第一話 バトルロイヤル、開催② ~招待状は突然に~
「はー……どこかに現金落ちてないかしら、現金。贅沢言わないから100万ぐらいでいいわ」
食堂の隅っこ、窓際の座席で400円のカレーライスをスプーンで突きながらクリスが漏らす。それを聞いたメリルは盛大なため息を漏らすしかなかった。
ちなみにメリルは680円のAランチを食べていた。胸囲以上の格差が今ここにある。
「はぁ……入学当初は悪役令嬢としてこの学園にその名を轟かせたクリス様が、今はただのカレーを突きながら100万欲しいだなんて」
「違うわメリル」
首を横に振る彼女。そう、訂正しなければならない事実があった。
「このカレーは……三か月ぶりのカレーよ」
だからどうしたという言葉が喉元まで出かけるメリル。代わりに一つ咳ばらいをして、少しは真面目に話をする事にした。
「いいえクリス様……やはり元祖悪役令嬢として少しは悪役らしいことをして頂かないといけません。でないと」
「でないと……?」
「ああなります」
バァン! と。
思い切り食堂のドアを開けたのは、この国の第二王子であるフリード・K・コンクエストだった。容姿端麗文武両道絵に描いたような王子様であり、この学園の女子生徒達の憧れの的である。
「なぁハリー、どうしてここの食事はロクな物がないんだ?」
「ないんだって……あのね王子サマ、これが庶民の食事なワケなんすよ。ほら、困るでしょう? 偉い人が庶民の金銭感覚がわからないってのは」
今日も不遜な発言をする王子を諫めるのは、彼の友人であるハリー・P・ネーハマジメ。一見チャラいが根は真面目で、王子とは幼少の頃から厚い信頼で結ばれている彼に恋する乙女も少なくはない。
「……ユースもそう思うか?」
「……」
それと、一人の少女。
彼らと行動を共にする、やたらと無口な少女。茶髪のロングヘア―だが極端に口数は少ない……いや、彼女の言葉を聞いた者などこの学園にはいないだろう。
「そうだな、やはり俺も一般常識ぐらいは身につけておくか」
「そう言いますけどねぇ、王子ぃ? いつまで経ってもそんな性格でこっちは結構難儀してるんですよ?」
「これでも努力してるんだがな」
「ま、最近の努力に眼を見張る物があるのは同意しますよ。これもやっぱり愛のちか」
バァン! 2回目。
もはや勢いよく開けられるために作られたと疑われる食堂の扉が本日二度目の悲鳴を上げる。
王族が開けたとくれば、次は貴族の番だった。
「あらあらあら! 今日もクリード王子の横には可愛いペットがいるじゃないの! やだわやだわ、せっかくの昼食が獣臭くなるわね!」
貴族は貴族でも、王族の親類に名を連ねる、ローズ・K・ガーデンホール嬢だ。一クラスは出来そうなほどの取り巻きを連れ、今日も黒髪縦ロールが高笑い。
で、ついたあだ名はと言うと。
「来ました来ましたよ、今日はまた一段とコテコテなのが」
コテコテ系悪役令嬢。
「あらハリー、今日もペットのお散歩ご苦労様。でもね、あれよ? ここは動物立ち入り禁止よ?」
「これはローズ嬢、ご機嫌麗しゅうございますっと。それで何ですか、そちらは取り巻きの羊ちゃんの放牧ですか? いいですねー学校だってのに呑気な趣味で」
ハリーの嫌味に眉を潜めるローズ。それもそのはず彼女が喧嘩を売りたい相手は、決して彼などではなく。
「……何とか言いなさいよ、この無口女!」
ユースを突き飛ばすローズ。けれど彼女がよろけた先には、クリードが待っていた。自然とユースの肩を掴んで見つめ合う二人。気まずくなって眼をそらすクリード、無表情のユース。
「何なのよ、あんたは!」
金切り声を上げるローズ、一度爆発した感情はそう簡単に収まらない。
「平民の分際で、王子に取り入って! 普通の女の子ォ? 笑わせるわね! あんたみたいな鉄面皮で無口な女が! 男に好かれる方法なんて一つしかないくせに……汚らわしい淫売がっ!」
それでも彼女の恨み節には、一定の道理があった。
たまたま居合わせた食堂の生徒達にとって、ユースが王子の横に立つ事を不思議に思うのは当然だ。
だからこそローズの出した理由は、ある意味で理解を得やすい物だったが。
「ハリー」
「なんすか?」
「とぼけるな……どう思う?」
そんな事には気を止めず、淡々と二人が話す。侮辱された筈のユースに至っては、そもそも聞いていたかどうかも怪しいほど無反応だ。
