すーくんとわたし。

雨世界

1 私は、私を見捨てない。

 すーくんとわたし。


 プロローグ


 ……わたしが消えてしまう前に。


 本編


 私は、私を見捨てない。絶対に。


 怖くない。怖くなんて、全然ないよ。


 私とすーくんが出会ったのは、ある夏の日のことだった。


 私たちは手を取り合って、薄暗い夜の明け方の病院の長椅子の上に並んで、お互いの肩に頭を寄り添うようにして、座っていた。暗い廊下の中で、私は目を閉じて、すぐ近くにいる、すーくんの心臓の鼓動の音を聞いていた。


 とくん、とくん、と言う静かな音だけを聞いていた。


「大丈夫? 寒くない?」

 小さな声ですーくんは言った。

「……うん。大丈夫。寒くない。全然寒くないよ」と私は言った。


 それは私のいつもの強がりではなかった。

 本当の、本心からの言葉だった。


 今朝の気温は低くて、体は少しだけ寒かったのだけど、私の心は全然寒くなんてなかった。ずっとあったかいままだった。

 それはもちろん、すーくんが私の隣にいて、こうしてぎゅっと、私の手を握ってくれているからだった。(私の心をあっためてくれているからだった)


 もうすぐ夜明けが来る。

 太陽が世界に上って、夜が終わって、新しい朝がやってくる。


 眩しい朝。

 綺麗な朝。

 待ち望んだ、朝の日差しが、この暗い病院の中に差し込んでくる。


 その光を、私は見たいと思った。


 でも、それはもしかしたら、無理かもしれない。

 私は、もう、あんまり持ちそうにもなかった。


 ……あと、数時間。

 でも、その数時間が私には遠すぎる。


「……すーくん。お願いがあるの」私は言った。

「なに?」

 優しい声ですーくんは言った。


「このまま、ずっと、私の手を握ったままでいてくれる?」私は言う。(私の声は、もしかしたら、少しだけ震えていたかもしれない)

「うん。もちろん。いいよ」

 にっこりと笑って、すーくんは言う。


 あんまり喋らない(最初にあったときは、すーくんは言葉を喋らないんじゃなくて、喋れないのかと思うくらいに、なにも言葉を喋らなかった。私と口を聞いてくれなかったのだ。私はそんなすーくんのことがあんまり好きではなかった。……でも、それも、今、こうして思い出すとすごく懐かしいことのように思えた)すーくんは私を見て、そう言った。


「……ありがとう。すーくん」

 すーくんを見て、私は言った。


「なんのありがとう?」すーくんは言う。


「私を見つけてくれて」私は言う。

「僕が君を見つけたんじゃない。君が僕を見つけてくれたんだよ」すーくんは言う。


「じゃあ、私を愛してくれて」にっこりと笑って私は言う。

「こちらこそ、僕を愛してくれて、どうもありがとう」とすーくんは言う。


 すーくんの目はすごく綺麗で、透明で、長い前髪にその目が少し隠れているのが、もったいないと思えるくらいだった。(それじゃ、せっかくのすーくんの綺麗な目も、すーくんから見える素敵な世界も、よく見えないでしょ? と思った)


「もっとこうしていたい」私は言った。

「ずっと、こうしているよ」すーくんは言った。


「ありがとう。すーくん」最後に私はそう言った。

「こちらこそ、どう……」

 私の視界は霞んでいた。

 耳もあまりよく聞こえなくなっていて、すーくんの表情も、すーくんの最後の言葉も、あんまりよくわからなくなっていた。


 すーくん。

 ……大好きだよ。


 私は心の中でそう言った。


 そこで私の意識は途切れた。

 まるで眠りにつくように私の意識はなくなって、この世界から消えていった。すごく遠い場所に、拡散して、消えてしまった。


 まだ、夜は明けてはいなかった。

 

 ……朝を見たかった。

 新しい朝を、見てみたかった。


 すーくんと二人で。

 ……大好きな、すーくんと、……一緒に。


 こうして私はこの世界を旅立った。

 大好きな人の隣で。(それは幸せなことだった)


 この物語は、私が、すーくんと出会い、大好きなすーくんと一緒に、最後の最後のときまでを、すーくんと二人で、暗い夜の中を全力で駆け抜けた、そのすべての記錄だった。

 私はこの二人の物語を、日記の中に残すことにした。


 私がこの世界に生きた証として。

 私がすーくんのことを、本当に愛していた、証拠として。

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