第32話 干し貝柱のごはん(3)

 こぽこぽと湯を沸かす音が聞こえてくると、クリスは錫製の茶筒を片手に調理台の前に移動する。残った手に大きめの急須を持ち出すと、厨房の中央にあるアイランド式の調理台に置く。

 急須の蓋を外し、ことりと小さな音を立てて急須の蓋を置くと、静かに茶筒を開く。

 木匙を入れてサラサラと茶葉を掬うと、一杯、二杯と入れて、四杯目。

 茶筒は中蓋を軽くのせると、自身の重さでゆっくりと沈むように閉じていく。茶筒の蓋もことんと乗せれば、また音もたてずに閉じていく。芸術品のような装飾が施されたその茶筒は、必要以上に茶葉を外気に触れさせることがなく、茶葉の酸化を防ぎ保存性を飛躍的に高めてくれる。


 沸騰したお湯はお茶を出すには向いていない。湯呑みを温めるようにお湯を注ぐと、そのお湯を急須に注いで蓋をする。クリスはそこまで作業すると、漬物の準備をはじめる。

 調理台のうえに深皿をごとりと置くと、カウンター下の冷蔵庫を開く。ずらりと並ぶタッパーから目当ての食べ物を取り出すと、菜箸でとって深皿の中へと移していく。移しながらイメージする。


 急須の茶葉が七割くらい開いたイメージが脳裏に浮かぶ


 そっと蓋を開いてみると、茶葉は八割ほど開き、ひらひらと浮かんでいる。

 料理人であるシュウは塩や醤油の塩梅を感覚でとらえていて、的確な分量を目や手の感覚で量る。それは長い年月の下積みと、数えきれないほどの回数を繰り返して身に着けたものだ。クリスもそういう感覚を身に着けようと、小さなことから練習をはじめている。


 温めた湯呑みと急須、漬物を乗せた深皿を丸盆にのせると、クリスはマルコやエヴァン、パメラの待つテーブル席に戻るべく、カウンター横から店内へと歩き出す。

 業務用の着物を着てしずしずと歩くと、丸盆の上も暴れることがなく、料理も丁寧に運ぶことができ、さほど広くない店内であれば中身を冷ますことなく運びきることができる。






「おや、それではここで食べたわけじゃないのかい?」

「ええ、シュウさんがおにぎりというものにしてくれたので、店に持ち帰って、エヴァンとわけて食べたのよ」

「あれは旨かった! まさに故郷の味だったよ」


 パメラは独りでここに来たときの話をしていたところで、ちょうど終盤に至ったところだ。

 テーブル席に座っている三人はこの店に来ればとても珍しく、とても美味しいものが食べられることを知っており、互いにこの店で食べたことがあるものの情報を交換すると、まだ食べたことがないその食べ物への憧れをぷぅと胸にふくらませる。


 三人の楽しそうな表情を見ていると、邪魔をするのは悪いとクリスは思うのだが、まもなくごはんもできあがる。


「お茶と『お漬物』をお持ちしましたよ」

「おお、待っていたよ!」


 お茶と漬物の組み合わせも大好きなマルコはつい大きな声で返事をする。


「今日は、『蕪』の浅漬けと、『しば漬け』、『塩昆布』です」

「『しば漬け』と『塩昆布』?」


 聞きなれない食べ物の名前にマルコは首を傾げる。

 同じようにパメラが初めてみるしば漬けを見て声にだす。


「あら、真っ赤じゃない。どうしてこんな色なの?」


 昨日、ヤコブとウォーレスにもしば漬けを出しているが、クリスは今日はもう少しわかりやすく説明しようと似た野菜の名前を使って説明する。


「『胡瓜』と『茄子』、『生姜』に『バジル』に似た『赤紫蘇」という香草で作った漬物です。その『赤紫蘇』という香草が赤いので、赤く色付いているの。

 『塩昆布』というのは、『味噌汁』の『出汁』をとったあとの『昆布』という海草に味をつけて煮詰めたものですよ」

「ほお!」


 パメラがしば漬けのことをたずねたので、自分は塩昆布のことを聞こうと思ったエヴァンだが、先にクリスが説明してしまったので感心するので精一杯だ。

 クリスが急須をやさしく傾けると、透明で少し濁りのある薄い承和色(そがいろ)をした液体がこぽこぽと湯呑みに流れ出す。少しずつ3つの湯呑みにまわし入れて、同じくらいの濃さになるように淹れて配る。


「木匙で掬いやすいように刻んでありますので、ごゆっくりお楽しみくださいね」


 そういってクリスがテーブル席から離れて、カウンターに戻ると、パメラが音を立てずに熱い茶を啜る。


「この店のお茶はすごく爽やかだけれど、少し渋みや甘みがあって美味しいわ。おなじお茶の葉なのかしらね?」

「ああ、なぜかとても飲みやすいよな」


 マルゲリットの街で使われている井戸の水はカルシウムやマグネシウムを多く含んだ硬水なので、飲みづらい。また、そのまま緑茶を淹れるとカテキンやカフェインと反応して濁ってしまうし、香りも弱くなって美味しくない。