「ユースちゃんの当て馬としてですよね」
その冷たい口調にビクッと肩を震わせるローズ。それを察したハリーはまだ人の心があるのか、いつものようにおどけてみせる。
「ま、口が悪いのはポイント高いっすよね。罵ってくれればくれるほど、向こうが悪者になってくれますからね。見た目も良いんじゃないですか?」
少し安堵するローズ。
そう彼女も理解していた。今のやりとりが全て茶番だと理解して、三人に突っかかった。
いや彼女だけではない、この学園に存在する暗黙の不文律。
ーー王子は悪役令嬢をご所望だ。自分とユースの恋を引き立てる最高の当て馬を。
「けーど」
ぽんと肩を置くハリー。それからまたにっこり笑う。
「淫売って言い方はねー、ダメだったねー。ほらうちのユースちゃん、そう言う系のネタNGなんだよね」
それは無慈悲な不採用通知だった。どうやらこのコテコテは、お眼鏡に叶わなかったらしい。
「ちょっと、次は上手く」
「悪いねローズ嬢、チャンスは一度きりなのよ……誰でもね」
パチンと指を弾くと、どこからともなく大量の黒服の男が現れる。彼女は直ぐに口を塞がれ、そのまま食堂の外へと連行される。
そして誰もが知っていた。二度と彼女がこの学園に姿を現さない事を。
「ああなりますよクリス様、大事なことなので二回言いました」
「いや長いわよ!?」
カレー食べ終わっちゃったわよと内心で付け加えるクリス。
「良いですかクリス様、このままクリス様が悪役らしからぬ学園生活を送っていればこの学園を追い出されるかも知れないんですよ!? もしそうなればもう物乞いに身をやつすか借金のカタにその体をエッチなお店で売る羽目に……そんなの悲しすぎます!」
「いやその時は……素直にあなたを頼るわ」
「はい、毎日通います!!!」
お、話聞いてないなこの女と眉を潜めるクリス。
「別に良いじゃないのあんなことしなくても。その内誰かが悪役になって残った私達はのんびり卒業まで過ごせるわ」
「それはまぁ……そうかもしれないですけど」
「大体今何人いるのよ? 王子の当て馬になりたいとかいう、奇特な悪役令嬢候補は」
顎に人差し指を当て、えーっとと考え始めるメリル。けれどその質問に答えたのは、少し意外な人物だった。
「今の子が居なくなって、残り16人ってとこかなー」
メモ帳片手に正確な数字を出してくれたのは、ハリー・P・ネーハマジメ。
「もちろんクリスちゃんも数に入ってるからね」
「パリッピーさん……」
クラス内のあだ名は王子の親友という立ち位置の割に随分と砕けたものだった。それも彼の性格がなせるものなのだが、それに気づく者は少ない。
「あのねメリルちゃん、そのあだ名もう大分浸透しちゃった感じ? 王子の側近候補として親しみやすすぎる気がするんだけど……ま、いいや。ここ空いてる?」
彼が指差したのは空いてるクリスの横の席。だから彼女は飲みかけのコーラの缶をドンと椅子の上に置いて。
「空いてないわ」
そう答えた。何が嬉しいのかハリーは笑う。
「パリッピーさん、こっち空いてますよこっちでーす」
小声でメリルが手招きすれば、意気揚々と座るハリー。椅子がすこし軋む音を立てたと同時に、クリスは大きなため息を漏らす。
「もう王子と彼女のお守りは良いのかしら?」
「気分が悪そうだから早退させましたよっと。でもおっしいなークリスちゃん、入学当初は結構良い線いってたんだけどな」
「はっ、そんな昔の事は忘れたわ」
わざとらしく答えるクリスだったが、当然のように覚えている。今にして思えば、どうしてあんな無駄な事を出来たのかと疑わずにはいられない数々の悪行を。
「そうそうその感じ! いやーほら悪役といっても犯罪者だと困るわけじゃない、やっぱし。だから良い塩梅の女の子を探してるんだけどこれがまたねー、メリルちゃんねー」
「パリッピーさんねー」
「二人で通じ合ってて楽しそうね」
約一名を除いて、思い出話に花が咲く。
「いやでも本当、惜しかったのよクリスちゃんは。やる事がいい感じに小賢しかったし、直接対決までに色々積み上げてたでしょ?」
「そうですそうです大変でしたよ。ユースさんのノートのラベルを全部張り替えたり、ユースさんの部屋のアロマオイルをサラダ油に変えたり……楽しかったですねあの頃は」
なんて無駄な事をしていたのだ私はと、彼女は眉間に手を当ててしまう。もういいやこの話は二人が満足するまで適当に聞き流そうと覚悟したその瞬間。
