第74話 ホットドッグ

 秋刀魚の炊き込みご飯を堪能したオセフだが、帰るまでが大変であった。

 石の土台を石工に任せるとして、三階建てで二十室程度ある食堂兼宿屋を建てるにはどのくらいの木材と作業員が必要なのかだとか、五階建ての集合住宅を建てるならどの程度の作業員で何日かかるか……などということを中心にクリスから質問攻めにあった。

 せっかくの休みの日に仕事の話ばかり何度も質問されるとさすがのオセフも少々うんざりとしたのだが、最後に子供への土産まで受け取ったうえに、笑顔でまた来てくださいと言われてしまうと、つい「ああ」と返事をしてしまう。


「美人というのは狡いもんだな……」


 などとオセフは独りごちりながら、自分の家の玄関を潜る。

 気持ち的には明日も食べにいく気でいっぱいだ。

 オセフにとって海の魚をこの町で食べられるというのは、何よりも嬉しいことなのだから。


「帰ったぞ」


 家長らしく威厳を込めた声を掛けると、オセフは居間にあたる大きな部屋に入る扉を開く。

 居間には息子で十三歳のセルモと十歳の娘であるマリアネラが床に座り、弟子のオスバルとオマールがセルモの肩越しに何かを見て、セルモに説明を受けている。


「おかえりなさい」

「父さん、おかえりー」

「親父さん、おかえりなさい」

「おやっさん、おかえりなさい」


 まだ若く未婚の弟子たちはよくオセフの家に住み込みなので、オセフの子どたちの相手をしてくれるのはいいが言葉遣いが悪い。それが息子や娘に影響を与えないかとオセフの妻――ソコロは心配するが、オセフはあまり心配していない。

 子は親を見て育つと思っているし、マリア――マリアネラの愛称――は器量も良くて美人になるのは間違いないが、家格の釣り合う相手と結婚できる程度の言葉遣いができればいいとオセフは考えていた。


「お前たち、何してんだ?」


 オセフが不思議そうに床の上の板を見つめる。

 板にはいくつかのマスが描かれていて、白と黒の丸い木の駒が並べられている。板の中央には、サイコロが二つ転がっていて、それぞれ二と五の目が上に向いている。

 それを見て、オセフはすぐに理解する。


「なんだ、『双六タブラ』か……」


 サイコロを振って出た目の数だけ駒を進め、相手の城に全ての駒を進めれば勝ちというゲームである。といっても駒がひとつだけ残っているマスに相手の駒が止まった場合、自分の駒を城まで戻して進め直す必要があるのでなかなか簡単にはいかない。地球ではバックギャモンと呼ばれるテーブルゲームに近い。

 ただ、双六を含むテーブルゲームは、それこそテーブルの上に板を置いて遊ぶものである。


「うん、お祭りで売ってたの。みんなでお小遣いを出し合って買ったのよ」


 マリアが嬉しそうに話す。

 双六といっても、バックギャモンは戦略と緻密な計算などが必要になるゲームだ。十歳児のマリアにはまだ難しいだろう。


「マリアにはまだ早いかもしれないけどね……」


 少し小馬鹿にしたようにセルモが言うと、確かにとオセフも思う。だが、マリアにすれば、でた目の数だけ駒を進めるという単純な作業でも楽しいものである。ルールとしては二と五が出たら、一つの駒を合計の七マス分だけ動かすこともできるし、一つ駒をを二マス、他の駒を五マス分動かすこともできる。

 一つの駒を動かす分には、足し算の練習にもなるので悪いことではない。

 だが、マリアも兄の言葉にカチンときたのか、力強く言い返す。


「そんなことないもんっ! マリアも勝てるもんっ!」


 男ばかりの家に住んでいるせいか、やはり負けん気の強い子どもになってきたのかと心配になるオセフだが、弟子や兄妹で仲良くやってもらうにこしたことはない。

 ちょうどクリスから貰ったパンもあることだし、それで目線を変えることにする。


「まぁまぁ、仲良くやりなさい。これは父さんが行っていたお店で貰ったお土産だ。そんな『双六』とか買ったのなら何も食べていないのだろう?」


 オセフがセルモに右手に持っていた布で包まれたお土産を渡すと、セルモは急いでその布の包みを解く。

 布の中には竹の皮で包まれたものが入っていて、同じ竹の皮を使った紐で結んで留められている。


「どんな食べ物が入ってるのかなぁ?」

「気になるなぁ」


 マリアが興味津々といった感じで竹の皮に包まれたものを見つめると、弟子のオスバルも遠慮気味に興味を示す。

 居候の身なのだから仕方がない。オマールもオスバルの肩越しにそっと竹皮の包みを覗き見ている。

 一方、布の包みを開いたセルモは竹皮に包まれた物体がでできたことに一瞬目を見開いて驚いたのだが、すぐに落ち着いてその中の一つを取って紐を解くとマリアに渡す。そして自分の分も手にとって紐を解いた。


