第72話 秋刀魚の炊き込みご飯(1)

 オセフは大工である。

 収穫祭の時期となれば宿屋の増改築、新しい屋台づくりなどの仕事は数え切れない。

 オセフはその収穫祭が始まる直前まで馬車馬のように働き、昨日の夜にようやく開放された。


 さて、開放された翌朝は当然二日酔いだ。


 次から次へと飛び込む仕事のせいで忙しく働いたあとは「打ち上げ」という名の大宴会が始まるのはどの世界も同じで、今回は収穫祭が始まって二日後にまで仕事がずれ込んだのだから「祭りを楽しむ」という名目まで加わる。仕方がないことだ。


「――むぅ」


 長年に渡って酒に慣れた身体はそう簡単に頭痛や吐き気に襲われることはない。

 ただ、とにかく身体が怠い。


 アルコール分解で寝ている間も肝臓が働き続けていていることが原因と言われるが、酒を飲んで眠くなっても眠りは浅いものだ。


 だから目覚めも悪い。


 オセフは右手で眉間を摘むと、俯いたままベッドに腰を掛けた。


「あんた、いつまで寝てんだい!」


 扉が開くと、とても福々しい体型をした女性がまあるい顔に青筋をたてて怒鳴り込んだ。

 オセフの妻、ソコロだ。

 オセフより頭二つ分くらい小さいのだが、戸口に立つと隙間がないのかと感じるほどのふくよかさである。何があっても出入り口から逃げ出すことなどオセフには不可能であろう。


 オセフはゆっくりと顔を上げて戸口に立つソコロを赤くなった目で見つめる。


「ああ、すまん……ソコロ、さすがに飲みすぎた」


 窓から差し込む光は既にエステラ異世界の太陽が昇ってそれなりの時間が経っていることを示していた。


「まあいいわ、もうごはんはないわよ」

「しかたないな――」


 オセフは立ち上がると、のっそりと寝室から退出するのだった。








 土間の部屋で顔を洗い、木の枝で歯を磨き終えたオセフは家の中を見回すと、ソコロに向かって尋ねる。


「おい、坊主たちはどこいった?」

「祭りの日なんだから、屋台巡りでもしてんじゃないのかい」


 確かに遊びたい年頃の息子、娘なら連れ立って祭りの華ともいえる中央通りの屋台で買い食いして歩くのも楽しいことだろう。とはいえ、昼間から酒を飲む者も当たり前のように歩き回っている場所でもあるので子どもだけで遊びに行かせるというのも心配だ。


「子どもだけで屋台を見に行ったのか?」

「そんなわけ無いじゃない。出来損ないたちも一緒だから大丈夫よ」


 眉を八の字にして心配そうにオセフが尋ねたところ、おおらかな笑顔でソコロが返事をした。

 出来損ないというのは見習いや弟子たちのことである。大工としての修行はしっかりしていて腕力についての文句はないのだが、読み書きや計算などはほとんどできず、買い物などについていっても役立たずでしかない。我が子と共に商人たちから釣り銭を誤魔化されている姿が目に浮かぶ。


「そりゃやっぱり心配だ。ちょっと行ってくる……」


 オセフはいつも仕事で着ている上着をサッと羽織ると、家を飛び出す。


 大工という職業はもちろん「職人」に分類される。「職人」たちの工房は交流街の西側に集められているので、職人たちの住まいも居住区の西側に集まっている。オセフの家も街の西側にある。

 屋台は西通りと中央通りに集中しているので、オセフは交流街を西通りから中央通りに向かう。

 陶器や木工品、置物、穀物、織物などの店が並んでいるが、子どもたちが喜ぶような店はない。見習いや弟子たちもまだ年若いので、このあたりにはいないだろうとオセフは見当をつける。日持ちしない菓子類は東通り側で売られているから、そちらにいるだろうと予測して歩き始める。


 居住区の西側から中央通りに入ると、交流街にある天馬亭の前に出て路地に入る。

 増改築でくねくねと入り組んだ路地にも頭上には色とりどりの傘が飾られていて、エステラの光が透けて路上や人を彩っている。

 その鮮やかな模様の中を泳ぐように進むと、幾つものパン屋や八百屋、肉屋などの店が並び、この季節だけの搾りたての果汁を売る店、麦芽から作った飴などが臨時に小さな屋台を出して道行く人たちに声をかけている。