「そうそうこっちとしてもさ、うっわーそう来たか! って感じワクワクしてた訳。そしていざ直接対決をしようとしたその日の朝!」
「まさかの破産ですからねー……」
破産。
その二文字は流石に聞き逃さなかったクリス。
さぁいよいよユースに罵詈雑言を浴びせようとしたその朝、実家から届いた真っ赤な手紙。家具は売られ部屋を追い出され行き着いた先は寮の階段下の倉庫。
ーーだけど、そういえば。
ふとクリスの脳裏を過ぎったのは、人生の転落にかまけていたせいで見過ごしていたはずの小さな違和感。
あの頃からこの学園に、おかしな自称悪役令嬢が増えたような、と。
「ま……過ぎたことよ。今の私に興味があるのはどこに現金が落ちてるかぐらいだわ」
浮かんだ疑問を強がりで塗り潰すクリス。その諦めしか残っていない言葉を聞いて。
「でもさクリスちゃん」
他でもないハリーが笑う。
「王子なら、たった三十億程度の借金……帳消しにできると思えない?」
妖しく笑うハリー、心が動くクリス、目を輝かせ始めるメリル。
そして彼は制服の上着のポケットから、一通の白い封筒を机の上において見せた。
「今日でちょうど、残りの悪役令嬢が16人になったんだ。予定してた……ね」
封筒の中身を透視できるクリスとメリルではなかったが、その真っ赤な封蝋が持つ意味は一瞬で理解できた。
――この世界の誰もが傅く、王家の紋章。
それは時に法律すら超越した最高の権力の権化。
「何よこれ……」
「中身は見てのお楽しみってところかな? さーてあと15通、パパッと配って参りますか!」
そう言い残してハリーはようやく席を立ってくれた。去り際の背中に中指を立てるクリスだったが、メリルの目はその封筒に釘付けだ。
「なんだか……悪役令嬢に配っているような口ぶりでしたね。開けましょうか?」
「ええ、お願いするわ。なんだかあの男……ろくでもない事を考えていたようだけど、王家の紋章入りとくれば、ね」
開けないと言う選択肢は取れなかった。それは勅令。この世界の誰もが従うべき、絶対的な命令書。
ペーパーナイフをポケットから取り出し、丁寧に開けるメリル。そして手紙を両手で持ち、預言者のように高く掲げて読み上げた。
「第一回悪役令嬢バトルロイヤル開催のお知らせ……って書いてます」
なにそれ馬鹿なのふざけてるの?
クリスの口から出そうになった言葉は不遜きわまりない暴言。けれど呑み込み、続きを待つ。
「拝啓、悪役令嬢諸君。最強の悪役令嬢を決めてもらう。以下詳細」
シンプルな文言だが、ぶっきらぼうなフリード王子の性格を思えば違和感はない。どうやら配達人はハリーだが差出人は王子本人だと理解する二人。
「日時、明日の正午から。場所、裏庭円形闘技場『バックヤード』にて。優勝者には私、フリード・K・コンクエストと婚約して破棄する権利」
うわ金目の物じゃない優勝商品、と落胆するクリス。だが先に続く文言を目にしたメリルの顔が驚きに大きく変わる。
「と、用済みになった後は辺境の領地にて悠々自適に隠居する権利を授けるぅ!?」
ガタッと最大な音を立てながら立ち上がるクリス。ハリーの言葉の意味は、本当に文字通りの意味だった。
「これ……借金が帳消しになるんじゃないの!?」
思わず叫ぶ。
メリルの顔をじっと見れば、彼女の目は在りし日の――日夜クリスと共に悪戯に明け暮れていた過去の輝きを取り戻していた。
「そうです、そうですよ! たしかに王子達の当て馬になれれば借金ぐらいなんとかしてくれますよ!」
クリスはそっと目を閉じ、あのハリーの笑顔を思い出す。企らんでいる、裏がある。そんな言葉がでかでかと書かれていた、あのうさんくさい表情を。
――だからどうしたと言うのだ。
莫大な借金を学生の身で返す事など不可能だとわからないほど、彼女は愚か者ではない。
「なるわよ、メリル」
一攫千金、一か八かの悪魔の誘い。それが最短距離であり、唯一実現可能だと彼女は知った。
ならば。
「はい、この日を待っていました!」
拳を握り高く突き出す。
ここに誓おう、己自身に。
「借金を返済して……大金持ちに!」
叫ぶクリス、勢いで右手を突き出すメリル。
「……アレ?」
何か違うような、という一言はそのまま口に出なかった。
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