 軟水の方が、ごはんが美味しく炊け、昆布だしもよくひける。お茶は香り良く、透き通った黄金色に抽出される。


 エヴァンは自分がそれがナニモノなのかをたずねようと思っていた塩昆布を木匙に掬うと、くんくんと匂いを嗅ぐ。調味料を煮詰めた匂いらしきものを感じるが、表面は塩をふいたように白い粉がびっしりとついていて、木匙の上は白と黒の2色に染まっている。

 はじめて食べるのだから、たくさん口に入れることもないだろうと、エヴァンは刻まれた塩昆布を3きれほど歯で齧り、そのまま口の中に入れてみる。


 口の中には仄かな昆布の香りと、マルゲリットの街にはない醤油という調味料を煮詰めた香りがふわっと広がり、それを追いかけるように唾液にとけた旨味が舌全体にじゅんわりと広がっていく。

 ねっとりとした舌触りの昆布は、唾液を吸って少し柔らかくなると、旨味をじわじわと分泌し、一頻ひとしきり舌を喜ばせるとふいと力を失ってしまう。

 そこに追いかけるようにお茶を啜ると、舌に残ったわずかな調味液のねっとりとした味が、緑茶のもつ渋みと爽やかさによってさらりと流されていく。


「うまいっ! これはうまいっ!」


 前回来たときは冷静にみえたエヴァンが、興奮気味に声をあげた。

 それを聞いたパメラはちょうどしば漬けを食べようと、木匙を口元にまで運んできていたところで、もう止められず、上品に開いた口に木匙を入れていく。


 赤紫蘇の香りがぱっと広がり、口から鼻へ一気に駆け抜けていく。

 それと共に少し酸味のある漬け汁が舌に触れると、大量の唾液が一気に口の中に放出されて、その酸味が心地よいほど優しく舌に染み込んでくる。

 咀嚼をはじめると、刻まれた胡瓜がパリポリと、茄子はぐにゅりとした対極的な食感を見せ、生姜がシャクシャクと音を立ててピリリとした辛みが唾液の中に流れ出す。


「こちらもおいしいわ!なんか、唾が口の中に溢れてきて、すごく食欲が増す感じよ」


 パメラは口を開くのももったいないと言わんばかりの早口で話すと、またお茶をずずと啜る。

 漬け込まれた胡瓜や茄子、生姜などから出た野菜の味と調味液の味をお茶の渋みと甘みがさっと流し、次のひとくちを食べる準備をさせてくれる。


 ごくりとお茶を飲み込むと、パメラはエヴァンがうまいと言った塩昆布に手をのばし、エヴァンはパメラが褒めたしば漬けに手を伸ばす。ふたりの息のあったブロックで木匙を持つ手を伸ばせないマルコは少し焦れたように手を振るわせる。

 パメラとエヴァンが漬物を掬ったあと、マルコの木匙が狙いをつけると、ようやくしば漬けへと延びていくのだが、無常にも木匙は空を切る。


「あ、ごめんなさい。

 ごはんをお持ちするので、鍋敷きを置かせてもらいますね」


 クリスは左手で漬物を盛った深皿をとり、パメラとエヴァンの近くに寄せてしまっていた。

 そして、中央に木でできた板を置く。


「お待たせしました」


 マルコがその声の方に目を向けると、そこには大きな陶器の鍋を持ったシュウが立っていて、ぬっと手を伸ばすとその鍋をクリスが置いた板の上に置いた。

 鍋の蓋には小さな穴があいていて、そこからは白い湯気が細くあがっているのだが、その湯気とともに海産物を干したときにでる仄かな臭いが立ち上り、それに重なるように海の香りもふんわりと漂っている。


 シュウがまだ熱いであろうその鍋蓋を素手で持ち上げると、湯気がもわんとたちのぼり、周囲は一気に香りに包み込まれる。

 鍋の中央には千切りにされた生姜がこんもりと盛られていて、その周囲にはキラキラと光る炊き立ての白いごはんがあり、解された貝柱の繊維がその中に混ざりこんでいる。

 シュウはその生姜の山の上に、コマを一握りも振りかけると、大きな杓文字を使って底から裏返すように混ぜ合わせていく。


「「「ごくり」」」


 マルコやエヴァン、パメラはシュウの作業をみながら喉を鳴らす。

 ふんわりと漂う潮の香りと、胡麻の香りが3人の鼻腔をくすぐり、食欲に火をつける。


 気が付けばクリスとシャルが丸盆を運んできており、3人の前に並べていく。

 丸盆の上には、ニンジンや見たこともない黒いものを刻んで練ったものを焼いたと思われる料理が皿の上に置かれている。木を削って作られた汁物椀には、白くてトロリとしたものが味噌汁の上に浮かんでいる。


