第27話 牛肉の炊き込みごはん(2)

 クリスはその注文内容を聞いて、なんとなくどこかで経験したことがあるような気がするのだが、まずは答えるべき内容で返事をする。


「申し訳ございません。仕入れ部位が違うので、今日の『牛』朝食は『牛肉』と野菜の炒め物です」


 はじめてのお客様だからという理由ではない。

 クリスはできるだけ丁寧に説明すると、頭を下げる。


「なにっ……材料が無いというのか?」

「いえ、肉豆腐で美味しく食べられる『牛肉』が無いのです。『牛肉』料理をご指定であれば、野菜との炒め物になるということですよ」

「そっ……そうかっ……」


 つい今のいままで、希望と夢に溢れた目の輝きをしていた三十歳くらいの男性が、みるみるうちに老け込んでいく。

 この「朝めし屋」は朝二つの鐘の時間から営業を開始する。城門が開くのは朝一つの鐘であり、その鐘を聞いてから出発しては間に合わないので、昨日からここへやってきた。宿屋に泊まって……。


「どうなさいます?」


 ウォーレスが連れてきたのは、はじめての客ではあるのだが、肉豆腐が無いと聞いてガックリと肩を落とす姿を見ると、クリスは昨日来ていた客……リックを思い出してしまう。

 ただ、無いものは無いのでどうしようもない。


「オレはできれば『大豆』を使った料理をいろいろと食べたいな……」


 ウォーレスも、少し遠慮している雰囲気を出しつつ、食べたい料理をリクエストしてきた。

 どちらも、なかなかにワガママな希望だとは思うのだが、幸いにもまだ店を開けて時間が経っておらず、他にお客さんも来ていないことから、クリスは少しシュウに相談してみることにする。


「わかりました……ちょっと相談してみますね」

「よろしく頼むよ」


 クリスは、お茶と漬物の準備をする必要もあって、厨房の方に戻るのだが、ヤコブは少し訝し気な表情でそれを見守る。

 ヤコブは牛肉を使った料理というものが非常に気になるし、クリスのこともどこかで会ったような気がしてならず、気が気ではない。


「どうしたの?」


 ウォーレスは兄弟にでも接するかのようにヤコブに対して尋ねる。普段はどっしりと構えるヤコブが、この店に入ってからというもの、なんとなく様子がおかしいことに気が付いているようだ。


「いや、なんでもない」


 そう答えるヤコブの目は、先ほどから厨房に向かったクリスのことを気にかけているようにウォーレスには見える。


「クリスは厨房にいるシュウさんの妻だよ?」


 ウォーレスは、それを思った通りに答えてしまう。この店に来てテンションが上がっているのか、さっきからニコニコと笑顔が崩れることもなく、客であるヤコブに対しては兄に接するような態度で話をしている。

 一方のヤコブは、実際には違う理由でクリスが気になっている。そのクリスという名前も非常にひっかかる。ヤコブは十年近く前に牧場に遊びに来た、美しい瑠璃色の瞳に、純白の髪の幼女のことを思い出していた。


「お待たせしました! 無料のお漬物をお持ちしましたよっ!」


 クリスは皿に盛った漬物を置くと、熱々のお茶を目の前で淹れて配る。

 ウォーレスは漬物が盛り付けられた皿に目を奪われていて、ヤコブはまだクリスに目を奪われている。


「正確には一つは漬物じゃないんですけどねー」


 エヘヘと少し恥ずかしそうに頬を染め、照れるような笑顔を見せて、クリスは説明を続ける。


「今日は、『山椒昆布』と『しば漬け』、『らっきょう』です。

 シュウさんと相談した結果、一杯目の『ごはん』は炊き込み『ごはん』。おかわりは白い『ごはん』です。

 おかずは、炊き込み『ごはん』に合わせた『大豆』の料理にするそうですよ!」

「ああ、ありがとう。

 それで、これは何でできてるんだい?」


 ウォーレスは今日の漬物を見て、クリスに尋ねる。

 山椒昆布としば漬け、らっきょうと言われてもウォーレスには何のことやら全然わからない。もちろん、ヤコブだってそうだ。


「『山椒昆布』は、シュウさんの故郷で収穫される独特の『山椒』と『昆布』という海草を調味液で煮詰めたものです。しば漬けは『胡瓜』や『茄子』を『紫蘇』というシュウさんの故郷で収穫される葉野菜と共に漬け込んだもの。『らっきょう』は『らっきょう』を甘酢に漬けたものです」