「オレたちの分もあるんで?」


 遠慮気味にオマールがオセフに尋ねると、オセフは大きく頷く。


「うちが大所帯だって言ったら、全員分くれたんだ。だから、一人ひとつずつあるぞ」

「ありがとうございます」

「おやっさん、ありがとうございまず」


 オスバルとオマールは恐縮気味に礼を言うと、それぞれに手を伸ばして竹皮の包みを手に取る。

 その頃、既に竹皮の包みを開いたセルモは、中身を見て少しガッカリする。

 普段、自分たちが食べている昼の軽食と変わらないからだ。ふと、マリアを見ても同じような顔をしている。

 ただ、セルモとマリアは腹を空かせていた。祭りの屋台を見て回ったのに、結局は何も食べていなかったからだ。だからお土産である、パンに腸詰、チーズやレタスを刻んで挟んだもの……に遠慮なくかぶり付いた。


「パリッ!」


 腸詰が噛み切られると、とても乾いた音がする。同時に肉汁がじゅわっと口の中に溢れ出すのだが、同時に腸詰の燻製の香りと洋芥子の酸っぱい匂い、チーズの香りが鼻に抜けていく。歯が腸詰の表面を破ったことで溢れた肉汁はパン生地が吸い取らないようにレタスの葉が上手く間に挟まっていて、口の中に遠慮無くその濃厚な旨みを広げる。そのまま顎に力を入れるとレタスがしゃくりと音を立てて千切れ、むっちりとしたチーズの層に歯が触れる。卵の風味を残したマヨネーズと層を超えて漸く土台となるパンに歯が届く。

 パンの表面はパリッと焼き上がっていて中は腸詰よりは柔らかい。ふんわりとしていて、チーズやレタスなどの食感を邪魔することもないのだが、噛むほどに小麦の優しい香りが口の中に広がってくる。

 セルモは夢中でムシャムシャと咀嚼すると、ゴクリと飲み込んで思わず声を上げる。


「父さん、これすごく美味しいよ!」

「そっ、そうか……」


 セルモに声をかけられてオセフは少し嬉しそうに頬を緩めるのだが、作ったのはクリスである。そのことに気づくと、オセフは一瞬宙を見上げてまたセルモたちの方に目を向ける。

 そこでは、小さな口を精一杯開けてパンに齧り付こうとしているマリアが見える。上から全部に齧り付くにはパンが大きすぎるが、はみ出た腸詰と土台のパンだけであれば彼女の口でも入りそうだ。


「おいおい、なにも一口で食べなくていいんだ。少しずつ齧って食べればいい」


 念のため、オセフはマリアに声をかける。

 顎でも外されれば大ごとだ。


 マリアはオセフの言葉の意味に気がついたのか、こくこくと無言で頷くと、今度は小鳥が啄むようにパンを齧り始めた。


 適度な硬さの表面にしっとりと柔らかい生地。そこに塗られたマヨネーズは酸味があるものの卵のコクがしっかりと残っていて、チーズとレタスに旨味を加える。また、マヨネーズの油はレタスのただシャクシャクとした食感に滑らかさを加え、酢の酸味が脂の重さを洗い流す。そこに、齧り付いた腸詰の肉汁が口の中に広がり、肉の旨味と脂の甘味が押し寄せてくる。


 マリアはモキュモキュと口を動かすと、ゆっくりとそれを飲み込み、オセフにとびきりの笑顔を見せる。


「うん、すっごく美味しいよ!」


 こうして見る見るうちに笑顔へと変わる我が子と弟子たちの顔を見て、オセフは嬉しくなる。といっても自分が金を払って買ったものでは無く、あくまでもクリスからお土産として受け取ったものだ。

 そこに少し後ろめたさのようなものは感じるのだが、我が子が美味しいおいしいと言って食べる姿は格別だ。


 弟子の二人も美味そうに片手でガツガツとかぶりついている。


「はて……」


 その弟子の姿を見て、オセフは一瞬で感じたことをそのまま口にする。


「なんだお前ら、それなら食いながら勉強できそうだな――」


 その言葉にギョッとした目でオスバルとオマールはオセフを見返すと、背中を向けて丸くなる。

 確かに片手が空くのだから、昼食にこのような食べ物を出せば、食べながらでも四則演算くらいができる程度には勉強させることができるだろう。

 大工として一人前になるには、等間隔に柱を置くにも感覚ではなく、計算して作れるくらいの知能は必要なのだ。食べる時間を有効に使えるのなら、弟子たちのためにもいい方法を見つけてやりたい。


