念じた時に、トナカイ角型の槍が出てきてくれるから。


「さて、“やり”ますか……」


 この角が非常に便利なのだ。メスのトナカイは餌を得るために角で雪を掘る。私にとってこんなに手に馴染むシャベルは他にない。

 だから、毎年この時期は私が雪下ろし当番。私の角がない時期は兄が当番だ。この山は夏でも吹雪が吹くこともある。雪下ろしは冬の風物詩などではなく、年中やらねばいけない仕事なのだ。もちろん冬の方がくたびれるが。



 ◇◇◇



 雪下ろしを終えて、キッチンで湯を沸かす。ティーカップを二つ用意して、ティーバッグも二つ……としたかったが、ティーバッグがもう片手で数えられるほどしか残ってないのを見て、箱から取り出すのはひとつにした。山を登って降りるのは一苦労なので、買い物はたまにしか行かないのだ。

 代わりにティーポットを出して、そこにお湯とティーバッグを投入する。ポッドと蓋がぶつかってカランと音を鳴らしたところで、砂時計をひっくり返す。


 ふぅ、と一息つく。外でなにやらするのは苦手だが、家の中でこうしてパタパタと働くのは好きだ。紅茶を蒸らしている間に、私は自室から本を取ってきた。

 本を読むのが好きで、山から降りる度に何かしら本を買い込んでくる。小説も読むし、化学や歴史に関する本も好きだ。最近読んでいるのはアニマルガールに関する本。けものプラズムがどうだとか、そういう本。


 本を取ってキッチンに戻ってくると、砂時計が丁度落ちきったところだった。ティーバッグを出して、中の綺麗に紅くなった透明の液体をカップに注ぐ。


 ……いい香り。


 トレイを用意して、そこにティーカップと紙に包まれたチョコレートを数粒のせる。ふと思い出して、カップのガムシロップとミルクも少し乱暴に置く。


 慌ただしく作り上げたティーブレイクセットを胸の前で静かに持ち上げ、紅茶をこぼさないように廊下を進む。兄の部屋のドアをノックして、返事も聞かずにドアノブを捻った。


「お兄、紅茶淹れたよ」


 兄は机にかじりついていた顔をあげて、パッと笑った。


休憩きゅうけいもしないとダメだよー」


「してるしてる。時々コタツで球形きゅうけいになってるにゃん」


「お兄は猫じゃないしウチにコタツないからね」


「妹がFREDDOで震えっど! あははははははは」


「イタリア語にしてもCOLD凍るどは寒いよ、お兄……」


 あははははは、と笑う兄を見ているとこっちも楽しい気分になってくる。ダジャレは寒いが。

 一通り笑ったあと、兄はティーカップに唇をつけた。少し角度をつけて、「あちっ」と目をつぶった。

 兄は舌をべっと出しながら、涙が浮かんでいる目でカップがひとつだけのトレイを不思議そうに眺めた。


「あれ? 私の分だけ?」


「あ、私の分もあるよ。気にしないで」


「キッチン?」


「え、うん」


 軽いやり取りの後に、兄は紅茶を一口すすった。また「あちち」なんていいながら、カップをトレイに置いて部屋を飛び出していく。紅茶だけじゃなく、私も置いて。


 はぁ、ウザい。


 なんて口を動かしてみるが、声には出さない。勝手に口角が上がる私はお兄ちゃんっ子だなと思う。


 開け放された扉の影から、ひょっこり兄が顔を出す。もうひとつのカップと、ティーポッドを両手で持ちながら。


「もう、お兄は一人じゃ茶もすすれないの?」


「あははははは、可愛い妹と一緒の方が美味しいからね。“紅茶”を飲むなら“こうじゃ”なくちゃ!」


「うーん、微妙」


「あははははは」



 ◇◇◇



「最近はねー、フレンズに関する本を読んでるよ」


 部屋に椅子は机の前にひとつしかないので、私は兄のベッドに座りながら。


「へええ、相変わらず難しそうなの好きだね」


 兄は、机に備え付けの安そうな椅子に腰掛けながら。


「多分お兄も読めばハマるよ。お兄、頭いいし」


 もう丁度いい温度になった紅茶を口に含んで、喉を潤す。


「私は自分で読むより、話を聞く方が好きだな〜」


 兄はチョコレートの包みをとって、口に放り込む。

 妹として、兄のことくらい少なからず理解している。兄が「本の話を聞く方が好き」と言うのは、「本の話をしてほしい」と言っているのと一緒だ。素直じゃない。


「やれやれ……」


 お話を聞きたがる兄と、小っ恥ずかしい自分にそう漏らしながら、私は紅茶を飲み干す。キッチリと座りなおしてから、今日は兄に何の話をしてやろうかな、と。


「じゃあ、お兄はUMAのフレンズって知ってる?」


「うん。お手紙に時々UMAの子の名前も混じってる」


「でもフレンズって、動物にサンドスターが反応して生まれるものでしょ? UMAのフレンズって不思議だと思わない?」


 うんうん、と兄が首を縦に振る。

 UMAのフレンズは確認されているが、UMAそのものはまだ確認された例がない。もっとも、それ故の未確認生物U M Aなのだが。

 動物がフレンズ化するのに、UMAのフレンズがいてUMAが確認されないのはおかしいだろう。


「でもね、UMAの子は普通のフレンズと生まれ方が違うんだって」


「……と、いうと?」


「私たちフレンズは、ヒトの認識とかが特徴に反映される部分もあるでしょ? 私とお兄がクリスマスカラーのスカートなのもその影響みたいだし」


 兄は立ち上がって、くるりと回ってみせる。赤と緑のグラデーションがかかったスカートが、ふわっと浮いた。


「UMAの子は、元の動物はいなくて、ヒトの思い描くフワフワした概念がフレンズ化したものなんだって。諸説あり、だけど」


 それを聞いて、兄はへぇーと珍しく真面目そうな表情を見せる。兄は意外とFunだけではなくてinterestingの感情も生み出せるらしい。流石にそこまで馬鹿にしてるわけじゃないが、普段の様子からは少し想像し難い。


