さようなら、ニッポン
嶋田覚蔵
第1話最後の昼食
阿武(あぶ)総理は驚いた。日本はなんと素晴らしい国なのだろう。
あと数時間で日本が崩壊するかもしれないというのに、暴動ひとつ起きず、国民の多くが最後の食事をお目当てのレストランで楽しむために、整然と列を作って待っている。公務員たちは、出勤拒否する者もなく、中央はもちろん、各地方自治体も、警察も消防も、自衛隊も不測の事態に万全の体制で備えている。
お昼のテレビでは、女性レポーターが街に出て、喧騒ぶりを伝えていた。
阿武総理は、彼の巨体でも優しく包み込んでくれる「総理の椅子」にどっしりと座り、総理執務室に据えられた巨大モニターで、官邸スタッフと共にその様子を眺めていた。
「豊洲は美味しいお魚を食べたいお客さんで、現在このようにあふれ返っています。お店の方によりますと、年末の買い出しシーズンを超える大勢の人たちが訪れているそうです。特に一番行列が長いのが、こちらのお鮨屋さんです。並んでいる人にお話を聞いてみましょう」
「どうですか、お鮨食べられそうですか」
マイクを向けられ、奥さんと小学4年生くらいの子供と一緒に並んでいる30代半ばのお父さんが答えた。
「妻も息子もお鮨が大好きなもので、最後かもしれない今日に、ぜひ最高のお鮨を食べさせてあげたいんです。お店の人からは3時間待ちと言われてますが、どうしてもこちらのお店で食べたいので、頑張って並んでいます」
こんな事態なのに、お父さんは家族揃って高級鮨を食べられるのが嬉しいらしく、目を輝かせ、まるで「恵比寿さま」のような笑顔で答えた。
次に画面は新宿警察署の前に切り替わった。
「こちらは新宿警察署前です。警察からの情報によりますと、現在新宿署管内では目立った事件は起きていない状況です。ただ、新宿南口周辺、歌舞伎町周辺はデパートなどで買い物や食事を楽しむ人たちで、現在大変混雑しており、迷子の対応に追われているそうです」
ヨレヨレのスーツを着た男性の記者が、メモをチラチラ確認しながら、まくしたてた。
こんな状況でも日本は天下泰平。隣のC国は、低所得者層が、富裕層が住んでいる高級住宅街になだれ込み、邸内の金品を持ち出したり、核攻撃にも備えられるシェルターを見つけ出し、実力で占拠するなど、まるで内乱状態だという。中東では、「審判の日」は今日であると考え、聖地を巡る争いが激しく繰り返されているという。A国では自動小銃で武装した暴徒たちが荒れ狂って、警察では対応しきれず、軍が出動している状態だ。
巨大な隕石が地球に向かっている。衝突は避けられず、その被害は巨大すぎて予想不可能。「衝撃で地球が欠けてしまうかもしれない」という説や、「ものすごい量の粉塵が空中に舞い上がり、太陽の光を数百年さえぎる。そしてその間、地表は氷で覆われるだろう」
「地上では無数の超巨大な竜巻が荒れ狂い、人間はもちろん、建造物は全て吹き飛ばされてしまうだろう」
地表で生きていられる生物は皆無で、ほんの一部の深海に住む魚たちが、生き残るだけだという予測が有力だった。
そんな一大事が、日本時間で20XX年10月18日。つまり本日の21時20分頃に起きると先進7か国の指導者と、全世界の天文学者が共同で発表したのがつい3日前。
なんとか人類が生き残る術はないか。人類の「英知」と呼ばれる人たちを集めて検討会議が開かれたが、すぐに終了してしまった。
「生き残る方法はない」
早々にそういう結論が出てしまったからだ。
もちろん日本でも、急きょ阿武総理を議長として国家安全保障会議(NSC)が開かれた。
それでも結局具体的な生き残り方法は出なかった。生き残るためには宇宙に飛び出すか、深海に潜るくらいしか方法がない。仮にそうして一時は難を逃れることができても、生活物資の補給ができないから、多少の期間延命できるだけだ。
結局会議では、10月18日、つまり巨大隕石が地球に激突すると予想される日の対応策をいくつか発表するしかできなかった。
① 20XX年10月18日は、混乱を避けるために急きょ、国民の休日とする。
② 同日は安全確保のため、公共交通機関の営業時間を、始発から19時までとする。また、20時以降は一般車両の通行を一切禁止とし、緊急車両のみ走行を可とする。
③ 小学生以下の子供とその家族、老人、障害者などは希望すれば優先的に、各地方自治体が定める避難所に入ることができる。
とりあえず政府が発表したのはこれだけ。あまりにも事態が深刻過ぎて、これ以上の対策は立てようがなかった。
するとすぐさま、世界中で株が大暴落。金の価値がもの凄い勢いで高くなった。金融の専門家によると、株や金などの商品の売り買いは、AI(人工知能)が行っていて、インターネットやテレビからの情報で、世界情勢を分析し、自動的に売買するからそんなことになるのは仕方ないという。
「地球が崩壊するかもしれないのに、金なんか持ってたってしょうがないだろうに」
阿武総理は経済が大混乱していることに関しては、完全に目をつむった。パニックを引き起こしているところに、政府が無理に介入しても良い結果を生みそうになかったからだ。
経済と同時に問題になったのは、日本に居る外国人の帰国問題だった。在留している外国人が約300万人。観光でたまたま日本に来ていた外国人が約100万人。計400万人の外国人をたった2日や3日で、全員帰国させるのは物理的に不可能だ。
当然国内に5つある、国際空港や博多港などの外国航路の定期船がある港には外国人が殺到し、大混乱が生じた。そこで政府は日本人の帰国以外、一切の入国を禁止した。そして出国する外国人に対応する業務に人員を投入し、難局を何とか乗り越えた。
