未来とは 第十九部
「もう帰りますね。手紙お返しします」
持っていた綾さんの手紙を返そうと綾さんに差し出すと、綾さんは手ひらを俺の方に向けて、待ったの合図をかけた。
「な、なんですか?」
「それ、君が持っててくれないかな」
「どうしてですか? 僕なんかが持っていても何の意味がないでしょう?」
「そうかもしれないけど、私が持ってたらまずいことになるから」
「まずいこと?」
「ほら、私入院してるでしょ。プライベートな空間ってないの。つまり、その手紙を両親に見られてしまうことだってあるから、だから健くんに預かっててもらいたいなって思ったの」
確かに綾さんの周りにはプライベートなスペースが一切ない。綾さんのことだから両親に手紙のことを聞かれ、見せてくれと言われたら断固として拒否することはできないだろう。その結果あんな内容の手紙を見た日には、両親から心配されるに違いない。
それこそ、今回のこの事故の一件も違う見方になりかねない。
「わかりました。とりあえず、今は僕が預かっておきます」
「ありがとう」
いつもの笑顔をこちらに向けてくる綾さんの表情に一点の曇りはない。
「では、失礼します」
「またきてね」
最後に短い挨拶をして、俺は病室を後にする。
歩き出す前に、もう一度だけ手紙の有無を確認してから病院の出入り口へと向かう。
この手紙を綾さんが俺に託した理由は本当に自分以外にこのことを知られたくないという理由だけなのだろうか。階段を一段、また一段と降りるたびに頭の中を駆け巡る。
それが一番大きな理由だということはわかる。しかし、それだけなのか。他にも小さな意図があって俺に渡しているのではないか。そんな風に思えてしかたなかった。
他の理由があるとするならば、この手紙の内容がかつて俺を助けた綾さんの行動に紐づけられていることぐらいだろうか。この文章の中に綾さんがあの行動に至った根元がある。そういうことなのだろうか。考えれば考えるほど綾さんが俺にこの手紙を渡した理由がわからなくなってくる。
「健くん」
不意に呼ばれた自らの名にとっさに視線がそちらへと移動する。
俺ではないどこかのたけると言う名の人かもしれなかったが、ずっと下ばかりを見つめ考え事をしていた俺にはそこまで考える余裕はなかった。
そして、幸か不幸かたけると呼んだ声のする方を見るとそこには見知った人物が立っていた。
「坂波さん?」
俺よりも先に病室を後にした坂波さんの姿がそこにはあった。もしかして、ずっと俺のことを待っていたのだろうか。それなら俺にも少しばかり考えるところがあるが、きっとそんなことではない。
こうやって綾さんの病室を後にするとき待っている人の全てがあることが気になっていたのだから。
「少し聞きたいことがあって……」
「もしもよかったら、歩きながら話しませんか?」
「わかった」
俺と坂波さんは横並びになって歩き出し、病院の出入り口へと
向かった。
ここから病院の入り口までは数分とかからない。とても話をするには短い時間だ。もしもその後、帰る方向が一緒ならばそれからも話せばいいが、もしも違えばたったそれだけの時間しか俺たちには残っていなかった。
「それで、聞きたいことってなんでしょうか?」
先程までの俺のようにずっと下を見つめ、坂波さんは小さな声で呟いた。
「綾ちゃんの手紙どうだった?」
坂波さんの言葉に一瞬びくりとしながら、視線をゆっくりと坂波さんの方へ向ける。
坂波さんは依然として下を見つめ、俺のことを見ているようなことはなかった。
ここで考えなければいけないことがある。それは坂波さんが俺が綾さんの手紙を見たことを知っているかどうかである。
もしも知っているのならば、素直に答えないとその後の言葉は信じてもらえないだろう。しかし、知っていなければ、不要に事実を語れば綾さんの秘密とも言えることを垂れ流すことになってしまう。
ここの選択を間違えてはいけない。
「どうして、そんなことを聞くんですか?」
「それは……。健くんなら知ってるんじゃないかなって思ったから。その、綾ちゃんともすごく親しげだったから……」
どうやら、坂波さんは俺が実際に手紙の内容を見ていることは知らないらしい。そうなれば、このあと取る行動は決まった。
「俺もわかりません」
「見せてもらってないの?」
坂波さんは驚いた表情で俺のことを見た。坂波さんの予想では綾さんは俺になら手紙を見せると感じていたのだろう。結果的に言えばそれば正しかったが、そのことを俺は坂波さんに告げることはなかった。
「はい。そもそも坂波さんが見せてもらってないのに、俺が見せてもらえるはずもないですよ」
「そう……」
坂波さんは明らかに肩を落として、残念そうにしていた。それほど綾さんの手紙の内容を知りたかったのだろう。ましてや、俺があんなことを言ったからなおのこと気になっていたのだろう。もしもそうなら坂波さんには少し悪いことをした。
病院の出入り口へと差し掛かる。俺は右手を指差しながら坂波さんに告げる。
「自分はこっちですが、坂波さんは?」
「あ、あぁ。私は逆方向かな」
「じゃあ、今日はここで……」
「えぇ……」
釈然としない坂波さんに一礼だけして、俺は坂波さんに背を向けて歩き出す。
坂波さんと帰る方向が違ったのは偶然だったが、それはまるで坂波さんが真実を知るにはまだ早いと俺に何かが告げているようだった。
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