現実 第七部
「ねぇ、健くん。今の私ってどうかしら」
「どうって、何がですか?」
「ほら、言っていたじゃない。皆の前での私とあなたの前での私を変えるって」
俺をこの世に繋ぎ止めている最後の意味。
俺の前では変わると言っていたが、それほど変化を感じることはできなかった。
なぜなら、あの日からそれほど時間もたっておらず、比較対象が少ない。
強いて言えば、先ほど綾さんが話していた友達の話の時に見せた姿が、俺の知っている綾さんではなかったことくらいだろうか。
「それで、どうかな」
「わかりませんよ。それほど時間たっていないでしょう」
先ほどのちょっとした変化のことについては伏せた。
今しがた見せた姿が俺の前だけで見せた姿なのか判断するには比較対象となるケースがなかったし、たったあの言動一つを本来の綾さんの姿と言い切るにはいささかことが早いと感じたからだ。
「そうか。私って変われないのかなぁ」
残念そうにつぶやく綾さんだが、俺からすれば変わる必要などないと思ってしまう。
そもそも変わる必要などどこにもないのではないのか。
変化を求めている今の綾さんの考えは、俺には到底理解できなかった。
「変わる必要なんてないと思いますけどね。というか、そんなすぐに人って変われないと思いますし」
綾さんが今までの自分とは打って変わり新しい自分になるとしても、ちょっとやそっとで、人は変われたりなどしない。
ただでさえ、人間は習慣づけていたことをやめることだって難しいのだ。
それが、本能的な話になればもっと難しい。
毎日吸っていたタバコをやめようと禁煙すれば、明確にやめようという変化が見られるが、綾さんの場合は違う。
今までの自分をやめて、新しい自分になるというのは曖昧すぎる。
昨日まではせっかちだったから、もっと心にゆとりを持つようにする。なんて変わったとしてもそれがいいのか悪いのかわからないし、その一つが変わったからなんだという話だ。
人間の性格、その人を表す核などたった一つの意識が変わっただけでは変化しない。
こと、綾さんの場合どちらが生きていると言えるかというこれまた曖昧な判断基準を用いている。
せっかちであれば、それだけ必死に生きているとも言えるし、ゆとりを持っていればそれだけ人生を謳歌しているとも言える。
結局のところ、変化しようとすること自体が間違いなのではないかとさえ感じてくる。
ありのままの気持ちで人生を歩んでいる姿が一番生きていると言えるのではないか。
「……そうだね。じゃあ、また今度聞くよ」
俺の考えなどつゆ知らず綾さんは踵を返して歩き出してしまう。
「今日はありがとう。そろそろ帰りましょう」
「一旦、ゆっくりと座ってからでも──」
「大丈夫よ。下るだけだもの」
自分で綾さんの身を案じ、もうしばらくこの場に留まることを勧めたが、話す話題など当然なかった。
ただ心の底から、綾さんの身を案じただけであった。ゆえに、仮に綾さんが俺の言葉を聞き入れて、目の前にある休憩所で休憩をしていたならば、その間無言の時間が続いただろう。
しかし、実際のところ綾さんは止まることなく、歩み続ける現実であった。
俺にとってその現実が良かったのか、そうでなかったのか。それを知るよしはなかったのだった。
一つわかっていることがあるとするならば、綾さんが停滞を拒んだことくらいだろうか。
結局、綾さんと俺はそのまま一度も止まることなく友継さんたちの待つ駐車場へと向かい、車へと乗り込むとそのまま病院へと帰っていったのだった。
病院に着くと、友継さんが車で送っていくと言ってくれたが、綾さんのことで色々とあるだろうから丁重にお断りさせてもらって、俺は帰路へとついた。
家に着いた時にはすでに夕食時を超えており、なぜか食欲がなかった俺はそのまま夏休み最終日に幕を閉じた。
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