巡り合わせ 第七部
「何が聞きたいの? 言っておくけど、私も綾が好きだった人なんて知らないわよ」
「そこは別に……。でも一応聞くんですが、本当にそういうことなかったんですか?」
「恋愛ってこと?」
「はい」
「ないない。綾のことを気にかける男子なら山ほどいたけど、告白されたなんてことも聞かなければ、したなんてことはもっとなかったもの」
有沙さんは首を横に振って、全くそれらしいことがなかったことを表現する。
「堀田先生からは勉強ができるって聞いたんですが、友人から見てどうでした?」
「どうもこうも、秀才にしか見えないわよ」
「でも、最上さんも綾さんとテストでは競っていたと聞きましたけど?」
「誰がそんなこと言ってたの? あと、有沙でいいわ」
「わかりました、有沙さん。競っていたという話は綾さんの親御さんです」
「そんなこと話してたんだ綾……」
その時の有沙さんの表情はどこか懐かしげで、嬉しそうに微笑んでいた。
「確かに私と有沙はテストで点数を競っていたけど、それは数学の一教科だけ。私が数学だけ得意だったこともあって、それだけ競っていたの。他は並の点数しか私は取れなかったけど、綾は他の教科も同じくらい高得点を取っていたわ」
「それは毎回ですか?」
「えぇ、私が知っている限りでは毎回」
「一度も、綾さんは点数を落としたことはないんですか?」
「まぁ、聞いているだけでは嘘のように聞こえてもおかしくはないけど、事実よ。多少の変動はあっても十数点を超えるような差は聞いたことなかったわ」
有沙さんの口からその言葉を聞いて、園田綾という生徒がどれだけ秀才だったかということを思い知らされる。
高校生が中間や、期末で行われるテストがいくら指定されたテスト範囲の問題だとしても、その時々によって難しさや量が変化するのは知れたことである。その中で毎回同じような点数で、しかも高得点を維持するということは並大抵の生徒にはできない。
「本当にすごい人なんですね」
「えぇ、その上運動もできて、あのルックス。私が男でも惚れているわ」
「そう言えば、部活動でも勝負していたとか」
「えぇ、私はテニス部で、綾は陸上部でどちらが上まで行けるかってやってたわ。結局、去年私は個人戦、団体戦共に県ベスト8止まりだったわ」
「すごいですね」
「いいえ。綾は県大会の110mハードルで準優勝。私の負けよ」
「確かに勝負では負けていますが、競っている競技が違う以上差はあると思いますよ」
「慰めは要らない。負けは負け」
「そうですね。すみませんでした」
俺は深く頭を下げて、謝罪する。
「いや、そこまでやらなくていいから」
俺が突然頭を下げて謝罪したことに、困惑した様子で有沙さんは頭をあげるように言ってきてくれたので、俺は頭を上げ、再び有沙さんを見る。
「それに、負けて当然だって思ったの」
「えっと、最初から勝てると思っていなかったことですか……?」
「それも少しはあるかも。大会がある前から綾の調子も良かったし。でも、そうじゃなくて、綾は私の前を歩いていて欲しかったの」
有沙さんは綾さんのことを話しながら、負けたことを話していると言うのに、誇らしげにそれを語り、そして勝った綾さんのことを誇らしげに語った。
「綾さんに勝てた時、有沙さんはなにか綾さんに言ったりしました?」
「私が勝った時? やっと勝てたとか。今回はどうしたのとかじゃないかしら」
「綾さんはその時何か言っていました?」
「次は負けないとかかな。でも、どうしたのそんなこと聞いて?」
「いえ、綾さんは負けず嫌いな人なのかなと思って」
「特にそうは感じなかったかな。たしかにその後のテストでは負けていたけど、それでも必死になってやっていた感じはなかったかな」
「覚えている範囲でいいので勝った回数とか覚えてますか?」
「二、三回くらいかな。勝ってもそのときは嬉しかったけどしばらくしたらそんなに喜べなかったし」
「そうなんですか?」
かつての記憶を思い出しながら、有沙さんは微笑みながら語る。
「テストで勝った時もあったけど、勝ったのになぜか勝ったつもりになれなかったの。それで、心の中で今回は別のテストに時間を割いていたんだとか考えて、なぜか勝った私が綾の負けた言い訳を考えていたの」
「綾さんに憧れていたんですね」
「そうなのかもしれない。綾を目標にすることで自分も綾みたいになれるって思って、ずっと一緒になって歩んでいるつもりでいた。そんなつもりでね……」
有沙さんの声は徐々に小さくなっていく。
それは、突如事故によって失ってしまった隣を一緒に歩いてくれるような親友であり、ライバルであり、そして自分の先を歩いてくれる憧れの損失という現実があったからだろう。
「今年で私たち三年生は最後の年だった。去年の綾を超えるってなったら県大会で優勝するしかなかった。正直優勝できる自信はなかったけど、それでもできないなんてこともなかった。それだけ今年のこの勝負を私は待ち望んでいたの。綾が事故に遭うまでは……」
「調子がすぐれないんですか」
俺の言葉に何も言わずに、首を縦にふる有沙さん。
それを見て、今までの言葉を聞いて、俺は決心する。
綾さんの最後の言葉を有沙さんに言うべきか否か。
「まだ、大会は終わっていませんよ」
「え?」
「今、最後の大会だったっていいましたが、まだ大会は終わってないと言うことが言いたかったんです」
「それはまぁ……」
これは言葉のあやに過ぎなかった。
有沙さんが言ったのは綾さんと勝負できる最後の勝負の年と言いたかったわけで、別にもう今年の大会はあきらめているというわけではない。
もしかしたら、その気持ちもあるかもしれないが、今の場合、前者の気持ちの方が強いだろう。
だからこそ、あえて俺は後者の方に解釈して彼女に話す。
話をそらして、このまま会話を終えるために。
「有沙さんなら優勝できますよ」
「あなたにそれを言われても、何にも感じないわ」
「それもそうですね」
そう言って俺は席を立って頭を下げる。
「今日は忙しい中、時間をとってもらってありがとうございます」
「そこまでしなくていいって。私も少しだけ気持ちが楽になったかも」
「それじゃあ、僕はこのくらいで帰ろうと思うので、有沙さんも部活動に……」
「そうね。でもその前に」
有沙さんはポケットから携帯を取り出して、操作すると画面をこちらに向けてくる。
そこにはチャットアプリの友達申請の画面だった。
「すぐにとは言わない。だから、もしもその時が来たら、これでいいし、またこうしてあってでもいい。綾の最後の言葉を聞かせて。そのためにお願い」
有沙さんの言うその時というのがなんのことを指しているかはわからない。
俺が有沙さんに話しても大丈夫と思った時か。
それとも、綾さんがこの世からいなくなり、俺の口からしか聞けなくなった時か。
「わかりました」
俺は携帯を取り出し、有沙さんと友達登録を行って、先に俺は教室を後にした。
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