GET！

プロローグ

夜の帳に落ちた街。

宵闇の空――黒のスクリーンをバックに、キラキラネオンの雨が降り注ぐ。

思い思いに行き交う人の波の上に、きらめき輝きながら。

万色の光の海に響くのは、店々からの音楽や、車のクラクションや、ストリートミュ

ージシャンの叫びや、ファニーでアップテンションな笑い声や。

『へぇ。

ねぇねぇ、カッコイイよね』

『え、あの娘、どっかの雑誌で……』

『スタイルいい～』

背筋をすっと伸ばして、リズム良く、でもブルーのジーンズに包まれた腰は緩やかに振られて。

高いビルにはさまれたメインストリート。

流れる人の川の真ん中を、その背中は悠々と歩き抜けていく。

ショートボブがワイルドに毛先を散らしたライトブラウンの髪の下、真っ直ぐに伸びた眉が、眦（まなじり）の切れた流線型の目とビビットコントラスト。

「ちょっとさ、どうよ？　彼女ぉ」

銀のリングが光るしなやかな腕が振られて、淡いピンクのルージュの口元が、柔らかな、でもつけ入る隙の一つもない、拒否の笑みを。

「はは。無理だって、オマエじゃあよ」

すらりと長い足がスタスタと運ばれ、歩くたび前後に揺れる肩の下では、ライトブルーのキャミソールに包まれた二つの膨らみが、強くその存在を主張している。

と、流線型のファッションビルの下、CG弾ける壁面スクリーンに光を照り返す路面、四方に道が伸びる交差点の真ん中で。

足先、淡いピンクのマニキュアネイル、アイボリーのパンプスが歩みを止めると、形のよい顎に手が添えられ、親指が唇に押しつけられて。

まなじり切れ上がった大きな瞳が一度瞬きを。

――うん。

反対側でぼんやりとビルの壁面を見上げている黒髪の女の子を見遣って、ちょっと押し殺し気味の笑みが浮かぶ。

ピピッと感度、もう間違いなくタイプの子だ。後は、あたしのアタック次第だよね。

ぐるりと大きく迂回すると、緑のチェックシャツに編み下げの黒髪が清楚な背中から近寄り、頭二つも低い肩口に身体を屈めた。

「こんにちは」

「は、はい？」

ぼんやり上空を見上げていた丸顔が、小さな目を見開いて驚きを伝える。

うんうん、全部が小作りな感じの顔に、すごく素直そうな口元。

いい子だ、やっぱり。間違いないよ。

「どしたの？　一人？

何だかちょっとボーッとしてたみたいだけど」

「あ、え、えぇ、はい。

すごいなぁ、なんて思って」

「あ、ここは初めて？　もしかして、どっかから出てきたの？」

ニッコリ笑うと、伺い気味に見上げていた目を伏せて、照れたように瞳をクリクリと。

あああ、もう、この子はきっと大丈夫。途中で、ええ～っ、ってことにはならない、たぶん。

「……誰かと待ち合わせ？」

紺のジーンズの前にポーチを持った手を組み合わせると、女の子はうつむいて黙ったままで身体を固くしている。

「ああ、だいじょぶ、大丈夫。変な勧誘とかじゃないよ。

何だか、キミが一人でぼんやりしてるから、気になっちゃって」

前に廻り込むと、覗き込むように身体を屈めた。

額の髪を淡いピンクの塗られた細い指先で払い上げて見せると、もう一度ニッコリ。

