今はまだわからない
私は人と話すことが得意ではない。会話のスピードに頭が追い付かないのだ。故に親しい友達は残念ながらいない。……いないが、私はそれで満足している。そうすることで私は別次元のキャラクターたちとの逢瀬に時間をたっぷりと割くことができる。
二次元は良い。それの媒体が本であれ、ゲームであれ、何しろ相手のペースに合わせる必要が殆どない。私のとろい頭で十分に理解するまでゆっくりと言葉を味わうことができる。故に私は空き時間ができたらその世界に浸ることにしている。
「お、朝倉さんもそのゲームやってるんだ」
「!?」
しかし学校という性質上、稀にこうして外乱が発生する。私の世界を背後から不埒に覗き込んだ輩の顔を見上げる。同じクラスの夜見アリサだ。私とは正反対、いつも周りに誰かがいて、いつも喋っている。その彼女が何の用だろう。今、朝倉さんもと言っただろうか。もしかして夜見アリサもこのゲームをやっているということだろうか。
私が今遊んでいるこのスマートフォンのゲームは、所謂アイドル育成ゲームだ。可愛い女の子たちの成長を見届けながらイチャイチャラブラブガチャガチャ。全くもって、夜見アリサのような人種がやるゲームではないと思っていたが。
「弟がハマっててさ、あたしもこないだからやってみてるんだよね。 音ゲーっての? 結構楽しいね。 こう、リズムに乗れる感じがさ」
「あ、う……うん」
一気にしゃべらないで欲しい。弟がこないだからやっていて、リズムが楽しい? えーっと……こういう時は、秘技、とりあえず肯定。困ったときはイエスマンになるべし。それでなんとか今までやってきた。
私は引き攣った――自分でもそうとわかる――笑顔で答えた。
「朝倉さんって上手い? 私も弟もこのゲームへったくそでさ。 ちょっとやってみてよ」
「え、う……うん」
うん? 今のは肯定してもよかったんだろうか。反芻しよう「ちょっとやってみてよ」。え? このゲームを? 貴女のおわしますその前で?
肯定してしまってから何やら妙な事態に巻き込まれてしまったことにぐるぐると思考をする。うーん、これだから人間と会話するのは苦手なんだ。こっちのペースを考えて欲しい。うん……いや、自爆に近いんだけど……。
「あ、これ。 この曲好き。 これこれ」
「ちょ、ちょ」
うぎゃーーーー! ちょ、なんだこの女! ちか、近いわ!
今までは背後に立っていただけだった夜見アリサは、私の座っている椅子の背に体重をかけると、突然私の顔の横から顔を出して、並んでスマートフォンの画面をのぞき込んできた。あろうことか、私の方の後ろから腕を回して画面を指してくる。距離感! 距離感を考えなさい夜見アリサ。
私は金魚みたいに口をぱくぱくさせながら横を見る。凄く近い所に夜見アリサの顔がある。あ、やっぱり眉毛は描いてるんだ―、睫長いなー、お化粧とかもしてるんだなー、って違う! 近い! あっ、シャンプーの香り、私と一緒だ―。 馬鹿!
「やんないの?」
「えっ」
やんない? ワンナイト? いやん、早い。 馬鹿、違う。 何をやらないの? やらないか? 公園のベンチで? 違う。 この声が枯れるくらいに? 別に私は好きじゃない。 違う、ゲーム、ゲームだよね。そう、そう、ゲームの話だった。
ようやく私の頭が落ち着いてくる。本当? わからない、でも落ち着け。
「やる」
「見せて見せて」
夜見アリサは気にならないのだろうか。というかこれが世の女子の距離感か。そうだよ、いつもズレていて合わせられなかったのは私の方。それを思い出すと頭がスッと冷えていく。さっさとゲームをやって見せれば、夜見アリサは興味を失っていつもの輪の中に返っていくだろう。
画面の中のシステムメッセージが曲が開始することを告げる。バックで私の推しの女の子が踊り、画面上に表示されるノートを私は軽快にタップしていく。幸か不幸か、やりなれた曲だ。フルコンは容易い。
私は感覚を研ぎ澄ませていく。画面の中の踊る女の子に集中する。成りきる。リズムに身を任せる。100、200とコンボが繋がる。やがて曲は終盤に差し掛かり、山場を越えて全てのノートが止む。そしてスコア表示画面に移る。
「終わった」
私は短くそう告げる。頭はやけに冷静だった。いつもの私だ。けれど夜見アリサからの返事はなかった。ああ、ゲームをしている間に興味を削がれてどこかへ行った、か……?
