第五話 『メリル』③ ~特権~

「やっほークリスちゃん、決勝進出おめでとう! はいこれ見舞いのフルーツ」


 医務室にやって来た二人目の来客は、カゴいっぱいの高そうな果物を持ってきたハリーだった。少し落ち着いたクリスは、ゆっくりと上半身だけ起き上がった。


「ハリー……久しぶりね。そのツラのせいでそんな気はしないけど」


 ハリーと会うのはアスカとの戦い以来だったが、その間同じ顔をした人間といたせいで懐かしさはどこにも無かった。


「そんなに言うなら眼鏡かけようか?」


 ほとんど唯一の差異について言葉にすれば、クリスは思わず顔をしかめた。ハリーは肩をすくめてから、適当な丸椅子に腰を掛ける。


「嫌われてんなぁ兄貴」

「あの性格に惚れるのはイカれたゴリラぐらいよ」

「言うねー……ま、概ね同意だけど」


 ハリーは兄であるチャールズの事を嫌っている訳ではない。しかしその発想や行動について信頼している訳でもなく。


「ったくどうかしてるわよあの男。薬でも……って作る側だったわね」

「本当にねー、天才キャラだからこっちにいる時からおかしかったけど……まさかあそこまでとは」

「あそこまでって……何で最近のアイツを知ってるのよ」


 そこでクリスは気づいた。最近、どころではない。どうしてこの男は兄の存在を記憶しているのか。


 今までの話を総合すると、『下』に落ちていった人間は生きた痕跡ごとここの住人の記憶から消え去る。


 となると、あのチャールズの事を覚えている人間は本来いない筈だ。


「ていうか、何で覚えてんのよそもそも。消えたら忘れられるんでしょ?」

「それはまぁ、勝者の特権ってとこかな」

「そういう回りくどい言い回し、あんたの兄貴にそっくりね」

「うっ」


 ヘラヘラと答えるハリーにそんな言葉をぶつければ、一瞬だけ表情が凍った。が、すぐにいつもの表情へと戻った。


「じゃあ……言い方変えようか」


 パン、と手を叩いて仕切り直しをするハリー。


「このバトルロイヤルだけど……優勝者には二つの特権が与えられる。覚えてる?」

「婚約破棄と……隠居?」

「そうそう、んでそいつは作品への出場権とは別なワケ。といってもまぁ、文字通りオマケなんだけどね」

「……わかるように説明して」


 クリスはため息交じりに答える。どうして自分の周りにいる人間は、皆回りくどい説明をするのだろうかと疑問に思いながら。


「ようはさ、物語上そうなるってのが決まってるって話。悪役令嬢はなんやかんや婚約破棄して、なんやかんや楽隠居するってオチが決まってんの」


 より正確に言えば、そういう物語もある、という話。


 例えば王子のルートではまぁ死刑になるのだが、あえてハリーはそれを言わなかった。


「で、俺のシナリオはさ。まぁ記憶喪失するけど色々あって思い出すってハッピーエンドな訳」


 陳腐な物語だとハリーは思う。


 一通りゴタゴタしてから王子と決別してユースと逃げ、その先で馬車に跳ねられ記憶喪失。そこからはまぁ愛の力で思い出してハッピーエンド。しょうもない話だと自嘲する。


「それで?」

「で、特権は『忘れたことを何でも思い出せる権利』って所かな。だから色々覚えてるし、兄貴の事も認識できる」


 特権。何てことは無い、キャラクターに必要な物語上のご都合主義。それを前もって与えられているというだけの話。


「なんか……微妙ね」


 思わずクリスは言葉を漏らす。もっと派手な理由かと予想していたので、少し拍子抜けしてしまった。


「ま、地味だけど便利よ? 試験前の一夜漬けとか特に」


 声を上げて笑うハリーと、納得しかけるクリス。だが少し思い出すだけで、また新しい疑問が沸いた。


「でも変ね、私はショーコやゴリ美の事覚えてるわよ」

「そりゃ特殊だからねクリスちゃんは。最初の悪役令嬢として色んなとこに顔出してるから変な特権でも持ってんじゃないの?」


 そういうものか、とクリスは流す事にした。これ以上ややこしい事を説明されたところで理解できないのは自覚していた。


「ふぅん、あんたの兄貴もそれ目当てで私に肩入れしたのかしら」

「いや?」


 ハリーは素直な言葉で答える。心の底からそう思っていたから。


「俺も兄貴も、打算抜きでクリスちゃんに勝って欲しいんだ」

「何でよ」

「こんなクソみたいなバトルロイヤルで君が勝てば、誰かがこう思うかもしれないだろ? 『ああやっぱり、最初のキャラで良かったんだな』ってさ。無駄に生み出して、戦わせて、優劣つけて。そんな茶番は必要無かったんだなって」


 少しだけ遠い目をして彼は答える。


 彼は憎んでいた、この茶番も世界も自分自身も。だから否定したかった。自分が出来ないから、ほかの誰かに。


「あんたらがそう思いたいんでしょ」

「そういう事。でもまぁ応援する理由なんて、身勝手で当然じゃない?」

「それもそうね」


 そこで会話は途切れたが、居心地の悪い物ではなかった。ハリーは自分の土産をいくつか物色し、良さそうなオレンジをポケットに入れた。


「ま、そんな所でそろそろお暇しますかねっと。本当、君に勝って欲しいんだけどな」

「そう思うなら果物以外も持ってきたら?」

「おっ、クリスちゃんはこのパリピ様を甘く見てるな? 女の子と会うのにプレゼントを用意しないなんて、そんな事できないね」


 ハリーは笑う。懐に手を伸ばし、封筒を一つ取り出した。いつかのように彼はそれを彼女に差し出す。


「はい、という訳で君宛のファンレター。差出人は、なんて間抜けな事聞かないでよ?」


 受け取るクリス。宛名も差出人もない手紙。ただここまで来て、誰が、などという愚問は聞かない。


「そうね」

「じゃ、決勝戦までお大事に。そんなに時間ないけどね」


 ハリーが部屋を後にする。クリスはまた寝転がり、封筒の中身を確かめた。




『親愛なるクリス様へ』




 そんな当たり障りのない言葉から始まる、メリルからの手紙の内容を。

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