思い出 第七部


「ねぇ、あんたが園田綾っていうの?」

「そうだけど、えっと、姫野さんだったよね?」


 中学二年の五月下旬の定期試験が終わってすぐの昼休みの出来事であった。

 私は廊下を歩いているときに不意に聞こえてきた生徒の話し声の中に気になることがあり、その疑問を解消するために目の前で今まさにクラスの友達と昼食を食べ始めようとしていた園田綾に話しかけていた。

 目の前の彼女と私は同級生だったこともあり、その名前には聞き覚えがあったし、彼女自身、私のことを認知していたようだった。


「少し話したいことがあるんだけど」


 私が彼女にそう告げると、彼女の周りにいた女子生徒たちがざわざわし始めていた。


「あれ、姫野さんだよね……」

「いつも一人でいるのにどうして……」


 そんな女子生徒たちの冷ややかな視線にさらされながら、私は彼女の返事を待った。


「別にいいよ。なにかな?」

「ここじゃ、あれだから。場所を変えさせてもらうと助かる」

「わかった」


 私の言葉に二つ返事をして、席を立ってしまう彼女を今まで小さな声で私のことを呟いていた女子生徒たちが彼女のことを呼び止める。


「綾ちゃん、やめておいたほうがいいよ」

「ねぇ、姫野さん。ここで言えないの、その話?」

「別に」

「じゃあ、ここで言ったら? わざわざ綾を呼び出してどこに連れて行くか知らないけど」

「み、みんなそこまで言うことないんじゃないかな?」

「別にいいよ。園田さん。本当に大したことじゃないから」

「そ、そう? じゃあ……」


 席を立った園田さんは再び、自分の席に座り直して改めて私の方を向いてくる。

 そして、私に注がれる視線はそんな真っ直ぐで綺麗な園田さんの視線に加え、そんな彼女の周りにいる女子生徒たちの強い眼差しであった。


「園田さん。あなたの定期試験の結果を知りたいのだけど、教えてくれないかしら」

「定期試験の結果?」

「そう。もしも自分から言い出しにくいのなら私から言っても構わない」


 私が先ほど廊下を歩いているときに聞いた気になるということは園田さんの定期試験の結果のことであった。先ほど聞こえてきたことが確かであれば、彼女の今回の点数は私よりも上であった。しかも、その点数というのが噂を聞いただけでは信じられないものだった。


「ちょっと、いきなり来ておいて、綾のテストの点数を教えろだなんて、あなたに礼儀というものはないの?」


 彼女の返事を待っていた私に返答したのは先ほどから私のことを他の女子生徒たちも強く睨んで来ている一人の女子生徒であった。


「高田さん、私は別に……」

「綾は優しすぎるよ。そもそもテストの点数をズケズケ聞いてくるなんて非常識にもほどがある」


 彼女がそう言うと、周りにいた女子生徒たちはそうだそうだと言わんばかりに、彼女の言葉に合わせるようにして頭を縦に振った。


「それで、園田さん。定期試験の結果どうだったの?」


 そんな彼女には目もくれずに、私は園田さんに対して質問を投げかけるが、そんな私に高田さんは怒りをあらわにした。


「あなたに話す義理はないわ。あなたがこんなにも失礼な人だったなんて思わなかった」

「ちょ、ちょっと。高田さん……」


 私に対して今にも掴みかかって来そうな高田さんをなんとかして落ち着かせようとする園田さんであったが、そんな彼女の声は当の本人には届いていなかった。


「あなたみたいな人と話すことはない。さっさとどっかに行ってくれない? 私たちの時間をこれ以上邪魔しないで」


 そう言い終えると、高田さんは軽く私の肩を押すようにして、この場から去るように促す。


「あなたなんかに話しかけていないから、黙っていてもらっていいかしら?」

「なっ!?」

「私が話をしたいのは園田さんであって、あなたではない。そして、彼女は私が会話したいと言う申し出に了承の意を答えてくれている。それをさっきから無下にしているのはあなた。だから、この場に邪魔なのは私ではなく、あなたよ」

