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ガシャン! と大きな音がした後、埃が舞い立つ。
いくつか咳をした後、恐る恐る目を開けると、そこには俺に覆いかぶさり、左腕でロッカーを受け止めたミカの姿があった。
「っ……! ミカ、大丈夫か?!」
結果から言えば、俺にロッカーは当たらなかった。飛び込んできたミカが俺を突き飛ばし、庇ってくれたのだ。
「あ、タクミくん、大丈夫だった?!」
それはこちらのセリフだ。とりあえず起き上がれるか聞けば、ミカは存外簡単にロッカーを押し上げてみせた。おまけにロッカーをずりずりとひきずり、安定した場所に置きなおす。
「どうしていきなり倒れてきたんだろう……。あ、紐が劣化してたのか……」
ぶつぶつと呟くミカの腕を取る。
「それよりも、お前は大丈夫なのか!」
「え?」
「思いっきり、腕に当たっていただろう! 痛くはないのか?」
「い、痛いなんて、そんなことあるはずないよ! 私、ロボットなんだよ?」
そう言うミカは確かに平気そうに腕を動かす。重いロッカーが上に倒れてきたとは思えない動きだ。
「腕だって、よほど当たりどころが悪くなければ壊れることなんてないよ……! ほら、大丈夫でしょ?」
そう言いながら、ミカは左肩をぐるぐると回して見せる。
「本当なのか……?」
「ほんとだよ! そうだ、私もタクミくんに聞きたいことが……」
その時不意に、バチン、と大きな音がした。途端にミカの左腕がぶらりと垂れ下がる。
「……へ?」
「おい、なんか不味い音がしたぞ……」
ミカは右手で左腕を持ち上げたりしていたが、みるみるうちに顔色が悪くなっていく。
「タクミくん……左腕が、動かない」
「……はあ?!」
俺が声を上げると同時に、教室の外から呑気な声が聞こえてくる。
「おーい、高橋ー。ごめんな、遅れてー」
「か、河森だ!」
「どうしよう? どうしようこれ!」
「とりあえず押さえとけ!」
河森が顔を覗かせたのと、ミカが腕を抑えたのは、ほとんど同時だった。
「おお、悪いな高橋。っと、どうした? なんか埃っぽいな。……おお、立花、お前もいたのか」
俺は河森の視線をミカから外すように、冷静に話す。
「すみません先生。立花さんが具合が悪いそうなので帰ります。手伝いは他の人にお願いします」
「はあー? ほんとか? 立花?」
ミカはこくこくと頷く。
「まあ……そういう事ならいいがなあ……。……立花、さっきからずっと腕組みして、どうした?」
「え! あ、これは!」
慌ててしまって言葉の出ないミカに、俺はとっさに言い訳を考える。
「マイブームなんです」
「マイブーム。腕組みがか」
……ちょっと失敗したかもしれない。
「そうなんです。気がつくとしちゃうらしいです。じゃすみません、あとはお願いします」
少し無理矢理なところはあったが、河森をどうにかごまかして俺たちは帰路に着いた。
*
学校を出た俺たちは、ミカの今住んでいるという家に向かっていた。ミカは先程からずっと腕組みをしたままだ。少々というかだいぶ不自然だが、仕方がない。
「なあ、大丈夫なのか」
「うん、大丈夫。あ、全然痛くはないからね!」
「それならいいんだが……」
いや、よくないか。これからどうするんだ、と俺は考える。ミカはまだ左腕を押さえたままだ。流石に左腕がぶらぶらしたままでは学校に行けない。……とりあえず、あとで包帯を買っていこう。
「ねえそれより、さっき……タクミくんの携帯、喋ったよね」
「え? あー……」
聞きたいことというのはそれだったか。俺は頭を掻き、しらばっくれる方法を考えたが、それもできない気がした。
「……アナ、お前のこと話してもいいか」
アナに話しかければ、聞いていたのだろう、すぐさま
『仕方がないですね』とメッセージが返ってくる。
俺は話してしまうことに決めた。
「……アナは、俺が中学生の時に携帯に入れた、改良AIだ」
それも、中学時代の友人との共同制作である。
携帯電話に搭載されているAIに改良を施し、自らネットと接続する機能をつけた。まあ、実際の作業はほとんど友人任せだったが……。この機能により、彼女は様々な情報を自分で取得・吸収し、学習していったというわけだ。
中学の時は友人宅のパソコンでこっそり育てていたのだが、今では俺のスマートフォンに定住している。気が効くし、暇な時には話し相手にもなってくれる、いい奴だ。
『私とタクミは中学の頃から連れだった間柄です』
そう言うと重く聞こえるが。
アナの言葉にミカは頰を膨らませこちらを見た。
「へえ……でも、私はもっと子供の頃のタクミくん知ってるもん」
「あー……だからそれは人違いだと」
俺にそんな記憶はないのだ。
『それはいつ頃のタクミですか? 子供の頃というのは、私が知らない頃の?』
「おい、アナも対抗するんじゃない」
「そうだよ! 私はタクミくんが小学生の頃を知ってるよ! 六歳の誕生日のことも話したんだもん!」
これを聞いて、俺はいよいよミカが人違いをしているのだと確信を強めた。なぜなら、小学一年の頃、そんなロボットに会った思い出はないのだから。
『誕生日の話が六歳の時だけ……ということはタクミと会っていたのはたった一年ですか? 短いですね(笑)』
「なにそれ! 貴女だってせいぜい二年の付き合いじゃない!」
ヒートアップしつつある言い合いに戸惑っていると、ミカに携帯を奪われた。おいおい、お前は左腕がふらふらしてるんだからよせ!