 仕事以外ではあまり歩くことのない東通りに向かう路地に並ぶ店は、全てが二枚扉になっていて、子どもたちが中に入っていても、路地から確認できるものではない。

 せめて店の外に立つ弟子の一人でも見つけることができれば話は違うのだが、人で溢れかえった路地ではそれすら難しい。


 普段なら十分程度歩けば着く東通りに三十分もかかって到着すると、広めの東通りでは人も疎らになる。ただ、そこには弟子や見習い、子供たちの姿は見当たらない。


「ぐぎゅるるぅ……」


 オセフは右手を腹にあてて当たりを見回すが、特に誰も気にしている様子はない。

 二日酔いで身体はまだ怠いが、朝食抜きでその時間まで歩き続ければオセフの腹も減ってくる。ましてや、甘い焼き菓子や肉串を焼く匂いが充満した路地を歩いていたのだから無理もない。


「腹減ったな……」


 右手で胃袋のあたりを摩りながらオセフは考える。

 自宅の近くには子どもたちはいない。中央通りや東通りでも発見できていないということは、旧王城の広場にでも行っているのだろう。それならば釣り銭を誤魔化されるような店はないので安心だ。


「ぐぐるりゅぅぅ……」


 腹の虫が鳴く音が再度聞こえる頃には、オセフは朝食を出す店を探し始めていた。

 食堂と言える店は多くが宿屋を兼ねていて西通りに近い場所に多い。

 オセフは串焼きや麦粥を売る店を途中で見つけたが、「お祭り価格」でとても高かったことを思い出すと、久々に訪れた東通りをふらりと歩き出す。


 ほどなく、城壁に続く路地にある店の入り口らしき場所から綺麗に整列した客が並んでいるのが見えた。

 どうせパン屋か何かだろうと店構えを見ると、一枚の引き戸だけが置かれた小さな店だ。


 オセフは立ち止まると腕を組んでその行列の先を見つめる。

 新しい屋台の組み立て作業をしていた時に、屋台のオーナーになる商人が「東通り通りの外れの路地に、海の魚を出す店がある」と言っているのをオセフは聞いた。そのときは馬車で十日以上はかかる場所から運び込める海の魚を出す店などないと思って軽く聞き流していた。


 オセフの生まれはウーゴと同じ海辺の街――ダズールである。だが、船大工の下で生まれ育ったオセフは漁港に近いところで育ち、ウーゴは漁港よりも街の入り口に近いところに住んでいたため、互いに認識はない。

 また、仕事柄家屋の新築、増改築の依頼などでマルゲリットの街を歩くことが多いのだが、天馬亭の主人が自分と同じ街の出身者であるなんてことは聞いたことがない。

 二人に共通するところがあるとすれば、「この内陸の地でも海の魚を食べたい」という思いくらいのものだ。

 目の前にその店があるのなら、そこで食べてみたいと思うのは自然なことだろう。

 行列といっても今は五人しか並んでおらず、オセフは静かにその列に加わった。前には自分と同じように太い腕をした男ばかりが列を作っていて、むさ苦しささえ感じてしまう。









「クォーンカーン……クォーンカーン……」


 朝二つの鐘が鳴ると、クリスが並ぶ客の案内をはじめた。

 オセフはどこかで見た顔だとその女性を離れて見てみるが、先を進む男たちがぞろぞろと歩くとそれどころではなくなってしまい、ただ前の人について進んでいった。


 案内されるままオセフが引き戸の中に入ると、店の中はひんやりとしており、路地に漂う異臭が一切残っていない。

 多くの店は二つの扉を用意していて、一つ目の扉を開けた部屋で汚れた帽子や外套を掛けておく。そして、二つ目の扉を開いた先が実店舗になっている。外の匂いや汚れを店内に持ち込まないための工夫なのだが、この店にはそれがないにも関わらず、異臭が一切しないのだ。

 そのことを察知したオセフは、とても不思議そうに店内を見回しながら店の奥に進んだ。


 前に並んでいた男たちはカウンターの奥から順に座る。

 これがこの店のシステムなのだろうと、オセフは自らを納得させ、前に並んでいた男の右横に座った。身体が大きな男ばかりなので、見た目に窮屈そうだ。


「いらっしゃいませ、初めての方ですね?」


 玄関で客を案内していたクリスが、オセフに声をかけた。


「ああ……」


 オセフは初めての店のせいか、少し緊張気味に返す。

 西側の店であれば馴染みも多いが、東側となると少し勝手が違う。気の荒い男たちが集まる西側に対し、大人しく上品な雰囲気さえ持つ東側といった感じだ。


「いつもならメニューを説明するんだけど、今日から収穫祭の間だけは『魚朝食』だけにすることになったの。いいかしら?」


 収穫祭が始まってからというもの魚朝食を楽しみに来た客も多いのだが、開店早々に売り切れてしまうのも申し訳ないということになり、期間限定で魚朝食のみを出すことになったのだ。