「だから、UMAの子はヒトが想像した能力とか使えるらしいよ! スカイフィッシュの子は肉眼で見えない位の高速移動ができるとか!」


「私も去年マーゲイに教えてもらったな。ツチノコはビームが出せるんだって」


「へぇーツチノコの子もいるんだ……あ、もしかしたら本当にUMAにサンドスターがぶつかったUMAのフレンズもいるのかもしれないけどね?」


 私がそう言ったところで、兄はティーカップを空にした。そして、あはははははと笑う。


「面白い話聞けた、いつもありがと」


 そう言ってから、兄はぐぐーっと背を伸ばす。首をコキコキ鳴らしてから、椅子を回して胴を机に向けた。


「私はワクワクなマイワークに戻るかな〜……よしっ!」


「お兄、私が手伝えそうな時は呼んでね」


「気にしないで。むしろ、お兄ちゃんはこれしか手伝ってやれることがないんだから」


「そっか……ま、困ったらいつでも呼んでよ」


 それだけ言い残して、ティーセットともに部屋を出る。

 キンッと冷たい廊下の空気と、「気にしないで」と放つ兄が眉をひそめていたのが、どうも私の心を冷やした。


「さて、インドア派らしくお部屋で読書でも」


 一人で呟いて、リビングに放ってきた本を取りに歩き出した。



 ◇◇◇



 その後は、読書をしたり、ご飯を作ったりしていつも通りに一日を過ごした。もっとも、手紙の回収も雪下ろしも紅茶を淹れるのもいつも通りだが。


 晩御飯を済ませて洗い物等をしてから、兄におやすみを言い、真っ暗でひえひえの部屋に帰ってきた。

 天井の明かりは付けずに、枕元のスタンドライトのスイッチをパチンと押し込む。ついでにファンヒーターも付ける。寒いのは苦手じゃないが、嫌いだ。


 スタンドライトの明かりのみが部屋を照らす中、大きな本棚から一冊の本を抜き出す。それを胸の前に抱えたまま、もそもそとベッドに入ってうつ伏せになる。


 今夜のお供はサンタクロースとトナカイのお話。


 小さなヒトの子が読むような絵本。絵本の中のサンタさんはとっても優しそうな顔をしている。そのソリを引くトナカイ達も楽しそうだ。


 布団から抜け出して、閉めてあるカーテンを引っ張る。窓の外は真っ暗で、しんしんと雪が降っている以外には何も見えない。外が見えない代わりに、内側に立つ私の顔が映る。兄と全く同じ顔。でも。


 疲れた表情。不安そうな表情。

 気力なんか感じられない。


 兄と私は違う。きっと兄は自信たっぷりに元気そうな笑顔を夜の窓に見るのだろう。


 自分の顔を見ていても何も楽しくないことに気づいたので、布団に戻ってまた絵本を開く。



 ◇◇◇



──サンタさんは トナカイたちに いいました


「みんな、しごとの じかんだよ」


トナカイたちは ソリをひく じゅんびをしました


サンタさんは ソリに たくさんのプレゼントを のせました


「さあ、いこうか」


サンタさんが そういいました

そのとき、12かねが なりました


ふだんのかねは ボーン ボーン となります


でも このは ちがいます


ボーーーーー……


かねは いつもより ながく ながーく なります


しばらくまっても おとは とまりません


「ほっほっほ」


サンタさんは わらいます


トナカイが ソリをひくと ソリはそらにとびたちました


クリスマス・イブから クリスマスになるかねは 

サンタさんには ゆっくり ゆっくりと きこえます


でも みんなには いつもどおりに きこえます


だから サンタさんは ひとばんで プレゼントをくばれるのです


いいが いつもどおり ねているなか

サンタさんは いつもより ゆっくりなじかんのなかで プレゼントをくばるのです


トナカイが わらいます


「サンタさんは がんばりやさん だね」


サンタさんも わらいます


「きみたちの おかげだよ」



 ◇◇◇



 私はこのお話が大好きだ。鐘の話は妙に納得がいくし、サンタさんが労いの言葉をかけられてるのもいい。


 こんなトナカイになりたい。


 ふと顔を上げると、壁掛けのカレンダーが目に入った。もう十二月も半ば。あとクリスマスまで一週間と少し。


 私の年に一度の大仕事まであと一週間と少し。


 私と兄には、大切な大切な仕事がある。


 この時期には、サンタクロースの住所として公開しているこの家に毎朝たくさんの手紙が届く。全てに「サンタさんへ」と文字が綴られている。綺麗に整った文字も、左手で書いたような字も、子供っぽい字も、大人っぽい字も、みんな「サンタさんへ」。


