03 思わぬ訪問者

03-1 すっかり彼らの内輪の人間

 リカルドとレッシュが日本に来てから一年が経った。何もかもが新しく、わけもわからないままに過ぎ去った昨年の正月と違って、今年はリカルドも少し余裕を持って新しい年を迎えることができた。


 日本語もかなり上達した。読み書きはまだまだだが、会話にはほとんど支障をきたさない。さすが、頭がいいよなとレッシュが褒めていたのはつい先日のことだ。


 正月休みが明けて「富川探偵事務所」に出勤すると、吉報が亮から投げかけられた。


「この一年近くロサンゼルスの様子を伺っていましたが、もうお二人が生きているかもしれないと勘ぐる人達もいなくなってきましたね」

「そりゃ何よりだな」


 レッシュが安心したように息をつく。リカルドも表情にこそ出さなかったが心の中で安堵の息を漏らした。


「よかったなぁレッシュ」


 信司がにこにこと笑ってレッシュの肩をぽんと叩いた。


「あぁ。……けどさ、信司。おれはジョージだって。もう一年だぞ。いい加減こっちの名前に慣れてくれ」

「それはきっと無理ですよ」


 レッシュの呆れ顔でのコメントに透がかぶりを振る。


「なんで?」

「信司さん、いまだに神尾さんを時々おっちゃんと呼んで、そのたびに『お義父とうさんと呼べぃ』と怒られているんですから。もう結婚して二年ですよ? その信司さんが、お付き合いの長いレッシュさんの新しい名前を呼べるわけないじゃないですか」


 透はそれが当たり前かのようにうなずいている。


 そう言えば、レッシュは仕事で大きなミスをして日本に高飛びした時に信司君と出会ったのだなとリカルドは思い出した。あれは確か十年以上前、リカルドの傘下に入って数年でのことだ。なるほど信司君がレッシュの名前を改められないはずだとリカルドもうなずく。


「あぁ、リカルドさんにまでうなずかれてしまった。おれだって、その気になればちゃんと呼べるよ」

「本当か?」

「あぁ、任せろ、レッシュ」

「……任せられねぇ……」

「――あれ?」


 事務所内に笑い声が響いた。


「いっそのこと、名前、元に戻しますか? ご希望なら可能ですが」


 亮がリカルドとレッシュを見て問う。


 “アンタッチャブル”が日本を拠点に活動しているのは裏社会では有名なので、各国の犯罪組織はなかなか日本に手出しをしてこられない。つまりリカルド達が生きているとばれにくいということなのだ。


 ただし、百パーセント防げるものではない。過去にトラブルを起こした相手が組織ではなく個人的にリカルド達の生存を知り報復をとやってきた場合、亮は手助けはできない。


「あと、名前を戻すなら海外旅行とかは控えてほしいかな」

「おれはかまわないよ。旅行したくなったら日本国内だけで行きたいところはたくさんあるし。なじみのある名前の方がやっぱ楽だもんな」


 レッシュがそう言うとリカルドを見上げる。


「そうですね。私も、名前を戻していただくことに異存はありません。信司君もそのほうがいいでしょう?」

「あはは。そうですね。だってレッシュはレッシュだし、リカルドさんはリカルドさんだから」

「では手配をしておきますね。リカルドさん達はお引越しの準備をなさってください。さすがに名前が変わるのに同じ場所に住み続けと変に思われますから」

「引越しか。いっそ別で暮らすか? リカルドも日本での生活に随分慣れたみたいだし」


 レッシュに問われ、リカルドはうーんと首をひねった。


「そうだな。おまえもその方が気楽だろう。……いろいろと気遣わせて悪かったな」


 リカルドが軽く頭を下げると、レッシュは手をひらひらと振って「たいしたことしてねぇよ」と笑った。

 こうして、新しい年を迎えて早々、新たな生活環境に変わることとなったリカルド達であった。




 二〇〇六年、三月。

 我が家となって三ヶ月のマンションの部屋を出て、リカルドは「富川探偵事務所」に向かう。偽名を名乗っていた頃に取った運転免許は、既に本名に戻されている。それを小さな鞄の中に確かめて手に持つと、駐車場に停めてある車に乗り込んだ。


