現実 第十部

 紛れもなく、そこに静かに眠っていたのは園田綾その人であった。

 いつもと変わらない顔にも関わらず、俺の見ている彼女は一向にその瞼をあげない。

 死んでいるのだから当たり前のことだ。だが、その事実が俺には理解できなかった。

 どうせなら、綾さんの顔を思いっきり殴って、本当に死んでしまったのか確かめたいくらいだったが、この部屋に入る前に友継さんには触れないように言われているし、なにより、そんなことをしても意味のないことなどわかりきっていた。

 それでも、俺は確認したくてしょうがなかった。

 一度、死のうとした人だ。いつ死んでもおかしくないと言えばそうだが、なんだかんだ死なないものだと思っていた。

 死ぬのなら、自分よりも先に死ぬことはない。自分の後に死ぬと。

 だが、目の前にあるのは自分よりも先に死んでしまった園田綾という女性だった。


「なんで死んでるんですか……」


 綾さんはかつて俺に死ねない道連れだと言った。

 だが、綾さんは死んで、俺は生きている。

 その事実がどうしようもなく今の俺を苛立たせる。

 いつまでたっても目の前の女性は瞼をあげない。

 ここにいても、何もわからないし何も生まれない。

 ここにあるのは終わってしまった時間ばかり。

 白い布を元の場所へと戻し、目の前の故人に対して手を合わせることもなく、その場を去った。

 部屋から出ると、壁にもたれかかって俺のことを待っていた友継さんがこちらへと近づいてくる。


「もういいのかい。まだ、少ししか経っていないけれど」

「えぇ、あまりあの場にいたいと思わないので」

「そうだな……。私もだよ……」


 俺も友継さんも同じ言葉を口にしたが、その意味は大きく異なるだろう。

 かたや、愛ゆえの悲しさからくる行動理念。だがもう一方は憤りゆえの行動理念。

 そんな理由など説明する必要も、語る意味もなくすぐに俺はその場から歩き出した。


「葬式は今週末の予定だ。参加してくれるかい?」


 背中から聞こえてくる友継さんの声になんて返事をしようか迷った。また、今はそんなことよりも確認したいことがあったため、適当に返事をした。


「考えさせてください」

「わかった……」


 適当にあしらった俺に対して、友継さんはそれ以上俺に何かを話しかけてはこなかった。それは、自分と同じで親しい誰かを失ったことで気持ちに整理がついていない。誰でも一度冷静になる時間が必要だと感じ取っての配慮であろう。

 ある意味それは当たっている。

 今の俺は冷静さを欠いているからだ。

 だが、今の俺が整理したいのは綾さんとの記憶や思い出などではない。

 彼女の死が自発的であったのか偶発的だったかだ。

 もしも今回の彼女の死が後者ならば、俺はこのまま何事もなく今週末行われるという綾さんの葬式に参加し、彼女の最後の顔を見て、俺の知らない大多数の人たちと主に彼女の死を憐れむだろう。


 だが、前者ならば。

 綾さんが今回死んだきっかけはあの時できなかったことの延長線ならば、今週末俺はここにはもういないだろう。

 俺のいるべき場所はここではない。そう思えて今は仕方がない。

 

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