 そして、クリスマスまで残り一週間となる数日後には、それらは届かなくなる──ちょっぴり、届くのが遅くなった手紙はやってくるが。代わりに、今度は大量の段ボールが届く。中身は、華やかなラッピングでおめかしをしたプレゼント達。それと、プレゼントごとに添えられたそれらの宛先のメモ。


 これらは、馴鹿じゅんろく飛脚という運送会社として公開している住所でここに届く。差出人は大体パークの飼育員。寮に住む人が多い。


 私たちのお仕事は、サンタクロース代行。


 サンタさん宛として、みんながクリスマスに何をお願いするのかの手紙が届く。

 運送会社宛として、その手紙の中身を知る飼育員──フレンズから見れば、親のようなヒトから、フレンズに届ける用のプレゼントが届く。

 それらを私達で聖夜に玄関の宅配ボックスまでお届けする。


 なんとも夢がないサンタクロースだ。申し訳ないが、送料は私と兄が美味しいものを食べられるくらいには頂いている。私が面倒くさがってもいられない仕事だ。


 お兄は、


「私達はかの“有名ゆーめー”なサンタクロース、ゆめをお届けするお仕事をしてるんだよ!」


 などと笑っているが、私はいつもそれが疑問である。

 事実、この時期に山を降りれば私達サンタさんの噂をよく聞く。フレンズの口から漏れる噂は「サンタさんって本当にいるんだよ!」で、飼育員たちの口から零れる噂は「みんな夢を持てるし、いい子にしてくれて助かる」など。


 悪い気はしない。


 と、カッコつけてみるが本音を言えばとても嬉しい。


 この仕事があることで嬉しい思いや楽しい思いをする人も多いと思う。もちろん、夢を持つ人も。


 それはそれとして、このサンタ稼業はなかなかなハードワークだ。夢を届けるということはそれだけ大変ということだろうか。私には、兄が身を削って働いて作られる「夢」は、夢などというふわふわしたメルヘンな言葉で形容すべきではない、汗と血と涙の結晶に見える。


 サンタに感謝してくれる人はたくさんいる。プレゼントをくれてありがとう。私をいい子と認めてくれてありがとう。

 それに対して、サンタに「お疲れ様」を言ってくれる人は何割くらいだろうか。


 いないことはない。

 だが、きっと「お疲れ様」と労ってくれる人は、サンタの苦労を──少なくとも、苦労していることを知っている人だろう。サンタが配る夢が苦労の上に成り立っていることを知ってしまった、夢から覚めた人なんだろう。


 私としては、夢から覚めた人──サンタを労う人が多くなってくれることこそが「夢」のようだ……と、思う。ちょっと矛盾してるけど。


 そこまで考えたところで、ぶるっと身震いがした。部屋は暖かくしてあるし、布団も被って私はぬくぬくなはずだ。


「……なんか、嫌な予感」


 ひとりで呟いて、再び布団から抜け出す。デジタルの時計は今が夜の12時手前だということを教えてくれた。スタンドライトに照らされる薄暗い部屋を背に、真っ暗な廊下へと一歩踏み出す。


 真っ暗でも家の廊下くらいは歩ける。それに、真っ暗な中でも目的地に目印はあった。


 私の部屋から少し離れた所の、兄の部屋。その扉とドア枠の隙間から、糸のように伸びる細い光。


 ……あれほど、夜はちゃんと寝るようにと言ったのに。


 ため息をつきながら、コンコンとドアをノックする。反応はない。

 仕方ないので、ため息を重ねながらドアノブを捻った。



 ◇◇◇



 部屋は明るかった。暖色のライトが、机に突っ伏している兄の背を照らしていた。


「……お兄、そんな所で寝たら風邪ひくよ?」


 返事はない。こういう時に揺さぶったりしても無駄なのはよく知っている。一冊の大学ノート、プレゼント配達地域の地図、大量の手紙で埋め尽くされた机から兄を引き剥がし、お姫様抱っこでベッドに寝かせた。布団もかぶせて、兄の寝顔に「おやすみ」の言葉をかける。


 机の上のノートには、ボールペンでびっしりと宛名や住所、プレゼントの内容などが書き連ねられていた。地図には、赤でリストの番号がびっしり。


「お疲れ様」


 それをお兄に言ってあげられるのは私くらいだ。


 それを言うくらいしかできないのが悔しい。


 させてくれないのが悔しい。



 ◇◇◇



 翌朝。

 また三歩という雪の中ではしんどい距離を歩かなくてはいけないのかと憂鬱に思いながらもドアを開けると、今日は思わぬ人影があった。すごいびっくりした。向こうもドアが開くとは思ってなかったらしく、「ほえ!?」と驚かれた。


「あ、おはようございます……」


「おはようございます。これ、今日の分のお手紙たちだよ」


 扉の前にいたのは手紙の配達員。フレンズの毛皮とは違う、分厚そうな上着を羽織っている彼女はカワラバトのフレンズらしい。彼女は私達と会社としてつながりがあるわけではない一般の配達員だが、時々こうしてばったり顔を合わせることがあるので、ちょっとした知り合いだ。


「毎朝ありがとう、カワラバトさん」


「これが私の仕事だからね。サンタさんのお手伝いができるのは嬉しいよ」


 大量の手紙をビニール袋で受け取りながらそんなやり取りをする。「じゃあね」と言って飛び立とうとする彼女を見送っていると、彼女はふと振り返って思い出したように口を開いた。


