第50話 グラタン
「それじゃ、同じソースを使って今から別の料理を作ります。マルコさんはそのレシピと一緒に銀兎亭や他の店にソースを売ったらどうですか?」
「ああ、それはいい考えだが、他の料理とはいったいどんな料理なんだ?」
「今日の賄いにしますから、閉店までここで待っていてください」
シュウはそういうと、厨房に戻る。
カウンター席で食べていた客も入れ替わり、そろそろ厨房に戻って料理をする必要もあったので仕方がない。
すると、今度はクリスが席にやってくる。
「もうっ、マルコさんも我儘ですよね……」
シュウから話の経緯を聞いたのか、クリスが少し呆れたような声でマルコを責める。
クリスはこの街の領主の娘なのだから、街の名物が増えることについて何も異論がないのだが、その名物に必要なソースを一手にシュウが引き受けるとなると、間違いなく忙しくなる。
いずれはソース作りも教えてしまえばシュウの手を離れることになるが、それまではクリスも二人の時間を楽しめないのは間違いない。
「でも、ソースを売るということは、この街に腰を落ち着けて商売をするっていうことになりますよ?」
「え? どうしてだい?」
マルコは理解していないようだが、ヤコブやウォーレスは理解しているようで無言で頷いている。
「だって、このお店があるのにソースだけ作り続けるとか、わたしとシュウさんにはありえないでしょう? ある程度の数が売れるようになってきたら、それを専門に作る場所と人が必要になると思います。それに、ソースは生ものだから、凍らせて運んで売ることはできても、冬以外はすぐに溶けてしまうので遠くの街に売りにいくことはできないもの」
クリスは両手のこぶしを腰にあて、じいとマルコを見つめて話を続ける。
「ソースを売るというなら、その作る場所と人、売り先も全部面倒みると約束ができないといけません」
マルコは一瞬、驚いたような顔になるが、クリスに対し冷静に確認する。
「つまり、わたしがソースのレシピを買って、それをこの街で作って売るということになるのかい?」
「そういうことですね。だからこの街に腰を落ち着けることになります」
この店でソースを作っている限りはマルゲリットだけでの商売になるが、マルコが作って売るとなれば王都に支店を作ることも可能ということになる。
なるべく大きな街に支店をつくっていけば、いい商売になる。
「では、そうなったときに王都や他の領都に行って商売を広げるのもいいということかい?」
「ええ、そうだけど……あのソースは簡単なので、すぐに真似されると思います。それでいいですか?」
簡単に真似されるとなるとリスクが大きい。あくまでも、銀兎亭や数軒の店などで取り扱う範囲であれば問題ないが、店で作れるようになってしまうとすぐに需要が見込めなくなることも考えられる。
「うーん、今すぐ返事ができることではないな……」
「そうだな、この街でレシピを手に入れたら、王都で店を開く方がまだ現実的だろう」
「そうね、わたしもそう思います」
マルコが悩んでいると、ヤコブが別の案を出し、クリスがその案に賛成する。
「確かに、店をやるにもわたしには畑違いだ……」
飲食店を開くとなると店員や料理人の確保が必要で、その類の伝手はマルコにはない。
「しかたないよ、ボクたちには得意なこと、苦手なことがあるんだから。ここで無理に自分の商売にする必要はないんじゃないかな?」
ウォーレスがマルコを宥めようとする。
食材は一般的なもので、既に流通ルートがあるところに無理に入ることは難しい。
そして、料理店や宿屋を営むというのは完全な畑違いであり、明日から新商材を求めて王都へ向かうような人間が考えるべきことではない。
「ああ、そうだな……」
「わかってくれたならいいのよ」
眉尻を下げ、諦めたような声をあげるマルコに、クリスも申し訳なさそうに声をかける。
すると、厨房からはクッキーを焼くような香りがふうわりと届いてくる。シュウがベシャメルソースを作り始めたことを示す匂いだ。
「いい匂いがするな」
「本当にいい匂いだなあ」
「クッキーの匂いなの」
ちょうどお茶を注いで廻っていたシャルが、その匂いに反応する。また、その匂いとは別にベーコンと玉ねぎを炒める匂いが店内に広がってくる。