「もうっ! お父さんったら、弟子をいじめちゃいけないのよ?」


 娘のマリアが、両手を腰に当てて説教するかのようにオセフに抗議する。その姿は若い頃のソコロにそっくりである。

 この分なら、ソコロも心配する必要はなさそうだと溜息を吐くと、オセフは玄関に向かう。


「ああ、わかったわかった。それよりも、喧嘩せずに仲良くするんだぞ」


 子どもたちに父親らしい声を掛けると、オセフは残った竹皮の包みを拾い上げ、ソコロの元に運ぼうとするが、ソコロが見当たらない。

 洗濯のために井戸端にでもいるのだろうとあたりを付けると、竹皮の包みを土間の扉の奥にある食料庫の中に入れた。これを仕舞ったことをソコロに伝えておきたいが、子どもたちに伝えるように言えば間違いなく無くなるだろう。

 だが、洗濯をする時間帯の井戸端というのは男のオセフにとってとても近寄りがたいのだが、仕方がない。オセフは、裏口を出て井戸端へと向かう。







 井戸端ではご近所の主婦が大集合していた。もちろん、そこでの会話は多くがそれぞれの旦那に対する愚痴である。その中でも中心に座り、ガハハと笑い声を上げているのがソコロである。

 間違いなく自分のことをネタにしていることを感じながら、オセフはソコロが座って洗濯しているところを見る。

 ふとその手元を見ると、その手にはオセフの作業着が握られていた。

 どれだけ文句を言おうと、他の誰よりも丁寧に洗っている。


「ソコロ! 軽食にとある方から頂いたパンを食糧庫の棚に置いてある。子どもたちにはひとつずつ食べさせたから、お前も時間にのある時にでも食べてみてくれ」


 オセフが突然声をかけたものだから、ソコロがびくりと肩を震わせる。

 ただ、後ろから声をかけられたものだから、すべてを聞き取れていない。


「ごめんなさい、ちょっと良く聞こえなかったわ」


 ちょうど悪口を言っていたせいか、ソコロはバツ悪そうに振り替えると、オセフにもう一度言うように促した。


「ある方から頂いたパンが食糧庫にあるから、後で食べたら感想を聞かせてくれ。これくらいの竹の皮に包まれてるパンだ」

「はいはい、わかったよ――で、あんたはどこいくんだい?」


 さっき帰ってきたところだろうにと不満げな顔でソコロが尋ねる。

 井戸端にいる主婦たちも興味深そうに二人のやりとりを聞いてはいるが、手を動かして洗濯に集中しているフリをする。


「ああ、そのパンをくれた方が石工師を紹介してほしいってんで、ちょっとイサークのところに行ってくる」

「そうかいそうかい、気をつけて行ってくるんだよ」


 建物を立てるのに必要な工期や材料、人員などの情報をクリスから尋ねられたとき、石工師を紹介するようにお願いされたのだ。

 といっても、貴族らしい高圧的な頼み方ではなく、「試食」という名義でのお土産まで持たせての依頼であるし、店に行く理由にもなるので不快なことなど一切なかった。


「ああ、なるべく早く帰って来るようにするよ」

「いや、ゆっくりしてきな」


 オセフが気を遣って早く帰ってくると伝えると、正反対の言葉が帰ってくる。それと同時に、周囲の主婦からクスクスと笑い声が広がった。







 オセフの自宅から歩いて数分。

 同じ西地区の居住区にある三階建の集合型住宅にはいくつもの部屋があるのだが、すべての部屋の出入り口は中庭に向いて作られていて、石工師を生業とするイサークを中心としたガリガ家の者だけが住んでいる。


「やあ、オセフだが……イサークはいるかい?」


 オセフは中庭でイサークを呼び出す。

 あちこちの扉や窓から視線を感じるが、特に悪意のあるものはない。だが、イサークからの返事はない。

 収穫祭の時期は、石工師の仕事は休みのはずである。理由は、大きな石の持ち運びがあると、マルゲリットの街では門のところで混雑の原因になることが多いためである。


「おかしいな……」


 オセフは顎に手を当てて首を捻って考える。

 子煩悩なイサークは、休みの日となれば独りで出かけるということはせず、子どもたちと遊んだりしていることが多い。だが、人の気配はするものの名前を呼べば顔くらいは出す男である。