 車窓から見える景色に、桜の薄桃色が混じり始める。温かくなって来たこともあり、春の訪れを実感する。元々温暖な気候であるロサンゼルスで過ごしていたリカルドにとって、日本の冬はとても寒いものだ。景色も気温も春に近づくと、自然と心もほぐれてくる気がする。

 探偵事務所の入っている雑居ビルの駐車スペースに車を収め、リカルドは事務所に向かった。


「おはようございます」

「あらリカルドさん。おはようございます」


 途中で他のテナントの管理人に会ったので挨拶をする。慣れない頃は出会っても会釈だけであったが、もう気楽に挨拶できる程度には親しくなった。

 事務所に入ると、いつものように信司と透、受付のあゆみ、所長の亮が先に来ている。彼らとも挨拶を交わして、リカルドはまず給湯室に向かう。コーヒー缶から豆を出し、湯と一緒にサーバーにセットすると応接室に戻った。


 その頃になってレッシュが出勤してくる。勤務開始時間のぎりぎり二分前だ。

 といっても、所長の亮は特に出勤時間に関してはうるさくはない。客が来ずに一日を過ごすことが多いからだ。信司と透は元々、手伝いという立場で正社員ではないし、雇われているリカルドとレッシュに対しても、仕事がない時は好きに過ごしていいと言っている。


 リカルドは亮の“アンタッチャブル”としての仕事を手伝うことがある。資料の整理だったり、諜報組織との連絡係だったり。おかげで日本の裏社会のことにも詳しくなった。結や章彦とも以前より親密になり、信頼関係も築けてきた。きっと亮はそれも見越してリカルドにその役目を与えてくれているのだろう。


「今日は特に何もありませんから気楽にお過ごしください」


 亮がリカルド達に言う。


「あ、今日、おれらはもうすぐ出かけるよ。ほら、昨日言っていた厄介な悪霊退治」


 信司が言う。


 そう言えば退魔関係の仕事が入ったと話していた。なんでも、山奥に潜む悪霊を退治してほしいのだとか。最近ハイキングコースにまで悪影響を及ぼすようになったのだそうだ。


「多分、今日は帰ってこれないと思うよ」

「そんなに厄介な相手なのか?」


 話に食いついたのはレッシュだ。


「うん。かなり力が強いよ。それに場所がね。交通手段がほぼないんだ。車で入っていける道から、かなり山の中に入ったところがすみからしくって」


 リカルドは相槌をうちながらオカルトな話を聞いていた。最近ではこの手の話に違和感を覚えなくなったあたり、自分もすっかり彼らの内輪の人間なんだなと思う。


 それからしばらく、レッシュ達は今回のターゲットである悪霊の話で盛り上がっていた。リカルドが傍で聞いているだけでも、かなり危険なのだなと思うほどの話だった。


「そんなの相手に、二人で大丈夫なのか?」


 レッシュも心配になったらしく、首をかしげて問いかけた。


「うーん。まぁ確かに、もうちょっと戦力がほしいところだけどね」

「おれがそういうのと闘えたら手を貸してやれるのになぁ」

「あぁ、闘えるよきっと。ほら、最初に会った時みたいに、力がシンクロするとレッシュでも『見える』し」


 信司とレッシュは、レッシュが高飛びした時に知り合った。その時に妖魔の類と遭遇し、二人で一緒に闘ったのだと信司が言う。まさか高飛びの旅にそのようなオマケがついていたとは、と、リカルドは思わず笑った。


「笑うな。あん時はびびって、腰が抜けたぞ。あんただってきっとああいうのを見たら、絶対にひっくり返るって」


 レッシュはリカルドを横目で睨んで抗議する。


「そうか、レッシュは信司と同調したんだ。だったらレッシュも一緒に行ってきたら? 腰さえ抜かさなきゃ戦力になれるよ」


 亮が提案する。


「え? いいのか?」

「あぁ、どうせこっちの事務所には大した依頼は来ないだろうし」

「所長自らそんなことをおっしゃっていいのですか?」


 リカルドが笑うと、事務所にみんなの笑い声が響いた。


「まぁ、信司達の役に立てるなら、おれは喜んでついてくけど?」

「じゃ、よろしく頼むよ、レッシュ」


 こうしてレッシュは信司達についていくことで話がまとまった。

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