「そろそろ、私じゃない配達員も来るよ。おっきな荷物の方」


 そう言い残して、くしゃみをしてから彼女は空に飛び立っていった。青空に溶けるのを見送ってから、手紙を抱えながら玄関のドアを閉じた。



 ◇◇◇



 朝食のウインナーを炒めていると、兄が目を擦りながらふらふらとリビングに入ってきた。


「おはよ、お兄」


Xin chàoシンチャオ……あれ、一晩のうちに身長しんちょお伸びた?」


「私にベトナム語の挨拶が通じてよかったね」


「あははははは」


 食卓の椅子に腰掛ける兄はまだ眠そうだった。


「お兄、昨日机で寝てたよ? ちゃんと眠くなったら無理しないで寝なって」


「やー、こうでもしないと間に合わないからね……毎年、依頼件数が右肩上がりでありがたいね」


 テーブルで平たくなっている兄をつついて起こしてから、布巾でテーブルを綺麗にする。


「間に合わないなら私が手伝うって……仕事に追われてお兄が壊れないか心配だよ」


「いやあ、この時期は家事も任せちゃうし、これは私のワクワクマイワークだから……それに一番大変な所は私じゃできないからね。あははははは」


 何が「あははははは」なのかわからないが、今更そんなことを気にしても仕方ない。丁度焼けた所のトーストとウインナー、簡単なサラダとコーヒーをテーブルに広げて、兄の向かいの席に着いた。何の合図をするでもなく、二人同時に手を合わせて「いただきます」を唱えた。


「今朝もありがと」


「私は大丈夫だよ。お兄に比べたら」 


「あははははは、私のセリフだよ」


「いーや、私のセリフで合ってるよ。屋根裏にエナジードリンク隠してんの知ってるからね? 冷蔵庫じゃなくても冷えるからって……てかいつ買ってきたのよ……」


「バレた? あははははは」


 トーストをかぶりつきながら笑う兄。そういう性格なのは重々承知だが、それこそ「あははははは」じゃないのだ。


「飲むなとは言わないけどさ、飲みすぎは体に良くないらしいし……そんな鞭打って働くなら私も手伝うってば」


「うーん、本当にダメそうならお願いするよ」


 もう聞き飽きた言葉を、さも初めてかのように言う兄にため息が出る。トーストをかじると、カリカリになった表面が口の天井をチクッと刺した。


「来年はパソコンとか買おうよ。よくわからないけど、リスト作るのも楽になるでしょ? 住所と名前を前の年のリストから引っ張ってくるのも簡単だし」


「でもここ電波通ってないからなぁ…… 買ってもできること少ないし、もったいないよ。それに難しそうだし」


 朝食を進めた。二人でコーヒーの最後の一滴を喉に通した後、「ごちそうさまでした」と手を合わせてから席を立つ。


「じゃ、お兄ちゃんはお仕事戻るよ。洗い物と雪下ろしお願いね! あ、あとそろそろガレージも綺麗にしなきゃ」


「はぁーい……やっとくよ」


 全く、お兄ってば。



 ◇◇◇



 数日後。

 いつもは私達も足を踏み入れないような我が家のだだっ広いガレージは、やたら賑やかだった。


 雪山の奥じゃ滅多にお目にかかれない、配達用トラック。もちろん雪山も進めるタフなやつ。

 その荷台から段ボールを運び出す、たくさんの配達帽のスタッフ。ヒトもフレンズも混じっている。

 ガレージの隅に敷かれたブルーシートの上に並べられていく段ボール達。中身は私達が運ぶプレゼント達。


「今年もたくさんだね、お兄」


「どのくらいあるかな? How many?」


「はぅ〜、にぃ収まらないくらいだよ……」


「あははははは! さすが私の妹!」


 ああ、なんだか上手く乗せられてしまった。結局、私もこういうのが好きなのである。どうしてそうなってしまったのかはわからないが、私達の間には「こう言われたらこう返す」みたいな決まり文句があったりする。「How many?」はそのひとつだ。


「ほら、笑ってないで私たちもやらなきゃ」


「そうだね」


 二人で、荷物下ろしの手伝いに入る。業者の人はやらなくていいと言ったのだが、ただ見ているだけというのも居づらいので手伝わせて貰うことにした。

 段ボールはずっしりと重く、直に私達へのプレッシャーを感じることができる。別に緊張はしないけれど。


 そうやって段ボールを運ぶ中で、配達員の中に見たことある顔が混じっていることに気がついた。顔見知りという程度の人物だが、声をかけてみることにした。


「えーと、アライグマさん?」


「げ、バレた」


 そんな失礼なことを口走るのはアライグマのフレンズ。いつだったかの春だか夏だか──私に角がない時期に私達トナカイに会うためこの山に訪れたことがあるフレンズだ。


「久しぶりだね、その後はどう? いい人生に巡り会えた?」


「ふっふっふ、夢ができてから素敵な人生を歩んでる! 今はクジャクのお手伝いだけどな」


 夢、か。兄が大好きで、私が少し嫌いな言葉。それを口から発するアライグマはとても楽しそうに見えた。


「夢って?」


「あ? それは──」


 話を聞くと、彼女はジャパリパークの園長になることが夢らしい。これまた大きな夢だ。

 そのために、今はジャパリパーク観光大使の仕事を……したかったけど、選挙に落ちて大使補佐の仕事をしているらしい。それで、今ここで配達員をしているのは社会勉強を兼ねての短期バイトだそうだ。

 初めて知ったが、ジャパリパーク内の運送会社ではここに荷物を届けるために日雇いをしたりしているらしい。私達には経済的余裕がないので、差出人負担でここまでプレゼントを送ってもらっていたが、まさかそんなことになっているとは。


