焼き芋はんぶんこ 1
「ちょっと見てー! これ、当たっちゃった!」
会社帰りのナナちゃんが、興奮した様子で家に飛び込んできた。封筒の中からチケットのようなものを取り出し、あたしたちに見せる。
「豪華ホテルの超高級フランス料理お食事券!」
「えっ、なにそれ」
ミルクを膝に乗せ、こたつに足をつっこんで、ゲンちゃんとテレビを見ていたあたしが振り返る。
「スーパーの抽選箱に応募してたの忘れてたわ。それが当たったのよ!」
「へー、ナナちゃん、すごい!」
「食べに行こうよ、いろちゃん!」
「うん、行きたい! ねぇ、ゲンちゃんも……」
あたしの声を、ナナちゃんがさえぎる。
「ごめーん、二名様ご招待なんだ」
ゲンちゃんがテレビから視線を動かし、指を二本立てているナナちゃんを見る。
「勝手に行ってこいよ。俺は興味ない」
「えー、フランス料理なんて、一生食べれるかわかんないのに?」
「大げさだな、お前は」
ゲンちゃんがあきれたようにそう言って、またテレビのほうを向く。
まぁ、いっか。興味ないならちょうどいいや。
「今度予約しておくから。ふたりで行こうね」
ナナちゃんの声に、あたしは大きくうなずいた。
それから一週間、あたしはずっとそわそわしていた。だってフランス料理なんて、生まれてから一度も食べたことない。外食といえば、たまにファミレスに連れて行ってもらうくらいだし。
「えー、すごい。そのホテルのレストランって、有名なシェフがいるところだよ」
風花はそのお店を知っているらしい。シェフがテレビに出ていたんだって。
「楽しみだねぇ、いろちゃん。おしゃれしていかなきゃね」
「え、あー、そうか」
やばい。この前ナナちゃんと買い物に行ったとき、やっぱり服を買ってもらえばよかった。さすがにパーカーとジーンズじゃダメだろうなぁ……。
そんなあたしの気持ちに気づいたのか、風花が言った。
「もしよかったら……お洋服貸してあげようか?」
胸になにかがつきんっと刺さった。
風花はあたしのいつもの服装を知っている。だから親切で言ってくれたんだろうけど……風花とあたしの間に、もやもやした壁があるような気がしてしまった。
「あ、うん……ありがと」
だけど文句は言ってられない。だって予約したのは明日の夜なんだもん。
ナナちゃんは今日も明日も仕事があって、服なんか買いにいけないし、ゲンちゃんにお金ちょうだいとも言いにくい。
「じゃあ貸してもらおうかな」
「うん。これからうちにおいでよ」
そのあとあたしは風花の家に寄って、着せ替え人形のように何着も服を着せられ、結局風花おすすめのワンピースとコートを貸してもらった。
「お前、どうしたの? そのカッコ」
次の夜、あたしが服を着替えてナナちゃんを待っていたら、バイトから帰ってきたゲンちゃんが顔をしかめた。あたしはちょっとどきっとする。
あたしは風花に借りた、紺色で小さな花模様がちりばめられたロングのワンピースを着ていた。あたしだったら絶対買わない服だ。風花にすすめられたけど、今日着てみたらやっぱり似合わない気がしてきて、なんだか落ち着かなかったのだ。
「あ、えっと……これ、風花に貸してもらったの。今日レストラン行く日だから」
「ああ、あれ今日だっけ」
ゲンちゃんはどうでもいいようにそう言って、コンビニの袋をテーブルに置き、冷蔵庫をのぞいている。
ちょっとほっとしたような、ちょっとさみしいような……ヘンな感じ。
そのときゲンちゃんのスマホが鳴った。ゲンちゃんは電話に出るとすぐに、不満そうな大声を上げた。
「えっ、なんだよ、それ! ちょっと待てよ!」
でもそこで電話は切れてしまったようで、ゲンちゃんは舌打ちしながらポケットにスマホをつっこんだ。
「どうしたの?」
「ナナが……レストラン行けないって。急な仕事が入って……」
「ええー!」
あたしはテーブルにばんっと手をついて立ち上がった。膝にいたミルクが驚いて飛び降り、ゲンちゃんの部屋に逃げていく。
「なにそれ!」
「バカなやつがミスしたせいで帰れなくなったらしい。でも予約キャンセルするとあの食事券使えなくなるから……」
「え、じゃああたしどうすればいいの? 誰と一緒に……」
ゲンちゃんがむすっとした顔で、自分の胸を指さした。あたしはぽかんとしたまま、ゲンちゃんの顔を見つめていた。
ゲンちゃんと一緒に電車に乗って、終点の大きな駅で降りた。土曜日の夜、街はざわざわと騒がしく、歩いている人たちはなんだかみんな楽しそうに見える。
だけどあたしはやっぱり、人ごみが苦手だ。ぼうっとしてるとすぐぶつかりそうになるので、ゲンちゃんの後ろに隠れるようにして歩いた。
駅を出て大きな交差点で立ち止まる。ゲンちゃんは信号待ちしながら、スマホで地図を見ている。あたしはその隣で、ふうっと息をはく。
「もー、どうしてゲンちゃんと行かなきゃなんないのよぉ……」
ゲンちゃんがスマホから視線をはずし、あたしをにらむ。
「それはこっちのセリフだ。ほら、行くぞ」
信号が青になり、大勢の人が一斉に歩き出した。あたしはスーツを着たゲンちゃんのあとを追いかける。
街は色とりどりの光がキラキラしていた。クリスマスもお正月も過ぎたのに、都会の夜はいつもこんなにまぶしいのだろうか。そしてその中でも一番きらめいている高級そうなホテルの前で、ゲンちゃんが立ち止まった。
