捨て猫とホットミルク 2

 それからあたしたちの家に住人……いや、住猫? が一匹増えた。そしてあたしのテストも無事に終わった放課後、帰ろうとしたあたしに声がかかった。

「どこに行くの? 野々山さん」

 あたしは風花と猫の話をしていて、風花に「猫ちゃん見たいから遊びに行ってもいい?」と聞かれたところだった。

「へ?」

 突然の声に振り返ると、そこには担任教師が腕を組んで立っていた。

 先生はなぜか怒った顔をしている。あたしなにか怒られるようなこと、したっけ?

「まさか帰るんじゃないでしょうね? 一時からあなた面談よ」

「は?」

 あたしはぽかんと口を開けて立ち尽くした。そういえば面談のこと忘れてた。先生も何も言ってこなかったし、ゲンちゃんもあれきり何も言ってこないから。

「あなたがちっともプリントを提出しないから、直接おうちの方と都合を合わせたのよ。聞いてなかったの?」

「あ、えっと……今日ってこと、忘れてました」

 それは嘘だ。あたしはゲンちゃんから今日面談があるなんて、一言も聞いていない。

 先生はあたしの前で小さく息をはき、今度は少し悲しそうな顔で言う。

「先生も申し訳なかったわ。あなたのおうち、ちょっと複雑だったのよね。気がついてあげられなくて、ごめんなさいね」

 あたしは先生の言葉にもやっとした。たしかにあたしの家はフクザツだけど、なんでごめんなさいって言われるんだろう。フクザツな家の子は、特別扱いしきゃかわいそうとでも思われているんだろうか。

「とにかく一時に叔父さまが来てくださるから。野々山さんも教室に戻ってね」

 先生はそう言うと、あんまり心のこもっていない笑顔を見せて、さっさとあたしの前から去っていった。


「一時ってもうすぐだよ、いろちゃん」

 ぼうっとしていたあたしの制服を、風花が引っぱった。

「ゲンちゃん来てくれるんだね?」

「あ、うん。そうみたいだね」

 あたしは仕方なく、ははっと苦笑いをする。

「えっ、マジで? 師匠が学校に来んの?」

 いつの間にかそばにいた湊斗が、嬉しそうに駆け寄ってくる。湊斗は勝手にゲンちゃんのことを「師匠」と呼んでいる。バカだ。

「俺、会いに行く! この前もらった絵の、お礼言いたいし」

「いいよ、そんなの。ただの落書きじゃん」

「でも師匠がもっと有名になったら、ネットで高く売れるかもしれないだろ?」

 湊斗がへらっと笑ってそんなことを言う。あたしは湊斗の制服の胸元をつかみ上げた。

「あんたそんなこと考えてんの! だったら返して! 今すぐゲンちゃんの絵、返せ!」

「わっ、校内暴力! せんせー、彩葉さんが僕をいじめてますー! たすけてくださーい!」

「もうやめなよぉ、ふたりとも。一時になるよー」

 風花に止められ、湊斗から手を離す。そしてくるっと回れ右をして、ふたりに背中を向ける。

「じゃあ行ってくるよ」

「いってらっしゃい」

「俺もあとで行く」

「お前は来んな!」

「口悪いなぁ」

 湊斗の笑い声を背中に聞きながら、教室に向かった。だけどその足取りは重い。どうしてゲンちゃんは、学校になんか来る気になったんだろう。絶対めんどくさいって言うと思ってたのに。