「なんでそんな夢に辿り着いたのさ」


「いやー、お前のところに来たみたいに、他のフレンズにも当たったんだけどな。やっぱり私はアライグマでいいやって」


「へぇ、アライグマなのは結構だけど、トナカイを候補から外さなくてよかったと思うのにな」


「いや無理。私だったら凍え死んでしまう」


「トナカイになったら寒くて死ぬことはないって。私は寒いの好きじゃないけど」


「いや、ダジャレの方で……」


 そんな話をしていたら、段ボールをブルーシートに置いたばかりの兄が、ズサササッとスライディングをかけて私達の間に割り込んできた。そして、アライグマの肩を両手でガシッと掴む。


「ダジャレ!? いまダジャレって言った!?」


 ああ、可哀想なアライグマ。きっと彼女はこの雪女のような私の兄に体の芯から凍らせられて死んでしまうんだわ。砂漠もジャングルも凍りつくようなダジャレのオンパレードで。


「い、いや! 私がこっちのトナカイに会った時に聞かせてくれたダジャレが寒かったって話を……」


 え?


 兄が嬉々とした顔でこっちを向く。


「い、いやいやいや! あれはアライグマさんが『トナカイの生き方を学んで幸せになりたい』なんて言うから、私よりお兄みたいなトナカイの生き方真似した方が幸せかなって思って、私もお兄の真似してダジャレをですね──」


 私の早口な抵抗も虚しく、今度は私が兄に肩を掴まれてしまった。


「妹ちゃんが自分からダジャレを言うなんて珍しいなぁ! なんて!? なんて言ったの!?」


 死んでも教えてやるもんか。あんな激寒の、アライグマに凍え死ぬと言われても仕方ないような……


「太陽は痛いよう」


 アライグマの口から出た音は、空気を。空間を。時空を切り裂いた。世界がスローモーションになった気がした。その分、兄の顔がいつもの三倍くらい輝く様をじっくりと体感させられることになった。


「……」


「……」


「あはははははは!! さすが私の妹ーー!!」


 ぎゅーっと抱きしめてくる。そのままスリスリと体を擦り付けられる。


「……仲良いな」


「……どーも」


 はぁ、ウザい。悪い気はしない。



 ◇◇◇



 荷物の搬入があってから数日。

 クリスマスまでもう片手で数えられるようになった。試しに指を立ててみると、指は全部まっすぐ伸びた。


 あと五日かあ。


 なんて考えているうちに、我が家の柱時計が鳴った。日付変更線が頭上を通過しましたよ、というお知らせ。私は、静かに親指を曲げた。


 さて、こんな夜中に私が何をしているかと言うと、キッチンで紅茶を淹れている。もう寝るつもりだったが、ガレージで物音がしているのに安眠できるはずがない。音自体は気にならないけど、音の主が心配だ。


 もう今年のプレゼントリストと、地図の作成は終わったらしい。今、兄が精を出しているのはそのリストとプレゼントの紐付けだ。プレゼントに添えられた札を元に、どれがどこ宛てでリストのナンバーで何に当たるかを整理しているようだ。

 その仕事のおかげで配達がスムーズにできるのだが、それはそれとして兄に負荷がかかりすぎる。手伝わせろと言っても手伝わせてくれないのが、なんというか……


 はぁ、ウザい。心の底から。


 って感じ。


 だからこうして茶を淹れた。どうせ、茶だけ渡しても兄はすぐ飲み干して働くに決まっているので、私のカップも用意してちゃんと休憩するように見張ることにした。


 トレイにティーポッドとカップ、茶菓子を山ほど盛って、ガレージに向かう。扉はノックせずに開くことにした。


「お兄、紅茶……」


 と、私に声をかけられた兄は「見つかっちゃった」というようなイタズラな笑みを見せた。笑った目の下には濃いクマができていて、手にはエナジードリンクの缶が握られていた。プルタブに指を引っ掛けて、今まさに開けようというところだったらしい。


