第11話 本格的に始まる修業
翌日は二人でランニングを済ませ、眼鏡屋に行った。
やはり今の眼鏡は度数が合ってないらしく、新しいレンズに交換する必要があるそうだ。
今の眼鏡を捨て、新しい眼鏡だけになるのかと思ったが、星斗はそうしなかった。
今の丸みを帯びた眼鏡は普段使い、新しく買ったスポーティーな四角い眼鏡は修業用となり、私は二つの眼鏡を持つ事になった。
そうなると、四角い眼鏡の時は心なしか気が引き締まる。
そこに黒ジャージを着ると、もう気持ちが修業モードに入るのだ。
星斗も黒ジャージを着ている時は若干厳しい口調になる。
普段はかなり温厚な喋り方をするのでギャップが激しい。
やはりそれも漫画に影響された一つなのだろうか。
修業の内容も日が経つにつれて段々と実戦的なものになっていった。
「構えは二つ。足を肩幅に開いて半身にならず右足を半歩引く。左手左足は相手の攻撃に備え、右手右足で後手を狙う。どんな攻撃が来てもカウンターに入れるように」
「もう一つは左手を顔の十センチ前、右手を顎につける。足は前後左右どこにでも動けるよう広めにスタンスを取る。大きく踏み込んで相手に近づき、先の先を取りに行け」
「正拳突きは基本中の基本だが、ボクシングのジャブと合わせて使うといい。身体を半身にせず、左で顔面にジャブ、左を引くと同時に腰を回転させて右で鳩尾に正拳だ」
「顎や頬を狙うフックはもっとモーションを小さく。大きいとかなり避けられやすくなる。避けられた場合、そのまま腕を畳み、一歩踏み込んで肘を相手の心臓辺りに当てろ。その際、重心を落とす。これを頂肘という。カウンターとしても使えるから覚えておけ」
「蹴りは基本的に三種類覚えておけばいい。主に腹を狙う前蹴り、頭付近を狙う横蹴り、横から襲い掛かられた際の足刀蹴りだ。どれも左足、つまり軸足のバランスを大切に。そして全体重を右足に乗せるつもりで蹴れ」
「敵は一人とは限らない。複数を相手にする場合、狭い場所に逃げ込むのがセオリーだが、そう都合の良い場所は無い。そこで使えるのが目打ちだ。ジャブよりも速く相手の目付近を手の甲、または指で叩く。当たればかなりの時間、相手を無力化できる。痛がってる隙に金的蹴りで追い打ちだ」
「人の急所は主に体の真ん中のライン上にある。その中でも鼻は折れやすく、鍛えられない場所だ。無防備に顔を近づけてきたら相手の髪を掴み、自分の額に持ってくるように頭突きするといい」
「長棒はしっかりと手首を返し、回す。ブンブンと音がするくらい回すだけで相手は怯む。その隙を見て武器を持つ相手の手を打ち据えろ」
「ヌンチャクはまず、自分に当たらないくらいのコントロールを身に付ける事。
素早く正確に相手を狙うのはそれが出来るようになってからだ」
「全ては反復。反復練習で身体に覚えさせる事が大事だ。自然に構え、咄嗟の攻撃に対処する。避けるべきか、カウンターを入れるべきか、相手の次の行動を予測して判断するんだ」
来る日も来る日も反復に次ぐ反復。
ある時は鏡で自分の姿を見ながら、ある時はサンドバッグを前に、何度も何度も拳を突き出した。
私の拳は痛み、右足の太ももから下は痣でいっぱいになった。
疲れはあったが、それでも辛いとは思わなかった。
悔しさが、憎しみが、星斗の期待に答えたいという想いが、強いモチベーションになる。
「今、心の中の自分に嘘つきました……かなり辛いです……限界ですこれ」
「かなりハードなスケジュールをこなしてきたからね」
「休みとか無いんですか?もう冬休みの季節ですよ」
「丁度いい。長期休みの集中特訓でライバルに差をつけよう」
「そんな某ゼミみたいに言わないでください」
「冗談だよ。本当に丁度いい。もう十二月か……折角だからクリスマスに休みを入れようか」
「あ、ありがとうございます……」
かくして私はクリスマスに休日を貰った。
_________________________
ここに来て二ヶ月以上が過ぎた。
もうすぐ三ヶ月だ。
すっかり修業漬けの毎日。
だが、慣れとは恐ろしいもので、最近ではプロテインの味を調整する余裕も生まれた。
そしてお風呂上りに鏡を見ると、そこには日に日に引き締まっていく私の身体。
筋力の上昇や、新しい技を覚えた時の嬉しさ。
今までの私には無かった快感が、少し恐怖である。
勿論、他の楽しみもある。
星斗との食事と、こっそりベッドの中で読む漫画。
それが一番の楽しみだった。
特に漫画はいくら読んでも尽きる事が無く、冊数の多さに改めて驚く。
少年漫画に青年漫画、自伝漫画に少女漫画まである。
ちょっと引くぐらい多い。
小説しか読まなかった私は、すっかり漫画の魅力に取り憑かれていた。
地下室の元ネタが解った時は思わず爆笑したものだ。
いずれ私もカマキリと戦わなくてはならないのだろうか。
「明日はクリスマスだね。どこか行きたい所はある?」
「いえ、特に無いですね。家でゆっくりしたいです」
「えー?本当にー?」
私くらいの年齢なら行きたい所が沢山あるんだろうと言わんばかりに迫ってくる。
「強いて言えば、ケーキが食べてみたいです。私の家ではそういう普通の習慣が無かったので……」
「よし、じゃあケーキを買いに行こう。でっかいやつ」
「そんなに食べられませんよ」
「最近は修業の後でもガンガン食べるから大丈夫だよ。今も凄い食べてるし」
「美味しいからしょうがないです」
クリスマスに真っ白なホールのケーキと定番のフライドチキン。
この時期、周りの子たちは皆、そういった物を食べていた。
どれだけ羨んだか分からない。
母は私に目もくれず不倫相手とどこかに行き、父はお酒を飲んで私を怒鳴りつける。
私にとってクリスマスとは、そんな異常な日常と同じ日だった。
いつから何かに期待する事を辞めたっけ。
明日は期待してもいいのだろうか。
待ち遠しさと興奮で眠れそうになかった。
ギャグ漫画で発散させるように笑って、平和な気持ちで目を瞑った。
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