 オセフは今日のメニューを説明する女性を見て声を失う。

 瑠璃のような瞳に、整った顔立ち、下ろせば腰まではある艶やかで白い髪……オセフはその女性が領主の娘――クリスティーヌであることに気がついたのだ。

 工事現場で聞こえてきた店の情報にはなかったことであり、仕方がない。


「どうしてもというなら、時間はかかるけれど別の料理も出せますけど……」

「いっ、いや……『魚朝食』で……お願いします」


 注文を聞くクリスの目を見つめ、オセフはなんとか声を出す。

 その様子を見たクリスは、お茶をオセフの前に置くと、おしぼりを広げてオセフに話しかける。


「ここではたたのクリスですので、そう呼んでくださいね。

 あと、これはおしぼり。手や顔を拭くものです」


 ぽかんと口を開き、呆気に囚われたままのオセフにおしぼりを渡すと、クリスは隣の客に話しかけた。

 そのままぼんやりと見ていたオセフも、自分との会話が終わったことに気づき、我を取り戻すとまだ熱の残るおしぼりでゴシゴシと顔を拭いた。









 クリスがカウンター席から離れると、オセフも店の中の様子を見るほどには落ち着きを取り戻した。

 長年大工をしているので、自分が手掛けていない建物が気になってしまうのは仕方がない。


 オセフは、感心したように檜の一枚板でできたカウンターを撫でると、同じ檜でできた椅子を股の間で覗き込む。杉の柱の間にある壁は漆喰で塗り固められ、天井は竿縁で板を支える方式なのだが、両方ともマルゲリットやダズールにはない手法である。

 もちろんオセフは興味津々といった目で見ているのだが、椅子に座っているし、壁は自分の背後にあるのでじっくりと見ることもできない。もどかし気に体を捻って壁を見ようとするが、隣に座る男たちにジロリと見つめられると我慢する。

 クリスの店に迷惑をかければ首が飛ぶとでも思っているのだろう。


 そこに漬物を持ってシャルが現れる。


「お漬物、お待たせなのっ!」


 そう言ってオセフの前におかれたのは、沢庵とカブの浅漬け、胡瓜の紫蘇漬けの盛り合わせだ。


「ごゆっくりどうぞなのっ!」


 シャルはオセフの息子よりも少し年下といった感じの少女だが、顔立ちは整っているし、金灰色から淡いピンクに変わる髪と、キラキラとしたピンクの瞳が特徴的でとても可愛らしい。

 こんな少女が働く店なら、息子や弟子たちを連れてくると喜ぶだろうとオセフは想像するのだが、厨房内で忙しなく働くクリスを見て考えを改めた。

 粗相があれば大変なことになる。


 オセフは沢庵を指で一枚摘み上げると、口に入れる。

 沢庵特有の甘さと発酵した香りが混ざり合って鼻腔に抜け、歯を立てればポリポリと小気味良い音を立てる。沢庵からあっさりとした甘みと、漬物らしい旨みがじわりと染み出してきて舌を包む。


「ほぅ……」


 その甘みと、仄かな酸味、塩味と旨味に加え、歯応えまで楽しむとオセフは一息吐いてお茶を飲む。


 そこに、クリスが料理を運んでくる。


「お待たせしました。今日の『魚朝食』――『秋刀魚の炊き込みご飯』です!」


 ことりと小さな音を立てた丸盆には、二つの器が並んでいた。

 すると、奥のカウンターから声が上がる。


「クリスちゃん、なんで今日は二品なんだ?」


 口を開いて「アッ!」と言葉を漏らすと、クリスは慌ててカウンター内に入る。


「すみません、伝えるのを忘れていました……。

 今日の料理は、『ごはん』に主菜の『秋刀魚』を先に混ぜ込んだ料理だから、『ごはん』であり『一菜』でもあるの。だから、今日は二品で一汁一菜よ」


 クリスが今日の料理の説明を終えると、男は少し不満げに問いただす。


「でもよぉ、昨日も『ブナシメジの炊き込みご飯』だっけか……具材が炊き込まれた『ごはん』が出てきたけど、主菜は別についていたじゃねーか」


 オセフは領主の娘に楯突くような男の態度を見ていられない。視線を伏せて目の前の丸盆の料理だけをじいと見つめ、聞き耳を立てる。


「そうね、昨日も『炊き込みご飯』を用意したけど、あれは主菜に添えるような『ぶなしめじ』や『油揚げ』を『ごはん』と共に炊き込んだだけ。だから、主菜の『太刀魚の塩焼き』はお代わりできなかったでしょう?」


