思い出 第五部
店内には俺たち以外には店員である祥平さん。そしてカウンター席の一人の女性のお客さん以外には誰もいなかった。
俺としても今日の話は真面目な話だし、内容的にも他の誰かに聞かれたくはない内容であった。それは、俺個人的にもそうだし、なによりも姫野さん的にも。
だから、学校で話すということは一番避けたかった。とはいえ、他に話せるところというのもあまりなかったので、姫野さんのこの心遣いには正直助かっていた。
「それで、そろそろ聞いてもいいかしら」
そして、セッティングは完璧。あとは話を始めるだけであった。
「園田綾についてだったかしら、緑川くん?」
「はい、そうです」
姫野さんは目の前に置かれていた自分の紅茶を一度手に持ってからカップを鼻元へと持っていき、香りを嗜んだのちにカップに口をつける。
「まず、私から質問をしてもいいかしら?」
「どうぞ」
姫野さんは手に持っていたカップをテーブルへと置く。
「なぜ、あなたが園田綾という人物を知っているのかしら」
「少し前にあった事故で園田綾さんに命を救われたことがきっかけで知りました」
「少し前にあった事故?」
俺は軽くその時の事故の説明を姫野さんに話した。横断歩道を渡っていた俺のもとにトラックが走ってきて、そして俺の代わりに綾さんがトラックにはねられてしまったこと。
また、その後に俺が綾さんという存在を忘れないためにこうして綾さんと面識のある人とあっているということもついでに説明した。いずれ聞かれるであろうと思いそこまで話すと、姫野さんの口が開かれた。
「事故のことはだいたいわかった。そして、緑川くんが彼女について知っていたことも。でも、もう少し質問をこちらからしてもいいかしら?」
「どうぞ」
「あなたは私と彼女のことをどこまで知っているのかしら?」
「どこまでというのは?」
俺は二人が同じ中学であったこと。そして、いじめをしていた者とされていた者ということを知っていたが、あえて何も知っていないようなそぶりを見せ、姫野さんが何をやっているのか分かっていない雰囲気を醸し出す。
もしかしたら、友継さんたちの知らない一面が垣間見られるかもしれないと感じたからである。
「私の言っていることそこまで難しいかしら? あなたはある日突然。一人の女性の名前を出して、その人物について知っていないかと私に言ってきた。しかも、私という一個人に。つまり、あなたは私と彼女との間にあったことをそれなりに見聞きしたのちに話しかけてきたと考えるべきだと思わないかしら? だから、どこまで私と彼女のことをどこまで知っているかと聞いたのだけれども」
「確かに先日の放課後、急に訪れたことが原因でそう思うならしかたないですけど、そこまでおかしなことですか?」
「おかしいというか、疑問に思ってね。私って学校内ではあなたと同じような人種だから」
「僕と同じ人種?」
「ほら、ぼっちっていう人種よ」
「そ、そうなんですか……」
「えぇ。自分で言うのもなんだけど私友達いないから」
そう言いながらまたゆっくりとした動作で紅茶を口元へと運ぶ姫野さん。
姫野さんの言う通り、友達がいないと言う意味では同じ人種なのかもしれないが、少し話した今の雰囲気と今の俺自身とではだいぶ同じ人種というには無理があるほどに性格に差があった。
「というか、なんで僕が友達いないなんて分かるんですか?」
「だって、あなたがよく一人でいるところとか見るわよ?」
「だからって、姫野さんとは学年も違いますし、教室では友達と一緒にいるかもしれないじゃないですか」
「そんなの簡単なことよ」
姫野さんは先ほどのおっとりとした落ち着きのある表情とは一変してこちらをきりっと鋭い眼差しで見つめてくる。
「そういう人は決まって、常に群れているのよ」
「群れるですか……?」
「そうよ。あくまで私個人の考えだからこれが絶対というわけではないけれど、友達がいるという人種は常に誰かしらが周りにいるのよ。それが授業中であろうが、休み時間であろうが、部活中であろうが、下校中であろうが、どんな時でもね。そうやって周りに誰かがいないと生きていけないのよ、そういう連中はね」
先ほど注文したコーヒーが祥平さんによって運ばれてきたので、軽く会釈をしてそれを受け取る。
「……それから、類は友を呼ぶなんて言うし、今日こうやってあなたと話していること自体がその証明よ」
「それは理由としてはいくらなんでも……」
俺の表情が変化するのを楽しむかのようにじっと見つめてくる姫野さんから視線をそらす。
とはいえ、先ほどの妙に冷たさのある姫野さんのその口ぶりには、どこかそういった友達にまつわる過去があるかのような言葉の重さを感じさせていた。
それこそ、綾さんとの一件が今の姫野さんを形作っているかのような。
運ばれてきたコーヒーに一口だけ口をつけて、心を落ち着かせる。
「それで、話を戻すけれど、どこまで私たちのことを知っているのかしら?」
先ほどは何か新しい情報を聞けることを期待して、わからないそぶりをしたが、これ以上話が逸れてしまうのも本末転倒なので、今度は正直に答える。
「姫野さんと綾さんが中学時代一悶着あったということです」
「それは、いわゆる“いじめ”のことかしら?」
「そうです」
「なるほどね……」
先ほどとは打って変わって、俺の言葉から俺の意を読み取り、言葉を変えてきた姫野さんは思い出すような仕草を見せる。
「中学時代の綾さんを知ろうとした時に、姫野さんの名前が出てきたので今回姫野さんに話しかけたと言うことです。これで満足ですか?」
「えぇ。緑川くんが私に話しかけてきたことも、今日の議題が何になるかもだいたいわかったわ」
「じゃあ、今度は──」
「最後に」
俺の言葉を遮るように姫野さんが言葉を投げかけてくる。
「なんですか。そろそろ僕にも質問させてもらいたいんですが?」
「えぇ、本当に最後だから」
そうして、改めて姫野さんの顔を見ると、姫野さんはこちらをじっと見ていた。
あまりに見つめられていたので俺は不意に下へと視線をそらしてしまったが、その時ふと思う。
いつから見てたっけ……?