 はぁっとため息をついて、廊下の角を曲がる。するとあたしの教室の前に、スーツ姿の男の人が立っていた。背中を丸めて歩くあたしに気づき、「よっ」と軽く右手を上げる。

「は? ゲンちゃん?」

「お前、しけたツラしてんなぁ。学校ではいつもそんななの?」

 あたしに近づいてきたゲンちゃんが、あたしのほっぺをぺちんと叩く。あたしはあわててその手を振り払う。

 ゲンちゃんは黒いスーツに黒っぽいネクタイをつけていた。髪もいつものぼさぼさ頭じゃなくちゃんと決まってるし、無精ひげも剃っている。

「な、なんなのよっ。あたしに黙って先生と約束して。しかもあたしに教えてくれないしっ。それになんなのその恰好! どうしちゃったのよ!」

 言いたいことを早口で一気に言った。ゲンちゃんはネクタイをくいっと直し、横目であたしを見下ろす。

「ナナに着せられたんだよ。学校行くならちゃんとしたカッコしてけって。いろちゃんが恥ずかしい思いしたら、かわいそうだからって」

 あたしはちらりとゲンちゃんを見上げる。襟元にあてたゲンちゃんの手は、ごつごつした男の人の手だ。

「でも……全然似合ってないから」

「あっそ」

 いつもスーツなんか着ないのに。小学校の授業参観だって、普通のお父さんが絶対着ない変な柄のシャツとか、黒いニット帽にサングラスをかけた怪しげな恰好とか、そんなのばっかだったのに。

 急にスーツなんか着るから……心臓がおかしな音を立てるじゃんか。


「お待たせしました。彩葉さんの担任の上田です」

 先生がやってきて、ゲンちゃんに挨拶する。

「あ、どうも。彩葉の叔父の野々山です。姪っ子がいつもお世話になってます」

 ゲンちゃんも普通に挨拶した。なんか変な感じ。ちゃんとした大人に見える。大人だけど。

 それから教室に入って、三人で話をした。ゲンちゃんは先生が話すあたしの学校生活や成績の話を、うんうんとうなずきながら聞いていた。

「それで次に進路についてなんですが」

「先生」

 あたしはそこで初めて口を開いた。

「あたし中学卒業したら就職……」

「あ、こいつの行けそうな高校教えてください」

 ゲンちゃんがあたしの言葉をさえぎった。高校行くなんて言ってないのに。

「行けそうというか、もうちょっとランクが上の。こいつすごい頑張り屋なんで、目標は高いほうがいいと思うんです。テスト前とか真夜中まで勉強してるんですよ。俺がいびきかいて寝てる間も」

 あたしはうつむいて、机の下でぎゅっと両手を握りしめた。ゲンちゃんに文句を言ってやりたかったのに、変な息しかでなかった。

「そうですね。野々山さんだったら、このあたりの公立のトップ校だって狙えますよ」

「マジすか! 彩葉、お前すげーじゃん! さすが俺の姪っ子!」

「ゲンちゃん!」

 あたしはちらりと隣に目を向け、ゲンちゃんをにらむ。ゲンちゃんはははっと笑って、ぽかんとしている先生に言った。

「先生、これからもうちの大事な彩葉を、よろしくお願いします」

 冗談か本気かわからない調子で、ゲンちゃんはあたしの隣の机に額がくっつくほど、深く頭を下げた。


「はー、めっちゃ緊張した……」

 校舎を出ると、ゲンちゃんはネクタイをゆるめながらそう言った。

「緊張してたの?」

「するに決まってんだろ。教師と面談なんて、高校時代の呼び出し以来だよ」

 ゲンちゃんがスーツのポケットからタバコを取り出そうとしたので、あたしはそれを止めた。

「校内は喫煙禁止」

 ゲンちゃんはちらりとあたしを横目で見て、しぶしぶタバコをポケットに戻す。

 空は青かった。校舎から吹奏楽部の演奏が流れてくる。聴いたことがあるような気がするけど、題名はわからない。埃っぽい校庭では運動部が大きな声を上げて走っている。

 あたしは校門までの道を、ゲンちゃんと並んで歩いた。ひんやりとした風が吹いて、足元で落ち葉がくるくると踊る。あたしはぬくもりを求めて、ほんのちょっとだけゲンちゃんに体を寄せる。