「というか、タクミくんの危機に何もできないなんて、ロボットとしてどうなのーっていう?」
『……! 貴女だって、結局タクミに迷惑をかけてるじやないですか!』
「だから、張り合うなって!」
目立つんだからほんとやめてほしい。携帯に向かって喚く、左腕が異様に垂れ下がった少女の横で、俺はそっとため息をついた。
*
ミカの案内により着いたのは古びた一軒家だった。しかし、少し前には人が住んでいたように整備されており、周囲に雑草などはほとんど見当たらない。
「少し前まで研究所の社宅だったみたい……今は使われてないけどね。でも、電気は通ってるの」
「そんなことよく知ってたな」
「研究所からデータを盗んできたの! 記憶力はいいからね!」
「あ、そう……」
こいつは思ったよりも大胆な脱走をかましてきたんじゃないか、と今更ながらに思う。
家の中には、家具が全くと言っていいほどなかった。普通に生活はできるのかと聞けば、その程度の知識は教えてもらったらしい。そもそもロボットだから電力さえあればいい、というのもあるが。
近くのドラッグストアで買ってきた包帯でミカの腕を固定する。こう言う時はアナの解説がほとほと役に立つ。情報源はインターネットで拾ってきたものでしかないが、分かりやすく説明してくれるのでありがたい。
「よし、こんなもんだろ。あんまり大きく動かすなよ」
「ありがとう、タクミくん!」
『前々から思っていましたが、タクミは器用ですよね』
「伊達に機械いじりやってないからな」
腕を固定した流れでミカの腕がどんな状態なのかを見る。さて、中で何やら配線が切れたらしい。しかし表面には人工皮膚が付いているらしく、直接どうなっているかは分からない。解体してみれば分かるのかもしれないが、さすがにそれをやる勇気はなかった。
「……なあミカ、その研究所のやつに連絡できないのか?」
「……やだ」
「え?」
「せっかくタクミくんに会えたのに、研究所に戻るのは嫌なの!」
「嫌ってなあ……そういうわけにもいかないだろ」
『しかしタクミ、彼女が連絡先を教えてくれない以上、どうしようもありません。……とにかくここで様子を見るしかないのでは』
「様子を見る、ねえ……」
それで腕が元に戻るわけでもない、と思ったが、他にどうしようもない。とりあえず明日以降、対策を考えていくことにした。
もう寝る、と言うミカを置いて俺たちは家に帰っていた。
「明日から、どうするか……」
『放っておけばいいんじゃないですか? 別に死にはしないでしょうし』
「お前、様子を見るってそういう意味だったのか……」
『勝手に直るとでも思ってるんですか? まあ、確かに彼女から目を離すのはいささか不安ではありますが』
「アナが見張っててくれてもいいんだぜ。朝置いてってやるから」
『冗談でしょう?』
暗い道を行く中、俺は、先ほどの治療で見たミカの腕を思い出す。肌の感触は人間だったが、指先がピクリとも動かないあの腕は、確かに博物館で見たことのある……電気の切れたロボットだった。
*
次の日の朝、俺は自転車でミカの家に向かう。様子を見に行くと、ミカは部屋の中央で体育座りをしていた。ぎょっとして顔を覗くと、ただ眠っているだけのようだ。ほっとして携帯をそばに置くと俺は部屋を出ていく。
『え? ちょっと待ってください! 昨日のあれ、冗談じゃなかったんですか?!』
なんやかんやと言われたが、アナをミカのところに置いてきた。やはりミカのことは心配だし、連絡なら母さんのお古のガラケーで十分だ。俺は学校に向けて自転車を走らせた。
教室に入るといつものように中沢が話しかけてきた。
「よう、今日は転校生ちゃんと仲良く登校してきたか?」
「いや、あいつ休むって」
「ええ! なんでだよ」
「なんか、風邪引いたってよ。昨日、はしゃぎすぎたんじゃないか?」
なぜか寂しそうな中沢に考えておいた言い訳を話す。河森にもこの嘘で通してある。どれだけ続くかは分からないが……。
「あ、そうだ。今日からまた転校生が来るらしいぜ」
ふと思い出したように中沢が語るその内容に、俺は驚いた。
「また? 前から一週間も経ってないだろ」
「今その転校生、先生のとこにいるらしいけど……見に行かないか?」
目を輝かせた中沢は、またくだらないことを思いついたのだろう。
「なんでだよ。小学生じゃあるまいし」
「気になるだろ? かわいい女の子だったらいいなーって。お前も告白されたことだし」
中沢は俺が告白されたことを納得しきれていないようだった。
なんだかんだと流され、数学研究室の前にいる。研究室の扉は開いており、中は簡単に覗くことができた。河森の席の前には、男子生徒の後ろ姿が見えた。
「なんだ、女の子じゃなかったか……」
などとぼやいている中沢の声は聞こえなかった。それどころではなかったのだ。
「お前……佐久馬!」
目の前にいる転校生は、一年ぶりに見る懐かしい人物だった。
彼は俺の言葉にこちらを振り返ると、目を見開いた後、にっこりと笑った。
「……久しぶり、拓生」
彼は佐山佐久馬。俺の中学の時の同期……そして、共にアナを作った友人だ。
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