「あなた、何か隠しているでしょう?」
問いかけられた瞬間。全身を稲妻が走ったような衝撃。そして、今までに感じたことのない激しい悪寒に襲われた。
そして、体が勝手に反応してしまい、下を向いていた視線がすぐに姫野さんを見てしまう。
「やっぱりね」
その俺の反応を見て、先ほどの考えが予想から確信へと変わってしまう姫野さん。
いくら不意だったとはいえ、ボロを出してしまったことに俺は後悔する。
「あなたが話した事故の話。あれ、嘘でしょ?」
「いえ、嘘じゃないです。本当に事故に遭いました」
「あぁ、ごめんごめん。言葉足らずだったわ。あの事故の話、なにか抜けてるでしょ?」
的確に俺の言葉の不足をついてくる姫野さん。もう逃げ場はないと思いながらも抵抗してみる。
「どこかおかしいですか?」
「普通はおかしくないわ。でも、あなただからおかしいのよ緑川くん」
「僕だから……?」
「あなた、さっき私が話している最中に祥平さんが持ってきたコーヒーに対して、しっかり反応していたわよね?」
「えぇ、まぁ……」
「彼は、このお店の雰囲気を大切にしているわ。あなたも来たとき感じたと思うけどどこか静寂を重んじる隠れ家のようなお店の雰囲気を感じたと思う。それを崩さないように彼自身接客しているのよ。私もそんな雰囲気が好きでここによく訪れるけど、たまに彼が持ってきてくれた紅茶に気づかないことがあるのよ。物思いにふけっている時や勉強している時。つまり、何かに注意をひかれている時」
姫野さんの話を聞きながら、先ほど祥平さんがコーヒーを持ってきてくれたときのことを思い出す。
「あのとき、あなたは私と話していた。そして、私の話す内容に疑問を持っていた。だから、あのとき祥平さんのことに気づくことは普通ない。でも、あなたは気付いた」
確かに、あのときの祥平さんは俺たちの会話を邪魔しないように静かにそしてゆっくりとコーヒーを持ってきていた。しかし、それに気付いたことと俺が何か隠していることが関係しているのか。俺にはまだ分からなかった。
「緑川くん。あなた、トラックに轢かれそうになったところを彼女に助けてもらったって言ったわね?」
「はい、そうです」
「そのとき、どうしてあなたはトラックに気づかなかったの?」
「それは、考え事をしていて──」
「そう、あなたは考え事をしていてトラックに轢かれそうになった。確かにそうなのかもしれないけど、先ほどのあなたの様子を見ていれば私からすれば疑問になるわ。先ほどのことに気づけたあなたが、近づいてくるトラックに気づかないはずがないって」
俺の額に冷や汗がジワリと滲む中、姫野さんは付け足す。
「そして、私が何か隠しているかと言ったときの、あなたの反応。これ以上に何か言葉が必要かしら?」
そこまで言い終えると姫野さんは残り少なくなった紅茶を全て飲んで、カウンターで仕事している祥平さんへ紅茶の追加の注文をする。
「それで、どうなのかしら緑川くん。あなたがどうしても話せないというのなら聞かない。でも、そうならば私も今日あなたと話すことはないわ。なぜなら、それだけの内容だということをもうあなたは知っているのでしょう?」
たった数十分の出来事。
もっといえば、俺と姫野萃香という人物がこの前の放課後に顔を合わせてからまだ一時間も時間は経っていなかった。
にもかかわらず、相手は己のことを全て見透かしているかのようであった。
いや、現に見透かしていたのだった。
それに対して、俺は相手のことをまだどんな人物であるか考察する段階であった。
俺はすぐに考えを改めなければいけない。そう考えるのに姫野さんが追加で頼んだ紅茶を待つ必要はなかった。
「全て話します」
今度こそ、俺の方から姫野さんの顔を見て話し始める。
「どうぞ」
姫野さんは静かに目を瞑って、頭を下げた。
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