 その丸盆を見ているあいだに、シュウは混ぜ合わせる作業を終えて、ごはんを茶碗によそっていく。


 茶碗には、淡い黄色の貝柱の繊維と生姜の千切りや胡麻が白いごはんに丁寧に混ぜ合わされていて、そこからは胡麻と潮の香りがふんわりと漂ってくる。

 炊き上げてから蒸らしたことや、今ここで混ぜ合わせたこともあって熱々の湯気が立ち上るほどではないが、まだまだ温かいことがわかるほどには湯気があがっている。


 3人にごはんが配られるのを見届けると、シュウが料理を説明する。


「おまたせしました。

 お約束の『干し貝柱』のごはんです。

 汁物は『長芋』の味噌汁で、おかずは豆腐の焼きつくねです」

「豆腐の焼きつくねは『大豆』と『鶏肉』を使った『肉団子』のことですよ」


 説明不足のところはクリスが異世界コアの言葉で補足する。


「どうぞめしあがれっ!」


 クリスは歓迎するかのように両手を広げて言うと、少し恥ずかしそうにカウンターへと急ぎ足で戻っていく。

 シュウはクリスの後姿を見て、声を出さずにくくっと笑うのだが、笑ったことをクリスに悟られるとあとが怖いと、すぐに平静を装う。このまま厨房に戻れば、また笑ってしまいそうなのか、その場を動こうとはしない。


「では、いただくとしよう」


 マルコが音頭をとるように告げると最初に木匙を手にとる。すると、パメラとエヴァンも木匙を持って食べはじめる。


 まず、マルコは木匙を汁物椀の中に入れて掬うと、短冊状に切られた長芋の上に、摺り下ろされた長芋がどろりと掛かった状態で持ち上がる。

 マルゲリットの人々は、基本的に食器を持って食べるということはしない。具材がたっぷりのこのスープは少し食べ難そうだが、マルコは器用にも零すことなく、口へと木匙を運ぶ。


 いりこを煮てとった出汁に、大豆や米から作った味噌を溶いてあるのだが、そこに摺り下ろした長芋がとろみと甘みを加えていて、舌触りがとても優しくなっている。一方、短冊状に切られた長芋にはしっかりと出汁が染み込んでいて、噛むとシャクシャクという食感があるにもかかわらず、中からじゅわっと旨味が飛び出してくる。そこに青ネギが散らされているのだが、その青ネギはとても香りがよく、この味噌汁の香りに一本の芯となって支えている。


 マルコはごくりと味噌汁を飲み込むと、おなじ素材を使っているのに、歯触りや舌触りの違い、味わいの違いまで出ていることに気づき、思わず声にだしてしまう。


「この味噌汁というのは本当にうまい。それにこの『長芋』が、摺り下ろすか、切るかの違いでこんなにも味わいが違うとは驚きだよ」

「そうだな……噛むとじゅわっとスープが出てくるのに、歯触りはシャクシャクとしているのは面白い」


 同じように味噌汁を飲み込んだエヴァンが同意すると、そのまま木匙で干し貝柱のごはんを掬う。


 木匙の上には、白いごはんにやや黄色い繊維状の貝柱と、それよりも太い生姜の千切りがあり、隙間を埋めるように白い胡麻が顔を出している。

 ふんわりと潮の香りと胡麻の香りが木匙から漂ってくるのだが、エヴァンにはその味を想像することができない。五日前にここへ来たときに教えられた、干し貝柱というものの味をようやく知ることができると、エヴァンは少し頬を緩めながら口の中へごはんを入れる。


 最初にほんの僅かだが海産物の干物らしい臭いを感じるが、生姜がその臭いを抑え、胡麻の香りがぷわんと口の中に広がると、その干物の臭いは全く気にならなくなる。

 一度塩水で茹でたあと、一週間近く天日に干された貝柱はその塩水の香りから、本来自らが持つ海の香りを蘇らせる。その香りを楽しんだあとに咀嚼をはじめれば、貝柱から出た旨味をたっぷりとすったごはんが噛みつぶされて、ねっとりと舌や歯茎、上顎などに接触する。その接点では唾液によってごはんのでんぷん質が分解されて糖に変わって甘さになるのだが、干し貝柱の旨味が共に舌に染み込み、舌全体が脳へ信号を送る。


「おいしいっ……これは海の味の粋だわ……」


 パメラが溜息を漏らすように感想を言ってしまうと、エヴァンはタイミングを失い、拗ねるように次のひとくちを掬って食べた。


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