幸運だったのは、外国人の多くが、「無理をして大混乱している祖国に帰るよりも、日本に居た方が快適だ」と判断し、最初は空港や港に殺到した人たちが早々に帰国を断念してくれたことだ。おかげで出入国に関する混乱は、現在ほとんど起きていない。
阿武総理はこのまま今日の21時20分まで、大きな事件がなく無事に過ごせることを胸の奥底で願った。
巨大隕石の衝突が分かった時点から、常に問題だったのは如何にして皇族の皆様をお守りするかという点だった。
宮内庁に確認したところ、「天皇陛下は御所に留まり、世界の無事を祈るというご意向です」とのことで、ほかの皇族の方々も「陛下に従う」とおっしゃられているという。
もし世界のどこかに、安全な場所があるのなら是非ともそこへ避難していただきたいし、そのための努力は惜しまない。しかし、安全な場所なんてどこにもない現状では、「天皇陛下も皇族の方々も、皇居にいらっしゃいます」と言えるのが、国民の不安をあおることがなく、政府にとってはありがたいことだった。
さらに18日の夜。政府や報道機関の都合のいい時間で、天皇陛下がお言葉を述べられるということが決まり、それも国民の不安な気持ちを払拭するには大切なことなので、阿武総理は大喜びだった。
それで18日の19時から全国一斉に、天皇陛下のお言葉を放送することになり、その後19時半から、総理が巨大隕石落下に対する政府の対応策を発表することになった。
阿武総理は再びテレビに目を移す。国民が選んだ「最後の昼食」人気1位は、なんと「回転鮨」だったようだ。レポーターが上野にある人気回転鮨店の大行列の前に立ち、500人は並んでいるという人の波の凄さを紹介していた。
レポーターが回転鮨の列に並ぶ主婦にインタビューした。
「この食事が、『最後の昼食』となるわけですが、回転鮨でいいんですか。高級鮨店に行きたいとかは思わないんですか」
「なかなかいい質問だ」と阿武総理は思った。
「なぜ安さが魅力の回転鮨に、お金を残しても意味がないこの状況でわざわざ並ぶのか」
総理は不思議でならなかった。
するとマイクを向けられた主婦は、
「私も子供も、あぶりサーモンが好きなんですけど、高級なお鮨屋さんには、あぶりサーモンがないっていうんで、それでこの店に並んでいるんです」と平然と答えていた。
「へーっ、あぶりサーモンってそんなに旨いのか。食べたことないや」
『上級国民』である総理は、回転鮨など行ったことがない。試しに若手の官邸スタッフに聞いてみたところ、そのスタッフも、あぶりサーモンが好きだという。
「生のサーモンを目の前で、ガスバーナーであぶってもらって、鮨にしてマヨネーズで食べるんです。意外と美味しいですよ」なのだとか。
「鮨をマヨネーズで食べる…。そんなものが旨いのか。脂っこ過ぎるじゃないか」
総理はそう思ったけれど口に出すのはヤメにした。日本国民には高貴な人々と一般庶民の2種類の人がいて、総理と若手スタッフは、それぞれ別のグループであり、意見がかみ合わないのが当然だということを知っていたからだ。
阿武総理の父は外務大臣だった。次期総理候補として将来を期待されていたが、病気のため政界を志半ばで去ることになった。阿武総理は父の死後、衆議院議員に。「政界のプリンス」として注目され、父の志を継いで総理の座を狙うものと思われていた。
若い時の阿武総理はそれが不満だった。支援者の多くもマスコミも、自分に父の面影を重ねて、父に期待した思いを若かった阿武議員に託すのは当然だと考えていた。
若かった阿武氏はそれが嫌で大胆な戦法に出た。父も自分自身も長らく所属していた自由党を離党した。そして新しい政党を作り、自由党とは違う新しい政策を立ち上げた。
「21世紀後半は必ず、人間とロボットが共生する社会になります。しかしそんな未来を怖れることはありません。われわれ日本人は、他のどの国民よりも上手に、ロボットと共生する社会を築き上げることでしょう。そのことは世界でも有数の巨大で複雑な公共交通機関を、運用している実績が保証してくれています」
その頃の日本は目標を失っていた。何に向かって努力すればいいのか分からず、ただ目の前の享楽に耽っていた。そして国自体はもちろん、企業も国民さえも「ジリ貧」感に支配されていた。だからこそ新党を立ち上げた若き阿武議員は、日本に何か目的を与えたかった。少しでも現実味のある「夢」を見て欲しかったのだ。
「単純労働は、もはやロボットに任せましょう。人間は今よりももっと芸術性の高い仕事に就くべきです。文学や音楽、映像表現、漫画。料理だって高めれば十分に芸術ですし、化学や物理の研究も、研究課題を決めるのに個性が必要なら芸術です。人間が、おのれの個性を発揮して生み出すもの。それらは全て芸術です。反対に個性が要らない作業は全て単純労働です。これからは単純労働を全てロボットに任せてしまいましょう」
阿武議員の構想には実は”裏”があった。人間の個性重視の時代を予言することで、その当時、全体主義で成長著しかった独裁国家C国と一定の距離を置こうというものだった。
これが基本的にC国を嫌う、多くの日本国民に支持されて、阿武議員は人気を獲得。ついには、総理の座まで手中に収めたのだった。
阿武総理は、さっそく積極的にロボット産業を支援した。被災地に「電力格安特区」を設定し、世界の企業からの投資を呼び込んだ。
そうして日本の新しい形を生み出そうとした瞬間、この騒動が起きたのだ。
さようなら、ニッポン 嶋田覚蔵 @pukutarou
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