来店客がひと段落し、本格的に賄い作りを始めた証拠だろう。
その雰囲気を察してか、クリスがマルコに尋ねる。
「それにしても、どうしてマルコさんは銀兎亭のパンシチューに拘るの? そんなに自分にもお金が入ってこないといけないものなの?」
商売というのは人の縁により大きくもなり、小さくもなる。
ただ、今回のように我儘を言い、自分だけに何か利益がでるようなことをすると、人は離れて行ってしまうものだ。マルコは明らかに焦っているとクリスには見えたのだろう。
「アプリーラ村が襲撃されて、いくつかの得意先を失ったんだ。それに、旅から旅を繰り返す行商の仕事にもそろそろ体力がついていかなくなってきた……。できれば、今回の王都行きを最後にして、このマルゲリットか王都に店を構えたいと思っていたんだよ。ただ、店を構えても何を商品にすればいいのか、本当にわからなくてね……」
家業を継いできたヤコブやウォーレスには縁のない話である。ただ、一般的に店を継げない者は、他の店で見習いをして他の街で店を持つ場合や、マルコのように行商人になるものもいるので、理解できない話でもない。
「今回の仕事は、ある意味賭けのようなものだよ。醤油や味噌、『酒』のようなものが入手できるルートができれば、わたしにも活路があると思う。だが、入手できるという保証はないからね……」
力のないマルコの独白を聞いて、クリスも何かできないものかと考えを巡らせる。同じようにウォーレスやヤコブも考えているようだが、誰もここで結論を出すことができない。
「クォーンカーン……クォーンカーン……クォーンカーン……」
時間切れを知らせるかのように、朝三つの鐘が鳴り響いた。
「ガララッ」
引き戸が開くと、そこには緑の髪に黄色い瞳を持った少女がいて、ずかずかと店内に入ってくる。プテレアである。
「ただいまなのじゃ」
「あ、おかえりなさい」
クリスが返事をすると、プテレアは訝し気に店内にいる男たちを眺める。
「なんじゃ? どうかしたのかの?」
プテレアはそこでどのような会合が開かれているかは知らず、見慣れない男たち三人をじいと観察するかのように見つめている。その言葉はとても柔らかく、何か心配するかのような口調が籠っている。マルコの話が場をそういう空気へと変えていたのだろう。
ただ、基本的に街の外に暮らしているヤコブはプテレアのことを知らず、旅から旅を続けるマルコもプテレアのことを知らない。ウォーレスだけがプテレアのことを知っているようで、ただ口をあんぐりと開けたままプテレアを見つめている。
「マルコ・キャンベルさんは行商人をしていて、この店が開店した時からいろんなお客様を連れてきてくださった恩人のような方なの。そして、そろそろ腰を落ち着けてこの街か王都で商売をしたいと言ってるんだけど、なかなかいい商材が見つからないと悩んでいるみたいなの」
クリスが先ほどのごたごたとした内容は抜きにして、簡単にプテレアに説明する。
プテレアはいまひとつ理解できていないようだが、マルコをじいと見つめるビシッと人差し指を立てたポーズをとってと言い放つ。
「自分が働くのではなく、お金に働いてもらえばいいのじゃ」
どうだと言わんばかりに薄めの胸を張ってポーズをとっているが、その言葉を理解したのはヤコブだけで、ウォーレスやマルコ、クリスはぽかんと口を開けている。
クリスも少し考えてみたものの、その言葉の意味が理解できないようで、プテレアに尋ねる。
「それって、どういう意味?」
「シュウが持っていた本に書いてあったのじゃ、妾にもわからんのじゃ」
クリスは日本側の店の近くにあるお笑い劇場の人たちのようにコケそうになるが、周囲の大人たちはそのリアクションも理解できないことに気づいて踏みとどまる。
「まずは賄いなのじゃ、賄いはまだなのか?」
客が残っているにも関わらず、プテレアはマイペースに賄いを要求するので、周囲の視線は冷たい。
だが、そんな視線を気にすることなく着替えのために和室に入っていく。
その姿を目で追いながら、目を瞬かせていたヤコブがクリスに尋ねる。
「クリスティーヌ様、あの方はどなたでしょう?」
「彼女はプテレア、この街の守り神「
嘘ではない。精霊と言われる存在であることは間違いないし、例年の収穫祭には今の服装で参加しているのだから、巫女のようなものである。
