「百合」短編集
あきふれっちゃー
チョコレート買ってよ
私、花の女子大生である
目の前には本日買う予定の食材などが入った買い物カート、そして私の後輩である
私は、甘音に気付かれないように小さくため息をつくと改めてそちらを見やった。
甘音のサラサラした栗色の髪の毛が、マフラーに巻き込まれてふんわりと広がっている。
猫の額のように小さい彼女の顔は、半分程マフラーに隠れてしまっているが、それでも瞳の動きから少しの不安さが漂っているのは見て取れた。
赤ん坊の動物のようだ、と思った。外の世界には何があるかわからず、当然目の前の私が何を考えているかもわからないといった風。
彼女の瞳の色は奥深く、見つめているとその奥底に吸い込まれていってしまいそうな錯覚がある。
だから私は見つめ合いには弱いのだ。そうして視線を落としていくと、胸元で所在なさげに動く十本の指が目に入る。
その手には、可愛らしく包装があしらわれたホワイトチョコレートがある。
そう、甘音はこれを買ってほしいのだ。
冬のこの時期になると、やたらと期間限定と謳って多種多様な菓子が売り出される。その中でもチョコレートの力の入れようは群を抜いている。
そして甘音は、餌に釣られる魚よりも至極簡単にそのマーケティングに引っかかってしまうのだ。
「穂南ぃ……チョコレート……」
上目遣いにこちらの様子を伺いながら、消え入りそうな声で訴えかけてくる。
私にとっては小動物の鳴き声よりも破壊力が高いそれを、だけど私はスーパーのアナウンスが丁度よく入ったのをいいことに聞かなかったことにした。
こうやって毎回毎回おねだりをされるごとにお菓子を購入していては、甘音の為にならない、と思う。
金銭的な問題はないが、精神面健康面などなど……。
私は心を鬼にしてカートを前に押し進めようとした。が、甘音に阻まれる。
左手だけにチョコレートを持ち替え、右手でぐっとカートを抑え込んでくる。
もう二年も前の部活動引退を機に運動をやめてしまった私と、ついこの間まで体を動かしていた甘音とでは力に差がある。
それでなくとも、無理矢理甘音を轢くような形にはカートを押し込むことはできないけれど。
甘音は止まったカートからぱっと手を離し、再び上目遣いに私を覗き込んだ。
その破壊的な可愛さに私は蛇に睨まれた蛙がごとく動けなくなってしまう。
「ね、センター試験頑張る為にもっ」
「それ何回目の理由だよ……」
「だって、頑張りは継続させないとだよ。 お菓子一個じゃ長くはもたないんだよ?」
当たり前のことのようにゴネてくる。甘音に迫るセンター試験はもう後一月後。私も二年前は焦ってたなぁ。
未だに渋る私を見て、甘音の機嫌が次第に崩れてくるのが見て取れる。
火を点けると少しずつ膨らんでいく気球のように、頬がぷくっと膨らんでいく。
そのせいでずり落ちたマフラーの下から、怒ったように結ばれた甘音の口元が露出してくる。
その様相は怒りを表しているつもりなのだろうが、私としては可愛らしいという感想しか出てこなかった。
しかしその感想は、驚異だけで言えば可愛らしいという風には済まない物だった。むしろ恐ろしいくらいだ。何しろ私は、甘音のこの可愛らしさに滅法弱い。
だって、ずるい。顔がいい。可愛い。どんな表情を取っても崩れる事のないその可愛らしさ。無理。
一等星を閉じ込めたのかと疑うくらいの綺麗な瞳。美しい。小さくも整った鼻梁。眩い。リップもなしに何故か潤った唇。尊い。
雪のように白い肌は、いつまでも触っていられるようなマシュマロのよう。あ、触れたい。でも触るとしんじゃう。私が。
うっ、意識すると直視できなくなってきた。
自分の顔が熱くなってくるのを感じて、私は目を背ける。そうなると私の負けだ。
「隙ありっ」
ことん。と、チョコレートがカゴの中に入れられたのが音でわかる。わかっている、甘音がねだってきていた時点でこの勝敗は既に見えていたのだ。つくづく私も甘い……自分に甘いと思う。
それをそのまま掴んで棚に戻すこともできたが、私はそれをしなかった。以前一度やった所、丸二日は甘音がまともに口をきいてくれなかったからだ。それだけは避けたい。
「じゃ、残りの買い物すませちゃおっ、穂南」
「……そうだね」
そして満面の笑みで振り返る甘音に、まぁいいか。と結局いつも思ってしまう。
その分、家に帰ったら襲って…いや、触り倒してやろう。してやられるだけの先輩だと思うなよ、甘音。
私はささやかな復讐を胸に、改めてカートを押し始めた。
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