これは彼から私に宛てた最期の手紙だった。

槙村まき

本編

『愛する君へ。僕はもうすぐ死ぬ』


 そう出だしに書かれている手紙を、私は握りしめた。

 しわくちゃになった紙の文字を、必死に私は読む。


『出会いは憶えてるかな? 僕がひとりで喫茶店にいたら、君が相席を求めてきたんだ』


 ああ、憶えている。出会いはそうだった。

 その日は友人と一緒に遊ぶ約束をしていたのだけれど、友人が遅刻してくるというので、どこかで時間をつぶそうと喫茶店に訪れたのだ。駅前の喫茶店だからか人が多く空いている席がなかったので、ひとりで読書をしていた彼の席が空いているように思って、声をかけた。声をかけた理由は実はべつにもあるのだけれど、きっとそれは言わなくても彼はわかっているだろう。


 あの時の、彼の驚いたように見開かれた目を憶えている。

 二重の瞳をまんまるに見開き、私の姿と声に、彼は「わーお」という声を出した。それがおかしくって、私はクスクスと笑った。

 それがきっかけで私たちは仲良くなった。


『そういえば、キスも君からだったよね。そのあとに告白をされて、僕はとてもびっくりしたんだ』


 それももちろん憶えている。

 彼の唇がグロスをぬっているわけでもなくつやつやとしていて、その肌触りが知りたくて、気づいたときには唇を重ねていた。驚いて大きな目を見開いた彼の姿を独り占めしたくて、そのまま吸い付くようにキスをつづけた。それから思い出したかのように告白したのだ。思えば、あのときの私はすこし男らしかったのではないだろうか。女の子らしく、と頑張って生きていたのに、彼のことが好きすぎて我を忘れていたのかもしれない。

 彼の答えは、体を抱きしめられたときにわかった。とても、幸せだった。


『あのときの君の温もりに、僕は安心したんだ。君となら幸せになれるって。君じゃないと、僕はダメなんだって。君のことがとても好きだった』


 私も好きだ。

 彼のことが、とても好きだ。 

 好きで、大好きで、愛おしくて、世界で一番愛した人。


 それなのにどうして。

 どうして、世界は残酷なんだろう。


『君はいま、なぜ、と思っているのかもしれない』


 彼の文字は普段の彼らしからぬ、冷静さを欠いていた。

 ミミズが這っているようなぐちゃぐちゃな文字を、私は目に焼き付けるように、にらみつける。


『ぼくだってそうだ。どうして、僕なんだろうって。きっと、まわりの人もそう思っているだろう』


 ――それは一週間前のことだ。

 空を飛んでいた飛行機が事故を起こした。

 空を自由に飛んでいた飛行機が、まるで気まぐれを起こしたカモメのように、陸地に追突したのだ。

 彼はそれに巻き込まれた。


『とにかくいまは時間がないから、てみじかにかく』


 飛行機が地面に激突して生きて戻れる人などほとんどいない。

 現に彼も、彼と一緒の飛行機に乗っていた乗客も、誰ひとり愛する人の許には帰らなかった。

 その死を悟った間際。その時に書いた彼の手紙。

 彼から私へ宛てた、最期の手紙。


『愛してる。たとえ、君が自分にコンプレックスをかかえていて、自分のすがたに絶望していたとしても、それでもぼくはそんなきみが好きになったんだ。それはわかってほしい』


 私も、彼のコンプレックスを含めて、彼を好きになった。

 彼は自分の身長が低いことを憂いていた。私の身長が百七十センチを超えていたこともあり、なおさら彼はどうして自分の身長は百六十センチもないのだろうと、そう嘆いていたことも一度や二度ではない。それでも私は満足していたし、見下ろしたときの彼の照れたような顔も、好きだった。

 大きいのが羨ましい。――そう口惜くやしそうに泣いたときの彼の涙でさえ、私はとても愛おしかった。

 

 それなのに、どうして……彼は、死んでしまったのだろうか。

 私を、ひとりだけ残して。


『君にあやまらなければいけないことがひとつだけある。きみと出会ったときのことだ。あのときのぼくは、まだ男ではなかった。女ではないとはおもっていたけど、でもまだ自分の性についてなやんでいたんだ。そんな折に、きみに会った。君を見たときは、ほんとうにおどろいたよ。ぼくよりはるかに身長の高い女性がいると思って顔をみたら、明らかに男の色を濃くのこしていたんだから』


 もしこれが実際に彼と話しながらの会話であったのなら、私はひとこと「うるさい」と言ってゲラゲラ笑っただろう。

 でもいまの私は笑えない。涙でぐしゃぐしゃになっている顔は、あの頃よりもひどく、ぶっさいくになっている。


『ぼくはその日、はじめて自分に似た人に会えて、うれしかったんだ』


 喫茶店で、私が彼に話しかけたのもそれだった。髪の毛の短い男の格好をした女性がいると思って、自分に似た匂いを感じ取り、話しかけた。その頃はまだ、私も彼も、自分の性をまともに認識できてはいなかったけれど、近しいものは惹かれ合うらしく、私は彼と仲良くなりたいと思った。


『運命だった。すきだった。大好きで愛していた』


 文字はもうきちんと判別できないほど、ぐちゃぐちゃになり、涙の痕と思われる染みがたくさん滲んでいた。

 一枚の紙の裏表にびっしり書き込まれている文字を、すべて脳に刻み込むように、私は吸い付くように手紙の文字を凝視する。


 視界が、ぼやけている。

 もう手紙は最後の数行で、そこに書かれている文字が、なかなか頭に入ってこなかった。


『ぼくはまだまだ未完成な性をかかえていたけれど、男として、きみのことが好きになった』


 私も、女として、男のあなたが、好きだった。


『きみであるきみを、ずっと、愛している』


 私も、愛してる。あなたを、ずっと。これ以上の出会いなんて、もう一生ないのだから。


『ずっと、ずっと、愛しているよ』


 愛する君へ。僕はもうすぐ死ぬ。

 そう書かれている冒頭まで戻り、私は何度も何度も彼の最期の手紙を読む。



 涙でぐしゃぐしゃになった頬から雫がポタリとたれて、手紙の赤に、新たなる染みをにじませた。

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これは彼から私に宛てた最期の手紙だった。 槙村まき @maki-shimotuki

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