「そのプテレア様が、どうしてここにいるんだい?」
不思議そうな顔をしてウォーレスがクリスに尋ねると、クリスは明らかに困ったような顔をして返事に詰まる。プテレアの話のとおりなら、マルゲリットの地下はあと二十年ほどすれば土の養分が無くなり、グランパラガスが枯れてしまう。それを避けるためにどう対策するか、話し合い、技術的なことを調べ、対策を練っているところだと説明しても誰もついてこれないだろう。
「父の仕事の関係だから言えないわ」
「そっかぁ……」
ウォーレスは眉尻を少し下げて、残念そうな表情を見せる。
下水の関係はエドガルドからの指示に基づくものなので、それを整備するために必要な地下の状況等を教えてもらうには、そこに根を張っているプテレアの協力が不可欠なので、これも間違いではない。ただ、下水の整備については現在は誰かに話すことができる状況でもない。嘘を吐かずにごまかすという程度には、上手く言えた方だろう。
「お待たせしました」
丸盆の上に、木の鍋敷きが置いてあり、その上には陶器の皿いっぱいに盛り付けられた料理が大量の湯気を噴き上げながらぐつぐつぐつぐつと音をたて、チーズの焦げた匂いと、牛乳を煮詰めたソースの甘い香りを振りまいている。
四人掛けのテーブルに座っているマルコ、ヤコブ、ウォーレスの中心に置かれたその料理の表面は溶けたチーズが覆っていて中身までは見ることができないが、ところどころ茶色く焦げていたりしている。
三人がその料理を観察しているにも関わらず、まだぐつぐつと縁のあたりでは煮え滾っていることを主張していて、そのまま食べるにも火傷の危険があることを見るからに察することができる。
シュウは、その料理のレシピを簡単に説明する。
「これはグラタンです。先日の『牛乳』のソースに炒めた『タマネギ』、『ベーコン』を合わせ、そこにマカロニという干した麺を戻して作ったものです」
「マカロニ? 『パスタ』の一種かい?」
「ええ、『パスタ』の中でも、表面はつるりとしていて、短い管のようになっているものですね」
この
「食べてもいいのかい?」
マルコがシュウを見上げるように尋ねてくるが、既にウォーレスは木匙を右手に持って臨戦態勢に入っている。
「ええ、でもすごく熱いので、よく冷まして食べてください。クリス、シャルとプテレアの分も焼けていると思うから、厨房の調理台で食べてくれ。くれぐれも火傷しないようにな」
「はーい」
「お、賄いか? すぐ食べるのじゃ!」
クリスと同じ和服姿になったプテレアが慌ててクリスを追うように厨房へ走っていく。
その後姿を見て、シュウはテーブル席の三人に向かい直す。
「先日のシチューとはまた違う料理になっていると思いますよ」
シュウは三人が食べ終えたすき焼きの鍋や五徳などを片付けると、丸盆の上にのせていた中皿を配る。
ぐらぐらと煮え立った様子はそろそろ治まっているのだが、陶製の容器と料理との隙間からはまだ勢いよく湯気が出ている。
「ではわたしから……」
マルコがその隙間の近くに木匙を立てると、表面を覆う溶けたチーズがぐにゅりと沈む。そのまま力を加えれば、ぱりぱりと焦げたチーズの表皮が割れ、どろりとした牛乳のソースに木匙が入っていく。ものすごい湯気が立ち上がるのを見て判断したのか、マルコは底に木匙を滑り込ませると、グラタンの中身を中皿に移し替える。溶けたチーズがぐにゅりと伸びて少し難儀しているが、特にテーブルを汚すことなく、上手く移し替えることができたようだ。それを見ていたヤコブやウォーレスも同じように木匙を使って、中皿にグラタンの中身を移す。
マルコは中皿に移したグラタンに木匙を立て、食べやすい大きさに解いて匙の壺の部分にのせ、ふうふうと息を吹きかける。表面から出る湯気がじゅうぶんに減ったことを確認すると、恐る恐る口の中に木匙を入れる。
焦げて香ばしくなったチーズの香りと、濃厚に煮詰められた牛乳の香り、炒めて最も香り高くなったときにソースに閉じ込められたベーコンやタマネギの香りが一体となって鼻腔へ走り抜ける。口の中は、少し熱いという程度の温度になってはいるが、熱により活性化された食材はその味をより強く感じさせる。その食材の味を包み込むのが煮詰めた牛乳のソースで、他の具材の旨味を吸って濃厚な味へと進化している。パンシチューと似た具材が入っているが、チーズの塩気が味に力を加えることで、より濃厚で力強い味に仕上がっている。
