短編百合小説

六畳一間

 朝目が覚めて、いつものように隣で寝ている彼女を抱きしめようと手を伸ばすと空を掴んだ。


 今日は一週間で最も幸せな休日の始まりだし、トイレにでも行っているのかと上体を起こして目を開ける。


 恋人がいるはずの場所には一匹の猫が居た。

 確かに彼女はネコだけども。


 我が家はオートロックのマンションの六階。猫が入れそうな隙間は無いし、ベランダの窓は絶対閉めて寝るからお隣さんの猫の可能性も低い。

 何より彼女はどこに行ったのか。ヤバい、泣きそうになってきた。


「みっちゃんなの?」


 四つん這いになって顔を覗き込むように語りかける。薄っすらと片方の目が開いたがすぐに閉じる。この仕草、みっちゃんがよくやるやつじゃん。目元とか、茶色い毛並みとか、みっちゃんにそっくりで…鼻水がつゆだくになってきた。


「みっちゃん…あっ可愛い」


 猫みっちゃんは全身で伸びをして大きなあくびをすると、四つん這いになっている私の背中に乗ってきた。


「みっちゃんは猫になっても可愛いんだねぇ…」


 四つん這いで涙と鼻水を垂らして猫を背中に乗せたアラサーの図は残念なブレーメンの音楽隊って感じだけど色んな意味で動けない。


「どうしよう…みっちゃんがいないと私…」


 そうだどうしよう。幸いなことにみっちゃんの会社の人で私たちの関係を知っている人の連絡先は知っている。けどどうやってこの状況を説明する?『恋人が猫になりました』ってB級映画のタイトルみたいなこと言うの?


 それにみっちゃんの家族にも。みっちゃん家は大らかのO型家族だけど流石に猫は大らかに収まる話じゃない。


「あっちょっと」


 猫みっちゃんは私を台にしてベッドの横の棚に登った。そこにはみっちゃんのコレクションがある。

 平日社畜で帰宅後は有象無象になっている私たちはせめて土曜の午前中は掃除と片付けの時間と決めていて、みっちゃんはよく棚のホコリを入念に取っていた。


「そうだよねぇ…お掃除しなきゃ…あっちょっとみっちゃん!」


 棚の上で突然走り出したおかげでみっちゃんコレクションのフィギュアがバラバラと降り注ぐ。


 みっちゃんは以前、袋ラーメンの茹で時間にゴロゴロしていると思ったら突然起き上がってクラウチングスタートで走り出し、カウンターキッチンの角に足の小指をぶつけて折った事がある。


 病院の待合室で告白した動機は「二分五十秒ぐらいが一番美味しいのに三分セットしたことを思い出した」と供述していた。


 衝動的に動いてやらかすのは猫になっても変わっていない。


「もー大事なものなんでしょー?」


 フィギュアを拾っているとまた涙が出てくる。

 ずっと一緒にいようねって約束したのに。そんな女子中学生がするようなちゃちな約束でも同性愛者というマイナーな私たちにはとても大切で目に見えない結びつきとなる約束だった。


 みっちゃんに出会う前の、ただ毎日を消費している時のような感覚を思い出して胸の辺りが締め付けられたように苦しくなる。


「ゔっ!」


 フィギュアを抱えて泣いていると猫みっちゃんが棚から降りて私の肩に乗った。

 爪が刺さってるけど刺激の強いツボ押しのような感じであんまり痛く…いややっぱり痛い。


「みっちゃん痛い。ほらおいで」


 フィギュアをテーブルに置いて猫みっちゃんを抱く。赤ん坊を抱くように抱いてみたら気に食わなかったようで、ジタバタすると胡座をかいた足の中で丸くなり膝に顎を乗せて落ち着いた。


 頭から尻尾まで撫でてみるとゴロゴロと喉を鳴らし始めた。


 ふと気づく。この子の面倒を見れるのは私しか居ない。ネズミ一匹入ってこないマンションの一室では私が餌をあげなければ生きる事すらままならないだろう。

 トイレの世話や病気になった時に病院に連れて行く事も私がやらなければいけない。


 顎の下を撫でると猫みっちゃんが手に噛みつく。みっちゃんもよく噛んできたな。


「そうだね…自分の事ばっかり考えてたね」


 覚悟を決めなければ。まずは餌やトイレやら必要なものを調べて買ってこないと。

 猫みっちゃんを抱きかかえながら勢いよく立ち上がってリビングの扉へ向かう。


「ただいまー」


 扉のドアノブを掴んだ瞬間に扉が開いた。私も猫みっちゃんも驚いて明後日の方向へ飛んでいく。


「みっちゃん…!?」


「おっと…私はみっちゃんだよね?え?何か背中にいる?」


 時代劇であ〜れ〜と帯を解かれた人みたいな座り方で人間のみっちゃんを見上げるとまた涙が出てきた。


「どこ行ってたのみっちゃん〜」


 どっと溢れた安心感が目からこぼれ落ちていく。胸の締め付けが一瞬だけ強くなって一気に解放される。


「えぇどしたどした!?扉にぶつけた?」


 みっちゃんはしゃがんで私のおでこやら身体のあちこちを痛いのどこだ〜?と言いながらさする。

 実体のある温かさで安心感が増して余計に涙が溢れてくる。思わず抱きしめると抱きしめ返して頭を撫でてくれる。


「猫になったかと思った〜」


「え!?そうなの!?」


「起きたら居ないし猫いるし」


「あっ!ごめんそれ実家の猫」


 みっちゃんの供述によるとご両親が旅行の間、預かっててほしいと言われていたのを私に報告するのも予定の日もすっかり忘れてて今朝早くにご両親が預けに来たらしい。

 うっかりみっちゃんのご両親ももれなくうっかりで、猫とトイレは持って来たけど薬を忘れてしまったから電車で片道三十分の実家まで取りに行っていたらしい。


「おばあちゃん猫だから毎日薬あげないとなんだって」


 すっかりみっちゃんの膝に収まってゴロゴロしている猫は雌なのに太郎というらしい。


「うち三姉妹で男性はお父さんだけでしょ?だからせめて名前だけでもって」


「まぁ猫ってイントネーションで自分が呼ばれたか判断してるらしいしいいんじゃないかな…?」


「そうなんだ!じゃあ預かってる間試しに違う名前で呼んでみようか。たろう…たろう…はろう?」


「…二号」


「えっ?なんで?」


「二号で」


「あっはいじゃあ二号で」


 ちょっとだけ騒がせた仕返しに。一号はキョトンとした目でこちらを見ている。やっぱり目元が似ている。

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