「……お兄、それ何本目?」


「あははははは、まだ今日は一本目」


「まだ、ね。どうりで最近その缶のゴミが増えるのが早いなぁって」


「妹には敵わないね。あははははは」


 紅茶のトレイを適当なところに置いて、笑う兄の手から缶をひったくる。兄も少々驚いたようで、眉をひそめて小さく「ごめん」と言った。


「その辺にまだ隠してあるよね? ガレージは寒いもんね、屋根裏みたいによく冷えるでしょ」


 ガレージには何台か大掛かりなソリが並べてある。全部配達用だ。その下に手を突っ込めば、缶が三本ほど出てきた。それを見せると、兄はうつむいて暗い顔をした。

 缶をくるりと回すと、「適量の飲用をお願いします」の文字が見えた。


「お兄、適量って言葉の意味くらいわかるでしょ?」


「いいんだよ、私がちょっと無茶するくらいは」


「こんなことしなくても、私が手伝うって何回も……」


 抱えた缶達は妙に冷たくて、私の心まで冷やすようだった。


「お兄ちゃんじゃ、お前と違ってクリスマスの空を飛べないから」


 兄は自分の頭を撫でながら私に近づいて、次は私の角を撫でた。


「お兄ちゃんだって、サンドスターとかけものプラズムについては結構詳しいんだ。お前が聖夜にをフル活用した上で体に鞭を打つのが相当辛いのはわかってる」


 なにが「わかってる」だ。その言葉は飲み込んだ。お兄が私のことを心配してくれてるのはわかってる。


「それは、クリスマスの晩の私はただのトナカイのフレンズじゃないからってだけでしょ?」


 私はただの雌トナカイのフレンズじゃない。トナカイのフレンズなのと同時に、「サンタのソリを引くトナカイ」という伝説上の存在のフレンズでもあるのだ。


 スカイフィッシュが高速移動するように。


 ツチノコがビームを出すように。



 聖夜の私は、ゆっくりな時間の中で空を飛ぶ。



 それが、サンタさんが、運送会社 馴鹿飛脚が、私が、一晩のうちに誰にも気付かれずにプレゼントを届けられる秘密。


「でも、私の仕事はその日だけだから。そんな何日も前から体力をとっておいてもしょうがないんだよ」


「だとしても、大変なことには変わりないだろ? お前は体を大事にした方がいい」


「私が手伝えば、お兄がこんなもの飲んで身を削る必要はないって言ってるの。私も大変、お兄も大変、それでいいでしょ?」


 私がエナジードリンクの缶を見せながらそう言っても、兄は兄らしくない微笑を浮かべるだけで私の意見に賛成の言葉はくれなかった。


「夢を配るには、お兄ちゃんが身を削るくらいどうってことないよ」


 腕に抱えた缶を放り捨てる。ガラガラと冷たい音が鳴る中、私は驚いた様子の兄の肩を掴んだ。先日の荷物搬入の時とは、構図も、空気も、私の気持ちも、真逆。

 自分の口から出た声は、自分でも驚くくらいに大きくて、ガレージに響いた。


「お兄、このまま無理したら死んじゃうよ!」


 兄は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。私の言葉は止まらない。止められない。



 なんで私の気持ちを汲んでくれないの?



 こんなもの飲みすぎたら、冗談じゃなく、本当に死ぬよ。




 お兄がそこまでして配りたい「夢」ってなんなの?





「みんなの夢より、私はお兄の方が大事だよ!!」



 そこまで叫んで、私の頬を温かいものが伝っていることに気づいた。

 そんな私を見てか、兄は私のことを抱きしめた。


「ありがとう。でも、もう少しでこの仕事も終わりだから」


 私の涙が、兄の服に染みていくのがわかる。

 私、こんなことやって、本当に馬鹿だ。


「だから、もう少しお兄ちゃんに無理させてくれないかな」


 お兄だって、無理してるのはわかってやってる。私が心配してるのも、十分わかってくれている。


 でも。


「お願いだから、無理はやめて……」


「うんうん、わかった。でも、今回だけ、今だけはほんの少し無理してもいい?」


 それは……


「……ダメ。お兄が休まないようなら、私、もう聖夜に飛ばないもん」


 私のわがままを聞いて、兄は焦ったように抱きしめていたのを離す。お互いの顔が確認できるくらいまで顔を離して、私の肩をゆさぶった。


「だ、ダメだよ! 聖夜にはメスのトナカイがいないと! 私達の頑張りはパーだし、みんなの夢も……」


「それでもいいよ、お兄が自分を大事にしてくれるなら……」


「よくない! 絶対よくない!」


 兄も私もわがままだ。似た者どうしの兄妹。


「じゃあ私が手伝うってば! なにがダメなの!?」


「そ、それは……」


 兄が私の肩を掴む力が緩んだ。

 そして、その次の言葉に私は拍子抜けする。



「飛べない私なりに、妹には、かっこいい所見せたいから……」



 そんなこと?


