思い出 第八部

 放課後になり、部活生たちが次々と学校から出てきて私の前を過ぎていく。そんな光景を私は文庫本を片手に見送っていく。そして、その中に彼女がいないかだけを確認するとすぐに目下の文庫本に視線を落とす。


 時刻はあと十分で下校時刻となり、完全に学校から生徒がいなくなる時間となっていた。そんな時間にもかかわらず、目的の彼女は姿を現そうとしなかった。

 今よりも前、チャイムがなり放課後を告げて間も無くのことだった。彼女は私のクラスに訪れて部活があることを告げてきて、一緒に下校するのならそれからになるが構わないかということを告げてきたので、私はそのことを知っていので了承し、そのまま私は図書室へと足を運び、今まで時間を費やしてきた。


「それじゃあ、先輩お先に失礼します」


 遠くの方で雑踏の中、かすかに彼女の声が聞こえた気がして下駄箱の方を見ると、案の定そこには園田綾の姿があった。

 そして、部活動の先輩らしき上級生に頭を下げて、挨拶し終えるとこちらへと走ってきて、すぐに私のことを見つけてさらにその足を速めた。


「ごめんね。またせちゃって」

「構わない。それよりもどっち?」

「帰る方なら右だけど?」

「じゃあ、いこ」


 少し彼女の息を整える時間は必要かなと思ったが、私の元まで走ってきた彼女は息一つすらあげず、それどころか今からでもさらに動けるような勢いすら感じたので、構わず私は校門を出た。