 業務用の和服姿で胸元はほとんど強調されることがないが、それでも体格の割には大きな胸を張るようにクリスは話す。すると、自分を見上げるように見つめる視線に気が付き、目を合わせる。


「あれ? ヤコブさんじゃないですかっ! いつも牧場で会ってたから、その服だと気が付かなったわ!」

「おおっ! やはりクリスティーヌお嬢様でしたか!」


 二人はとても久しぶりに会うようで、手を取り合って喜んでいる。

 こうなると、完全にウォーレスは蚊帳の外で、どうすればいいかわからない。


「あの……ふたりはどういう関係?」


 昔話に花を咲かせる二人に対し、一瞬でも話が途切れる瞬間に声をかけるというのはなかなか難しいもので、ウォーレスは数分待って、なんとか声をかける。


「小さいころ、ヤコブさんの牧場には何度も遊びに行ったのよ。わたしの『馬』を預けているの。チョコラっていう名前なのよ!」


 未だに興奮しているのか、預けた馬のことを思い出してまた昔話が始まるかと思ったのだが、そこはヤコブは大人である。


「クリスティーヌお嬢様は、とあるお方の娘さんなんだよ。その方の執事が、この店のことを教えてくださったのだが、ここで働いておられるとは……

 というか、いつご結婚なさったのです? クリスティーヌ様の結婚となれば、街をあげてのお祝いがあるはずですが……」


 自分に矛先が向いたことに気づくと、クリスは耳まで赤くなり、モジモジと恥ずかしそうに話をごまかそうとする。


「えっと……いろいろあって……」


 それほどの祝福が得られるほどの名家といえば、この街では連邦侯爵家ーーつまり旧王家しかない。

 だが、連邦侯爵家の娘ともあろう者が、このような料理屋で働いているなど考え難いことであるし、その店の主人と籍を入れるなどということも考え難い。

 しかしヤコブがお嬢様と呼ぶほどの人物で、街全体が結婚を祝福するというとやはり連邦侯爵家しかない。


 ウォーレスの思考は堂々巡りをするばかりで、少し混乱しはじめる。


「えっと、クリスは連邦侯爵様の娘で、使用人のシュウさんと駆け落ちした?」

「あははっ! ちがいますよぉーー駆け落ちしたならこの街にはいません」


 クリスは笑いながら即答する。

 だが、大事なところは正解しているので、ヤコブが少し訂正する。


「連邦侯爵様の娘というのは正解だな」

「ええっ!」


 ウォーレスは、これまでクリスのことを呼び捨てにしてきたことを詫びようと慌てて立ち上がろうとするが、巨大なお腹がつかえて動けない。テーブルの上のものをいろいろとひっくり返しそうになっている。

 それを見て、クリスもウォーレスが何をしようとしているか察したようで、ウォーレスの肩に手を置くと、キラリと瑠璃色の瞳を輝かせて話す。


「あ、ここでは女将のクリスです。それ以外の何者でもないので、今までどおり接してくださいね」


 知らない間に女将に昇格しているのだが、ツッコミを入れるべきシュウがこの場にいない。

 ウォーレスが、ポカンと口をあけたままクリスを見つめていると厨房から声があがる。


「あがったよ!」

「はーい」


 クリスは元気に返事をすると、厨房へと小走りで向かっていった。


「では、シュウさんはどこかの国の王子で、人質として預かっていたらクリスちゃんが一目ぼれしたとか?」


 ヤコブはウォーレスの妄想に少し呆れた表情をすると、厨房の方を振り返った。







「お待たせしました!」


 クリスは二つの丸盆の上に料理を乗せて運んでくると、ウォーレスとヤコブの前に並べる。


 丸盆の上には空の茶碗と、豆腐が入った味噌汁が並んでいて、小鉢には緑色をした何かの芽と、白いヒラヒラしたものが混ざったものが入っている。

 すると、今度はシュウが土でできた鍋を持ってきて、テーブルの中央に用意した木の板の上に置く。

 ふうわりと醤油や胡麻油の香りが漂ってくる。


「今日は『豆腐』と『油揚げ』の豆乳汁、『湯葉』と『豆苗』の和え物に、『牛肉』と『牛蒡』の『炊き込みごはん』です」


 その言葉とともに、シュウが土鍋の蓋を開くと一気に白い湯気が立ち上り、それと共に咽るような香りが店内へと広がっていく。

 炊き立てごはんの香りに加え、醤油の芳醇な香りと胡麻油の香ばしい香り、ミツバの爽やかな草の香り、牛蒡の土の香り、牛肉の脂の甘い香り……それらが混ざり一つの「おいしい匂い」になって押し寄せる。