 ふーん……


 そんなこと……



「お兄って、本当にウザい。バカ」


 私はそう言って、お兄も紅茶も置いてガレージを飛び出した。



 ◇◇◇



 次の日の朝は早く起きた。睡眠時間は明らかに足りてないが、後からまた寝るつもりだからいいことにする。


 朝食の準備をしようとキッチンに行くと、昨日ガレージに置いてきたティーセットがメモ用紙とともに置かれていた。

 メモ用紙には、


『美味しかった』


 と。ポッドは空だったが、さすがに山盛りの茶菓子は残っていた。袋で小分けにされてるやつだから別にいいけれど。


 それと、キッチンの異変はもうひとつ。

 床に、綺麗にエナジードリンクの缶が並んでいた。全て未開封。そこにも書き置きが一枚。


『計7本 12/21未明現在』


 ついそれを見て笑ってしまった。私の兄は意外とバカっぽくてもかっこいい所もあるらしい。


 そんな兄貴に朝食を作ってやろうと、冷蔵庫の扉に手をかける。冷蔵庫にも張り紙。


『夜11時までには就寝! 睡眠時間は7時間以上!』


 とのこと。8時間は寝てほしいが、妥協してあげるとしよう。


 今朝はトーストとベーコンエッグ。横にヨーグルトも置いておく。冷たい紅茶も微妙だろうから、水を飲んでもらおう。

 兄は待たずに自分だけ朝食を掻っ込む。兄の分の朝食はテーブルに置いておく。


 さて、兄が起きない間にもう一眠り……と考えていたが、ふと思い立ってメモ用紙とペンを出てきた。


『私が見てなくても、かっこいい所、ちゃんと見せてよ!』


 わがまま妹シェフの気まぐれモーニング、愛のある書き置きも添えて。



 ◇◇◇



 部屋で二度寝を終えた頃には時計は10時を指していた。

 急いで身支度をして、屋根の雪下ろしをする。いつもより意欲的に取り組んだ雪下ろしはすぐに終わった。明日からも面倒くさがらずに本気でやろう。


 雪下ろしの後は昼食作り。働く力になるようなメニューにした。朝食と同じく私だけ食べて、兄の分は書き置きとともに置いていく。


『三時には紅茶休憩! リビングに置いておくね』



 ◇◇◇



 お昼は綺麗に食べられていた。それを確認して、三時にお茶の蒸らしがいい具合になるように置いてきたら、夕飯を作りに来た時には紅茶も綺麗になくなっていた。


 夕飯もお風呂も同じ要領。準備だけして書き置きをする。私は部屋に戻る。


『一日お疲れ様♡ おやすみなさい 明日もガンバ!』



 ◇◇◇



 朝は

『おはよう! 今日もかっこよく! 12/22』

 返信は

『おはよう、今日もサポート頼むよ!』


 昼は

『今日も紅茶置いとくね!』

 返信は

『ロイヤルミルクティー希望』

 ……生意気。


 紅茶休憩は

『ご注文通りに』

 返信は

『ありがと〜! 身に染みた!』


 夜は

『今日もお疲れ様! 明日も頑張れ♡』

 返信は

『ありがとう お疲れ様 バッチリ寝るよ!』



 ◇◇◇



 次の日も、大体同じ感じ。兄はやっぱり少し無茶をしているようだが、健康的な頑張り方をしているようだ。エナジードリンクは一本も減ってない。


 少し見直しちゃった。


 やっぱり、ここまでして届ける「夢」が一体なんなのかはよくわからない。だけれど、兄が精力的に働いているところを想像すると、そうやって提供される夢はきっと素敵なものになるだろうという気がした。


 23日の夜の書き置きには、こんなことが書いてあった。


『明日の夜11時過ぎにガレージで会おう

 荷物は積んでおく 出発くらいは見送っていいでしょ?』


 返事はYES。兄がどんな男前になっているか楽しみだ。お兄も女の子だけど。



 ◇◇◇



 ……。



 ◇◇◇



 ……。



 ◇◇◇



 クリスマス・イブの晩。兄に言われた夜の11時過ぎに、私はガレージの扉まで足を運んだ。


 恐らく、この扉の奥に兄はいる。会うのは大体三日ぶりだ。


 どうしよう、怒ってないかな。

 書き置き生活を始めたのは私からだったし、最後に顔合わせた時は「バカ」って言って来ちゃったし。


 兄が頑張って夢でラッピングしたプレゼント達を運ぶのに相応しいよう、髪はいつもより丁寧にすいたし、服も毛玉や糸がくっついてないか細心の注意を払った。


 準備はバッチリだが、やっぱり兄が怒ってないかというのが怖くて扉を開けられない。


……とも言ってられないので、思い切ってドアノブを捻った。ガチャッと、ちょっと派手に音が鳴ったので、このままドアを開く他ない。


 もう、どうにでもなれ。


 私は、体重をドアに乗せた。



 ◇◇◇



「お、久しぶり!」


 兄はいつも通りの笑顔でガレージに立っていた。

 首からは懐中時計を下げていて、それをパカッと開いて「うん、11時ちょうど過ぎたところ」と頷いた。


 なにを話したらいいかな?


