私には何も分からない。


 味、匂い、感触、温度、痛み、それから感情。


 何故ならば私は一度死んでいるから。



「七海ーちょっと来てー」


「はい先生」


 石造りのいかにも冷たそうな床でも私は裸足で平気だと言ったのだけれど先生は「見ていて寒々しい」と私に履き物を与えてくれた。


 それから洋服も。恥も分からないから必要がないのだけれど「それは私の趣味」と言って私が生きていた頃には水兵さんが着ていた服を着せてくれた。それなりに動きやすいので気に入っている。


「これ地下に運んでくれる?」


 玄関に到着すると先生は長方形の大きな木箱に腰掛けタバコを吸っていた。

 先生は来客の対応だけは自分でやる。「私にやらせればいいのでは?」と聞いたことがあるが「平日の昼間から制服の女の子が出てきたら通報されかねない」と言っていた。

 木箱は外国から届いたのだろうか、外国の言葉が書かれた紙が沢山貼られている。


「はい」


 両手でその箱を持って階段を降りる。先生が以前言っていた。人間は基本的にリミッターがかかっていて、本来出せる筋力の数%しか活用していない。「七海はそのリミッターが治らなかったから人間の持ちうる100%の力を使えるんだよ」と。私は重いというものも分からない。


「それねー結構高かったんだよねーあ、そこの台に置いて」


 地下に降りると後ろから付いてきた先生が地下室の扉を開けて指示を出す。おそらく今の先生には楽しいという感情がある。


「はい、これで蓋開けて」


 釘抜きを渡されるが使ったことがないので使い方が分からない。


「先生、これはどのように使うものですか?」


「あ、そっかお嬢さん知らないのね。これはねーこうやるんだよ」


 蓋の隙間に短い方を差し込むと長い方の先を持ち力を込める。が、隙間がほんの少し大きくなっただけだった。


「ここが支点。で力点と作用点。テコの原理を使っているんだよ。しかし、私は力が足りないねぇ。頼むよ」


「分かりました」


 先生が開けた隙間に深く差し込み、私がいつものように力を込めると蓋は簡単に持ち上がった。残りは手で開けると中は白い煙が充満していた。


「いやはや見事なお手前」


 先生は白い煙を手ではらいながら丈夫そうな手袋をはめて箱の中を漁ると煙の出ている白い石のような物を摘んで私に見せてきた。


「これはねドライアイスというんだよ。常圧環境下では液体にならずに昇華するから生ものを運ぶ時に便利なんだよ」


「ということは冷たいのですか?」


「そう。でもこれは皮膚に触れると凍傷を起こすから七海も触らないでね」


「はい」


「そうだ扉開けてきて。高濃度の二酸化炭素だから窒息或いは酸欠を起こしてしまう」


「分かりました」


 先生は私の身体に傷が付くことを嫌がる。人間と同じく傷付くが自然治癒が出来ないから何があっても身体に傷を付けることはするなと言われている。それでも私が気づかぬうちにつけてしまう事も多く、毎晩お風呂で隅々までチェックされては切れている部分は縫って貰っている。


「おお…想像以上に綺麗」


 先生はドライアイスをどけて包装を丁寧に破くと感嘆の溜息を吐いた。

 扉を開けて戻って来た私は何かがおかしかった。もしかしたらこれが酸欠かもしれない。


「やはり金髪はいいなぁ。うんうん、年齢は私と同じぐらいかな。保存状態も良かったな。すぐに冷凍してくれたんだな。これはいいな」


 箱の中には金髪で肌の白い女性が寝ていた。いや、おそらく死んでいる。


 先生は楽しそうに一人で話している。女性に話しかけているのかもしれない。女性の身体に触れて愛おしそうに微笑んでいる。


「綺麗に生き返らせてあげるからね」


 そう言うと先生は私に再び指示を出していく。私はそれに応えていく。


「名前はもう決めてるんだよね。オッタ。可愛い響きだと思わない?」


「私には分かりません」


「そうだよねー今回は感情を引き出す事が課題だからね。七海はそれでいいんだよ。何をしても照れてくれないのはつまらないのだと気付けた。気付きは非常に大切な事なんだなぁ」


 先生、酸欠かもしれません。とは言えなかった。何故ならば私はもう傷がついても直して貰えないかもしれない。それを知ることが何よりも怖かった。怖い?怖いというのは感情だ。


 私には感情が分からないはず。


 感情が分からないのは、本当に私?

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