 ここまで話すとクリスはニヤリと口角をあげる。


「今日の『秋刀魚の炊き込みご飯』は、『ごはん』であり、『主菜』でもあるのだから『主菜』のお代わりができるってことでもあるのよ? どちらがお得かしら?」


 オセフからクリスに楯突いた男の顔は見えないが、その男は驚いて目を大きく開いている。

 クリスは腰に両手を添えると前かがみになり、その男の顔を覗き込む。


「いつもの『白いごはん』のようにお櫃は出さないけど、お代わりは自由だからわたしかシャルに声を掛けてくださいね」


 クリスの説明を聞いた男たちは笑顔で頷くと、味噌汁に手を伸ばした。




 暫くすると、オセフは躊躇っていた。

 この街の領主の娘が出す料理の店である。はじめてここに来たオセフにとってはマナーやルールというものがあるだろうと思ったのだ。

 だから、オセフは他の客の食べ方を観察した。

 他の客は味噌汁椀を手に取り、木匙でひと混ぜすると直接口縁に口をつけて汁を飲む。


「ふむ……」


 オセフはその様子を見て、納得したように右手を伸ばす。

 左利きではない。向かって右側に味噌汁椀が置かれていたからだが、いざ木匙を左手を持ってひと掻きしようとして違和感に気づいた。

 これでは秋刀魚の炊き込みご飯を食べる際にわざわざ右手に木匙を持ち替える必要がある。

 もう一度他の客を見ると、左手に味噌汁椀を持ち、右手で木匙を持っていたのだ。


 オセフは気を取り直して味噌汁椀を左手に取り、右手に持った木匙でくるりと中身を掻く。椀の底からかしゃりと音がすると、木匙の壺には濃い茶色の汁に小さな殻を二枚持った貝がひとつ、ぱくりと口を開いてその身を晒している。


 特に海辺に近い場所に住んでいたオセフには、貝は馴染み深い食材であった。ただ、このような小さな貝を見たことはない。


「たしか『しじみ』と言っていたが……小さい『ムール貝』でもないのか」


 小さな声で呟くと、オセフは木匙の中身を戻し、味噌汁椀の口縁を唇に当てる。味噌汁は湯気を上げているが、唇には然程熱さを感じない。

 その湯気を吸い込みながら、オセフはズズと味噌汁を口に流し込んだ。


 湯気に含まれた味噌の発酵臭と、ワカメの香りが口腔から鼻腔へ抜ける。流れ込んだ味噌汁が舌を包み込むと、しじみから染み出た旨味がぎゅっと味蕾を刺激し、ダズールの街で食べていたスープの味を思い出させる。


「ああ、懐かしい味が……」


 思わずオセフは震えた声を出して、味噌汁椀を丸盆の上に戻した。

 渋みと酸味のような感覚に舌が収縮するような感覚は、二枚貝が多く含むコハク酸の旨味だ。ワインの発酵時などにも生成されるが、内陸ではここまで濃厚なものに接する機会も少ない。

 他の客が味噌汁の後に炊き込みご飯に手をつけるのをみてはいるものの、ついつい味噌汁に手を伸ばす。


「ズズッ……」


 今度は両手で味噌汁椀を大事そうに持って汁を啜ると、ワカメも共に口の中に流れ込む。ねっとりとした舌触りに、ザクザクと音を立てる歯触りが楽しく、潮の香りを僅かに鼻腔へと漂わせる。

 汁はしじみの旨味のせいでやはり舌がぎゅっとなる感覚が残るのだが、その感覚がよけいに旨味を舌から吸収していると錯覚させる。


 オセフは顔を上げると目を瞑り、両手に味噌汁椀を持ったままでしじみの旨味を楽しむかのように優しく微笑んで佇んでいた。


 だが、いつまでも舌の上に旨味が残るわけではない。

 しじみの旨味が口内から少しずつ消え去っていくと、舌や脳の感覚が呼び戻され、オセフは人知れず我に返り平静を装うのだが、一人微笑んで宙を見上げていたことは気づいており、少し気恥ずかしそうに味噌汁椀を置くと、炊き込みご飯が盛られた飯茶碗を左手に取り、右手で木匙を掴んだ。

 茶碗には茶色く色づいたごはんの間にたっぷりと混ぜ込まれた秋刀魚の身があちこちで顔を出していており、その盛り上げるように装われたごはんの上に、崩れていない秋刀魚の身と刻んだ九条ネギが飾られていた。


「ごくり」


 その盛り付けの良さに食欲を唆られたオセフは知らずに溜まった唾液を飲み込んだ。


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