「あたし、美悠（みゆう）、紅（くれない）美悠って言うんだ。なかなかな名前でしょ。

今日は一人で遊びにきちゃったからさ、どうしよっかなぁ～、とか思ってたん

だ」

うつむきパラパラと額に落ちた黒髪の間から、上目遣いに瞳だけが動いて、こちらの胸元をうかがったようで。

一度背を伸ばして身体の前で軽く腕を組むと、美悠はピンクの唇を小さく擦り合せてため息をついた。

う～ん、意外とガード固い。おかしいなあ、勘違いだったか？

あ……、でも。

ポーチを抱きかかえて組んだ腕の下、紺のジーンズのボタンは――。

「……ね、オルディズってヴィンテージショップ、知ってる？

ほらほら、これこれ」

くるりっと後ろを向くと、形良く持ち上がったお尻のエンブレムを指差す。

「結構レアでしょ。特別価格で出してもらったんだ」

お尻から指を上げて、見返り視線と突き出した人指し指でパシッ。

そして、軽く片足上げてくるっと一回転。

「いいでしょ」

スタイル抜群、ボリュームたっぷりのしなやかな身体が軽やかに踊ると、溢れる夜の賑やかさの中、さらにその姿は目を引いて……。

クスクスクス。

あ、反応あり？

「ふふふ……、もう、いつもそんななんですか？」

片手が口元に添えられると、ほとんど化粧っ気のない小造りな顔が、上を仰ぎ見た。

「え、そうでもないよ。ノリ、ノリ。楽しいのがいいよね」

ワイルドな毛先の下で、切れ長の目がもう一度、ニッコリ。

結い下げた黒髪の下の円らな瞳と真正面から交わった。

うん、やっぱり可愛い！！

美悠より頭一つ半も低い顔は、どこもかしこも華奢で、それでいてビビット。

特に、子犬みたいにクリクリした目が、もう……。

充足感が胸の中にフツフツフツ。

頬に笑いが昇ってくるのを止め切れず、美悠は肩を窄（すぼ）めて視線を落とし気味に、

「一緒に行く？　オルディズ。店長に紹介してあげる」

「え、ホントに？　いいんですか!?」

ポーチを持っていた手が口元に持ち上がって、下がり気味の眉毛がさらにハの字に。

「もちろん。えっと、名前、何て言うの？」

「……あ、わたし、紗江（さえ）です」

紗江……、うんうん、イメージ通りの名前。

「紗江ちゃんかぁ。ねえ、サッチでいい？」

「あ…、いいです、ええと……美悠さん。友達でそうやっていう子、多いし」

「ああ、美悠でいいよ。そんなに年、違わないと思うから。……ズバリ、サッチ、高３ってとこでしょ」

「当たりです！　ええっ、結構幼く見られること、多いのに」

「そりゃあ、やっぱり。タメだもん。あたしと」

「ええ～！！　信じられない。モデルさんか何かかって！

同級生？」

「そうだよぉ。さ、行こっか。この街、案内しちゃう」

「……うん。

よろしく……美悠」

肩を並べて雑踏に踏み出すと、少し丸みを帯びた鼻先と唇の間に指を押し当て、心の中でガッツポーズ。

うう～ん、ファーストステップ、Get！

そのあとの展開は、至極順調――。

ファッション小路のヴィンテージショップで一緒にジーンズを物色、行き付けの店でコスメグッズを選んであげて、柔らかい唇にちょっと赤めのルージュ、白い頬にはライトブルーのチークを。

