現実 第十七部

 姫野さんが式場を後にしてすぐ、棺に入った綾さんが運ばれ始めた。

 俺の目の前を通り、入り口付近で涙ながらに待機する人たちの前を通り、綾さんお入った棺は霊柩車の中へと入っていった。

 外では最後の別れとなり、人目をはばからず大粒の涙を流しながら、子供も大人も関係なく泣きながら綾さんとの別れをしていた。

 そして、ついに霊柩車が動き出し、式場を後にした。

 霊柩車も綾さんもいなくなり、残されたのは下を向く人間ばかり。ここに綾さんがいれば、何かしら声をかけてくれるだろう。そんな妄想に浸る人間も少なくはないだろう。

 この後、友継さんたちは火葬場へと赴くのだろうが、俺たちのような綾さんの知り合いは式場をあとにするばかり。

 周りでは友達同士で抱き合い慰め合う人や、肩を掴み、涙を流す大人もいたが、あいにく俺のそばにそんなことができるような人間もいなかったので、おとなしく俺は帰路につくことにした。

 まだ多くの人が式場の入り口付近にいる中を出て行くのは、はばかられるが出口がそこしかない以上、その中を一人歩いて出て行った。


「おや、君は緑川くんと言ったかね」


 勇気を出して、多くの人がいる中を一人歩いていた俺を一人のしわがれた声の主が呼び止める。

 聞き覚えのない声に誰だと思いながら、振り向くとしっかり見たことのある人物がそこにはいた。


「えっと、三原先生でしたか?」

「おぉ〜、覚えててくれたのか。嬉しいよ」

「三原先生こそ。一度会ったくらいの自分を覚えていてくれるなんて」

「なぁに。教師をしていれば、そんなものよ」


 三原先生の教師あるあるなのだろうか。当然教師ではない俺にはわかるわけもなく、素直に俺を呼び止めたわけを聞く。


「それで、三原先生。なにかありましたか?」

「いや、見覚えのある顔見えたと思って。急いでいたかい?」

「いえ、まぁ、当たらずとも遠からずって感じですね……」

「そうか。少しだけ君と話したいことがあったのだが、少々なら構わんかね?」

「えぇ、もちろんです」


 俺が急いでいたのは一人この空気から抜け出すのが忍びなかっただけ。別にこの後予定のない俺にとって三原先生の話を断る理由はない。


「前に、君と坂波が学校に来てくれた時に、園田の国語のテストの点数が悪い時があるという話をしたのを覚えているかい?」

「はい。覚えています。それが何か?」

「いやぁ、最近。園田と同じようにいつもテストの点数がいい子がおってな。その子がこの間悪い点数を取ったんだよ。その生徒というのが、テストの点数がいいだけじゃなくて、人柄の良さがいいところも園田そっくりでな、園田とのあの日がフラッシュバックするんだよ」

「それは、また……」

「おっとすまんすまん。話が逸れてしまうな。とにかく、園田そっくりな生徒がいて、その子がこの間私に問うて来たんだ。先生。どうして、ここの回答が間違っているんですかと」

「回答に納得できなかったんですかね?」

「早い話その通りだ。国語のテストだから、文章問題の答えとかになると、よくそういうことが起きるんだ。私とてたまに正しい回答を見て、不思議に思うことだってある」


 三原先生やその子に限らず、誰にだって一度くらい見覚えのあることだ。

 ゆえに、今更話すことでもないような気もするが、大人しく三原先生の話に耳を傾ける。


「その子の回答は正しい回答の場所と全くことなる部分を抜き出していた。だから、私もバツにした。けれども、改めて見てみるとあながち罰というわけにも見えなかったのだ」


 何文字で抜き出しなさい方式の問題だったのだろう。それは運が悪かったとも俺は思うが、今はそれよりも、そのことと綾さんがどう繋がるのかが疑問であった。


「結局、私はその時正しい答えの理由を答えることしかできんかった。どうしてその子の答えた部分が不正解になるか答えることができんかった。当然、その子は不満げにいつもより悪い点数のテスト用紙を握りしめて帰って行った。その後ろ姿を見て思ったんだよ。その子や園田は人一倍人を見る目があった。それゆえに、他の人間ならば感じないであろう部分にまでセンサーのようなものがあったのだと」

「センサーですか……?」

「そう。人間の喜怒哀楽はわかりやすいものじゃない。笑っているから嬉しいとは限らないし、泣いているから悲しいとは限らない。そんな風に、いろんな機微から人は何かを掴む。その観点が今言った子や、園田には多くあったのだと思う」


 しみじみと語る三原先生の目元には気づけば涙を浮かべながら話していた。

 彼も今日綾さんと別れをした一人だったのだ。過去に想いを巡らせる一人であった。


「私は園田のその人並以上の感覚に気付いてやれなかった。ただ答えが違い罰とするだけで、どうして園田がその回答にしたのか考えてやらなかった。叶うなら当時の私をなぐってやりたいよ」


 目元に浮かべていた涙はいつしか頬を伝い、地面へと落ちていた。

 亡き生徒のために浮かべるその涙は教師の鏡そのものであった。


「綾さんはもういませんが、今言っていた生徒がいるじゃないですか。その子のために、今日学んだことを生かしてあげてください」

「そうだな……。君のいう通りだ」


 涙をぬぐい、上を見上げる三原先生の姿は誰の目に見ても良き教師の姿であった。

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