「黙って聞いていれば、あんたねっ!?」


 私の反論に対して大きな声を上げて、自分で突き飛ばしておきながら、自分から私との距離を縮めてきて、今にも手が出そうになっている高田さん。

 そんな彼女を今までだんまりを決めていた女子生徒たちが止めに入ろうとするが、タイミング的にも、場所的にもそれは叶わなかった。


(だから、二人だけで話そうとしたのに)


 そんな諦め口心の中で叩きながら、訪れようとしている衝撃に私は目を瞑って備える。


「高田さん」


 いつくるかなと思っていた衝撃は来ず、園田さんの先ほどまでとは打って変わったキリッとした声がその場に響く。


「私は別になんとも思っていないから、そんなに声を荒げないで。あと、今何をしようとしていたかわからないけど、もしも、それが人を傷つける行為なら、私はあなたを許さない」

「わ、わかった……。ごめんなさい」


 優しさの中に、なにかとてつもない重みを感じるそんな園田さんの言葉は目の前のつい先ほどまで私に怒りを持っていた彼女の心を掌握し、一気に冷静にさせた。そして、こちらに視線を向けてくるその彼女の眼差しは、さきほどまでの園田綾ではなかった。


「ごめんね、姫野さん。テストの点数だよね?」

「えぇ」

「この間あったテストなら、技術が九十五点、美術が九十二点、理科が九十八点、あとは全て満点よ」


 園田綾は自分のテストの結果を恥じらうことなく、また、誇らしげにというわけでもなくただ淡々と答えた。

 今の内容が決して恥ずべき点数ではないことは言わなくてもわかることであるが、逆にとんでもないことは火を見るよりも明らかであった。

 五教科に始め、彼女の上げた技術、美術に始まり、保健体育や、音楽だって今回のテストにはあったのだ。そのうち三教科以外全て満点。さらには、満点を落とした教科に至っても九十点代。俗に言う天才であることは明らかであった。


「本当だったのね」

「テストの点数なら本当よ。信じられないならテスト用紙も見せるけど」

「いやいい。じゃあ、私の点数も──」

「いいよ、言わなくて」


 彼女は手を私の前に出して、口に出さないように促す。


「さっきあんなことがあったし、姫野さんは言わなくてもいいよ。それに、私の点数は高田さんたちも知っていたし、別にいいけど、姫野さんは自分の点数を私以外にも聞かれることになる。それはフェアじゃないから、いいよ」


 園田さんは突き出していた右の手をそっと懐にしまうと、こちらへにっこりと微笑んできた。


(フェアじゃないか……)


 彼女が最後に残したことが私の中で深く残り、こちらへ微笑んで来ている彼女に返答する。


「それなら、私だけあなたの点数を知っているのもフェアじゃない。だから、今日の放課後一緒に帰らないかしら。そのときに私の点数をあなたに話すわ」

「えっと、姫野さんって私と同じ方向だっけ?」

「わからない。でも、違うなら園田さんに合わせる」

「さすがに、そこまでしてもらうのは悪いかな。でも、一緒に帰るのは別にいいよ。でもそうなってくると……」


 彼女は先ほどから黙りきってしまった高田さんたち女子生徒にアイコンタクトを送ると、彼女たちはまた、頭を縦に振っていた。


「わかった。じゃあ、放課後校門のところで」

「えぇ、ありがとう」


 私はそう彼女に告げて、一度頭を下げてから彼女のいる教室を後にした。

 廊下を出たときに学校の予鈴がまもなく昼休みの終わりを知らせる。

 私が自分の教室に戻るように、周りの生徒たちも自分の教室に戻る者。まだ、友達と話している生徒たちが廊下にいた。


「気持ち悪い……」


 そんな多くの生徒が残り少ない昼休みを過ごす中。私は廊下の中央でそっとそう囁いた。

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