第2話 6月1日【影山秋】

【影山秋】




「はい、これで僕の5連勝だ」


 僕は菊地原(きくちはら)にニヤリと笑う。


「無慈悲だなあ、影山は」

 菊地原は額に汗の雫を作りながら話す。床に置いたコントローラーは彼の手形が浮き出るほど汗でぬれていた。

 お前の動きはワンパターン過ぎなんだ、と言いながら勝敗のリザルト画面を僕は連打する。

 その隣では飯田がコンビニで買ってきたカルビーのポテトチップスをバリバリ食べている。


 まんだらけに寄った後、僕の部屋に集まり、スマブラをする。僕がマリオで菊地原がリンク、飯田はピーチ姫だ。僕達のいつもの休日の風景である。


「それにしても血も涙もないだろ、影山。もっとこう友達を接待するとか、そういう気持ちは無いわけ? 」


 頬に脂肪の付いた横顔から、菊地原の唇が僅かながら見える。おそらく口を尖らせているのだろう。コイツがよくやる非難がましくおどけて見せる仕草だ。

 ふふん、と僕は鼻で笑い言い返す。


「この世界はさ、いつだって弱肉強食なんだよ。弱い方が負けるんだ。それで強い方が、勝つの」


 それを聞いた飯田がポテチを食べつつ目を細めて聞いてくる。

「でもお前、もし夏目さんが相手でもボコボコにするんか?」

 僕はすぐに反論する。

「バカ、夏目がこんな僕達みたいな奴らの集まりに来るわけないだろ」

「そーだそーだ、てかこの会話、高木に聞かれてたら間違いなく殺されるよな」

 うはは、と菊地原は顎を揺らしながら笑い、飯田の持っていたポテチを奪い三枚重ねで頬張る。



「高木と夏目って付き合ってんの?」

 僕は飯田に問いかける。学校で、おそらく一番の美女がクラスにいるんだ。その夏目の交友関係に興味がない男なんているんだろうか。

「え、雰囲気そんな感じしない?」

 菊地原が聞いてもいないのに自分の意見を語りだす。

「だってさ、まあクラスでイケメンじゃん?」


 まあ、と付け足した菊地原は高木を自分の天敵だと思っているのだろう。それは漏れなく僕もだけど。そしておそらく飯田もだ。まあ高校なんて所はクラスのイケてる奴らが僕達みたいな奴らをイジってくるものだ。中学校、高校とお約束みたいなもんだ。その中で僕らはなるべく波風立てないように過ごすことに神経を集中しなければならないけど。だから菊地原が言いたい「まあ」には、「高木は俺をイジってくる嫌なやつで鼻持ちならないけど、イケメンということには違いないので納得できないが」という意味が込められている。


 飯田は目を輝かせながらもったいつける。一呼吸おいて話し始める。

「実は俺、篠原さんと佐伯さんが喋ってんの聞いちゃったんだよね」

 篠原と佐伯か。夏目とよく一緒にいるクラスの女子だ。

 うん、それでそれで、と僕は心の中で前のめりになる。


「まだ、付き合ってないんだってさ」

 飯田が結論を述べるとすかさず菊地原が安心した顔で得意げに解説を入れる。

「まあ、夏目さんと付き合うにも『格』ってもんがあるもんな。高木はうちのクラスのボスみたいな感じだけど、夏目さんは学校イチの美人だもんなあ」


 偉そうに解説する菊地原に僕は、お前高木に2回は殺されるぞ、と言うと菊地原はまた顎を揺らしながら、ぶははと笑う。口を大きく開いて笑うもんだから口内からポテチの残骸が見える。


 「まだ、付き合ってない」という飯田の言葉には、これから夏目と高木が付き合う可能性が大いにあることを示唆している。前に飯田に聞いた情報だと、佐伯は中根と、篠原は遠藤と、それぞれ付き合っているらしい。クラスの派手な女子が、クラスの派手な男子と付き合う、という何となくみんな暗黙の了解で分かっている法則を適応させるならば、「夏目と高木が付き合うのは時間の問題だ」という主張は至極真っ当に思える。