 そんなあたしの耳に、騒がしい声が響いてきた。


「あー、来た来た! おーい、彩葉!」

 校門のところに湊斗と風花がいた。あたしはさりげなくゲンちゃんから体を離す。

「なんでいるのよ、あんた」

「待ってたんだよ、面談終わるのを。あっ、師匠! この前は素晴らしいイラストありがとうございました!」

 ゲンちゃんがテーブルの上で、世の中で一番嫌いな納豆を目にしたときのような顔をする。その気持ち、あたしにもちょっとわかる。

「こんにちは」

 湊斗の横で、風花がにこやかに挨拶をした。ゲンちゃんは湊斗よりは少しましな顔をして、「どうも」と言ってまた歩き出す。

「あ、ちょっと待ってくださいよ、師匠!」

「誰がお前の師匠だっ」

「あのっ、もしよければまた俺にイラスト描いてくれません? 今度は別キャラの。俺の二推しなんです!」

「十万払えばな」

「はっ? 十万? 値上がりしてません?」

 湊斗が負けずにしつこく絡んでいく。ゲンちゃんはうぜぇって顔でずんずん歩き、校門を出て行く。

「ねぇ、いろちゃん」

 ため息をついたあたしに、風花が駆け寄ってきてささやいた。

「カッコいいね」

「え?」

 隣を見ると、風花がちょっと頬を赤く染めている。

「今日のゲンちゃん。いつもよりもっとカッコいいね」

 風花はスーツに騙されている。お酒を飲んで酔っ払って、お腹出したまま寝ちゃうゲンちゃんを、風花は知らないからだ。


 風花とおしゃべりしながら歩いていたら、完全にゲンちゃんを見失った。風花と別れてあたしは速足で家に帰る。

「ただいまぁ」

「おかえり、いろちゃん」

 あたしを迎えてくれたのは、白い子猫を抱いたナナちゃんだ。

「ただいまナナちゃん、と……」

 そうだ、猫の名前まだ決めてない。俺の猫だから勝手に決めるなってゲンちゃんがえらそうに言うから。

「みゃあ」

 ナナちゃんがにこにこしながら、あたしの手に猫を抱かせてくれる。猫の首にはピンク色の首輪と鈴がついていた。

「あ、首輪つけたの?」

「ゲンちゃんがつけたみたいよ」

「ふうん」

 なんだかんだ言って、ゲンちゃんは猫のことかわいがってるのかも。

「あっ、そうだ、ゲンちゃんは?」

「もうバイト行ったよ」

 早いな。バイトあるのに来てくれたのかな。あたしのために?

「ゲンちゃん今日、学校行ってくれたでしょ?」

 ナナちゃんが電子レンジにマグカップを入れながら言う。

「うん……」

「なんだかんだ言って、ゲンちゃんはかわいいんだよ、いろちゃんのこと」

 あたしの心臓がざわざわと騒ぐ。

「それにゲンちゃんは意外と頼りになるから。だからいろちゃんは、何にも心配しないで大丈夫だよ」

 台所にチンっという音が響いて、ナナちゃんがレンジからマグカップを取り出す。そこにお砂糖を入れ、スプーンでかき混ぜた。

「はい。ホットミルク。熱いから気をつけてね」

「ありがと」

 あたしは猫を抱いたまま、片手でカップを受け取った。そして小さな声で「宿題やってくる」と言い、自分の部屋に入った。


 ふすまを閉め、カップを机の上に置き、猫を両手で抱き上げる。

『なんだかんだ言って、ゲンちゃんはかわいいんだよ、いろちゃんのこと』

 ナナちゃんの言葉を思い出し、胸の奥が熱くなる。

「あれ?」

 ちりんと鈴の鳴った首輪を見て、あたしは目を細める。指先でそっと鈴をどかすと、小さなプレートに何かが書かれてあった。

「『ミルク』? これ、猫の名前? ゲンちゃんがつけたの?」

 たしかにその字はゲンちゃんの字だった。

「へぇ、あんたミルクっていうんだ。かわいいじゃん」

「みぃー」

 あたしは真っ白い猫の顔を見つめてから、きゅっと抱きしめる。ほんわかとあたたかくて、初めてゲンちゃんに作ってもらったホットミルクを思い出す。

 しばらくミルクを抱きしめたあと、段ボールの箱に寝かせ机に向かった。

「勉強しようっと」

 ゲンちゃんがそこまで言うなら、高校行ってもいいかなって思えてきた。

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