「うおっ」


 その立ち上がる湯気と香りに、ヤコブは一瞬怯むようなポーズをとる。だが、瞳は土鍋の中だけをみつめていた。


 窯で焼く際に釉を塗られ、黒く光る鍋にはミツバが大量に盛り付けられ、湯気により温められて鮮やかな緑色を見せている。隙間から見えるのは牛肉なのだが、とても薄くスライスされ、脂身はあまりついているようには見えない。火がしっかりと通っているせいか、縮んで小さくなっている。


 すると、シュウが木でできたヘラのようなものを持ち出し、ザッザッと混ぜ合わせる。そのヘラがごはんと、具を混ぜ合わせるたびに様々な香りが立ち上り、食欲を刺激する。そうして、ひととおり混ぜ終えると、シュウはヤコブとウォーレスの茶碗に、牛肉の炊き込みごはんを装い、配っていく。


 ヤコブの前に置かれた茶碗には、薄くスライスされた牛肉と牛蒡やミツバが混ぜ合わされた料理が盛り付けられており、その隣には木の味噌汁椀がある。味噌汁椀には、白くて四角い豆腐と、油揚げ、青ネギが浮かんでいる。


「どうぞ、めしあがれ!」


 ごはんを混ぜてよそったのはシュウなのだが、クリスが食べる準備ができたことを知らせるように声をあげる。

 ヤコブにすれば久々に会ったクリスではあるが、目の前にある料理のことしか今はもう頭にない。とにかく、とても柔らかいというこの店の牛肉を食べてみたいのだ。


 茶碗に盛られた炊き込みごはんの肉や牛蒡は、具が大きいので木匙では少し掬い難い。

 なんとか肉だけを穿り出すと、ヤコブはその肉を観察する。

 脂身のつき方からすると、あばら骨のあたりの肉かと思ったのだが、他に入っている肉を見ると、脂身がついていない肉も入っているようだ。色は下味のせいか黒くなっているが、漂ってくる香りは胡麻油の匂いに醤油の匂いがする。肉の表面には何かの粉がかかっているようなのだが、見える範囲では何なのかまで確認することはできない。


 ヤコブはようやく、その肉を口に入れて咀嚼する。


 口に入った肉は最初に醤油や胡麻油などの香りがドッと押しせてくるのだが、肉の下味に木の実のような香りがつけられていることがわかる。仄かに感じるその香りと舌にくる辛みに、ヤコブは記憶を呼び覚まし、その木の実が何なのかを探そうとし、それと並行的に柔らかな食感を楽しむ。

 マルゲリットの街だけではなく、この国や隣国であっても、牛肉はステーキや煮込みに使われる。ドデンと置いた大きな塊をブツブツと切って焼き、煮るだけだ。ヤコブは、これほどまでに薄く切ることで柔らかさを楽しむことができるとは思いもしなかった。いや、ここまで薄くスライスすることができる技術がない。だから考えたことが無い。

 硬いと言われる牛肉でも、薄くスライスしようとすればナイフを研ぎ澄ませ、小刻みに動かしてようやくできるものだ。ほぼ均一の厚みで大量の薄切り肉を切り出すとなると、牛肉のスペシャリストを自負しているヤコブでもできるものではない。


 そんなことをヤコブは考えながら一口目の肉を味わい嚥下すると、次は牛肉の入った炊き込みごはんを木匙に掬って口に運ぶ。


 最初はやはり醤油や胡麻油の香りが吹き抜けていくのだが、咀嚼すると牛蒡の土臭い香り、ミツバのとても爽やかな草の香りがふんわりと鼻腔に広がる。特に、ミツバは食感もシャクシャクと心地いい。牛蒡も繊維質ながら少しほっこりとした食感を持っていて、薄切りにされた牛肉の柔らかさとは違う楽しみを与えてくれる。そして、舌には肉だけで食べた時には感じることがなかった、肉の旨味や脂の味、牛蒡の優しい甘みを、味付けに使われた胡麻油のコクと醤油の旨味が更に高め、最後にそのすべてを米が受け止めて一つの料理に変えている。


「うまい……」


 ヤコブはそう呟くと、また炊き込みごはんを口に放り込んで目を瞑った。

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