 そう考えようとしたら、先に口から言葉が漏れた。


「お兄、ごめん」


 兄はその言葉を聞いて、やっぱりいつも通り「あははははは」と笑った。全然怒ってないらしい。よかった。


「いいんだよ。こっちこそ心配かけてごめんね」


 お兄はそう言って、また私を抱きしめてくれた。その時に気づいたが、兄の目の下のクマはすっかり消えていた。


「お兄、かっこいいじゃん」


「あははははは、そうでしょ?」


 兄は「ほら」とガレージの一角を指さす。指の先にあるのは、三台のソリ。立派なやつで、そこには大量のプレゼントが積まれていた。もちろん、ちゃんと固定してあるらしい。


「支えてくれたから、荷積みもすぐ終わったよ」


「あとは私が配るだけ、だね」


「お兄ちゃん、きっちり休みながら仕事したよ。飛んでくれる?」


「飛ぶに決まってるでしょ。最高のお兄ちゃん」


 兄に拳を差し出すと、兄も拳を出してくれた。コツン、と先を合わせて、二人で笑う。


「“ベスト”ブラザー“ですと”? 嬉しいね」


「……最高−α、かな」


 笑顔もつかの間……


「あははははは、酷いこと言うね」


「冗談だよ」


……だったのもつかの間。久々に二人で大笑いした気がする。


 その後は、二人でどうでもいい他愛もない話をして時間を潰した。兄の懐中時計の針が指す時間は、段々と12時に近づいていった。



 ◇◇◇



「さて、そろそろ日を越すね」


「うん、そろそろ行かなきゃ」


 兄はガレージのシャッターを開け、私は一つのソリの綱を引いて、外に持ってきた。今の私にはなかなかキツい重さだが、時期にそれは気にならなくなる。


 出発のスタンバイができたので、兄は懐中時計で時間を確認する。


「あと二分」


「柱時計の音って、ここなら聞こえるかな?」


「吹雪いてないし、聞こえるはず。ボーンってね」


 兄が時計を閉じ、私に向けて親指を立てた。


「頑張ってくるよ、お兄」


「うん、バッチリ夢を届けてきてね。サンタのソリを引くのは角があるトナカイじゃないとね」


「うん、聖夜にトナカイは必須だもんね」


 また今年もこのやり取りをしなきゃいけないのか。

 ま、嫌いじゃないけど。


 私も、力強く親指を立てて見せた。兄と同時に頷いて、声高々に唱える。



「「To“nightないと”は、トナカイがい“ないと”!」」



 それと同時に、鐘が鳴る。家の柱時計の音が聞こえてくる。



 ◇◇◇



 その瞬間から、私の世界で全ての物が動きを止めた。

 正確には、動いてるのがわからないくらいの超スローモーションになった。兄も例外じゃない。親指を立てたままの姿勢で、固まってしまった。


「じゃ、行ってきます」


 兄にそれだけ言い残し、私はソリを引いて走り出す。兄が身を削って作ったリストも地図も持った。プレゼントは持ちきれないから、途中で帰ってきて別のソリに変える。


 さっきガレージから出すときは、力を込めて引っ張らないと動かなかったソリがすいすいと動く。これが聖夜だけの私の力。


 さて、そろそろいい感じに勢いがついたかな。


 山を駆け下りる途中で、思いっきり地面を蹴る。

 ふわっと体が浮き、ソリも私に続いて浮き上がる。


 私、飛んでる。


 毎年不思議に思うのだが、空でも足に確かな感触があるのだ。飛ぶと言うよりは、そうやって空を駆けて移動している。


 ……さて。


 夢をお届けしていこうかな!



 ◇◇◇



 ……。



 ◇◇◇



 私は一生懸命働いた。三台のソリに山積みだったプレゼントは残り一台分になった。つまり、二台分の夢を運んできたことになる。


「もうひと踏ん張り……」


 空を飛ぶとはいえ、駆け回っているわけだからフレンズでも少々疲れる。この能力の中では時計は使い物にならないので、どれだけの時間が過ぎたかはわからない。でも、もうひと踏ん張りなんだ。


 次は、とあるオオカミの子のお家。プレゼントはお人形さん。可愛らしい。


 家の前までついて、空にソリを停める。不思議なことに、ソリは空にも置いておけるのだ。もちろんこの日だけだが。


 ソリに積んである中から、ナンバーが合うプレゼントを取って玄関の前まで行く。流石に枕元には置いてこれないので、用意してもらった宅配ボックスに入れてくるのだ。


 可愛らしいお家の窓に、兄の姿が映った。一瞬驚いたが、すぐに映っているのが兄ではなく自分であることに気付く。いつの間に、こんな自信たっぷりな顔になったのやら。


 普段は、ボックスを開いて入れて閉じて、おしまい。

 でもこの子の家は違った。


「うーん?」


 ボックスを開くと、中に既に何か入っているのだ。宅配ボックスだから他のものが入っているのは何もおかしくないが、プレゼントに潰されてしまいそうな袋だったので申し訳ないが一旦出すことにした。


 そして、その袋に驚く。

 透明な袋に不格好なクッキーと拙い文字で何やら書かれたメモ用紙が入っていたのだが、そのメモの内容が驚きだった。書き出しは『サンタさんへ』。


 プレゼントをボックスにおさめてから、袋越しにその手紙を読ませてもらった。



 サンタさんへ。


 まいとし、さむいのにプレゼントをとどけてくれて

 ありがとうございます。


 これは、わたしからのおれいです。


 かっこわるいけど、おいしくやけたクッキーです。


 サンタさんも、クリスマスがおわったらゆっくりやすんでね。


 ありがとう、おつかれさま。


               ───より



 読み終える頃には、視界が水っぽくぼやけていた。


 こんな手紙が貰えるなんて、夢のよう。


 そんな感想が出てきたことに、私自身が驚いた。


 きっと、こんな気持ちこそが兄が届けたかった「夢」なんだろう。


 袖で涙をふいて、私はソリの手網に手をかける。

 とっても楽しい気持ちになってきた。


 ……さあ、もうひと踏ん張り。



 ◇◇◇



 ……。



 ◇◇◇



 最後のプレゼントを配って、家に戻ってきた。

 まだ柱時計はボーンという音を伸ばしたままで、兄は私が出発した時よりもほんのちょっぴり動いた気がした。私にとっては数時間、下手したら十数時間の出来事だが、兄やみんなにとっては日付が変わったその一瞬だけの出来事なのだ。


 この能力を解くのは簡単だ。私が念じるだけで、このゆっくりな時間の流れはいつも通りに戻る。


 私は動かない兄をしっかり抱きしめた。手にはクッキーを持って。


 そして、能力を解く。



 ……。



「わわわっ、びっくりした!」


 途端に、兄が声を上げる。兄からしたら、気がついたら妹が抱きついていたという状況になるのだろう。それはびっくりする。


「……終わったの?」


「うん、バッチリ。ただいま、お兄」


「おかえり」


 ああ、とても疲れた。気を抜いた途端に、疲れと眠気が襲ってきた。このまま兄の腕の中で寝てしまいたいが、これだけは伝えなくてはいけない。


「……お兄、私、プレゼントもらっちゃった」


「プレゼント?」


「これみて」


 例のクッキーを兄に見せると、あはははははと笑った。メモにも目を通したのか、「素敵なプレゼントだね」とも。


「お兄、これが夢なんだね」


「ん? うーん、そうかもね。私が頑張ってた理由わかった?」


「うん、なんとなくね」


「ねえ」


「なに?」


「メリークリスマス」


「……メリークリスマス、お兄」

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