第五話 『メリル』② ~取り巻き~

 クリスは目を覚ます。


 瞼を開ければ自分がベッドに寝ている事に気付いた。医務室だろうか、起き上がろうとすると、太ももに激痛が走った。諦めてもう一度目を瞑れば、人の気配を感じ取った。


「……メリル?」


 思わずクリスは呟いていた。


 自分の看病をする人間の心当たりは、一人しかいないからだ。だが、違った。ベッドを囲う白いカーテンを捲ったのは予想外の人物だった。


「動かない方が良いですよ、まだ傷は塞がってませんから」


 そこにいたのはアスカのメイドだった。思わず首を傾げれば、メイドはオウム返しのように首を傾げた。


「何で……あんたが?」

「何で、と言われましても。わたくしは悪役令嬢の取り巻きですので」

「いやまぁそうでしょうけど」

「クリスティア様、おかしいですか?」

「そうじゃなくて……いやもういいわ」


 意味がわからない。クリスは諦めたようにため息をついた。


「埒が明かないわ……悪いけどメリル呼んできて貰えるかしら?」

「はい」


 メイドは答える。至って単純に頷いた、自分の名前を呼ばれたから。


「いや、喧嘩売ってる?」

「む、失礼ですね……人の名前を呼んでおいてそれはないんじゃないでしょうか」

「何、あんたもメリルって名前な訳?」

「平たく言えばそうですね」


 クリスは思わず眼がしらを抑える。ややこしい状況に思わず頭が痛くなる。それこそ足の痛みすら、一瞬消え去るくらいには。


「じゃあ……言い直すわ」


 咳ばらいを一つして、クリスは捻った言葉をまとめた。


「アスカのメイドのメリルさん、悪いけど私の元メイドのメリルを呼んできて貰えるかしら?」


 これでわかるだろう、とクリスは高を括った。だが、それは。




 ――不可能だった。




「いませんよ、そんな人」


 メイドは、メリルは答えた。事実をその通り口にした。


「いない訳ないでしょ」


 その口ぶりにメイドはようやく事情を察した。ああそうか、この女は知らないのかと。


「いる訳ないんですよ、クリスティア様。何せあなたは一度消えているんですから」

「どういう意味よ」


 気が付くとクリスはメイドの顔を睨んでいた。だがメイドはそんな事を意に介さず、手近な椅子でふんぞり返った。


「さて、どこから説明しますか?」






「ま、一から始めますか。そうですね……ここが発売前のゲームの世界だってのは知っていますか?」

「何となく。ようは未完成の物語の中なんでしょ」


 得意げな顔をして答えるメイドにそう答えると、少しムッとしたように頬を膨らませる。どうやらそれを説明するのは彼女の楽しみだったらしい。


「ですね、その認識で間違いないです。で、悪役令嬢は壮大なオーディションをしている、と」

「そうなる……かしらね」


 オーディションという言葉で、クリスはようやく合点がいった。ただ違うことがあるとすれば、落ちた人間の末路だろうか。


「では次に、『メリル』の話をしましょう」


 人差し指を一本立てて、またメイドは得意げな顔をした。不思議そうな顔をして睨むクリスを見て、彼女は勝ち誇ったように鼻を鳴らす。


「あんたの事、それとも私の知ってる?」

「いいえ、わたくし達『取り巻き』の事です」


 取り巻き。そういえば悪役令嬢には一人、随分と親しい人間がいたのを思い出す。


「……どういう意味よ」

「そのまんまですよ。どの悪役令嬢にも取り巻きがいたのを覚えてませんか? ゴリラの彼女はチンパンジーで、不良の彼女には姉御さん、でしたっけ。なんだかワラワラ引き連れている人もいましたが、本質的には同じです」

「……いたわね、それが何?」

「さてここで問題です。そのゲームの世界で……取り巻きの台詞はどれくらいあるでしょうね?」

「さぁ、私の知ってるメリルだったら結構ありそうだけど」


 クリスは本心から答える。彼女ならきっと自分の横で、あーでもないこーでもないとかしましくしてくれるだろう、と。


 それでもメイドは首を左右に振った。その顔に一抹の寂しさを残しながら。


「いいえ、せいぜい二つか三つです。『流石です』『凄いです』『やりましたね』……まぁこの程度ですね」

「そういう物かしら」

「そういう物ですよ、あくまで主役はユース様ですから」


 メイドの言葉は事実だった。


 主役のユースの当て馬の、さらにその取り巻き。そう来れば彼女が主役の物語での役割は微々たるものでしかない。


 取るに足らない役割。キャラクターですらないキャラクター。


「では本題です。そんな存在って」


 メイドは息を吸って、ゆっくりと吐き出す。そして自嘲するように呟いた。




「誰でもいいと思いませんか?」




 誰でもいい。メイドだろうがチンピラだろうがチンパンジーだろうが、片手で数えられる程度の台詞を言えればそれでいい。そこに人格など、特徴など。


 必要なかった。


「いえ、言い切りましょう。誰でもいいんですよ、取り巻きなんて存在は。それこそわざわざ、一人の人間として扱う必要がない程度には」

「どういう意味よ」

「その通りの意味ですよ。あなた方が舞台に立つ役者なら、我々は書き割りの背景でしょうか」

「……それで?」

「つまり我々はですね、あなた方のオマケなんですよ。で、本体が消えたら一緒に消える」


 馬鹿な事だと、クリスは切り捨ててしまいたくなる。


 それでもそう出来ないのは、身をもってその事実を知っていたから。


「姉御を探せなかったのも?」

「ですね」


 姉御の消失。クリスが探せなかった原因が今、明かされた。


「で、あなたの言うメリルさんですけど……クリスティア様は一度敗北していますから、関連情報と一緒に消えたんでしょうね」


 一度敗れて戻ったクリスは、文字通りのイレギュラーだった。だからその周囲が異常でも不思議な事は何もない。


「関連情報って何よ」

「さぁ、あとは借金とかじゃないですか? おそらくですけど、あなたの寮の部屋かなり立派なものでしたから」


 メイドは立ち上がる。話すべきことはもう話し終えてしまった。だがクリスはそうもいかない。聞くべき事は、まだ。


「で……どうやったらメリルは帰ってくるのよ」


 その方法が知りたかった。だがメイドは首を軽く左右に振って終わり。


「いえ、どうやっても無理なので諦めてください」

「ふざけっ」


 起き上がろうとしたところで、激痛がクリスを襲った。そんな彼女をメイドは呆れたように見下ろしていた。


「あーあ、傷に響いてますね……まぁせいぜい頑張ってくださいね、わたしは本当の主人のところに戻りますから」

「待ちな……っ!」


 去ろうとするメイドに手を伸ばすが、弱弱しいそれは何も掴めるはずもない。


「ではクリスティア様、決勝戦でお待ちしています」


 スカートの両端を摘まみ、嫌味な程丁寧なお辞儀をするメイド。その去っていく姿を見て、クリスは一言だけ吐き捨てた。


「……覚えてなさいよ」

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