Ⅱ 懐柔

 そして、まるで刑の執行を待つ死刑囚の如く、不安で眠れぬ夜を幾晩も明かし、ついに運命のその日はやってきた。


 パーティーといっても、私の意向で限られた身内による小規模なものだ。親族も全員が来るわけではない。


 招かれた…というより押しかけて来たのは、現在、エイン・エンタープライズのCEOを務める武留の叔父の息子夫婦とそのこども一人、馬頭という会社の重役に嫁いだ叔母(※武留の祖父の長女)夫婦とその娘、関連企業の社長である加藤の家に嫁いだ同じく叔母(※次女)夫婦の三組である。


「――武留さん、半還暦おめでとうございます。お家に押しかけといてなんですけど、今日はこちらで夕食の用意をしますんでそれまでゆっくりしていてください」


 親族一同を代表し、迷惑にもやって来た従弟(武留のだが…)・衛院路敏みちとしの言葉によって針の筵のような私の誕生日は始まった。


「あ、ああ、ありがとう。それじゃ、夕方のパーティーを楽しみにしているよ……」


 この中のいったい誰が脅迫状の犯人なのか? ゆっくりするどころか親族達の一踏一足に神経を尖らせ、私は夕食までの長い長い緊張の時を過ごした。


 すると、まず初めに接触してきたのは意外にも路敏の息子、小学一年になる衛院民弥たみやだった。


「――ねえ、ねえ、おじさん……ぼくね、おじさんのひみつ知ってるんだあ」


 無邪気な笑顔で手招きしたカワイらしい少年は、腰を屈めた私の耳元でそう囁いた。


 予期せぬその言葉を聞いた瞬間、私は心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われ、冷や水を浴びせかけられたように背中が冷たくなった。


 まさか、こんなこどもが犯人だというのか!? ……いや、違うな。こんな子が脅迫してくるとは思えない。となると、父親の路敏が真犯人か!


 路敏の父親――つまり武留の叔父は現CEOであるが、数年前から大病を患い、現在、実質会社を仕切っているのは本社社長の路敏である。


 歳は私とさほど変わらない若輩者だが次期CEOでもあるし、私の持つ会社の株をすべて寄こせとでも言ってくるつもりなのかもしれない……。


 それにしても、こどもを使って揺さぶりをかけてくるとはなんと卑劣なやつだ! そっちがその気なら、逆にこちらがこの子を手懐けてやるまでだ。


「そ、そうなのかい? でも、そのことを誰にも話さないでいてくれたら、今度、好きなおもちゃをなんでも買ってあげるよ。ああ、それに今から家政婦さんに言って、何かおいしいお菓子でもごちそうしよう」


「ほんと! わーいやったー! 武留おじさんだ~いすき!」


 少し動揺してしまったが、私の出した好条件に民弥少年はすっかり丸め込まれたようだ。こどもを懐柔するなど容易なことである。


 さあ、後は本丸の路敏だ。どう話をつけたものだろう。最悪、株を半分引き渡し、筆頭株主の座を開け渡すか……。


 純朴な親戚の子の小さな手を引き、キッチンの方へ歩きながら今後の対策を私は思案する。


 しかし、民弥少年からのこの接触に、私はすっかり父親が犯人だと思い込んでしまったのであるが……。


「――武留さん、ちょっとお話よろしいですこと? じつはわたくし、あなたの正体についておもしろいお話聞きましたの」


 民弥を手懐けて一息吐いた矢先、今度は上の叔母の娘――従妹に当たる馬頭薫が、誰も周囲にいないのを見計らい、そう小声で告げてきたのである。


「でも、ご安心なさって。わたくし、こう見えて口は堅い方ですから」


 続けて、遠回しになんとも粘着質な声でそんな口止め料の要求までしてくる。


 路敏だけでなく、まさかこいつまで私が偽物と気づいているのか!? 


 なんということだ……馬頭薫は何不自由なく育ったお嬢さまのくせして、なんともがめつく強欲だと親族の間でも悪名高い女である。


そんなゲス女にまで私の秘密を握られてしまうとは……厄介なことこの上ない。


「そうか。それは確かに安心だな……ところで、今何か欲しいものはあるかい? お礼にブランドものでも宝石でも、なんでも好きなものを買ってやろう」


 だが、欲深な者は厄介な反面、目的がシンプルなだけにその扱いは存外簡単であったりもする。私はすぐさま彼女の望むものを見定めると、それをエサに交渉に出た。


「まあ! 本当ですこと! さすがご本家の当主ですわ! うちのパパ、ドケチでなかなか欲しいもの買ってくれなくて。それじゃ、今度一緒に銀座へお買い物に行きましょう!」


 すると、彼女はパッと顔色を明るくし、今度はきーきーとうるさい声で歓喜しながら機嫌よく去ってゆく。案の定、私の読みは正しかったようだ。


 とりあえずはこれで当面の問題は凌げた。この先、何度となくおねだりをされることとは思うが、この手の輩は大事な金づるを失うようなバカな真似は絶対にしない。その都度、適当にあしらってさえいれば、彼女が秘密をバラすようなことはまずないであろう。


 ……ところが、一難去ってまた一難。


「――オホホホホ…武留さん、あたしぃ、じつは武留さんの秘密知ってますの。まさか、あなたがあの人・・・だったなんてねえ…オホホホホ…」


 馬頭薫に続き、さらには下の叔母の加藤梅までが、ご近所のウワサ好きなおばさんよろしく、ニヤニヤしながら声をかけてきたのである。

 

 ……これは、かなりマズイ……問題の大きさからいえば、強欲な薫よりもむしろこの人の方が厄介である。


 なぜなら、この人は見ての通り話し好きで口の軽い、秘密など無きに等しい典型的なおばちゃんだからである!


 物欲に塗れた薫は金品で口止めができるからまだいい……だが、このおばさんは例え口止めをしたところで無意識についつい口を滑らせてしまうのである。


「でも、大丈夫よ。あたし、口はすごく堅いんだから。これはここだけの秘密にしておきましょう」


 などと、イヤらしい笑みを浮かべながら約束してくれるが、無論、到底信じられるものではない。


「本当にお願いしますよ? そうだ。秘密にしてくれるお礼にこれをさしあげましょう。おばさん、確かエメラルドがお好きでしたよね?」


 効果がいかほどのものかわからないが、一応、鼻薬をかませておく必要はある。私は間に合わせに嵌めていたエメラルドの指輪を外すと彼女のふくよかな手に握らせた……指に入るかわからないけど。


「あらまあ! あたし、そんなつもりで言ったんじゃないのに……でも、せっかくなんでいただいとくわね。安心して、ほんとあたし口は堅いんだから」


 うれしそうにそう言って、ウインクを残し去って行く梅おばさんであるが、言葉をその通りにとってはならんだろう。


 これは、何かしかるべき対策を考えなくては……少々気は咎めるが、やはり彼女の場合、最終的には口を封じる・・・・・しかないのか……。


 それにしても、まさか四人もの人間に偽物だとバレていようとは……この四人の内の誰があの脅迫状を出したのであろうか?


 まあ、民弥はまだこどもだし、天然な梅おばさんはそんな素振りなかったから除外するとして、やはり路敏と薫のどちらかということになるのだろうか?


 ……いや、まだ他にも偽物と気づいている人間が親族の中にいるかもしれない……これはまだまだ予断を許さないな……。


 日に三度も肝を潰す目に遭うとはなんとも過密スケジュールであるが、そうこうする内にも夕食がてらに私の半還暦を祝うパーティーの時間となった。

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