 野性の動物の世界では基本的に、強いオスは何匹のメスでも相手にできる。しかし、現代の日本の高校生は、一夫一妻制もとい「一人の男子は一人の女子と付き合うこと」を規則として生活している。いくら強いオスであっても、選択できるのは一人のメスだけだ。もちろん例外はあるけど。クラスのボスっぽい振る舞いをしている高木だって、あの夏目と交際を始めたら、彼女一筋になるんじゃないかと僕は睨んでる。


 ただ、夏目が規格外なんだよなあ。高木がサバンナ最強のオスなら、夏目は大陸で最高のメスってところか。夏目を狙っているオスは作星の男子高校生だけじゃなく、他校の男子高生、大学生や社会人、その中でも高木より圧倒的に地位も名誉もあるような、そんなオスたちだ、と僕は勝手に思っている。


 できれば高木と付き合ってほしいと僕は思う。なぜなら高木が夏目と交際することで気性の荒さが落ち着いて、僕達に危害を加えるのをやめてくれるかもしれないからだ。



「それよりさー、月島さんだよ月島さん」

 菊地原が止まらない。まるで映画「トレイン・ミッション」の暴走列車のようだ。高校にいる時は巨体を小さく丸めていて、こんな大きな声で喋らないくせに、3人で遊んでいる時はなんでこんなに開放的なんだろう。スラスラと女子の名前が出てくる。学校にいる時の菊地原は、「誰と誰が付き合ってて、美人な女子に彼氏がいるかどうかなんて、僕は興味ありません」みたいな顔してるくせに。




「月島さん、この間みんなで話してた時に『ゲームとかみんなでやると楽しそう』って言ってたじゃん」

 菊地原は期待するような目で僕を見る。僕はすぐに否定する。

「あれは社交辞令じゃん」

 そこで飯田が腕組みをしながら悪い顔をして、それはどうだかな、と煽ってくる。


 月島は、クラスの中で僕に話しかける唯一の女子だ。話と言ってもお互いの好きな小説や映画の話をするってだけで、深い関係ではない。ただ単に、趣味が合う友達ってだけだ。だけど月島は、とても楽しそうに話をするから、僕もつられて盛り上がってしまうこともしばしばある。そんな時に飯田と菊地原を見ると、なんとも含みのある表情をして、そのあとは決まって僕のことをからかってくる。飯田は続けざまに言う。


「ラインしたら来るんじゃない?影山、誘ってみようぜ」

 僕は咄嗟に、なんで僕が、と返す。

 菊地原が、だって俺、月島さんのライン知らないし、と悪びれることなく答える。飯田が、俺も俺もー、と後に続く。

 僕はだんだんうっとおしくなってきたので冗談交じりにこう言った。


「お前ら学校とウチで態度変わりすぎだよ。明日学校で月島と話してお前たちが誘ってみればいいじゃん」


 すると菊地原が、ぷぴー影山のけちん坊ちゃん、と意味の分からない擬音に意味の分からないけなし文句を吐く。



 夕飯前に飯田と菊地原の二人は帰っていき、部屋には僕一人になった。ゲームのコントローラーやお菓子の残骸を片付けながら、ふと思う。僕達のようなグループは細心の注意をはらって目立たないように過ごさないといけないから、学校で喋る内容や態度は家で集まってる時のそれとは違うけど、高木やその周辺にいるイケてるグループの中根や遠藤なんかは、学校でも家と同じような感じで喋っているのだろうな、と。