「姫野さんの帰り道も右なの?」

「えぇ」


 先に歩き出した私の横にすぐについてきて、一緒に肩を並べて歩き出しながら彼女が私に問いかけてくる。


「それなら、次の交差点はどっちに曲がるの?」

「……右だけど」

「そっか。じゃあ、左に行ってもいい?」

「別にいい。あなたの帰り道に合わせる」

「そう」


 そんな会話をしている間に、すぐに交差点へと着いて私たちは左に曲がるべく、横断歩道の前で並んで信号が青に変わるのを待つ。


「話を始める前にひとついい?」

「なに?」


 信号が変わるのを見て待っている私の顔を彼女は覗き込むようにして見つめてきた。


「姫野さんの家。こっちじゃないよね」

「だとしたら?」

「いや。もしもそうならそれでいいし。もしも違うならそれはそれでいいけど」

「結果がどっちでもいいのなら、それって聞く意味があるの?」

「あるといえばあるし、ないといえばないかも」


 私のことを覗き込んでくる彼女を今度は私の方からチラリと見ると、彼女の視線はまだ私のことを見ていた。


「私の顔に何かついてる?」

「なにも」

「そう」


 そんな到底友達とはいえないような会話を交わしている間に信号の色が変わり、私は歩き始める。彼女はそんな私を見ていたこともあり、私よりも一歩出遅れる形で歩き始めた。


「そこに公園があるからそこで話そ」


 彼女の言う通り、横断歩道を渡ってすぐのところに小さな公園があった。公園内にはブランコが二つ一組のものが一台と滑り台が一台あった。


「わかった」


 私としても断る理由がないので彼女の申し出に答え、その公園へと足を踏み入れる。

 そして、どちらが意図したわけでもなく、自然と私たちは引き込まれるようにしてブランコの元へと足を運び、それぞれブランコに腰掛けた。

 私はブランコに座り、膝の上にカバンを置いた。

 彼女はブランコのそばにカバンを置いてから、ブランコへと腰掛けた。


「えっと、確かテストの点数だったよね。聞かせてくれるかな?」


 ブランコにただ座るだけの私と違い、彼女はブランコに腰掛けながら前後に揺らしながら座っていた。


「数学は満点。国語が九十八。理科、社会が九十一。英語が九十五」

「すごいね、五教科全て九十点以上なんて」

「あなたがそれをいうのかしら?」

「私の点数と姫野さんの点数は関係ないよ」

「関係あるわ」

「えっと……。確かに同じ学年だし比べたら私の方が点数は高いけど、別に比べなければ姫野さんだって十分──」

「そうね。比べなければ確かに私の点数は高得点。でも、比べさえしたら私の点数はあなたより下。つまりあなたよりも頭が悪いってことになるわ」

「そ、そこまで言わなくてもいいんじゃない? だって五教科がそれだけ高いんだから他の科目も」

「生憎、五教科以外は大したことないの。めんどうくさいから省くけど全て九十点未満だった」

「そ、そうなんだ。それで話としてはこれで終わりだけど、他に何か話したいことあるかな? 私としては穏便に事を済ませたいんだけど……」


 さっきまでブランコを軽く漕いでいたのに、場の悪さを感じその動きもいつの間にか止まっており、彼女は私の方を不安そうに見つめていた。


「どんな勉強をしているの?」

「どんなって普通に教科書を見たり、問題集を解いたりしてるけど……」


 彼女の言葉を聞いて、私は自分のカバンの中からいつも使っているものを取り出す。


「あなたがいうのはこういうものかしら」


 私が取り出したのは先日のテストのために自主勉強に使っていた教科書と問題集であった。

 そして、私の握るその教科書たちは他の生徒よりも古めかしいものであった。いや、ただ他の生徒よりも使っているのでただ周りよりも消耗が激しかったのだ。そして、問題集に至っては付箋がびっしりであった。


「あなたと同じように。いいえ、あなた以上に私は勉強をした。なのに、なぜあなたは平然としていながらあんなにも高得点を取り、そして、部活動に至っても優秀な成績を挙げられているの?」


 園田綾という生徒が陸上において県大会レベルの実力を持っていることは彼女がこれまでに大会が終わるごとに朝礼でみんなの前でもらっていた賞状を見れば明らかであった。


「さらに、あなたは恵まれた友達もいる。今日会った人たちは私からすればどこがいいのかわからないけど、あなたにとっては大切な友達なのでしょう。だからこそ思う」


 目の前にきょとんと私のことを見る彼女。

 園田綾という人間がどれほど“選ばれた”人間なのかを。


「あなたはなぜ、そこまで天才なの」


 私の問いに対して彼女はすぐに答えることはなかった。

 一度うつむいたと思ったら、そこからしばらく頭が上がることはなく、聞いた私がそのあまりの長さに戸惑い始めたそのとき、再び彼女の頭が上がり、私の目を見て答えた。


「私はあなたの言うほど天才ではないし、友達がいるわけでもない」


 彼女のその無に等しい、感情のこもっていない返答は私の気持ちを逆なでするには十分すぎるものであった。


「何を言っているの? これだけの結果がある中で自分は天才じゃない? ふざけないで、だったら証拠を見せなさいよ」

「証拠は既に出ているしょう。もしも私が本当に天才ならテストだって全て満点だろうし、部活に至っても全国で優勝しているはず。それに、友達関係だってもっと良好なはず。現にあなたとこうして反発しあうようなことはなかった。私が天才ならね」


 この言い争いは私の八つ当たりから始まった。だから、これは私の自己満足でしかなかった。私の言葉に対して、彼女にどんな言い分。どんな返事をされようが仕方ないと思っていたし、軽蔑されるだろうと思っていた。

 しかし、ことあることか彼女は自分の立場を認めず、さらには自分なんて大した人間ではないと言う。

 数字で表すのなら彼女にとって天才とは百点であり、それ以外はそうではないと。

 しかし、そうであるのなら彼女以下である私はなんなのであろうか。

 これだけ努力し、彼女みたいに身体面での力はないことを悟り、ただひたすら己の学力を磨き、切磋琢磨してきた今までの私はなんだったのか。

 そのために、他のものを投げうって全ての時間、労力、知識を投げうってきたのに。それで、こうして彼女に対して嫉妬するまで至っているのに。

 それなのに、彼女は自分なんて大したことがないと言った。

 私がお昼に感じた気持ち悪さ。それは、彼女が発言したフェアじゃないという文言。

 あれは彼女なりの私に対する配慮だったのだろうが、私にはそんな風には聞こえなかった。そして、あの時の彼女は私のことを見ていなかった。

 あの時に感じたこと。そして今の彼女のこの覇気のない声色。

 まるで自分以下の者に興味がないような。

 自分以外に興味がないような佇まいが気持ち悪かったのだ。

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