「すっごーーー!」
「ぽぇっ!」
いや、真横にいた。凄く驚いた。驚きすぎて変な声が出た。あまりにも静かだったものでいなくなったものかと思っていたが、その位置は全く変わってなかった。
「どれだけ練習したらこれくらいできるようになるの?」
「え、えーっと……毎日?」
「はー、凄いなー。 私、何かを一生懸命ってやったことないから、こういうの極めてる人尊敬するよ」
「あっ、えっ、と……はい」
「はい、ってなんだよー」
夜見アリサは楽しそうに笑う。だから、そんなに一気に喋らないで欲しい。尊敬……尊敬? 私を?
彼女はよくわからない人間だ。的を射ない私の会話にも楽しそうに反応する。いや、私を知らないだけだな。多分、もう少し知っていけば、私と会話するのがいかにつまらないかを知って、距離を置いていくだろう。大体みんなそうだった。私が会話についていけないから、自然と話さなくなっていく。あるいは、相手側からしたら意図的に。
「おーい」
ぷに。
「ぷひゃっ!」
おおおおお、お前、人の顔に触れるのは、犯罪だぞ。
夜見アリサは唐突に人差し指で私の頬をつついた。またしてもおかしな声が出る。
「うはは、朝倉さん、面白いね。 いや、ごめん。 ぼーっとしてるみたいだったからさ。 ね、よかったらフレンドしとこうよ。 あたしのフレンド、弟しかいなくてさー。 誰も他にやっとらんのよ」
「えーっと、うん……?」
秘技、とりあえずイエスマン。そしてから会話の再生。私がぼーっとしてたから、フレンドになる。フレンド……? あぁ、ゲームか。ゲームのフレンド……一応枠は空いてたかな。
「ありがとー。 今度またやって見せてよ」
「うん」
それくらい毎回短く話してくれないだろうか。とりあえず私はその場しのぎでフレンド登録をする。どうせ数週間もしたら、ログイン履歴が数日前とかになって、消えていなくなっていくんだ。私と違って、彼女は表に生きているんだから。
ぷに
「ぷひゅぅっ!」
「あははははっ、めっちゃ可愛い声出たね」
こ、こここ、こいつ、夜見アリサ、油断ならない……っ! 何回人の顔をつつくんだ。
「なーんか暗い顔してたからさ。 ごめんね、休み時間邪魔しちゃったしね」
「あ…うん……」
って、違う! 今のは肯定したら駄目なやつ!
「うん、ってなんだよー。 傷つくぞー」
「え、っと、ごめん」
「あはは、冗談冗談」
私が慌てて訂正をすると、夜見アリサはなんでもないように笑った。その姿は、裏がないように見えて、本当に何でもないように思っているように見える。今まで、私の対応を不審に捉えた他の人たちと違って。
そして休憩時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。気付けば教壇に先生が立っている。
「っと、席に戻らないと。 じゃあね」
「うん」
夜見アリサは最後まで私に対して嫌な顔や怪訝な顔をしなかった。何故だろうか。私は人の会話についていくのが遅い。それをよく、話を聞いていないと捉えられて、すぐに誰もが私と話そうとはしなかった。
けれど、夜見アリサは今度また一緒にゲームをやろうと言った。わからない。何が目的か。いや、こうやってすぐに他意を考えるのが卑屈な私の
夜見アリサが何を考えていたのかはわからない。わからないけれど、多分考えるだけ無駄だ。私とは住む世界が違う。きっと、今日これ以降、話すこともないだろう。
後日、夜見アリサはあのゲームをフルコンボでクリアする所を私に見せに来た。
わからない。
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