「ここだな……」
「え……ここ?」
想像以上の豪華さに、あたしはびびって足をすくませる。
よく考えたらあたし、ホテルってところに来たことがない。ママと旅行なんて行ったことなかったし、ゲンちゃんやナナちゃんともない。泊りで出かけたのは、六年生の修学旅行くらいだろうか。あのときは山の中の静かな旅館だった。
やたら大きな黒い車がドアの前に止まり、中から偉そうな人が降りてくる。テレビでよく見る政治家みたい。ホテルの人が荷物を持って中に案内している。
「ゲンちゃん、先に入ってよ」
「え、俺が?」
「大人でしょ! 早く!」
ゲンちゃんの背中を押して、偉そうな人たちのわきをこそこそと進む。べつに悪いことをしているわけじゃないのに、どうしてこんなに肩身が狭いんだろう。
ロビーは吹き抜けになっていて、キラキラしたライトがたくさんついていた。真ん中に小さな噴水があって、ピアノの音が優雅に流れている。
あたしは見るものすべてがめずらしく、目をぱちぱちさせながらゲンちゃんの背中に隠れるようにして歩く。
大きなスーツケースを転がした外国のお客さんもたくさんいて、ホテルの人と英語で会話をしていた。こういうとき、英語の勉強って役に立つんだな。普段は必要性をまったく感じられないけれど。
「おい、もっと堂々としてろよ。俺たちは招待された客なんだから」
「でもさぁ、あたしたち場違いすぎない?」
スーツ姿のゲンちゃんが後ろを振り向き、あたしの服をじっと見下ろす。
「馬子にも衣装だな」
「な、なにそれ?」
「貧乏人でもいい服着れば、それなりに見えるってこと」
「なによー、それはゲンちゃんだって一緒でしょ」
ゲンちゃんがバカにするように笑って歩き出す。そしてエレベーターに乗って、最上階のボタンを押した。どんどん階数が上がっていくたび、あたしの心臓の音も加速する。ちょっと頭がくらくらしてきて、隣に立っているゲンちゃんの服をきゅっとつかむ。
エレベーターを降りると、お目当てのレストランがあった。
「いらっしゃいませ」
黒服に蝶ネクタイの執事みたいな人が、あたしたちを出迎えてくれた。ゲンちゃんが、予約していたナナちゃんの名前を言うと、「お待ちしておりました」と中に案内される。
レストランの中も超豪華だった。白いテーブルクロスのかかったテーブルがいくつも並んでいて、社長みたいなおじさんや、セレブっぽいおばさんが食事をしている。
「こちらのお席でよろしいでしょうか?」
案内されたテーブルを見て、あたしは思わず「わぁっ」と声を上げてしまった。
テーブルの横は全面ガラス張りになっていて、東京の夜景が広がっている。たくさんのビルの灯りがキラキラ光って宝石みたい。あたしのビルの屋上からも少しの灯りは見えるけど、それとは比べ物にならないほど綺麗だ。
あー、ナナちゃんも一緒に来れたらよかったのになぁ……そんなことを思っていたら、執事みたいな人に椅子を引かれて、あたしはビビりまくりながら座った。
テーブルの上にはピカピカ光ったワイングラスやナイフやフォークが並んでいて、あたしはまた瞬きを繰り返した。テーブルの真ん中ではろうそくの炎のようなランプが、ゆらゆらと揺れている。
ここ、絶対デートで来るところだ。テレビでよく見る、男の人が女の人に指輪の箱をぱかっと開けてプロポーズするような場所。
あたしがちらりと向かい側を見ると、めずらしくゲンちゃんも緊張しているみたいだった。落ち着かない様子で、周りをきょろきょろしている。
お店の人がメニューを持ってきてゲンちゃんに見せた。そこには英語なのかフランス語なのかよくわからない言葉がたくさん並んでいて、ワインの種類のようだった。食事券で予約したあたしたちのお料理は決まっているけど、まず飲み物を選ばなきゃならないらしい。
ゲンちゃんは眉をしかめてメニューとにらめっこしている。そのうちめんどくさくなったみたいで「とりあえずビールで」って言った。ゲンちゃん、ここは居酒屋じゃないんだよ!
お店の人が席を離れると、あたしははぁーっと息をはいた。どきどきしすぎて食事どころじゃない。
「ねぇ、フォークがいっぱいあるけど、どれから使えばいいの?」
「俺に聞くなよ」
「ゲンちゃん大人でしょ? なんでわかんないのよ」
「フォークとナイフ使って食えばいいんじゃね?」
あたしはぷうっと頬を膨らませる。
「やっぱりゲンちゃんと来るんじゃなかった」
「しょうがねぇだろ。俺だって来たくなかったよ」
ゲンちゃんがむすっとして顔をそむける。あたしはなんだか悲しくなる。
スーツを着たカッコいい男の人が、綺麗なお姉さんをエスコートしていた。いいなぁ、ああいうの憧れる。あたしもああいう人と来たかった。せっかくかわいいワンピース着てきたのにな……。
そのあとの記憶はあまりない。大きなお皿にちょこんと盛られた見たことのない料理も、カラフルな色合いのデザートも、全部食べたはずなのにお腹に入っていないみたい。
ただただ食べるのに緊張して、周りの視線も気になって、おいしさなんてわからなかった。
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