「これは美味いな、うちの牧場の食事処でも出したいくらいだ」
「ありがとうござます、ヤコブさん」
マルコはじいと中皿に盛られたグラタンを見つめている。確かに先日のパンシチューと同じソースが使われている料理で、材料もありふれた食材を用いて作られている。
「とても美味しいよ。わたしの商売につながらないのは非常に残念だが……」
「そうだね、この料理は『牛乳』と『ベーコン』を扱っているヤコブさんに譲るのが一番だよ」
「ああ、本当にそのとおりだな」
マルコは漸く割り切ることができたのか、非常に清々しい表情を見せると、残りのグラタンに木匙を突き立てる。
「わたしとしては、マルコの本領は行商にあると思っている。ぜひ、今度の旅で珍しい食材や調味料を見つけてきてくれることを期待しているよ」
「ああ、それが本当のわたしの仕事だからね」
ヤコブが右手をマルコの前に差し出すと、マルコもがしりとヤコブの右手を握り、笑顔で見つめ合う。
その二人を横目に、ウォーレスはごっそりとグラタンを掬い取り、大きな口に頬張った。
マルコとウォーレス、ヤコブはグラタンを食べ終えると、シュウやクリスの邪魔にならないよう、早々に支払いを済ませて帰ろうとしている。
もちろん、しばらくマルコが旅にでるわけだから、全員で見送りをしなければいけない。
「マルコさん、道中気をつけていってきてくださいね」
「必ず、いいもの見つけて帰って来てください。お待ちしてます」
「戻ってきたらシュウお兄ちゃんが美味しいもの用意してくれるの。だから楽しみにしていくの」
「気を付けるのじゃ」
マルコは少し寂しそうな顔をするのだが、すぐに気持ちを切り替えたのか笑顔で手を振る。
「だいじょうぶだ、わたしはわたしの仕事をする。みんなも頑張ってくれよ」
そういうと、くるりと背を向けて宿屋のある方角へ向かってヤコブ、ウォーレスと共に歩いていった。
シュウとクリスは、その背中が見えなくなるまで頭を下げてそこに立っていた。
「牛乳とベーコンはヤコブさんのところの配達人が毎日御用聞きに来てくれるということだから、パンシチューの材料の調達についてはひと段落でいいのかしら?」
マルコ達を見送って扉の中に入ったクリスが尋ねると、シュウが答える。
「そうだな……。あとは銀兎亭がどれだけパンを上手に焼けるか……だな」
「ねえ、日本のような柔らかいパンも出したいんだけど、できないかな? シチューやグラタンを出すにもごはんより、パンの方が合うものもあるでしょ?」
元々はパンを中心とした食文化でクリスは生まれ育っているので、たまにパン食をしたいときがあるという。これを機会に、店でも出せるようなパンを焼けるようになりたいのだろう。
「となると、やっぱりオーブンが欲しい。さっきは上火の魚焼きグリルでグラタンを焼いていたからな……。コンロの下におけるガスオーブンでも買いに行くか……でもあれ、熱いんだよなぁ……」
「お店でクッキーやケーキも焼けるようになるのっ」
食器を洗っているシャルが嬉しそうな声を上げる。
プテレアはオーブンが何かをわかっていないのもあるだろうが、食後のせいか少しぼんやりとしている。
「明日は、日曜日だがシャルも思いっきり日本で遊べる方がいいだろう。急な話になるが、これからは日曜日を休みにするか?」
「え? いいの?」
「明日は妾も日本で遊べるということじゃな? それは嬉しいのじゃぁ!」
平日の
それを知ってか、プテレアとシャルは大喜びだ。シャルは映画会社のテーマパークに行ってみたいと言い始め、プテレアは温泉宿で混浴したいと何かを妄想するようにうっとりと話す。
クリスにすれば一番売り上げの大きな日曜日が休みになるのは少し心配ではあるが、プテレアが平日の日本の営業で働くようになってテーブル席も開放できるようになっていることを考えると心配はないという結論に達する。
そのとき、日本での営業を開始する時間である八時を知らせるアラームがぴぴぴと音をたてた。
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