 部屋を片付けた後、木製の机に座る。小学生の時に親に買ってもらったものを今でも使っている。高校2年生になり身長も170まで伸びたので、さすがに机の下にあったスライド式の足置は邪魔になり取り外したが。そしてペン入れ―元々は海苔が入っていた円筒状のカンカン―の中に手を突っ込み、小さな鍵を取り出す。その鍵を机の一番上の引き出しの鍵穴に差し込む。カコッと小さな音がして鍵が開錠される。引き出しを空けると何冊にも積み重なったノートが顔を覗かせる。薄いピンクの表紙の下側に、表紙の色よりも濃いピンクの太字で印刷された「Campus」の文字。タイトル欄には「Fight the cats12」と書かれている。


 僕は小説を書いている。あまり人には知られたくないから、ひっそり、こっそりと。このノートは構成とか断片的なシーンのセリフを書き留めるのに使っている。僕は一番上に積まれたナンバー12を手に取り、ぱらぱらとページをめくる。

 

 ここが全然書けないんだよなあ。


 ページを開いたまま机にノートを置き、僕はキャスター付きの椅子に深く腰掛け、両足を机の下に伸ばし、頭の後ろで手を組み、背もたれにもたれ掛かる。僕の背中の重さを全面で受けた背もたれは、垂直方向からやや斜めに傾きながらノートと天井の間の定まらない僕の視線を支える。


 そのままの姿勢で、ああでもない、こうでもない、と考えたり、一向に加筆されないページをただぼうっと見ていたりした。


 しばらくそうしていると床からトンッと軽快な音が聞こえてきた。かと思えば机の上に難なく着地し、僕の顔を見て、にゃぁ、と鳴いた。

 ミザルーだ。もう今年で11歳になるうちのメスの猫だが、足腰はまだまだ衰えていないようだ。

黒と茶色に覆われた体毛は滑らかでしっとりとしている。もう一度ミザルーが鳴く。早く撫でろ、と言っている。僕は右手を伸ばし軽く拳を作りミザルーに近づける。ミザルーは僕の中指と人差し指の第二関節めがけて顔を近づけ鼻のあたりから耳元まで何度も擦り付ける。鼻の水分が冷たく心地よい。ミザルーの鼻は黒と茶色の毛が中心で綺麗に左右に分かれている「サビ猫」ってやつだ。模様がとてもかわいいと僕は思う。僕は何度もミザルーを撫でてやるぞ。


 「ミザルー」という名前は、僕の父親がつけた名前だ。ミザルーは「エジプトの娘」という意味だと父が言っていた。「なんでそんな名前つけたの?」と幼い僕が尋ねると、猫は五千年前のエジプトから来たんだぞ、と威張っていたのを思い出す。


 それから何年か経ち、僕が中学生の時に家にあったDVDで映画『パルプ・フィクション』を鑑賞した。いい映画だったなと思って色々とインターネットで調べていたら、クエンティン・タランティーノという監督の作品で、映画界に革命を起こした作品だったということと、オープニング曲のタイトルが「ミザルー」だということが分かった。父は映画が大好きで、タランティーノの大ファンだ。なるほど、よくこじつけたもんだ、と僕は感心した。自由奔放な振る舞いをミザルーが見せるとき、『パルプ・フィクション』に出演している女優、ユマ・サーマンと重ね合わせしまうことがたまにあるが、それはミザルーには内緒にしておいている。

 それに比べて僕の名前はなんの捻りもない。秋に生まれたから「秋シュウ」だ。同じ父親が考えた名前とは到底思えない。まあ「満腹クエンティン」とか「腹減タランティーノ」とか、そういうキテレツな名前にされなかっただけ、まだマシだと思うようにしている。


 飼い主から溺愛された猫は、ひととおり満足すると目を細め、喉を鳴らしながら、当たり前かのように僕の机の上で香箱座りをつくる。さっきまでああでもない、こうでもない、と唸っていた元凶の「Fight the cats12」はミザルーがすっぽりと覆い隠してしまった。




 そんなミザルーを、僕は羨ましく思う。今の学生生活とは、真逆だからだ。

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