そしてもう一回雑踏に歩き出た時には、軽く腕を組んで歩いていたりして。

最後にメインストリート入り口、ネオンの海がウィンドウ越しのカフェに席を取った時には、手応えは充分すぎるくらい。

美悠は、夜の街路を眺める満足げな横顔を見つめながら、心の中で一つ息を吐いた。

街の北の端っこから遊びに来た、学校や身の回りでは出会えそうにない、可愛くて優しい子。

しかも、どこかで亜衣を思い出させる……

じゃない。そんなことを考えてる場合じゃないよ。

と、赤いクロスが掛けられた丸テーブルに肘を付いた紗江が、パフェに差されたストローに口をつけると、小さな目で「どうしたの？」と正面を向いてシグナルを。

美悠は淡いパープルのアイラインを下げてニッコリと笑うと、

「美味しい、サッチ？」

「うん、ホントに美味しいね、このパフェ。

こんないろいろ乗ってるのに、全然甘くなくて」

「だろ～。美悠さんに任せなさいって」

「ホント、すごいなぁ、美悠。

やっぱりこの街の人だね。よかった、美悠にいろいろ連れてってもらえて。ありがとう」

ちょっと鼻にかかった、可愛らしい声――クリームの浮かんだカフェのカップを口元に運びながら、さっきから湧き上がってた煩悶はリミッターにかかり始めて……。

どうしようっか。「電車がなくなる」ってさっき言ってたし。

アドレスだけでもGetしておくべき？

あ～あ、オンナだってだけでホントに一段階面倒だ。仕方ないけど。

と、パフェから口を離した丸顔が、外のイルミネーションを映すガラス張りでシックな店内を見回した。

「う～ん、ここ、カレと来れたらなぁ」

う……。

「あ、ふうん、やっぱそう思う？」

「うん、そうだよね。だって、ほら……」

言われなくても、この店がカップルで一杯なのはわかっていた。

でも、ってことは――、ああ、あたしの見込み違い……sigh。

「美悠は？　カレと来ないの？

あ、そうか。もっと大人なお店、知ってるんだよね、美悠なら」

「あ、いや、そうでもないよ。

だいたい、あたし今、ステディいないし」

「……え、って、彼氏なしってこと？　信じられないっ！

だって、そんなにスタイルいいのに。カッコイイのに！！」

「ははは、照れる照れる。やめなさいって。

でも、今はフリーだよ、マジで……」

ふうん、と言った後で面白そうにこちらを見る丸い瞳。

視線が絡んだ瞬間に、針はまたレッドゾーンへと振れ始めた。

そして、次の台詞が……ボボボッッと瞬間着火剤！

「そうかあ、じゃ、仲間だね。

わたしもだから……でも、わたしの場合は、生まれてからずぅっとだけど」

（生まれてから、ずっと！）

「そ、そおう」

お、収まれ、この胸！

「変かな？おかしいかな？

なんかね、ピッとくることがないんだ。やっぱり近くの男子がダメ過ぎるんだよね、……って、どうしたの、暑い？」

「ううん、何でも」

キャミソールの胸元を引っ張って風を入れると、目をパチクリ、胸の中でまた一つ、息。

「オッケーオッケー、全然おかしくなんかないって。無理は良くないからね。

カレがいればいいってわけじゃないし」

「うん……、そうだよね」

ほぼ食べ終わったパフェをスプーンでかき回す細い腕、俯いた小さな顔、脇に置いたスマホに落とす視線、そして、結んだ唇と小さなため息。

もう、ダメだ。

胸に付いた炎は、背中まで広がって、身体全体が消火不能の火だるま――。

「あ～あ、もう時間ギリギリ。わたし、帰らなきゃ……、え、何？」

「ホラ、みてみて、外」

指差した夜の街の景色に清楚な横顔が振り向いた瞬間、ええい、絶対大丈夫！

テーブルの上に所在なく置かれた手に手を添える。

「え？　どうしたの……？」

大丈夫。この子なら、ゼッタイ！

重ねた手を引き寄せて、立ち上がって中腰に。

驚き混じりにこちらを向いた唇に、チュッ！

すぐ身体を離すと、小さな目が真ん丸に見開かれて凝視――大丈夫だよ、うん。

目を細めてピンクのルージュの唇でニッコリ笑うと、華奢な丸顔の上で、驚きの氷が解けていく。

「びっくりした？

ゴメン、どうしてもしたくなっちゃってさ……」

「て、って、どういう……、み、美悠……」

「うん、だから……、まあ……さ、サッチが可愛いってことかなぁ」

指先で狙撃、バンッ！

絡んだ視線に、濡れた瞳――うん、セカンドステップ、Get！

……って、え？！

「嘘！」

飛び出さんばかりに目が見開かれると、白目の方が多くなって、

「……へ、ヘンタイ！

嘘ぉ！！」

今までの控え目さとは百八十度の甲高い声が響き渡る！！

「そ、そういうつもりだったの！　セクハラ、強姦魔！

ううん、痴女ぉ!!」

ち、痴女……。木槌を一発当てられたごとき衝撃が頭に！！

「あ、待って、サッチ、だから……」

少しざわつく店内、携帯とポーチをひったくると、チェックの背中はあっという間に店の出口へと消える。

「違うんだって！　待って」

会計を慌てて済ませて雑踏の中へ飛び出すと、清楚で小柄な姿は、もうどこにも見えなくなっていた。

あああ、もう、失敗したよ……。

美悠は大きく息をつくと、ジーンズの腰に手を当てて、拳で額をゴツン。

剥き出しの肩に、夜の風が突然リアル。

はぁ、ったく。

「あ、彼女、どうしたの～♪　一人？」

「ん？　うるさい！　近寄るンじゃないよ！」

「おお、コワ。そんなにトンがらなくってもさ、お、もしかして、寂しい～っ

とか？」

ああ、鬱陶しい！　こういう時に限って！！

肩に当てられた手首を握ると、振り向きざまに関節を取って、外側にねじり上げる。

「何考えてんの？

見てわかんない？　痛い目見るよ、あたし今、機嫌最悪なんだから」

細身の髭面の男に視線を投げると、切れ長の目とクールな口元は、ほのかな殺気まで帯びて……。

そそくさと消えるチャラい男。

その背中を一瞥もせず、美悠はもう一度光の海の中に歩み出した。

最初は苛立っていたように見えたその歩く姿。

しかしやがて、銀のリングが光る腕がしなやかに振られ始め、さらには、ブルーのキャミソールとジーンズを優雅に、リズミカルに揺らされて――。