「おーい、イサークはいるか?」


 もう一度声を掛けるのだが、誰からも返事がない。

 仕方がないのでオセフは出直すことに決め、溜息を吐く。


「イサークおじちゃんなら家族と収穫祭の見物に出掛けたよ」


 中庭に扉がある部屋から顔を出した男の子がようやく返事をしてくれた。

 子煩悩なイサークなら、家族サービスとして収穫祭の間は毎日のように中央通りや広場に出掛けていても不思議ではない。

 収穫祭では商売人が大量の商品を持ち込んでいるが、祭が終わる頃にはすべてを売り切ってから本拠地に帰りたいと思うものである。収穫祭前の運び込みで五往復半して、終了後に三往復半するようでは商売としては失敗。二往復半なら成功、帰るだけで済むなら大成功である。

 七日間を予定する収穫祭は今日で三日目なので、これから値段も崩れやすくなる時期であり、買い物するのも楽しい頃合いだ。


「おおそうかい、ありがとう。またあとで来るよ」


 オセフは少年に向かって礼を告げると、踵を返す。

 中庭に繋がる集合住宅の入り口に向かって歩きだすと、子どもたちの声に混じってイサークの大きな笑い声が聞こえてくる。


「ふぅ……」


 オセフは肩の力を抜いて首を小さく傾げると、溜息を吐く。どうやら一度家に戻って出直す必要はなくなったようだ。






 中庭に続く通路の向こう側に一際大きな影が見える。

 石工師という仕事は、非常に重労働であるが故に体格が大きなものが多い。その石工師の中でもイサークは特に大きな方で、他にも体格自慢の息子や弟子などもいるのだが、その影を見ただけで判別がついてしまう。

 のっしのっしと歩くイサークは、中庭に立つ似たような体格をした大男を見て、少し驚きを含む声をかける。


「おや? オセフじゃねぇか。急用でもできたか?」


 右の方に末の娘を乗せたイサークが、珍しいものを見るような目で問いかける。

 収穫祭で職人たちが休みの中、近所とはいえ会いに来るなど珍しいことだからだろう。


「ああ、ある方に石工師を紹介してほしいと頼まれたんだ。悪いが、明日なんだが時間をもらえないか?」

「ん? 上客か?」


 イサークが相手について探りを入れてくる。

 単純に考えれば領主家の娘からの依頼であり、間違いなく上客である。だが、店でオセフに投げかけられた質問から考えると、興味本位の質問が中心で、実際に金に繋がる話かどうか、オセフには判断できない。


 ただ、言えることはひとつ。

 この街の最高権力者の娘の言うことに逆らってはいけないという、危機感がオセフの頭の中で警鐘を鳴らしていた。


「誼を通じるというのなら間違いなく上客だ。だが、最後は自分で判断してほしい」

「おう! わかった」


 オセフは当たり障りのない返事で、紹介する人物を誤魔化した。

 他にも石工師とは付き合いがある中で、最もオセフの期待を裏切らない――損得抜きで友と呼べる男はオセフにとってイサークであった。

 そして、しっかりとした縁ができればこれほど美味しい上客はないので、オセフは嘘はついているつもりはない。この出会いが実際にお金になるのかというと、今はわからないし、ここで生じた知己をどのように活かすかはイサーク次第だ。


 イサークもオセフとは長年の付き合いがあり、オセフへ寄せる信頼は他の大工たちと比べても頭一つ飛び抜けていると言ってもいい。理由は、とにかく仕事が誠実であること。石工師が限りなく平らに切り出したブロックを積み上げた基礎の上に家を建てる。上物である木造部分を作るのが大工だが、オセフの作る家には基礎との間に隙間がない。柱もぴっちりと基礎部分に入るように削られている。

 つまり、オセフと組んだ仕事を終えると、とても満足できる結果が得られているのがその根拠なのである。

 だから何も疑問に思うことなく、返事をした。


「で、何時にどこへ行けばいいんだ?」

「朝二つの鐘が鳴る前に、東通りの居住区手前にある辻に来てもらえないか?」


 イサークは視線を宙に彷徨わせると、眉を八の字に下げる。


「その辺りはよくわからんな……」

「じゃ、明日迎えに来させてもらう。いいか?」

「おう、もちろんだ」


 こうしてクリスに頼まれた石工師の紹介に目処がつくと、オセフはしばらく世間話をして家に帰った。

 家に帰ったオセフにとって非常に残念だったのは、残しておいた自分のパンまでソコロが食べてしまっていたことだった。


「ひとつだけなんて聞いてないよ」


 ソコロの一言に、オセフは何も言い返すことができなかった。

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